石巻日日新聞

渡波中 仮設最後の学年が卒業 母校校舎を知らない子どもたち

2017/3/10
 東日本大震災の影響で石巻地方では多くの学校が閉校、統合され、かつて自身が通った母校を失った人々も多い。だがさらに震災は、母校(校舎)を知らない子どもたちをも生んだ。渡波地区の長浜海岸からすぐにあった石巻市立渡波中学校は、隣接した市立女子商業高校と同様に津波に直撃された。校舎は使用困難となり、跡地には今、更地が広がる。被災から6年を経たこの春、渡波中はようやく内陸部への移転新築が完了し、仮設ではない新たな校舎での生活が始まる。(近江瞬)

◆プレハブで過ごした日々
 この6年間、渡波中学校の校舎は稲井小学校校庭に建てられたプレハブ仮設施設だった。

 生徒たちは山を越えるバス通学。軋む校舎は、強風の日に窓を開ければ、天井が浮くこともあった。小学生への配慮で休み時間に校庭を使うことはできず、部活動も稲井小中と調整して行った。「間借りしている身」。口には出さずとも、我慢の日々ではあった。

 特に、本年度の卒業生のうち、渡波小出身の子どもたちには不便な6年間だった。発災から3年間の小学4―6年生の時には稲井中校庭の仮設、そして中学校の3年間を稲井小校庭の仮設で過ごした。小学校も中学校も彼らが卒業した翌年度に校舎が再建、新築された。「タイミングの悪い学年」という言葉がこぼれるほど、胸には複雑な思いがあった。

 今日10日に卒業式を迎えた仮設最後の3年生たち。会場は稲井中の体育館で、稲井中の卒業式後の午後に開かれた。一時は新校舎体育館で実施する案もあったが、結果的には工事が間に合わない可能性などを考慮して取りやめた。だが、生徒の中には「何の思い出もない新体育館より、ずっと使ってきた思い出がある稲井中の体育館がいい」という意見もあった。

 卒業式で前生徒会長として答辞を読み上げた矢口悠月さん(15)は自宅近くの鹿妻小に通い、中学進学とともにバス通学と仮設での生活に変わった。


「3年間の経験は人生の糧になる」と振り返る矢口さん

 1年生の時には教室が音楽室の隣でいつも音が聞こえた。3年生になれば教室が1階で上の階の足音がうるさかった。バス通学では時間にも制約が生まれ、学校帰りに友人と寄り道をするといった当たり前の青春もなかった。

 震災前の渡波中生の「授業を抜け出して長浜で泳いだ」という話を聞いても、悔しいだけ。それでも本当の校舎があった小学校時代を「恵まれていた」と感じると同時に、「渡波小出身の人たちは6年間ずっと仮設だったんだと思うと大変だったはず」と思い巡らす。

 新校舎の建設が始まってからは、登下校のバスの車窓から次第に形になっていく渡波中が見えた。「でっかいし、きれい。後輩たちはあの校舎で生活できるのか。うらやましい」。素直にそう思ったし、そう口にする生徒もいた。

 だが、いくら考えても変わらない現実があることを中学生も知っている。「僕たちは新校舎を使えませんが、後輩たちはそこで生活をする。その環境の変化はとても大きいし、大変なことも多くなると思います」と矢口さん。だからこそ、生徒会長選挙では、後輩たちの負担が少しでも減るように「新校舎での生活に向けた土台作り」を公約に掲げた。仮設で縮小していた行事や委員会活動などを再生するために力を注いだ。

◆入ってみたかった教室
 仮設で暮らした3年間はやはり不便で、思い描いていた中学校生活とは違った。だがそれでも、青春の日々であることにはまったく変わりはない。「不便なことはたくさんありました。でも、仮設だから経験できたこともたくさんあります。成長しなくちゃいけなかった部分や思い出も多いんです」と振り返る。

 鳴り響くリコーダーの音。浮いた天井。バスでの友達との他愛もない会話。卒業とともにこの3年間に遭遇した出来事の数々がよみがえる。それはどれも仮設の渡波中だからこそ生まれた思い出であり、そこには生徒同士の結束や刺激、そして学びがあった。


プレハブの仮設校舎が渡波中生たちの学び舎だった

 「僕たちにとって渡中はこのプレハブです。プレハブこそが母校なんです」。矢口さんの言葉には自虐めいた印象はなく、感じるのは仮の学び舎への愛着だ。だが、彼らの学び舎は彼らの卒業を見届けて、ほどなく解体される。「なくなることには寂しさもある」と言うが、「稲井小の子どもたちのためにもいつまでも置いておくことはできない」と現実も直視する。

 震災から6年を経て、ようやく完成する真新しい母校。「ずいぶん時間がかかりましたね」と苦笑して、「新校舎で生活できたらって考えても、実はこれと言って何がしたいというのはないんです。ただ強いて言えば、『生徒会室』っていうのに入ってみたかった。きっと普通の教室なんでしょうけど、僕たちにはその『普通の教室』がなかったので」と送ることのできなかったもう一つの3年間に思いを馳せる。

◆青春の思い出は同じ
 卒業式で矢口さんは在校生、教職員、保護者を前に「本来、通うはずだった校舎すらも失った私たちが送った特殊な環境での学校生活は、思い描いていた中学校生活とは少し異なるものでした」と告白した上で「過酷な環境下での3年間で私たちは他の中学生よりも一歩も二歩も前進した。数々の障害や苦難をともに乗り越えてきたことが今後の人生の糧となることは疑う余地もありません」とも語った。

 矢口さんの言う「僕たちにとっての渡中」はもうすぐただの校庭に戻るが、本当の母校校舎を知らない子どもたちの胸にも苦楽をともにした友達や走り回った廊下、「不便だな」と笑った日々とともに確かな3年間の確かな思い出が刻まれている。

 「偉そうに言える立場ではないですけれど」。矢口さんは後輩たちへの思いとして「新校舎でも大変なことがたくさんあると思う。だけど、普通の校舎を経験できなかったこれまでの人たちの分も、その苦労だって楽しんでほしい」と語る。

 震災からの6年間で多くの仮の生活が被災地には生まれた。仮は必ずいつかは終わりを迎えるが、そこで生まれた思い出やつながりは途切れることなく続く。仮設でない校舎は知らなくても、本当の校舎がなくなっても、そこで過ごした日々までもが消えるわけではない。春から新たに始まる生活は、仮の生活の先にあり、それらを土台にして築かれていく。

【写真】建設が進む新校舎を前にする矢口さん

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