石巻日日新聞

仮設生活6年 復興住宅は2年先 壁の作品は暮らしの証

2017/3/9
■あの日から6年そして今(1)石巻市雄勝で被災 今野吉子さん
 絵手紙や詩、写真入りメッセージなど支援者からもらった元気を促す創作品が仮設住宅の壁を埋める。「これは全部、私の宝物。復興住宅の壁に飾ることはできないけれど、移り住むのは2年先。長いね。それまで生きていられるかしら」と静かな笑みを浮かべる。(外処健一)

 石巻市内で最大規模の開成・南境両仮設団地も月日の流れとともに空き室が目立つようになった。今野準悦さん(79)、吉子さん(77)夫妻は雄勝町船越の自宅を失い、平成23年9月から南境仮設住宅で暮らし始めた。

 「間もなく丸6年になるのよね。あの日は地震後に津波が来ると直感し、地域の人に声を掛けて高台にあった私の家に十数人が避難したの。それから『10メートルの津波が来る。もっと高いところに』という声を聞き、皆で坂を上って県道にたどりついたけど振り返ってがくぜんとしたわ」

 津波で流された住家が激しくぶつかり、裂ける音が響いた。途中で家に戻った近隣住民の姿はもうない。一緒に逃げてきた人たちは恐怖におののいていた。吉子さんは今も震災の映像を見ると胸が苦しく、家がぶつかり合う音は耳から離れない。

 今野さん夫妻は仮設住宅の入居が決まるまで市内の避難所や2次避難先の青根温泉(川崎町)で過ごし、南境の仮設団地に入った。当時はどこからとなく子どもの声も聞かれ、にぎやかだった。吉子さんはダンベル体操の定期開催に取り組み、集会所で行う創作活動にも積極的に加わりながら人と関わった。

 でも2年、3年が過ぎると徐々に仮設を退去して復興住宅や住宅再建に移る人が多くなり、5年も経てば空き家の方が増え、子どもたちの声も聞こえなくなった。「引き戸の建て付けが悪く、閉まりにくくなった。やはり仮設なんだよな」と準悦さん。「今は、食ってゴロリの生活。雄勝の海が見えていたころが懐かしい」と遠い目をする。

 仙台市に住む長女が心配し、同居を促したが、今野夫妻は「仮設も住めば都。気持ちはうれしいけど、マンション暮らしはどうも」と本音を漏らす。船越の高台移転地に移る考えもあったが、吉子さんは「あと20歳若ければね」と年齢的な負担を気にした。

 2人が選んだ移転先は、道の駅上品の郷の向かいで整備が進む河北二子地区の防災集団移転地。戸建ての復興住宅は約230戸建つが、希望した第3工区の入居予定時期は30年12月であり、生活が落ち着くのは2年先だ。

 「仮設も2、3年がいいところだと思っていたけどもう6年だよ」と準悦さん。「復興住宅に住むまで生きられるかしら。でも生きていかなければね。亡くなった人たちのためにも」。吉子さんは自分に言い聞かせる。

 ボランティアや支援団体の数は減ってきたが、やっぺす隊(石巻復興支援ネットワーク)は継続的に活動しており、吉子さんは「心の支え」と語る。部屋の壁に飾られた創作品にはその中で手掛けたものも多い。一つ一つに手を触れながら吉子さんは思い出を語り続けた。

 「やっぺす隊の活動には、仮設を離れた友人も集会所に来て一緒に作ったり、書いたりするの。友達に会えるのが今の励みかな。震災で失ったものも多いけど、手にした幸せと思い出もいっぱいあるのよ」。壁に掲げられた作品からは、ここで暮らしてきた証がにじみ出ていた。
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 多くの尊い命と財産、人々の日常を奪った東日本大震災から6年。昨日まで連載したインタビューで3市町長は、10段に例えた「復興の階段」の7段目にいると答えた。実際、地域の復興は目に見える形になってきたが、住民はさまざまな状況に置かれており、「復興」の受け止め方は千差万別だ。人々の6年の歩みと思いをリポートする。

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