4308<>4308.jpg<>仮設店舗の愛称決まる…10日にオープンセレモニー<> 今月10日、石巻市中心市街地にオープンする仮設店舗の愛称が「石巻立町復興ふれあい商店街」に決まった。7日の記者会見で亀山紘市長が発表した。亀山市長は「津波で甚大な被害を受けた中心市街地での待望の仮設商店街。復興への大きな一歩となる」と語り、地域復興に弾みがつくことに期待を込めた。


 同商店街は立町大通りの民間駐車場のEKパーキングに開設する。中小企業基盤整備機構が設置し、石巻立町仮設店舗運営協議会(会長・浅野亨石巻商工会議所会頭)が運営。各事業者に2年間、無償で店舗を貸与する。


 商店街を構成するのは21店舗。震災前から地元で営業していた店のほか、湊や渡波地区などからも飲食店や水産加工販売会社が出店する。オープンを間近に控えた7日は、各店舗で内装の仕上げ工事や物品搬入が行われ、商店主らが忙しく作業に精を出していた。


 出店者のひとつ、佐藤ちゃきん屋の佐藤美和子さんは湊町2丁目にあった店舗を津波で失った。資金不足で一時は店の再開をあきらめたが、仲間の商店経営者から立町での仮設店舗の話を聞き、再出発を図ることにしたという。


 佐藤さんは「地元の人たちからの『もうやらないの?』という声が励みになった。不安だらけの再開だが、お客さんと会えることが一番うれしい。震災で途切れたつながりが少しでも戻ってくればと願う」と話していた。


 同商店街のオープニングセレモニーは10日午前9時45分から開催する。テープカットで祝うほか、アトラクションとして石巻小学校器楽合奏団、ちんどん屋の寿寅多(ストラダ)宣伝社が出演。各店では特価商品やサービスメニューを準備し、来場者先着500人に花の球根などをプレゼントする。




 【写真】 内装工事の仕上げなどが急ピッチで行われている

<>2011/12/7 4307<>4307.jpg<>不法係留船 じわり増加<> 石巻市の旧北上川の河口付近に300隻以上あった不法係留の船舶は、震災の津波ですべてが流されたが、時間が経つにつれ元に戻りつつある。そんな中、国交省北上川下流河川事務所などは1日、こうした船舶への合同巡視を行い、立て看板やチラシで状況改善を警告した。


 マリーナがない旧北上川では船の係留はできず、所有者は陸に上げて管理しなければならない。しかし、不法係留は震災前から後を絶たず、昨年10月時点でプレジャーボートなど371隻があった。


 こうした船は洪水時に流されて護岸を損傷するおそれがあり、実際に東日本大震災では不法係留船の流出による被害も出た。また、使用できなくなるとそのまま放置船になるケースもあり、油漏れ事故も頻発。近隣住民からの苦情も多かった。


 震災で一時は不法係留がなくなったものの、修理が終わって再び係留される船舶が増えてきている。北上川下流河川事務所の調べでは9月末に15隻だったのが、11月末は27隻。国交省、県、石巻市で組織する不法係留対策検討会は重点撤去区域の設定も視野に、計画的な不法係留対策を強化していくことにした。


 合同巡視には同事務所の職員ら7人が参加。不法係留船の河川区域外への速やかな移動や、所有者不明船舶を法に基づいて撤去する旨の警告看板を川岸に立て、各船にチラシも張った。同事務所占用調査課の渡邉好和課長は「河川堤防の整備が予定されており、不法係留船が復興の支障になる」として理解を求めた。




 【写真】 不法係留船の撤去を警告する看板

<>2011/12/7 4306<>4306.jpg<>「農地復旧の道のり長く」…石巻地方 農閑期にガレキ撤去<> 大津波で浸水した石巻地方の水田では、農業者らが手作業によるガレキ撤去を進めている。国の農業経営再開支援金を活用し、被災農家が当面の収入にする取り組みだ。しかし、地域内にはいまだに堤防の仮復旧や排水が完了しないために手をつけられない農地も多数あり、関係者は頭を痛めている。


 大津波で浸水した石巻地方の水田では、農業者らが手作業によるガレキ撤去を進めている。国の農業経営再開支援金を活用し、被災農家が当面の収入にする取り組みだ。しかし、地域内にはいまだに堤防の仮復旧や排水が完了しないために手をつけられない農地も多数あり、関係者は頭を痛めている。


 津波で広く浸水した東松島市大曲地区では先月、矢本地域農業復興組合(高橋富夫組合長)から約50人が参加し、水田に散在する鉄くずや木片などを拾い集めた。同組合は国の支援金の受け皿として設立された団体で、地域の被災農家全員で構成。簡易なゴミ・ガレキの除去、除草などの作業に対し、支援金が時給または日当で支払われる。


 本来ならば稲の収穫を終え、田んぼは閑散とする時期。ガレキ撤去に参加した人は、国によるTPP交渉参加に先行きの不安を覚えながらも「農地を守りながら、地域ぐるみで農業をしてきた。国で支援してもらえるのであれば、復興へがんばりたい」と黙々と手を動かしていた。


 大曲地区の水田の中でも定川沿いは、堤防の流失により長期にわたって海水につかった。現在は、堤防の仮締め切りと排水作業によって水田に重機が入れるようになり、車両や家屋の残がいなど大きなガレキは撤去された。県は基盤整備型の復旧を計画しており、作付けは平成26年度以降になる。


 石巻地方の農地面積約1万3305ヘクタールのうち、津波で26%にあたる3460ヘクタールが浸水。石巻市の長面や東松島市の野蒜洲崎・東名地区など約240ヘクタールが現在も水につかっている状況だ。





 【写真】 砂浜のようになった田んぼでガレキを拾い集める被災農家ら。復旧はまだまだ先だ(11月上旬、東松島市大曲)

<>2011/12/6 4305<>4305.jpg<>地元産そば魅力を発信…東松島市上下堤で「そばまつり」<> 東松島市上下堤地区で栽培されたそばのおいしさをPRする「上下堤そばまつり」(上下堤転作組合主催)が4日、同地区の農村創作活動センターで開かれた。試食やそば打ち体験などがあり、地域内外から訪れた大勢の人が地元産そばの魅力に触れた。


 同地区では、休耕田を利用したそば栽培に3年前から取り組んでいる。2回目の開催となった今年は、9月に収穫された秋そばを使った「二八そば」の試食や「五割そば(生麺、乾麺、そば粉)」の販売などが行われた。


 また、仙台市のそば愛好グループの協力で、そば打ち体験も実施。参加した人たちは水加減や生地の伸ばし方のコツを教わりながら、そば作りを楽しんだ。


 転作組合の浅野公夫組合長は「香りが良くコシがあるのが上下堤そばの特徴。まつりを通して魅力を発信することができた。年越しそばとしても食べてほしいです」と話した。


 「上下堤五割そば(乾麺)」は「東松島あんてなしょっぷ まちんど」=東松島市矢本=などで販売されている。




 【写真】 地元産のそば粉を使い手打ちそば作りを体験
<>2011/12/6 4304<>4304.jpg<>女川町 合同施設がオープン<> 女川高校グラウンド内に建設された「女川町仮設合同庁舎」が5日、オープンした。女川交番をはじめ各金融機関の支店・出張所が業務を開始した。


 同施設は、被災した公共・金融機関の早期再開で住民の生活向上を図ろうと、中小企業基盤整備機構の協力で女川町が建設した。津波で店舗や施設が流失・全壊した石巻警察署女川交番や女川郵便局、石巻信用金庫、七十七銀行、仙台銀行の支店・出張所が入居している。


 同日は、午前8時45分からオープニングセレモニーが行われ、須田善明女川町長が「震災から約9か月が経過したが、この庁舎が復興に向けての大きな一歩を踏み出す契機になる。各機関には、女川の地に根を下ろし、住民と一緒に復興を目指してほしい」とあいさつ。テープカットでオープンを祝った。


 早速、女川郵便局を訪れた住民の一人は、「これまで郵便局を利用する用事があると、渡波まで行っていた。便利になって助かります」と話していた。


 女川高のグラウンド内には現在、中小企業基盤整備機構が20店舗、女川町商工会が29店舗それぞれ入店できる仮設商店街の建設を進めている。完成は年明け以降を予定している。




 【写真】 合同施設内にオープンした女川郵便局

<>2011/12/5 4303<>4303.jpg<>まちなかにサンタ100人…東松島市 イルミ点灯式もにぎわう<> 街に繰り出した100人のサンタクロースを探し出す催しが3日午後、東松島市矢本の商店街で開かれ、子どもたちにひと足早いクリスマスプレゼントが贈られた。日没後はイルミネーションの点灯式もあり、被災地のまちなかはにぎわいをみせた。


 「サンタをさがせ」は商店街の活性化を図る東松島元気なまちづくり委員会などが主催した。まちなかを回遊する100人のサンタを見つけてシールを集め、プレゼントをもらうイベント。中学生以下の子ども400人とその家族が参加した。各所に休憩地点が設けられ、親子で散策しながら焼きガキの振る舞いや大道芸などのショーも楽しめた。
 サンタにふんしたのは復興を支援ようと、埼玉県所沢市や東京都中野区、仙台市から集まった有志。あったかいホールを中心にまちに散らばり、買い物したり食事をしたりして地域経済に貢献した。子どもたちに見つかると、「メリークリスマス」とあいさつし、シールを渡していた。
 母と兄、親戚と一緒に65人のサンタを見つけた菊地美琴さん(矢本東小3年)は「楽しかった」と笑顔。震災による自宅の被害は軽く、いつも通り家族で過す本番のクリスマスを楽しみにしていた。


 一方、イルミネーション点灯式はあったかいホール隣と、須賀神社前の三角公園であった。三角公園ではカウントダウンと同時に、1万4千個のまばゆいLED電球の光が、高さ約15メートルのヒマラヤ杉などを覆った。1月8日までの午後5時―10時(大みそかは翌朝まで)に点灯される。


 この日は、被災地の子どもを元気付けようと、俳優の津川雅彦さんが8月の「東松島元気フェスタ」に続き駆け付けた。自前のひげとサンタの衣装がよく似合う津川さんは、ほぼすべてのイベントに参加して市民と交流した。




 【写真】 三角公園のイルミネーションを背景に、津川雅彦さんと記念撮影する市民
<>2011/12/5 4302<>4302.jpg<>「スロベニアから思い込めて」…室浜にログハウス風集会所寄贈<> 東日本大震災で大きな被害を受けた東松島市宮戸室浜にスロベニア共和国から漁業者や地域の集会所となる施設が寄贈された。間口5・9メートル、奥行6・3メートル(2LDK)のミニログハウス風の建物。設置された県漁連宮戸支所の敷地内で4日、贈呈式があり、地域住民が祝った。


 アルプス山脈の南に位置し、イタリア、オーストリアに隣接するスロベニアは自然豊かな山岳国。1991年にユーゴスラビアから独立し、農業や工業を主産業としている。震災後、被災地のために支援をしたいとの同国民の思いを抱いてヘレナ・ダルノーシェク・ゾルコ特命全権大使が東松島市を訪問。市内を視察した中で、津波被害を受けた宮戸の浜の再生が地域全体の復興にもつながると考え、集会所を贈ることにした。


 贈呈式に出席したゾルコ特命全権大使は「私たちは、再生、復興の長い道のりに立ち向かう皆さんに深い感銘を受ける。小さなパネルハウスだが、日本とスロベニアの友好の証として長く活用してほしい」とあいさつ。阿部秀保市長は「漁の拠点や地域コミュニティの場として大切に使いながら、スロベニアとの友好を深めたい。地域をしっかり復興させることで、恩返ししたい」と感謝した。


 施設は同国の資材を活用したログハウスを多く手掛けているビッグボックス=宇都宮市=が、わずか1週間で施工した。外観は日の丸にも同国の国旗にも通じる深紅を基調に明るく存在感のある配色。木材チップを圧縮加工した建材や二重ガラスなどで室内は温かく、シャワールームもある。


 同地区では被災した漁業者たちが浜から離れたところで生活している。管理する漁連宮戸支所では、悪天候で出漁できないときの待機場所としたり、作業小屋や地域の集会所として活用するという。




 【写真】 浜の拠点となる集会所の前で看板を掲げるゾルコ特命全権大使(右)と阿部市長

<>2011/12/5 4301<>4301.jpg<>産業復興の牽引車に…日本財団が造船業支援<> 日本財団は2日、東日本大震災で被災した造船所を再興させ雇用の創出を図るため、石巻地方を中心に造船関連事業者32団体で組織する「石巻地区造船及び造船関連事業協議会」(及川幸八会長)にクレーンやトレーラーなどの重機を寄贈した。2日は同協議会事務局がある石巻市西浜町のヤマニシでお披露目式を開催。関係団体代表らが出席し、復興への決意を新たにした。


 震災被害に遭って単独での事業再開が難しい東北地方の中小企業に対し、同財団が支援する「被災造船関連事業者への再生支援プロジェクト」の一環。宮城、青森、岩手、福島に設立した5つの協議会では、財団から贈られた船の修理・建造に必要な設備を所属団体が共同利用できる体制を整え生産能力を回復させていく。


 すでに7月から事業は進められており、助成金額のトータルは13億5千万円。このうち、石巻地区協議会には100トンラフタークレーンと50トンラフタークレーン各1台、チェーンブロック4台、溶接機30台の合わせて約5億円相当が贈られた。


 2日のお披露目式では、日本財団の尾形武寿理事長(石巻市出身)が「石巻を復興しないと周囲の地域に影響が出る。皆さんで共同利用し、皆さんの力で再生してほしい」とあいさつ。目録を受け取った石巻地区協議会会長で及川電機=石巻市蛇田=の及川社長は「我々が持つ技術を消してはならないと忸怩(じくじ)たる思いでいたところだった。支援で前に進む勇気を得た」と感謝の言葉を述べていた。


 神事に続いてクレーンの試運転を実施。見守っていた関係者からは拍手が起きていた。




【写真】 目録を受け渡した後で握手を交わす及川会長(写真左)と尾形理事長

<>2011/12/3 4300<>4300.jpg<>災害に強いまちづくりとは…3市長が意見交換<> 防災講演会(石巻・東松島地区復興防災基盤連絡調整会議主催)が2日、石巻市役所で開かれ、震災復興に取り組む亀山紘石巻市長、阿部秀保東松島市長が、豪雨災害を経て防災のまちづくりを進める新潟県三条市の國定勇人市長と意見を交わした。


 人口約10万人の三条市は平成16年の新潟豪雨災害で河川堤防が決壊し、死者9人、全半壊5千棟を超える被害があった。同市は市民の意見を取り入れた河川改修や、浸水状況に応じた「逃げどきマップ」などの作成に取り組み、今年7月の豪雨では被害を最小に抑えたという。


 國定市長の講演に続いて、国交省北上川下流河川事務所の佐藤克英所長をコーディネーターに、3市長がこれからのまちづくりについて意見交換した。


 震災を経験して阿部市長は「安全を確保するための土地利用問題などは、住民の理解が必要」、亀山市長は「河川堤防は高さと景観の兼ね合いをどう調整するかが課題」と提起。國定市長は「行政への過度の期待から批判を受けることもあるが、時間軸との上手な付き合い方で市民と冷静な議論ができる」と助言した。


 復興への防災基盤づくりで、「多重防災構造を実現することがまず大事。国の防災のものさしになるよう財源措置を」と阿部市長。亀山市長は「単に行政だけでなく、民間の取り組みを含めてまちづくりしたい」とした。


 國定市長は「産業的な復興が不可欠。農業なら来年には種をまけるのか、もう1年我慢しなければならないのかを示さなければ、心が折れる」と述べた。




 【写真】 これからのまちづくりを述べる右から國定三条市長、亀山石巻市長、阿部東松島市長
<>2011/12/3 4299<>4299.jpg<>「地域の皆さんに捧げる」…菊池寛賞贈呈式 石巻日日新聞社受賞<> 第59回菊池寛賞(日本文学振興会主催)の贈呈式が2日、東京都港区のホテルオークラで開かれ、石巻日日新聞社などが表彰された。


 同賞は、生前文学者の社会的地位向上に貢献した小説家、菊池寛にちなみ創設されたもので、文化活動の分野でその年に最も清新かつ創造的な業績を上げた人物、団体に贈っている。今年は東日本大震災で被災しながらも住民に情報を伝え続けたとして石巻日日新聞社と河北新報社、新作映画を完成させた99歳の日本最高齢現役監督、新藤兼人氏ら7団体個人が選ばれた。


 贈呈式で石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役報道部長は「3月11日に地域の多くの仲間を失ってから9か月になる。生活はまだ不安定だが、不安な気持ちを抱えながらも前に進もうとしている地域の皆さん、そして亡くなった方々にこの賞を捧げたい」と述べた。


 会場には著名な作家、出版関係者ら約500人が訪れ、祝った。受賞者のうち女子サッカーワールドカップで優勝した「なでしこJAPAN」のキャプテン、澤穂希選手は代理出席だったが、喜びのコメントを映像と共に寄せた。




 【写真】 受賞のあいさつを述べる武内常務取締役


<>2011/12/3 4298<>4298.jpg<>石巻市夜間急患センターが診療再開<> 東日本大震災で被災し、診療を中止していた石巻市夜間急患センターは、1日から中央公民館=同市日和が丘=南隣に建設した

仮設センターで診療を始めた。診療科目は内科と外科、小児科。震災前は沿岸部にあった急患センターは年間約1万5千人の患者

を受け入れてきた。場所を移してほぼ9か月ぶりの再開であり、佐藤仁人センター長は「夜間に対する市民の医療不安を和らげた

い」と意気込んでいた。
             
 急患センターは鉄骨2階建て。延べ床面積は718平方メートル。診療科目は震災前と同じく内科、外科、小児科の3科。職員

は医師、看護師、放射線技師、事務員の計27人。診療は東北大学病院や県立こども病院、石巻市医師会、桃生郡医師会、石巻小

児科医会、石巻薬剤師会などから協力を受けていく。
              
 開所式では亀山紘市長が「市民の健康問題が心配される中、本格的な冬を前に立派なセンターができた。多くの支援に感謝しな

がら復興を進めたい」とあいさつ。石巻市医師会の舛眞一会長は「夜間急患センターの復活は大きな安心につながる」と市と医師

会との連携を強調した。
              
 センターは1階が診察室や処置室、検査室で2階は事務室。医療機器はCT(コンピュータ断層撮影法)診断装置やエックス線

一般撮影装置、超音波診断装置などを完備しており、GEヘルスケアジャパン=本社・東京都=から寄贈されたCTは従前の4倍

以上の機能を誇るという。
              
 診療時間は内科、外科は月―土曜日が午後6時―翌午前7時、日曜祝日は午後6時―翌午前6時。小児科は月―金曜日が午後7

時―同10時、土曜日は午後6時―翌午前7時、日曜祝日は午後6時―翌午前6時。
               
 南浜町にあった夜間急患センターは、隣接する市立病院とともに津波被害を受けて機能停止に陥り、震災後は石巻赤十字病院に

負担がかかっていた。市は日本赤十字社の支援を受けながら同センターの建設を進め、その間は隣接する市立病院仮診療所で夜間

の診療を担ってきた。同センターはあくまで仮設であり、市は本建設も視野に入れていく。
           
【写真】開所式の後、施設概要が関係者に説明された<>2011/12/2 4297<>4297.jpg<>女川町に合同施設完成…交番や金融機関など<> 女川高校グラウンド内に建設された「女川町仮設合同庁舎」が5日、業務を開始する。女川交番をはじめ、金融機関などが施設を共有しながら運営を行う。
             
 合同庁舎は、被災した公共・金融機関の早期再開で住民の生活向上を図ろうと女川町が建設したもの。津波で店舗や施設が流失・全壊した石巻警察署女川交番や女川郵便局、石巻信用金庫、七十七銀行、仙台銀行各支店の5つの機関が入居し、業務を再開する。
                
 同日は、午前8時45分からオープニングセレモニーも行われる。
                
【写真】住民生活に必要な機関が入る施設(女川高校グラウンド内)<>2011/12/2 4296<>4296.jpg<>直通快速列車「仙台までノンストップ」…きょうから運行開始<> 石巻―仙台駅間を結ぶ直通快速列車の運行が1日から始まった。平日朝の上り1本のみの運行となるが、震災以来、仙石線が途中バス乗り換えとなり、直通列車がなかっただけに通勤、通学客たちは「これまでより短時間で仙台駅に着くことができ、便利になる」と一様に歓迎していた。JR東日本仙台支社は、仙台駅から石巻駅に向かう下り列車も今後運行させる方向で検討しているという。


 快速列車は、石巻線の石巻―小牛田駅間(27・9キロ)と東北本線の小牛田―仙台駅間(43・2キロ)を乗り継ぎなしのノンストップで結ぶ。平日午前6時43分に石巻駅を出発し、同7時59分に到着する。


 従来、石巻線で石巻から仙台に向かうには、小牛田で東北本線に乗り換える必要があった。1日からの快速列車を利用することで従来よりも約15分短縮できる。車両はディーゼル車の2両編成で定員は計約240人。


 初日は、仙台市内の職場や学校などに向かう乗客が次々と乗り込んだ。石巻市蛇田の専門学校生、小澤亜紀さん(19)は「これまでは仙石線と代行バスを乗り継いで仙台に通っていた。快速列車のおかげで1時間遅く家を出られる」と喜んだ。また、同市大瓜の会社員、佐藤浩之さん(49)は「少しだけだが早く仙台に着けるのがうれしい。下り列車の運行にも期待したい。上りもあと1、2本増えればより便利になると思う」と要望した。


 出発を見送った渡邉和利石巻駅長は「4月に東北新幹線、5月に石巻線がつながったのに続くうれしい出来事。仙台までの直通列車が走り出したことで気持ちが明るくなった」と感慨深げに話した。


 快速列車の片道運賃は820円。仙石線の石巻―仙台駅間の定期券も利用できる。




 【写真】 多くの乗客が乗り込んだ快速列車車内(1日午前6時40分ごろ、JR石巻駅で)
<>2011/12/1 4295<>4295.jpg<>「美しい古里取り戻したい」…東松島市イートころ運動発表会<> 東松島市の小中学生があいさつ、ごみ拾い、清掃に取り組む「心あったかイートころ運動」の平成23年度発表会が11月28日、同市矢本東小学校講堂で開かれた。震災の中で運動を続けてきた各校の児童生徒らは、発表に清掃で美しい古里を取り戻す願いや、あいさつでよりよい人間関係を築いていくことなどを述べていた。


 運動は思いやりの心や感謝の気持ち、奉仕の精神を養う目的で、昨年度から市内14小中学校ごとに実施。毎月決まった日に全校で清掃するなど、取り組み方法は各校で工夫している。発表会では小野小、宮戸小、矢本東小、矢本二中の代表児童生徒が本年度の運動を振り返り、矢本東小の高学年児童や保護者ら約300人が耳を傾けた。


 小野小は児童会や縦割りで行ったあいさつや清掃の様子を紹介し、「学校だけでなく地域もきれいになるようにしたい」「あいさつははっきり言って伝わったほうが、相手も気持ちがいい」などと発表。津波被害の大きい地区にある宮戸小は、「美しい宮戸に戻ってほしいという夢や希望が、ごみ拾いや清掃活動に現れた」と劇を交えて振り返った。


 また、立ち止まってあいさつする、黙々と掃除するといったキャンペーンを展開した矢本東小は、それによる児童の行動の変化を実演して表現。矢本二中は「震災から命を守った校舎なので、大切に使いたい」と述べ、ごみ拾い活動に力を入れる意気込みを述べていた。


 講評で市教委の鈴木春夫学校教育課長は「運動を日常の活動にし、市全体の取り組みにつながっていけば」と期待した。




 【写真】 寸劇を交えて発表する宮戸小の代表児童


<>2011/12/1 4294<>4294.jpg<>チップ船 震災後初入港…日本製紙石巻工場<> 日本製紙(株)石巻工場(倉田博美工場長)に30日、震災後初めて木材チップ約2万5200トンが届いた。チップは12月中旬から再稼働する予定のクラフトパルプの製造原料として使用される。この日は、石巻港南浜埠頭にチップを満載した船が接岸。荷役作業が行われ、岸壁では関連会社のトラックや船の巨大なクレーンなどが忙しく動き回っていた。


 現在、石巻工場の生産量は震災前の30%ほどと少なく、最終的な洋紙原料となるパルプは岩沼工場で生産したものを使ってきた。石巻工場では本年度中にN5号抄紙機、国内最大級のN6号同の運転を再開する見込みで、そのためには自社工場での大量のパルプ製造は不可欠。今回はその原料となるチップを調達した。


 30日は午前7時30分ごろ、貨物船「PRO GRACE(プログレイス)」(ケイマン船籍、総トン数5万3896トン)が港に到着。同船は2週間ほど前にオーストラリアのポートランド港で針葉樹のラジアータパイン(7500トン)と広葉樹のユーカリ(1万7700トン)のチップを積み、石巻港に直行した。


 震災前、同工場にはひと月に2―3隻のチップ船が入っていたが、現状の生産量では今回運んできた2万5千トンを消費するには約2か月かかる見込み。次に入ってくのは2月ごろになる予定という。


 船が接岸した南浜埠頭は県が管理している港で、津波により桟橋が欠損。県が仮橋を架けて補修したほか、浚渫(しゅんせつ)工事も行った。流失したコンベアなどの機材は同工場が新たにそろえていた。


 同工場では、「計画に基づき着実に復興作業を進めており、今後も順次、抄紙機の運転を再開させていく」と話していた。




 【写真】 南浜埠頭に到着した貨物船「PRO GRACE」
<>2011/11/30 4293<>4293.jpg<>鹿妻地区に新集会所「HANA(はな)荘」…日本ロレアルが建設<> 化粧品会社の日本ロレアル(株)(本社・東京都新宿区)が石巻市鹿妻南地区に建設した集会所「コミュニティカフェHANA荘」のオープニングセレモニーが29日、現地で行われた。住民らが地域社会の再構築を目指す新拠点の完成を祝った。


 HANA荘は、地域住民が集いみんなで話をしよう∞会話の花を咲かせよう≠ニの意味を込めた集会所。


 鹿妻地区では、被災地支援活動を展開しているNPO法人JEN(ジェン)が5月、アパートにコミュニティー施設を開設。しかし、その建物が6月に取り壊されることになり、新施設を建設に協力できる企業を探していた。そこで手を挙げたのが同じく被災地支援を行っていた日本ロレアルで、鹿妻南の民有地に平屋で床面積79・33平方メートルの集会所を建てることが決まった。


 29日のオープニングセレモニーでは、日本ロレアルのクラウス・ファスベンダー社長が「施設を利用いただき、地域コミュニティーを再びつくり出すことを祈っている」とあいさつ。地元の鹿妻第2町内会の斉藤昭次会長は「ここを中心に住民の話し合いを行い、町内を元に戻せるように頑張っていきたい」と感謝の言葉を述べていた。


 その後は鹿妻保育所、渡波保育所の子どもたちと関係団体の幹部らが風船を飛ばしオープニングを宣言。イベントとしてハンドマッサージやメイクアップ講座なども行われた。今後、同施設は住民の交流や町内会などの会議の場として活用される。




 【写真】 子どもたちが風船を飛ばしてオープニングを祝った

<>2011/11/30 4292<>4292.jpg<>桜の若木に復興願う…矢本二中と古川中が合同植樹<> 東松島市立矢本第二中学校(菅野英一校長、生徒417人)は26日、大崎市立古川中学校(澁谷秀昭校長、生徒642人)の支援を受け、校舎前にソメイヨシノなど19本を植樹した。植樹には両校の生徒会が参加し、若木に復興と交流を願った。


 古川中から矢本二中に寄贈された樹木はソメイヨシノ5本をはじめ、ドウダンツツジ、サツキツツジ、キンモクセイ、ハナミズキなど6種類。植樹式には両校の生徒各7人が参加し、高さ0・3―1・8メートルの苗木を植えたり、水をやったりした。


 7月に矢本二中を視察した古川中の生徒会は、見聞きしたことを壁新聞にまとめて10月の文化祭で掲示し、募金を呼び掛けた。PTAの模擬店の収益金と合わせた8万4千円で苗木を購入した。生徒会長の宍戸圭太さん(3年)は「被災地に必要なものは何かと考えた。緑が増えたら学校も明るくなるはず」と期待した。


 矢本二中内にあった樹木は津波の被害を受けたが、桜は遅れて咲いたという。同生徒会長の高橋ちはるさん(3年)は「何があっても咲いた桜のように、何ごともあきらめずに取り組みたい」とお礼の言葉を述べ、大切に育てていくことを約束した。




 【写真】 協力して樹木を植える両校の生徒たち
<>2011/11/29 4291<>4291.jpg<>野菜の新しい食べ方「チョコベジ」を体験<> 野菜にチョコレートを付けて食べる「チョコベジ」の試食会が26日、石巻市蛇田のC&Cバイパス石巻店で開かれ、買い物客に新たな野菜の食べ方を紹介した。


 野菜の消費拡大を狙いにJAいしのまきが開催した。チョコベジは加熱して溶かしたチョコレートに一口大に切った野菜を直接付けて食べる「チーズフォンデュ」のチョコレート版。


 この日、用意されたのは生のニンジンやキュウリ、ミニトマト、加熱したブロッコリーとジャガイモ。フライパンで牛乳とともに熱したチョコレートを付けて食べてもらった。


 買い物客からは、「とてもおいしい」「生野菜とチョコレートが合うとは思わなかった」などと予想外の味に驚いていた。


 試食会では仙台市を拠点に活動する野菜ソムリエのカワシマヨウコさんが調理方法などをアドバイス。「野菜嫌いな子どもにも野菜に興味を持ってもらえる食べ方だと思う。野菜をもっと食べてほしい」と消費者に呼び掛けている。




 【写真】 野菜をチョコレートに付けて食べる「チョコベジ」を紹介した
<>2011/11/29 4290<>4290.jpg<>5万トン石炭船が初入港…石巻港積荷制限解除<> 災害復旧のための浚渫(しゅんせつ)工事が完了し、入港船の積荷制限がなくなった石巻港雲雀野地区に27日朝、震災後初めて約5万トンの石炭を満載した大型船が入港した。一度に大量に荷降ろしできるようになったことで輸送コスト縮減が図られ、臨港企業の復興に拍車がかかることが期待される。


 入港した船はパナマ船籍の「DYNA CRANE(ダイナクレーン)」(総トン数3万1279トン)で、日本製紙の専用船。石巻工場のボイラーに使う石炭をオーストラリアで積み、20日間の航海を経て石巻港に到着した。


 石巻地方の港湾で最大の水深13メートルの航路・泊地や岸壁のある石巻港雲雀野地区は、津波で土砂が埋没。水深が浅くなり、大型船が入港するには他港で一部の積荷を下ろして船を軽くしなければならなかった。


 浚渫工事は10月9―29日に行われ、海底からすくい上げた土砂は小学校のプール200杯相当の6万6千立方メートル。国の県内港湾関係の災害復旧事業では、第1号の完成という。


 国交省東北地方整備局塩釜港湾・空港整備事務所は、2港で荷揚げしていた復旧前と比べ、年間1・6億円のコスト縮減効果を見込む。平成24年度は、地盤沈下した岸壁のかさ上げなど本格復旧を進めることにしている。


 入港を出迎えた亀山紘石巻市長は「石巻港の復旧は地元企業にとってありがたく、市の経済、雇用の復興に大きな意義がある」と話していた。




 【写真】 石巻港を利用できるめいっぱいの石炭を積んだ船が入港した
<>2011/11/28 4289<>4289.jpg<>男子・迫、女子・河南が熱戦制す…石日杯ミニバスケ決勝<> 第21回石日杯争奪ミニバスケットボール大会(叶ホ巻日日新聞社主催、県ミニバス連盟共催、同連盟東ブロック主管)の決勝戦が27日、石巻市立大須小学校体育館で行われた。熱戦を勝ち進んだ各チームがしのぎを削り、男子は迫シーホークス、女子は河南ディアーズが優勝した。最優秀選手賞(MVP)は迫の田口郁也(佐沼小6年)、河南の柴田芽久美(広渕小6年)の両選手が選ばれた。


 男子の決勝戦は、総合力の高い迫シーホークスと昨年度準優勝に輝いた本吉カンガルーズが対戦。第1クォーターでは、迫の司令塔田口が華麗なパスワークで試合を作り、このクォーターを22―2で優位に進めた。本吉も意地をみせ速攻を決めるも、迫が前半のリードを守りきり58―31で勝利した。


 一方、女子決勝はスーパーシード同士が激突。第1クォーターは石巻中央のエースが河南に攻め込み、17―11でリード。これで火がついた河南は、第2クォーターから5番の木村ののかが連続7得点をあげる猛攻をみせた。また、主将の柴田を中心に徹底したプレスで石巻中央の攻撃を抑え、第3クォーターまでに43―30で河南が逆転。最終クォーターでも、要所を抑えた河南が逃げ切り60―46で強豪対決を制した。


 閉会式では、(株)石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役報道部長が「震災で練習環境のままならない中で素晴らしいプレーを見せてもらった。選手の皆さんからバスケが大好き≠ニいう思いが伝わってきた。まだ満足な練習はできないが、今後もプレーを続けてほしい」と称えた。


 大会は今月20日に開幕し、ファイナルには決勝リンク上位や東ブロック交流大会を勝ち上がった7チーム、スーパーシード2チームが出場した。第35回県民体育大会バスケットボール競技ジュニアの部の予選も兼ね、男子は豊里、迫、本吉が県大会出場権を獲得。女子はすでに県大会出場が決定している女川と河南、石巻中央のほか、鹿妻・子鹿と迫、石巻向陽がそれぞれ射止めた。県大会は12月に利府町で開かれる。


 試合結果と優秀選手賞は次の通り。
 【男子】
▽準決勝
  迫 43―23 豊 里
 本吉 93―31 稲井女川
▽決勝
  迫 58―31 本 吉
▽順位=@迫シーホークスA本吉カンガルーズB豊里ぶるず、稲井・女川
 ▽最優秀選手賞=田口郁也(迫)▽優秀選手賞=高橋佑大(同)児玉晃典(本吉)高橋啓弥(豊里)佐々木崇人(稲井・女川)


 【女子】
▽県大会代表決定戦
石巻向陽45―13 中 田
  迫 51―29稲井湊
▽準決勝
 河 南83―19 迫  
石巻中央61―32 鹿 妻
▽決勝
 河 南60―46石巻中央
▽順位=@河南ディアーズA石巻中央ドリームズB迫シーホークスB鹿妻・子鹿クラブ
 ▽最優秀選手賞=柴田芽久美(河南)▽優秀選手賞=木村ののか(同)加藤あや(石巻中央)遠藤美奈歩(鹿妻・子鹿)三浦梓(迫)佐藤綾芳(稲井・湊)


【個人・優秀選手賞】
〇男子・迫
 田口郁也選手
 いつも通りにゲームを進めることが出来た。優勝とMVPの両方をもらえてうれしい。県大会優勝を目指して練習を続けたいです。


〇女子・河南
 柴田芽久美選手
 仲間の支えで主将としての役割を果たせた。みんなで勝ち取った優勝とMVPです。次の県大会でも勝ち進んで、全国を目指します。




 【写真】 男子優勝の迫シーホークス
<>2011/11/28 4288<>4288.jpg<>「萬画館の再建費に」…マンガジャパン 石巻に1千万円寄付<> 漫画家の親ぼく団体「マンガジャパン」(水島新司代表)は22日に石巻市役所を訪れ、石ノ森萬画館の再建費としての1千万円と漫画家による応援色紙を寄贈した。


 マンガジャパンは、日本のマンガ文化を発展させることを目的に結成された団体。初代代表は故石ノ森章太郎氏が務め、「石巻マンガランド構想」にもさまざまな面で協力。震災後、メンバーらはインターネットのチャリティオークションで色紙を販売するなどして支援金を集めてきた。


 この日は事務局長の里中満智子氏、御茶漬海苔氏、木村直巳氏、倉田よしみ氏、志賀公江氏の5人が市長室を訪問。里中氏から目録を受け取った亀山紘市長は「支援はありがたい。萬画館は大切な財産。できるだけ早く復旧させ、マンガを愛する皆さんに石巻に来ていただきたい」と話していた。




 【写真】 亀山市長に目録を手渡す里中氏(左)
<>2011/11/28 4287<>4287.jpg<>石巻赤十字病院 合同救護チーム活動を総括<> 石巻赤十字病院は22日、東日本大震災で災害医療活動を担った石巻圏合同救護チーム本部の総括検討会を開いた。支援者と、支援を受けた受援者の立場で半年間の活動を振り返り、石巻を全国のモデルケースとして今後の大規模災害に備えていくことで一致した。


 合同救護チームは、県災害医療コーディネーターとして全権委任を受けた同病院医療社会事業部長の石井正医師が中心となり、3月20日に立ち上げた。9月30日に活動を終えるまで延べ3633チームが参加し、避難所で計5万3696人を診療した。


 総括検討会には支援側の医師や看護師、物資調達に携わった人、受援者側の石巻赤十字病院の職員ら約50人が参加。震災では合同チームは行政に代わって避難所の実態把握をし、全国から集まった医師らが本部支援要員として毎日の方針の決定などを引き受けた。検討会では「チームがうまく機能した」と評価する声が多くあった。


 その上で支援者側は「研修会などを通じた顔の見える関係が役立った」「救護チームには医師をサポートできる薬剤師が必要。個人的なつながりから組織的にしたい」などと意見。短期派遣による引き継ぎの問題や人材育成、情報共有の在り方は、支援・受援両方から課題に挙げられた。


 石井医師は震災時に困難を極めた情報収集や情報発信が課題であるとし、検討会で「国の災害医療を担う覚悟で震災を検証し、研究と実働を兼ねた石巻災害医療戦略研究所≠実現できたらいい」と呼び掛けていた。




 【写真】 受援者側の視点で震災を振り返る

<>2011/11/26 4286<>4286.jpg<>急患センター 12月1日再開<> 仮設石巻市夜間急患センター(佐藤仁人センター長)が12月1日午後6時から、同市日和が丘1丁目の旧市役所第3分庁舎跡地で診療を再開する。急ピッチで準備が進められている中、24日は医療機器メーカーの持田シーメンスメディカル(株)=本社・東京都品川区=が超音波診断装置1台を寄贈した。


 同社の菊池秀一代表取締役らがセンターを訪問。「救急活動には必需品の装置。有効に活用してほしい」とメッセージを送り、同社社員が装置を据え付けた。佐藤センター長は「石巻の窮状を理解していただき、その上での支援に感謝したい」と述べていた。


 急患センターはプレハブ造の2階建てで延べ床面積約718平方メートル。診療科目は内科と外科、小児科でエックス線一般撮影装置、CT診断装置、生化学自動分析装置などの各種検査機器を備えている。


 診療時間は内科、外科が月―土曜日は午後6時―午前7時、日祝日は午後6時―午前6時。小児科は月―金曜日が午後7時―同10時、土曜日は午後6時―午前7時、日祝日は午後6時―午前6時となっている。




 【写真】 超音波診断装置を贈った菊池代表取締役(右)

<>2011/11/26 4285<>4285.jpg<>仮設管理棟が完成「来年に向け整備を加速」…女川魚市場<> 女川魚市場の新しい仮設管理棟が完成し、25日に引渡し式が行われた。震災で沿岸部の事務所が被害を受け町内各所に点在していた水産関係団体をまとめることで業務を効率化。市場関係者のほか、大勢の買受人、船舶関係者が出席し、港町の新拠点の出発を祝った。


 新仮設管理棟は、中小企業基盤整備機構の支援により女川魚市場西側に建設された。プレハブ造の2階建てで、延べ床面積は687平方メートル。1階は市場職員や運送業者らの詰め所などで、2階は(株)女川魚市場や買受人協同組合、女川水産加工業協同組合の事務所、会議室などとなっている。


 式典では須田善明町長が「今後も水産業をはじめ、女川町の復興に全力をあげていく。関係者の皆様には、なお一層のご尽力をいただきたい」とあいさつ。同魚市場の木村稔社長がこれまでの支援について感謝の言葉を述べた上で、「管理棟は復興の第一歩。行政には水産加工や商店など、陸の施設再生にも力を入れてほしい」と述べた。その後は須田町長が木村社長に鍵を引渡し、テープカットを行って完成を祝福した。


 同魚市場は震災で、管理棟や西側の上屋が使用不能となり、岸壁も大部分が崩壊した。町は西側岸壁のかさ上げ工事を行い、応急的な漁船の着岸場所として整備し7月1日から水揚げを再開した。


 11月20日現在で水揚げ数量は9860トン(昨年比79%減)、金額は10億8千万円(同84%減)と、いずれも例年より大幅に減少しているものの、地元の買受人と連携しながら最大限の努力を続けてきた。


 今後は漁の閑散期に入ることから町では整備を促進する。まずは来年3月までに利用できる上屋を残して津波被害に遭った管理棟などの取り壊し工事を実施。来夏の海外巻き網シーズンに間に合うように中央岸壁を整備するほか仮設水揚げ棟も設置する予定という。




 【写真】 テープカットを行う須田町長(中央)ら関係者
<>2011/11/25 4284<>4284.jpg<>「全国の思いを一つに」…折鶴でギネス記録更新<> 全国で介護サービス事業を展開するセントケアホールディングス(株)は19日、河北総合センタービッグバンで折鶴の長さでギネスの世界記録に挑戦した。スタッフや住民らが見守るなか、見事記録を更新し、会場から拍手と歓声が沸き起こった。


 震災で被災した石巻市の復興祈願を込めた折鶴を一つにつなげてギネス記録に挑戦し、被災地に希望を与えたいと企画。全国382か所の同社グループ営業所の利用者やスタッフ、地域住民らが折り鶴を作り、福岡の大学が打ち立てた現在の世界記録2010メートルの更新を目指した。


 集まった17万7520羽をスタッフ50人で一つのレイにし、列の間にはセントケアのマークであるハートの形につなげた。午前10時から測量士2人が機材で正確に長さを測定。約2時間後に2010メートルを超えた瞬間、関係者をはじめ、見学していた住民や子どもたちから拍手と歓声が沸き起こった。その後も測定が続き、最終的には世界記録を大きく上回る5700メートルを打ち立てた。


 同日は、仙台のマーチングバンドが演奏で記録更新に花を添えたほか、スタッフらによる芋煮の炊き出しもあった。


 会場を訪れた飯野川第一小学校の藤倉美咲希さん(11)は、「とてもきれいで感動しました。全国からたくさんの人が応援してくれていることを改めて感じることができた」と話していた。


 今回の記録はギネスに申請し、約1か月後に正式に認定されるという。




 【写真】 じゅうたんのように並べられた折鶴に見入る子どもたち
<>2011/11/25 4283<>4283.jpg<> 矢本クラブジュニアが優勝…石日杯新人野球大会<> 第13回石日杯争奪秋季新人少年野球大会(石巻日日新聞社主催、石巻野球協会共催)の決勝戦が23日、東松島市大塩の鷹来の森運動公園で行われた。接戦の末、矢本クラブジュニアが5―4で湊ビッグウェーブを下し優勝した。同大会は例年9月に開催されていたが、今年は東日本大震災の影響で11月にずれ込んだ。


 同大会は、石巻地方の5年生以下の選手たちで編成する新チームが対象。各チームともレギュラーメンバーが固定されない中での戦いとなっているが、翌年の戦力を占う大会として、毎年注目を集めている。


 今年は震災の影響で前年より3チーム少ない23チームが出場。トーナメント方式で熱戦を展開した。その頂点を争う決勝戦は矢本クラブジュニアと湊ビッグウェーブの対戦となった。


 試合は両チームとも初回から点を奪い合うシーソーゲームとなった。同点で迎えた最終回、矢本クラブジュニアが積極的な攻めをみせ1点を奪って勝ち越し、そのまま逃げ切った。


 閉会式では、石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役から優勝した矢本クラブジュニアに石日杯、準優勝の湊ビッグウェーブには賞状などが贈られ、両チームの選手にメダルが授与された。あいさつで武内常務は、「新人大会の歴史に残る好試合だった。野球は諦めない心など多くのことを教えてくれるスポーツ。辛いこともあると思うが、ぜひ、野球を続けてほしい」と選手たちを励ました。


 ▽決勝戦(23日、鷹来の森)
矢本クラブジュニア
112 01=5
103 00=4
湊ビッグウェーブ
 【矢】▽緑川、高橋健―高橋健、緑川【湊】相沢―高橋▽2塁打=緑川(矢)




 【写真】 優勝した矢本クラブジュニア
<>2011/11/24 4282<>4282.jpg<>100メートルのり巻き完成…がんばる商店街祭り<> 「共に・前へ・元気にがんばる商店街祭り」が27日まで、石巻市中心市街地の商店街で開かれている。初日の23日には開幕イベントとしてアイトピア通りで100メートルのジャンボのり巻き作りも行われた。


 主催しているのは、アイトピア通り商店街振興組合、橋通り商店街、ことぶき町南通り商店街で構成する実行委員会。市民と一緒に復興に向けて頑張っていこうと企画した。27日まで各商店街の店舗ではセールを展開。また、石巻の商店街を支援するために静岡県、栃木県、福岡県から観光協会などがみかんや干物、青果などを出品した支援市(23日のみ)も旧生協アイトピア店で開かれた。


 23日の目玉イベントのジャンボのり巻き作りには、市民約300人が参加した。歩道に特設テーブルを設置。宮城県産のノリの上に酢飯とたまご焼きなどを乗せ、すのこで巻きあげた。合図とともに、100メートルののり巻きを持ち上げると、参加者からは「やった!」との歓声があがっていた。24日はサンマや瀬戸物の無料配布も行われた。




 【写真】 掛け声とともに100メートルのジャンボのり巻きを完成させ、喜ぶ市民
<>2011/11/24 4281<>4281.jpg<>鹿妻と迫がファイナル進出…石日杯ミニバス<> 第21回石日杯争奪ミニバスケットボール大会(石巻日日新聞社主催)は23日、登米市の善王寺コミュニティセンターで女子の決勝トーナメントが行われ、鹿妻と迫のファイナル進出が決まった。


 第35回県民体育大会バスケットボール競技ジュニアの部の東ブロック予選を兼ね、トーナメント各1位の鹿妻と迫は県大会出場が決定。同2位のなかだと石巻向陽は代表決定戦で県大会への残り1枠を争う。


 優勝杯をかけたファイナルと代表決定戦は27日、石巻市の大須小学校。女子ファイナルは鹿妻、迫に加え、東ブロック交流大会を勝ち上がった稲井と湊、県大会スーパーシードの河南、石巻中央の6チームで争われる。


 女子決勝トーナメントの結果は次の通り。
 【女子】
 ▽Qブロック
 鹿妻 72―32万石浦
 なかだ46―44 本吉
 鹿妻 63―25なかだ
 ▽Rブロック
 向陽 44―31 登米
  迫 49―14 矢本
  迫 35―28 向陽




 【写真】 ジャンプシュートを放つ鹿妻の選手
<>2011/11/24 4280<>4280.jpg<>米海軍が救難艦公開「日米親善のため女川寄港」<> 東日本大震災の被災地救援活動「トモダチ作戦」に参加した米海軍の救難艦・セーフガード(3282トン)が22日、女川港に寄港し、艦内を地元の小学生ら一般市民に公開した。乗船した子どもたちは普段見ることのできない船の内部を興味深げに見ていた。


 セーフガードは女川町の招きを受け、日本と米国の友好・親善を目的に女川港に入港した。同日は町内の小中学生計約400人が同艦に乗り込み、操舵室や食堂、エンジンルームなどを見学した。


 操舵室では、乗組員からレーダーや海図の説明を受けたり、艦長席に座り、古里の海を眺めるなどして楽しんでいた。


 女川第一小5年の阿部晃大さん(11)は「普通の船にはない特別な機械がたくさんあっておもしろかった。とてもいい体験ができた」と笑顔で話していた。


 同艦は大型クレーンを搭載するサルベージ船。全長78メートルで、乗組員はダイバー17人を含む約50人。震災当時は韓国で活動中だったが、発災後日本に急行し、気仙沼の大島や岩手県宮古市などの海上で水中のガレキを撤去していた。


 また、同日は、米国の子どもたちから託された手紙や人形が児童らに贈られた。




 【写真】 操舵室の中を見学する子どもたち(女川港で)
<>2011/11/24 4279<>4279.jpg<>ヤクルトスワローズと仮契約…日本製紙 比屋根・太田両選手<>ドラフト会議で東京ヤクルトスワローズから指名された日本製紙石巻の比屋根渉外野手(24)=城西大出身=と太田裕哉投手(23)=一関学院高出身=が21日、石巻市南光町の同工場クラブハウスで東京ヤクルトスワローズと仮契約を交わした。


 この日はスワローズの八重樫幸雄スカウトがクラブハウスを訪問。ドラフト3位の比屋根選手は契約金5500万円、年俸1千万円、4位の太田選手は契約金5千万円、年俸1千万円でそれぞれ契約書にサインした。背番号はまだ決定していない。


 会見で2人は「石巻では今も復旧復興活動が続いている。市民の皆さんが笑顔になれるような話題を提供したい」と抱負。比屋根選手は「走力が武器。守備力も投手に信頼してもらえるようになるまで鍛えたい」、太田選手は「体が小さい分、強い気持ちをもって投げていきたい」と力強く語っていた。


 その後2人は昨年スワローズにドラフト指名された久古健太郎選手同様、くす玉を割った後にヤクルトで乾杯し、仮契約を祝った。比屋根、太田両選手は年末に石巻を発つ予定。1月からは埼玉県戸田市の寮に入居し、自主トレなどを行っていく。


 日本製紙野球からのプロ入りは2年連続3人目。木村泰雄監督は「主力の2人が抜けるのは大きいが全員で穴をうめ、来年は都市対抗に出場したい」と話していた。




 【写真】 ヤクルトで乾杯する比屋根選手(写真右)と太田選手
<>2011/11/22 4278<>4278.jpg<>ゆぷと8種目で1位<> 第49回県スポーツ祭典・がんばろう宮城水泳競技大会が先日、利府町内で開かれ、東松島市健康増進センターゆぷとから12選手が出場。このうち7人が8種目で1位となり、練習の成果を発揮した。


 大会は新日本スポーツ連盟宮城県連盟の主催。宮城を中心に首都圏や関西方面などから約350人が参加。個人、団体(メドレーリレー)の計32種目でタイムを競った。


 ゆぷとは震災でプールなどが損傷。復旧工事と並行しながら民間避難所として市民を受け入れ、入浴施設を無料開放するなど被災者支援を行った。水泳教室に通う選手の練習が再開できたのも7月以降だった。


 監督を務めた中根勝広支配人は「選手は震災で気持ちが不安定な状態が続き、練習期間も短かったが、それでも一人ひとりが好成績を残すことができた」と話していた。


 1位入賞者は次の通り。(敬称略)
 【個人】▽小学生女子25メートル自由形、同50メートル自由形=成澤息吹(小野小)▽小学生男子100メートル個人メドレー=菅原直広(矢本東)▽小学生男子25メートルバタフライ=池田浩人(住吉小)▽男子小学生25メートル自由形=雁部那由多(大曲)▽小学生女子50メートルバタフライ=小山杏(野蒜)▽小学生女子100メートル自由形=熊林明海(矢本西)▽中学生女子50メートル平泳ぎ=成澤みく(鳴瀬一)
 【団体】▽小学4―6年生混合200メートルメドレーリレー、中学生混合200メートルフリーリレー=ゆぷと




 【写真】 12選手が出場し、大会で健闘したゆぷと


<>2011/11/22 4277<>4277.jpg<>「栄光を目指して」…石日杯ミニバスケが開幕<> 第21回石日杯争奪ミニバスケットボール大会(石巻日日新聞社主催、県ミニバスケットボール連盟東ブロック共催)が20日開幕し、小学生らが栄光の優勝杯と県大会の出場をかけて白熱した試合を繰り広げている。初日は男子が石巻市の河南西中、女子は河南東中で予選リンクが行われ、決勝リンクの組み合わせが決まった。


 大会は第35回県民体育大会バスケットボール競技ジュニアの部の予選を兼ね、予選リンクには男子9チーム、女子8チームが出場。河南西中であった開会式で石巻日日新聞社の近江弘一代表取締役社長は「震災の中、開催できたのは連盟、保護者のおかげ。選手は前を向いてがんばってほしい」とあいさつした。


 選手を代表して、迫シーホークスの佐藤泰地さん、石巻向陽の佐藤風花さんが「ほほえみ、友情、フェアプレーの精神にのっとり、最後まで戦い抜く」と力強く選手宣誓。選手らはバスケットができる喜びを、プレーの随所にあらわしていた。


 決勝リンクは男子が26日に遊楽館、女子は23日に登米市中田町の善応寺コミュニティセンター。予選結果で対戦相手が組み直され、男女とも県大会出場チームが決まる。石日杯と女子の残り1代表を争うファイナルは27日。決勝リンク上位と東ブロック交流大会を勝ち上がった稲井の男女と女子の湊、県大会スーパーシードの女子・河南、石巻中央が出場する。


 予選リンクの結果は次の通り。
 【男子】
 ▽Aブロック
 迫 57―44志津川
 迫 68―24 石越
石越 62―23志津川
 ※順位=@迫A石越B志津川


 ▽Bブロック
なかだ42―12 釜
本吉 65―31 釜
本吉 49―22 なかだ
 ※順位=@本吉AなかだB釜


 ▽Cブロック
河南 45―25 向陽
豊里 38―20 河南
豊里 24―23 向陽
 ※順位=@豊里A河南B石巻向陽


 【女子】
 ▽Oブロック
鹿妻 58―45 向陽
 迫 83―31 本吉
鹿妻 90―28 本吉
 迫 47―22 向陽
 ※順位=@鹿妻A迫B石巻向陽C本吉


 ▽Pブロック
登米 51―12 なかだ
万石浦37―25 矢本
登米 59―28 矢本
なかだ41―38万石浦
 ※順位=@登米AなかだB万石浦C矢本




 【写真】 持ち味を生かして攻めぎあう選手たち(河南西中体育館)
<>2011/11/21 4276<>4276.jpg<>ホタテの養殖作業開始…雄勝町の合同会社・オーガッツ<> 石巻市雄勝町の漁業者らが設立した合同会社「オーガッツ(OH!GUTS!)」(伊藤浩光代表)が今月からホタテ養殖のミミ吊(つ)り作業を始めた。震災前に作業場としていた岸壁は地盤沈下で利用できず、住宅地に建てたプレハブ小屋を活用。漁業者らは浜に以前の活気を取り戻そうと忙しく作業を進めている。


 オーガッツはカキとホタテ、ホヤ、ギンザケの養殖業と流通、販売を目的とした合同会社で、震災被害を受けた雄勝町内の漁業者らが今年8月に設立した。資材を共同利用してコストダウンを図るほか、作業員を合同で雇い入れることにより、従来の経営者ごとの期間限定雇用より長期的な就業対策も図っている。


 19日は約20人が同町小島地区に集まり、ホタテの稚貝に電動ドリルで開けた穴にピンをさし、ロープに固定するミミ吊り作業に従事した。12月中に漁業者5人分の合計約160万枚を終わらせる予定で、それを海中に垂下し収獲できるのは来秋になるという。


 さらに漁業体験も兼ねたオーナー「そだての住人」も一般市民から1口1万円で募集している。1口あたり40枚のホタテを届ける仕組み。カキとホヤ、ギンザケでもそれぞれで同様のオーナーを募っている。
 




 【写真】 ミミ吊り作業に精を出す地元の漁業者

<>2011/11/21 4275<>0<>第13回石日杯争奪秋季新人少年野球大会結果<>【1回戦】
開北小オークス 11―2 大塩野球クラブ(19日)
門小ガッツ 7―0 貞山ファイターズ(19日)
湊ビッグウェーブ 10―1 渡波マリーンズ(19日)
女川ビクトリーレッズ 1―4 山下ビッグバーンズ(19日)
赤井ビクトリー 1―6 浜市小フェニックス(19日)
大街道キッズ 9―2 住吉ブルーリバース(19日)
釜小ヤンキース ―(不戦勝)蛇田イーグルス(19日)
       
【2回戦】
鹿妻・子鹿クラブ 10―0 開北小オークス(19日)
門小ガッツ 2―8 万石浦ベイスターズ(19日)
稲井マックス 2―6 湊ビッグウェーブ(19日)
山下ビッグバーンズ 14―1 鮎川モビーディックス(19日)
大曲ドリームズ 8―4 浜市小フェニックス(19日)
大街道キッズ 3―10 渡波ジュニア(19日)
矢本クラブジュニア 2―1 蛇田イーグルス(19日)
中里ブルーシャークス 6―2 石小レッドベンチャーズ(19日)
        
【準々決勝】
鹿妻・子鹿クラブ 3―5 万石浦ベイスターズ(20日)
湊ビッグウェーブ 8―0 山下ビッグバーンズ(20日)
大曲ドリームズ ―(不戦勝)渡波ジュニア(20日)
矢本クラブジュニア 9―3 中里ブルーシャークス(20日)
        
【準決勝】
万石浦ベイスターズ 0―8 湊ビッグウェーブ(20日)
渡波ジュニア 1―8 矢本クラブジュニア(20日)
        
【決勝】
湊ビッグウェーブ 4―5 矢本クラブジュニア(23日)
<>2011/11/23 4274<>4274.jpg<>待望の商店街お目見え…牡鹿・雄勝に仮設店舗<> 東日本大震災の津波で商店などを含む市街地のほとんどが壊滅状態となった石巻市の牡鹿地区と雄勝地区に18、19日、仮設商店が相次いでオープンした。両地域ではこれまで食料品などを手に入れる際は移動販売や旧市内での買いだめを余儀なくされており、住民にとっては待望の施設。店を失った事業者にとっても同様だ。両施設ではオープニングセレモニーを開催し、新たな拠点の完成を喜んだ。


 18日は石巻市鮎川浜の震災後の牡鹿地区では初となる複合型仮設店舗「おしかのれん街」がオープンした。仮設店舗は石巻地方で震災の復興支援を行うNPO法人JEN(ジェン、本部・東京都新宿区)の支援で建設。鮎川地区では、津波で店舗をなくした個人事業主らが毎週水曜日に復興市を開いてきたが、のれん街のオープンで常時営業できるようになった。


 店舗は木造平屋建て(約424平方メートル)で、牡鹿公民館東側の道路をはさんだ向かいに立地している。飲食店や薬局、生鮮食品店など16店舗が営業。住民の憩いの場としての機能も担っていく。


 オープニングセレモニーでは牡鹿鮎川浜仮設商店会の沼倉憲一会長が出店業者を代表して感謝のあいさつ。「開店は我々の旅立ち。地域の方に愛される店作りをしながらも一日も早く復興し、ここから巣立つことが皆さんへの恩返しになる」と決意の言葉を述べていた。


 その後はテープカットとご祝儀のもちまきが行われた。午前11時ごろにグランドオープンすると、多くの住民が待ちかねたように店に入り、鮮魚や野菜など買い物を楽しんでいた。


 一方、雄勝地区では19日、市役所雄勝総合支所敷地内に「おがつ店(たな)こ屋」がオープンした。施設の完成を祝い復興市も開催され、出店で新鮮な海産物などを販売。住民のほか観光客の姿も目立ち、地域の中心部が久しぶりのにぎわいを取り戻した。


 施設は中小企業基盤整備機構が雄勝地区の商業機能の再生を目的に建設。商工会に無償貸与した。プレハブ造りの2棟で工事は8月から行われ、今月に入って完成した。食料品店など18店舗が入り、硯(すずり)も販売している。


 この日は神事の後に式典を開催した。また復興みこしが会場を練り歩いたほか、雄勝法印神楽や雄勝中生徒の復興和太鼓演奏などのステージイベントも実施。出店では朝に獲ったサケを使った汁ものやイクラ丼などが販売され人気を集めていた。


 津波で店舗が流され、仮設店舗で営業することになった山下スーパーの佐々木寿和社長(51)は「うれしさと今後への不安と半々の気持ち。損得ではなく、雄勝が好きだから再開することにした」と話した。また、味噌作地区の全壊した自宅を修繕中という杉山喜代子さん(66)は「地元に店がないと本当に不便。ここに来れば皆と顔を合わせることもできる」と喜んでいた。


 なお復興市は20日も開催。時間は午前10時―午後4時。




 【写真】 建設に携わった関係者がテープカットを行い、施設の完成を祝った(18日、鮎川浜で)
<>2011/11/19 4273<>4273.jpg<>震災乗り越えた球児熱戦…石日杯大会開幕<> 第13回石日杯争奪秋季新人少年野球大会(石巻日日新聞社主催)が19日、鷹来の森運動公園=東松島市大塩=で始まった。大会は小学5年生以下の選手たちによる新人戦。石巻地方の23チームが出場し、栄光の石日杯を目指し熱戦を繰り広げている。


 大会は例年9月ごろに行われていたが、今年は延期されていた。今大会は「力を合わせ復興へ向けがんばろうX」のスローガンのもと、東日本大震災を乗り越えたチームが出場。被災などの理由から昨年よりも3チーム少ないエントリーとなった。


 初日は開北小オークス対大塩野球クラブ戦など計14試合があった。グラウンドでは子どもたちが懸命に白球を追いかけた。また、観客席には保護者らが詰めかけ、好機が訪れるたびに声援を送っていた。


 試合はトーナメント形式で進められ、準決勝は20日、決勝は23日にいずれも同運動公園で開かれる。




【写真】 本塁に戻り追加点を加えた開北小選手(鷹来の森運動公園)
<>2011/11/19 4272<>4272.jpg<>名前詩で新たな発見を…神戸市 亀田さんが被災者支援<> 名前を使って詩を書き、石巻市内の被災者を元気付ける支援が行われている。活動を手掛ける神戸市農業委員会会長代理で自営業の亀田弘明さん(59)=同市西区=は「未来に希望が持てるように支えていきたい」と話していた。


 結婚式を迎えた新郎新婦に名前詩を贈り続けてきたという亀田さん。「名前は一番初めに親から授かった大切なもの。その意味を改めて見直してもらおうと色紙に書いたのが始まり」という。震災を知り、自ら支援できることを考えときに浮かんだのが名前詩だった。


 亀田さんは石巻市と直接的なつながりがないため、石巻日日新聞社に相談。本社が仲介役となって石巻復興支援ネットワークの協力を受け、亀田さんが求めた50人分の名前を集めた。名前は主に市内最大の団地数となる開成地区で希望する入居者から聞いた。


 名前詩は約1か月後に一人ひとり色紙に書かれて本社に届き、同ネットワークを通じて8日から直接本人に届けられている。例えば今井優作さん(26)の場合は、次のように書かれていた。


 今がある
 井戸の上には未来空
 優しい心に
 作る街有り


 色紙を受け取った市民からは「世界に一つしかないオリジナルの詩であり、表現力に驚かさせる。何より自分の名前で作ってもらえたのがうれしい」と感謝する声が聞かれた。


 亀田さんは名前詩を通じたボランティア支援を継続しており、本社では希望者を募っている。先着20人。官製はがきに郵便番号、住所、氏名、年齢、電話番号を明記し、〒986―0874石巻市双葉町8―17石巻日日新聞社「名前詩係」まで申し込むこと。25日締切り。


 制作者には名前のみ周知する。作品は届き次第、申込者に直接連絡し、本社窓口で引き渡す。




 【写真】 名前を使った詩が贈られ、本人に手渡された
<>2011/11/18 4271<>4271.jpg<>渡波仮設団地でリース作り<> 石巻市渡波仮設住宅第一団地の住民らが17日、同集会所でクリスマスのリースづくりに取り組んだ。


 同団地では、住民対象のイベントがなかったことから、同仮設団地で暮らす近野トミ子さん(65)がクリスマス用のリースづくりで住民同士の親睦を深めようと開催した。


 この日は第一団地の住民ら約30人が参加。アケビのつるで作った輪に色とりどりのモールをくくりつけ、色付きの松ぼっくりや人形を飾りつけた。完成した作品には、復興への願いを込めた短冊を飾るなど、住民らは楽しみながら作業していた。


 参加した住民は「震災前に戻ったようでとても楽しいです。これまで話したことのない人とも知り合うきっかけになった」と話していた。


 完成したリースは、クリスマスが終わるまで玄関先などに飾られる。




 【写真】 和気あいあいと作業する住民ら

<>2011/11/18 4270<>4270.jpg<>イオンタウン北側に災害公営住宅…民間資金で150戸整備<> 東松島市は16日、震災復興住宅(災害公営住宅)整備計画の素案を市議会議員全員協議会に示した。前期(3年)・中期(5年以内)・後期(5年以降)の3段階で、市内10か所に860戸を整備する計画。このうち150戸はイオンタウン(旧ロックタウン)矢本の2期工事として民間資金により建設され、完成後に市で土地・建物の買い取りを目指す方針が明らかにされた。


 石巻地方拠点都市地域基本計画に位置付けられたイオンタウン北側の小松谷地地区開発事業(5・1ヘクタール)は、商業・業務施設整備が計画されていたが、自動車学校など進出中止が相次ぎ、事業困難となっていた。市は震災に伴い、業務施設部分を公営住宅整備等に政策転換し、市議会全員協議会へ拠点計画の一部変更案を説明した。


 施設計画によると、災害公営住宅は東側約1・9ヘクタールに整備され、建物は3階建て。三陸道矢本インターチェンジに近い西側は商業施設となり、カー用品店や物販店、飲食店のほか産直施設、PR展示館を計画。復興事業従事者のための簡易宿泊施設も建設する。


 拠点計画の変更は18日の広域議会理事会にはかり、年内には県から事業者へ開発許可が下りる見通し。来年1月にも事業着手することができ、早い整備手法という。


 災害公営住宅は、国による流失戸数の災害査定を受け、その半数を国の補助で整備することができる。補助率は市が建設した場合と民間が建設したものを市が買い取る場合が4分の3で、借り上げの補助率は5分の2と低くなる。震災特例で用地取得や造成費も4分の3が補助される。


 同市の災害公営住宅整備計画戸数は、当初の見込みより70戸多い860戸。市有地や市街地集団移転の造成地などを構想しており、工事着手は23―24年度。工期は市有地に建設した場合が3年、用地取得・造成では5年以内とし、その後は需要を踏まえて対応していく。阿部秀保市長は「860戸で足りるとは思っていない」と言い、市民の個別面談や県や他市の住宅計画と整合性を図りながら必要戸数を把握する考えを述べた。




 【写真】 150戸の災害公営住宅を整備するイオンタウン北側の予定地=東松島市小松=
<>2011/11/17 4269<>4269.jpg<>東京&石巻食の交流会「有名シェフが腕振るう」<> 東京都のホテルや飲食店関係者でつくる料理ボランティアの会が15日、石巻グランドホテルで「復興を願って!東京と石巻をつなぐ食の交流会」を開いた。有名ホテルの料理長らが地元の食産業界の約80人に旬の石巻産の食材を使ったメニューを提供。長期的な交流も視野に入れながら意見交換した。


 料理ボランティアの会は平成16年に発生した新潟県中越地震から半年後、料理評論家の山本益博氏が中心となって結成。現在はレストランやホテルなどの代表者22人が幹事となり、被災地支援のためチャリティーイベントなどを実施している。今回は石巻グランドホテルと連携し、石巻の食材のPRなどを図る目的で交流会を企画した。


 同日は、はじめに石巻地方の現状を知ってもらうための情報交換会を開催。石巻観光協会の後藤宗徳会長は「食材の豊富さが石巻の長所。どれをPRするかを迷うこともあるのが悩みの種でもあるが、海、山問わず季節ごとに旬のものを用意できるのが強み」と説明した。


 山本氏は「地産地消でなく地産地活=B素晴らしい食材は世界にアピールすべき。石巻と東京の人が協力し、素晴らしい食材をいかしていくことを考えたい」と呼び掛けた。


 その後は帝国ホテルやホテルオークラ、ホテルニューオータニ東京、ホテルメトロポリタンエドモント、麺屋武蔵の各店が石巻産食材をメーンにした料理を試食した。


 このうち帝国ホテル総料理長の田中健一郎氏は石巻魚市場に水揚げされたマダラで創作した「鱈のマスタード風味焼 バジルの香りと共に」を提供。田中氏は「石巻は海の幸の宝庫。間違いなくおいしい食材がそろっている。復興のために協力できることはしていきたい」と話していた。


 会場では出席者が料理を味わいながら交流を深めた。麺屋武蔵は石巻市民の修行受け入れを提案したほか、東京での石巻の食材PRや石巻での食材を味わう会の開催など、具体的なアイデアも出ていた。なお、この日のメニューは今後、石巻グランドホテル内のレストランで提供される予定だ。




 【写真】 石巻産の食材を使った数多くの料理が出された
<>2011/11/17 4268<>4268.jpg<>復興まちづくりを語ろう…石巻で勉強会<> 市民団体の石巻復興支援ネットワークは16日、石巻専修大学で市の震災復興基本計画を知るための勉強会「復興まちづくりを知り、語ろう」を開いた。神戸まちづくり研究所のメンバーが阪神・淡路大震災からの復興のプロセスを紹介したほか、出席者が復興への思いを語るワークショップを開催。市民がどのように復興にかかわっていくことができるかを考えた。


 この日は被災市民や市内で活動してきたボランティアら約30人が参加した。開会式では同ネットワークの兼子佳恵代表が「今日は震災からの復興について市民レベルで考える良い機会。積極的に意見を出していただければ」とあいさつした。


 続いて石巻市の復興対策室職員が基本計画素案の概要を説明。防災集団移転促進事業など地区別整備方針のほか、産業振興やまちなか再生など重点プロジェクトの実施時期を示した。


 さらに神戸まちづくり研究所の松原永季主任研究員が阪神淡路大震災の発災時から復旧、復興までに取り組んだ課題を提示。「土地区画整理事業や市街地再開発事業が適用されたのは全被災面積のわずか数%だった」とし、「それ以外の地域では、地権者のまとまりがないと行政からの支援が得られず自力で再建するしかなかった」と振り返った。


 その上で復興の際、まちづくり協議会が機能した地域は現在も地域活動が活発になっていることを紹介し、「災害時、そして復旧、復興、生活再建とすべてのときに重要だったのは地域の絆だった」と強調した。


 その後は出席者が意見を出し合うワークショップを実施。復興のスピードを早めるよう求める声とともに、地域ごとに復興について話す協議会が必要だという考えなども出ていた。


 同ネットワークでは、この日に出された意見を報告書にして市に提出するほかホームページで公開。今後も住民に集まってもらう機会を設け、その声をまちづくりに反映してもらうよう活動していく。




 【写真】 ワークショップで復興への意見を出し合う参加者
<>2011/11/17 4267<>4267.jpg<>意見交換会開始 土地買い上げ方針示す<> 復興まちづくりの指針となる震災復興基本計画(素案)をまとめた石巻市は、15日から市民との意見交換会を始めた。市は公園ゾーンとなる土地の買い取りなどを明らかにしたほか、津波防御となる4車線の高盛土道路は高さ約5メートル、用地幅は50―60メートルになる見通しを示した。初日は遊楽館で開いたが、広範囲から市民が集まり関心の高さを裏づけた。市は27日まで意見交換会を開き、年内に計画を確定させる。


 意見交換会は市内14会場での開催を予定しており、遊楽館には100人を超す市民が訪れた。計画は新しい石巻市の創造を目指す道しるべとなり、期間は10年間。7つの重点プロジェクトには土地区画整理や漁港復旧、集団移転、災害公営住宅整備などの実施期間も盛り込んだ。


 高さ7・2メートルの防潮堤整備では東松島市との関連性を問う声が出た。亀山紘市長は「海岸線は両市協議の中で防潮堤の高さも含めて調整する」と回答。女川原発の運転再開については「女川町、石巻市、宮城県の合意が必要。福島原発の状況から見ても慎重に対応したい」と語った。


 海岸堤防と高盛土道路に囲まれた範囲は原則非可住地となり、公園や産業ゾーンに位置づけられる。全壊エリアの南浜町もその一つであり、蛇田、渡波の復興新市街地に集団移転を進める考えを示した。市は「公園、工業ゾーンなど目的が決まっている土地は買い取りの方向で考える」と述べた。


 沿岸部は職場と住居を分ける職住分離が基本となるが、市は「地権者説明会で住民の意向を聞き、エリアごとに判断したい」とした。石巻港臨港地区は非可住エリアで産業用地とする方向だが、市民からは「津波被害を受けたところに企業は張り付くのか」と指摘する意見もあった。


 意見交換会と並行して24日からは被災市街地復興推進地域内の土地所有者に対し、説明会も始まる。市民からは「地権者のメリットとデメリットをはっきり示した説明会にしてほしい」との注文も出された。




 【写真】 さまざまな課題に対して市民が意見を述べた
<>2011/11/16 4266<>4266.jpg<>仮設店舗ネーミング募集<> 震災で事業再開が困難になった事業者らのための仮設店舗が12月10日、石巻市立町大通りのEKパーキングにオープンする。整備を進めている石巻立町仮設店舗運営協議会(会長・浅野亨石巻商工会議所会頭)は、「復興・希望」をテーマにした愛称を広く市民から募集している。応募締切は今月21日。


 中小企業基盤整理機構が設置する仮設店舗は同協議会が運営し、意欲的な商業者に2年間無償で貸し出す。出店希望者を募集したところ地元のほか湊、渡波、釜谷地区など市内各地から応募があり、食品や衣料品、家電の販売、飲食店など20店が入ることになった。


 立町の入り口にできる仮設店舗は、まちなかのにぎわいと商業復興のシンボルとなることから、協議会は希望に満ちて市民に親しまれる場にふさわしい愛称を公募する。


 応募ははがき、電子メール、ファクスで受付。@愛称(ふりがなも明記)A愛称の由来など簡単な説明(50字程度)B応募者の氏名(ふりがな)、住所、連絡先電話番号を記入し、21日正午まで石巻商工会議所内の石巻立町仮設店舗運営協議会事務局(〒986―0824 石巻市立町1の5の17 FAX94―3978 icci@ishinomaki.or.jp)へ。応募作品の中から審査し、愛称を決める。12月10日の仮設店舗オープニングセレモニーで表彰式を行い、採用者には賞状、副賞1万円を贈る。




 【写真】 EKパーキング内に整備が進んでいる立町の仮設店舗


<>2011/11/16 4265<>4265.jpg<>N4号抄紙機が稼働…日本製紙石巻工場「完全復旧に弾み」<> 日本製紙石巻工場は15日、東日本大震災の津波被害を受けて停止していたN4号抄紙機・4号塗工機の営業運転を始めた。稼働開始は9月の8号機稼働に続き2台目となった。復旧する予定の抄紙機6台が全稼働した場合の生産能力は85万6千トンとなるが、今回のN4号機稼働で、このうちの約30%まで回復。石巻地域の基幹企業が完全復活に向け、順調に歩みを進めている。

 今回、営業を再開したN4号抄紙機・4号塗工機は昭和60年に稼働を開始。設備が入る建屋は、東日本大震災で高さ約3メートルの津波が直撃した。1階ではモーターなどが使用不能になったほか、多くの丸太、古紙、出荷前の巻き取り紙などが泥とともに流入。途方もない量だったが、従業員の人海戦術により約1か月で片付け作業は終了。さらに塩水に浸かった機械設備を交換するなどして、何とか再開までこぎつけた。


 その後、準備が整い試運転を始められたのは今月12日。同工場幹部やこれまで作業にあたってきた従業員らが出席し、セレモニーを開催した。式では日本製紙本社の藤崎夏夫災害復興対策本部長が起動ボタンを押すとN4号機が稼働。轟音が約8か月ぶりに建屋内に響き渡ると、従業員らはうれしそうに顔をほころばせていた。


 15日からは本格的な営業運転に入り、1組10人の4直3交代で24時間体制をとる。生産能力は年間12万5千トンとなっており、製造する塗工紙は印刷再現度が高く主に雑誌の写真ページなどに使用されるという。


 同工場では今月下旬に原料のチップを積んだ船が入港。さらに年度内にはN5号抄紙機と国内最大級のN6号同の運転を始める見込み。来年度初めに7号同、N2号同・2号塗工機が生産を始める予定だ。




 【写真】 営業運転を再開したN4号抄紙機のモニターをチェックする職員
<>2011/11/15 4264<>4264.jpg<>「被災地支援に感謝」…石巻焼きそば B―1グランプリで6位<> 兵庫県姫路市で12―13日に開かれた全国ご当地グルメの祭典「第6回B―1グランプリin姫路」で、石巻市から出展された「石巻焼きそば」が6位に入る健闘をみせた。震災からの復興を目指す市は今月1日に観光再開宣言を行ったばかりで、被災地に舞い込んだ朗報がまちおこしの弾みとなりそうだ。


 関西初開催となったB―1には、全国63団体が料理を出展。2日間で過去最多の51万5千人が来場した。石巻独特の茶色い焼きそばでまちおこしを図る「石巻茶色い焼きそばアカデミー」(遠藤多一会長)は昨年に続く参加で、各日約6千食を提供した。


 焼きそばを客に渡す際には、特徴である魚介系のだしを味わう食べ方や、震災支援への感謝を伝えた。写真の紙芝居で石巻を紹介したほか、市観光キャラクターいしぴぃ、小中学生ユニット「巻っ娘X(ファイブ)」が元気をアピールした。


 割り箸による人気投票が行われ、重量の多い上位10団体が表彰された。石巻焼きそばは6位となり、アカデミーの島英人事務局長は「同情票があり、みなさんのやさしさでいただいた賞」と感謝した。


 震災では石巻の多くの製麺所や提供店が被災。B―1を主催する愛Bリーグの加盟団体が、炊き出しに駆けつけた。現在、製麺所は廃業した1社を除く5社が復旧、提供店は震災前の3分の1にあたる二十数店が再開している。


 事務局の木村均さんは「入賞を他の団体が自分のことのように喜んでくれた。街の中はまだまだ大変だが、焼きそばを通じてまちおこしを図りたい」と話していた。




 【写真】 感謝を込めて石巻焼きそばを提供した

<>2011/11/15 4263<>4263.jpg<>復興託す新県議5人決まる…投票率50%割る<> 震災で7か月延期となっていた宮城県議会議員一般選挙は13日に投票、即日開票され、7人が5議席を争った石巻・牡鹿選挙区は無所属元職の齋藤正美氏(56)、無所属現職の本木忠一氏(54)、共産新人の三浦一敏氏(61)、自民元職の池田憲彦氏(58)、民主現職の坂下賢氏(49)の当選が決まった。齋藤氏は2位に5千票差のトップ当選。県政与党である自民党は池田氏が返り咲きを果たした一方で佐々木氏が落選し、民主党も明暗が分かれた。同選挙区の投票率は前回(平成19年4月)を5・27ポイント下回る49・32%となり、50%を割り込んだ。


 震災復興を誰に託すかを選ぶ県議選は、石巻市の投票所104か所、女川町4か所で行われた。開票作業は女川町が午後8時から町総合体育館で始まり、1時間後には得票数が確定。石巻市は午後9時40分から河北総合センタービッグバンで開始された。


 開票の結果、衆院選挑戦から鞍替えした齋藤氏が、出遅れを知名度で挽回(ばんかい)し、両市町でトップの得票数を獲得。本木氏も選挙区からまんべんなく得票し、前回に続き2位となった。新人の三浦氏は党の組織票に加え、震災対応で無党派層からも支持を得て、初の共産党議席を獲得。池田氏は地元の河南地区を中心にした郡部で票を固め、地盤が被災した坂下氏は党のテコ入れもあって議席を死守した。


 一方、現職2氏が落選。佐々木氏は支持者の重なる齋藤氏に票を奪われ、加賀氏も支持の広がりに欠けた。
<>2011/11/14 4262<>4262.jpg<>「未来に向かって一丸に」…須田町長 初登庁で訓示<> 任期満了に伴う女川町長選で、無投票で初当選した須田善明町長(39)が14日、町役場仮庁舎に初登庁した。職員への訓示では「未来に向かうために職員全員一丸となってやっていきたい」と力強く呼び掛けていた。

 須田町長は午前8時20分ごろに町内の仮設住宅から徒歩で登庁。庁舎前に整列した大勢の職員から拍手で迎えられ、花束を受け取った。町長室では報道陣の質問に答え、「女川の4年間を託されたという重責を感じている」と引き締まった表情。「最大の課題である住居と産業再生にスピード感をもって取り組んでいく」と語っていた。


 その後は庁舎内で当選証書付与式が開かれ、須田町長も当選した町議会議員とともに出席し木村博選管委員長から証書を受け取った。さらに仮庁舎隣の女川二小体育館で開かれた就任式では、職員に訓示。震災からの懸命な復旧活動に感謝の意を示した上で、「今後はさらに情報と意識の共有を図り、ふるさと女川の再生にまい進していく」と決意を述べた。




 【写真】 職員らに出迎えられ、初登庁する須田新町長(女川町役場仮庁舎で)
<>2011/11/14 4261<>4261.jpg<>汽笛鳴らし復興運ぶ…石巻観光再会まつり<> 観光再開宣言した石巻市は12日、駅前にぎわい交流広場で石巻観光再会≠ワつりを開いた。物産展やステージイベントが繰り広げられたほか、石巻駅には蒸気機関車のSL宮城・石巻復興号が乗り入れた。イベントは13日も行う。


 震災以降、市は観光PR事業を自粛していたが、石巻を代表するメニューに再開めどが立ってきたと判断。縁起が良い末広がりを意識して1が8つ並ぶ2011年11月1日午前11時1分に観光再開宣言し、観光事業の再スタートを切った。


 観光再会まつりは復興第1号のイベントであり、ステージは山下中学校吹奏楽部の演奏で幕開け。ポケモンショー、いしぴょんとのジャンケン大会が開かれた。物販では2市1町の地場産品などが売り出され、会場は活気にあふれた。


 SL石巻復興号は汽笛を鳴らし、煙を吐き出しながら午後0時58分に石巻駅に到着。沿線スマイルプロジェクトとして多くの子どもたちが笑顔でSLに手を振り、ホームは歓迎ムードに包まれた。


 13日は午前10時30分からステージイベントが始まり、シージェッター海斗ショー、もちまきなどを行う。物販は午後3時まで。SLの石巻駅着は午後0時58分の予定。




 【写真】 SL石巻復興号が石巻駅に乗り入れた

<>2011/11/12 4260<>4260.jpg<>東ブロック交流大会始まる…男女各4チームが出場<> 第21回石日杯ミニバスケットボール大会(20―27日)を前に、「東ブロック交流大会」(石巻日日新聞社主催)が12日、石巻市立稲井小学校体育館で始まった。男女各4チームが出場し石日杯大会のファイナル出場権をかけて争う。初日は男子の試合が行われ、石巻地方の複数チーム混成の全4チームが熱い戦いを繰り広げた。13日は女子の試合が同体育館で行われる。


 交流大会は、東日本大震災の影響で試合に必要なメンバーが集まらなかったり、体育館が被災したため他チームと合同で練習しているチームのため特別に開催された。


 被災した沿岸部などを中心に男女各4チームが出場。リンク戦で進められ、各ブロックの1位が石日杯大会のファイナル(27日)に出場できる。


 12日は開会式が行われ、県ミニバスケットボール連盟東ブロックの渡邉勝典ブロック長が「震災の影響で思うように活動ができなかったチームも多いが、選手にはファイナル進出を目指してがんばってほしい」と激励した。


 その後、稲井―渡波、住吉―石巻サンズ・レッドライオンズ戦など計4試合を実施。第1試合の稲井―渡波戦では70―14で稲井が勝利した。


 会場には、懸命にボール追いかける子どもたちを応援しようと、大勢の保護者らが詰めかけ、チャンスが訪れるたびに盛んな声援を送っていた。




【写真】 懸命にボールを追う選手たち(石巻市立稲井小)

<>2011/11/12 4259<>4259.jpg<>河川・港湾の復旧 円滑に…連絡調整会議が設立<> 河川・海岸堤防や港湾・漁港施設、排水施設の復旧を円滑に進めるための「石巻・東松島地区復興防災基盤連絡調整会議」が8日に設立され、石巻市役所で初会合が開かれた。旧北上川などの河口部の河川堤防について国交省北上川下流河川事務所は、各市の復興計画と調整しつつ、年度内に堤防設計作業を完了させることにした。


 会議は河川や海岸、漁港、下水道などの基盤整備の方針を早期に明らかにするため、同河川事務所の呼び掛けで設立。同所の佐藤克英所長と亀山紘石巻市長、阿部秀保東松島市長、県の地方機関の代表が出席した。亀山市長は「復興のスピードが求められ、これから大事な事業が多くなる。国、県の力添えで基盤整備に努めたい」とあいさつした。


 石巻地方では震災による地盤沈下でゼロメートル地帯が広がり、洪水の浸水想定区域も拡大している。同河川事務所管内では861か所の河川管理施設が被災。緊急復旧工事は完了しており、あとは抜本的な対策を待つばかりだ。


 石巻市の旧北上川と北上川、東松島市の鳴瀬川各河口部の堤防計画は、7・2メートルの計画高に見直された海岸堤防の高さに合わせて検討。河川事務所は24年度から関係工事に着手する予定にしている。




 【写真】 河川などの復興基盤整備に向け、関係機関が情報を共有した

<>2011/11/11 4258<>4258.jpg<>ロックフェラー財団会長 石巻魚市場など訪問<> 米国ロックフェラー財団の12代会長であるデイビット・ロックフェラー・ジュニア氏が7日、石巻市を訪れ、魚市場の被災状況を視察した。津波による漁民生活や水産業界への影響を心配し、被災地への継続支援を世界に呼び掛けることにしている。


 ロックフェラー氏は妻のスーザンさんと魚市場を訪問。同市場の須能邦雄社長や亀山紘市長から、例年の20%の水揚げしかないこと、事業を再開した水産加工会社が5%強となっていることなどの説明を受けた。


 ヨット愛好家でもある同氏は、環境保護や芸術振興などの分野で非営利活動を続けている。海洋環境をテーマにした勉強会を米国会で開催することや、被災地に直接足を運ぶことで外国人観光客に日本への渡航が安全であることをアピールすることなどが訪日の目的という。


 同氏は「海洋生物の減少を危ぐするとともに、漁民生活が震災前に戻れるかを心配している。建設的な支援が必要で財団としてどういった対応ができるかしっかり考えたい」と話していた。夫妻は東松島市の仮設住宅なども訪れた。




 【写真】 魚市場や水産加工団地の被害状況を見聞きするロックフェラー・ジュニア氏(右から3人目)と妻のスーザンさん(同2人目)
<>2011/11/11 4257<>4257.jpg<>石巻赤十字病院で震災後初の訓練<> 石巻赤十字病院は先日、大規模地震による院内の火災を想定した総合防災訓練を実施した。3月の東日本大震災以降、最初の本格的な防災訓練で、災害拠点病院として職員の意識を高めた。
             
 宮城県沖を震源とするマグニチュード8・0、震度6強の地震で4階東病棟処置室南側廊下付近の改修工事現場から出火したと想定。職員約180人が参加した。防火訓練では散水栓からホースを延ばして模擬放水したほか、患者をストレッチャーや車いすで安全な場所まで搬送する訓練を展開した。
              
 発災対応型の訓練となっており、スプリンクラーの漏水や防火扉が閉まらなくなった状況を再現して対処。また、災害時下は非常用発電機のある同病院に住民が駆け込み、自衛消防活動に支障が出ることが予想される。そのため、職員は住民の入館を制限する対応訓練も行った。
               
 院内災害対策用として配置した4台のPHSが通話中などで情報伝達ができなかったケースや、火災非常放送の一部不具合など改善点が見つかった。一方で課題が職員から自発的に出されるなど、震災を経て危機管理への意識が高くなっていることがうかがえた。
               
 改正消防法により大規模・高層建物の大規模地震に対応した防災管理や訓練が義務化。同病院も昨年度、例年の防火訓練を総合防災訓練に切り替えた。
             
【写真】階段を使って、想定患者を避難させた

<>2011/11/10 4256<>4256.jpg<>「いしのまき元希丼」登場…サンマとカツオふんだんに<> 東日本大震災で被災した石巻地方の住民を励まし、地域観光の目玉にしてもらおうと料理人の神田川俊郎氏が考案した「いしのまき元希丼」が石巻グランドホテルのレストランで提供され、利用客から好評を得ている。
             
 テレビ番組の「料理の鉄人」などで知られる神田川氏は9月22日、大阪市の企業経営者らが被災地支援のために立ち上げた「OMOIYARI(思いやり)プロジェクト」の一環で石巻を訪問。「石巻が元通りに元気で希望に満ちたまちに復興できるように」と願いを込め、飲食店関係者を集めてレシピを伝授。
               
 その元希丼はショウガが効いたサンマの炊き込みご飯の上にカツオのタタキ、イクラ、温泉たまごなどをトッピング。地元産の新鮮な海産物をぜいたくに楽しむことができる。
              
 同ホテルでは11月8日から、ランチタイム(午前11時30分―午後2時)にレストランロレットとコーヒーショップのアゼリアで提供。価格は小鉢と茶碗蒸し、味噌汁、フルーツ付きで1450円。
              
 一日10食限定となっており、初日は開始から30分で終了する人気ぶり。同ホテルでは「市民の皆さんにも神田川さんの気持ちが込められた丼を食べて元気になっていただきたい」と呼び掛ける。
               
 元希丼には、サンマとカツオを使うため生で提供できるシーズンが終わる11月末までの限定提供となるが、今後はカキを使った丼なども神田川氏側と検討している。
                  
【写真】
新鮮な海産物を楽しめる「いしのまき元希丼」が登場<>2011/11/10 4255<>4255.jpg<>造成平地で3年 高台5年…東松島で集団移転の説明会始まる<> 東松島市は7日、津波で大被害を受けた行政区ごとに、市街地の集団移転等に関する説明会を始めた。移転は住民の一定のまとまりが必要で、移転先用地買収、造成、住宅整備まで平地で3年、高台で5年前後かかる見通し。移転し住宅を再建する上で、従前地をいくらで買い取ってもらえるのかが住民の関心事となっており、市は国の予算や制度が固まり次第、個別面談で提示する考えを示した。


 市が想定する「防災集団移転促進事業」は、国の補助を受けて移転先の用地取得・造成を行い、災害危険区域として移転促進区域に指定した宅地を買い取る。移転先の1戸当たりの基準面積は330平方メートルで、そこに家を建てる場合は市から借地することになる。


 借地の将来的な払い下げを希望するかどうかで、造成地に一定の区分けを設定。住宅建設工事費借入金の利子なども限度内で補助される。集団移転を希望し自宅を建設しない場合、災害公営住宅に入居できるようにする。


 市は被災者がどこでどう生活再建したいのかの意向を把握し、造成規模や予算を決定するためのアンケートを今月中に実施。12月中旬には2巡目の行政区説明会を予定し、年度中にひざ詰めの個別面談を進める。


 個別移転や現地再建を目指す人もおり、被災居住地の売却や集団移転を希望しない場合、市と別途協議になる。市の買い取り価格は、災害危険区域や将来の土地利用を考慮したものになるという。


 壊滅的な被害を受けた野蒜新町行政区(262世帯)の説明会は7日夜、仮設野蒜市民センターで開かれ、住民ら約150人が参加。市当局から阿部秀保市長らが出席した。


 阿部市長は「被災者の負担を少なく生活再建できるようにしたい」とあいさつ。野蒜地区では高台移転を構想し、市は5年のスケジュールを提示した。


 住民からは「JR線の移設と集団移転の時期を同じくしてほしい」の要望や、住宅建設で「金がないと移転しても建てられない。金融機関も貸してくれないだろう」「消費税が上がれば、義援金を貯めていても無駄になる」などの切実な声があがった。




 【写真】 移転想定の行政区単位で始まった説明会(7日、仮設野蒜市民センター)
<>2011/11/9 4254<>4254.jpg<>学校紹介パネル展 イオン石巻SCで開催<> 石巻地区退職校長親交会(梶原義雄代表)主催の「第2回学校紹介パネル展」が8日から、イオン石巻ショッピングセンター海の広場で始まった。13日まで。


 同展は地域住民に教育への関心を高めてもらおうと、「みやぎ教育の日・教育月間」の11月に隔年で開催。今年は「今、子どもたち、学校が、頑張っています」をテーマに石巻地方81校から寄せられた写真約250点を展示している。


 この日はオープニングセレモニーが行われ、梶原代表が「大変な震災の中、子どもたちが頑張っている姿を発表してくれた。ゆっくり見てほしい」とあいさつ。会場には児童生徒が授業や運動会に取り組む姿を映した写真が並び、多くの買い物客が足を止めて見入る姿がみられる。


 石巻市駅前北通りから訪れた佐藤長子さん(76)は、「母校の写真に懐かしさを感じた。後輩たちの姿に元気をもらいました」と話していた。


 観覧は、午前10時―午後9時(最終日午後5時)。





【写真】 子どもたちの元気な姿が並ぶ
<>2011/11/9 4253<>4253.jpg<>寄磯港に共同利用船「地元漁業者ら喜びの声」<> 県漁業協同組合(阿部力太郎理事長)は県の補助事業を活用し、漁業者に共同利用してもらうための漁船1500隻を購入。そのうち3隻が石巻市の同漁協寄磯支所に贈られ、3日に寄磯浜で進水式が行われた。補助金の一部となった10億円を寄付したサントリーホールディングス(株)の関係者らが出席。地場産業復活への第一歩を喜び合った。


 寄磯支所には新造の船外機船3隻がトラックで搬入された。進水式には阿部理事長、サントリーの寺澤一彦専務取締役や地元漁業関係者ら約100人が出席した。


 式では地元の若手漁業者らが協力し、クレーンを使って慎重に新船を海に浮かべた。その後神事が執り行われ、出席者全員で水産の復興を祈願した。


 同地区で刺網漁を営む鈴木衛さん(61)は「海での仕事がこれまで以上にしやすくなる。今は秋ザケの時期で、もうすぐアワビ漁も解禁になる。魚があがれば港も活気付き、全国からの支援に恩返しができる」と喜びを語っていた。また、阿部理事長は「船は漁師の命。再び海で仕事ができると考えるだけで、高ぶる思い」と話していた。


 寄磯港は、140隻中115隻が津波で流され、漁港も壊滅。残った船を地元漁業者らが共同で利用している。




 【写真】 クレーンで慎重に海に浮かべられた

<>2011/11/8 4252<>4252.jpg<>レストラン栞 豚汁定食とラーメン好評<> 道の駅上品の郷(太田実駅長)=石巻市小船越=のレストラン栞に新メニューが登場した。宮城県産のえごま豚を使用した豚汁定食と野菜ラーメンで、来店者に好評だ。


 えごまは脳活性化やアレルギーなどの体質改善に効果があるとされるしそ科の一年草。そのえごまを配分したえさを与えて飼育した豚の肉は甘みが強く、コクが出るのが特徴だ。


 豚肉と相性のいい地元の野菜をたっぷりの入れた豚汁は、これまでふたごの湯でのみ提供していたが、利用者から評判がよいためレストランのメニューに加えた。豚汁にライス(新米)、それに銀サバの刺身、小鉢、お新香がついて800円。野菜ラーメンもえごま豚と地元野菜をふんだんに盛り込み、濃厚な味わい。700円。


 今野洋昭洋食部長は「これからの季節には、体も心も温まるはず。ぜひ味わってほしい」とPRしていた。このほか冬場の人気メニューのカキそば(880円)、八戸前沖さばのプレミアムブランド、銀鯖の漬け丼(980円)など多数。




 【写真】 地場産の野菜とえごま豚の豚汁定食




<>2011/11/8 4251<>4251.jpg<>女川町最後の仮設住宅完成 入居始まる<> 女川町で建設が進められていた全国で初めてとなる3階建て仮設住宅が完成し、6日から入居が始まった。同町では最後の仮設住宅となり、約130人いる避難者の多くがこの仮設住宅に入る見込み。総合体育館など避難所として活用している施設は9日までに閉所する。


 6日は午前7時30分から、町役場仮庁舎で鍵の引渡しが始まった。受け取った住民らは早速、部屋に入り家族でくつろぐなど入居を喜び合っていた。


 今回、入居が始まった3階建て仮設住宅は女川町が独自発注。高台の平地が少ないことから県が進めている平屋ではなく、高層階を選択した。6棟144戸で、町が独自に発注したもので、部屋は1DKと2DK、3DKの3タイプとなっている。すでにテレビと冷蔵庫、電子レンジ、洗濯機などの家電が設置されており、生活が始められるようになっている。


 またこの日は、建築デザイナーの坂茂さんが代表を務める「ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク(VAN)」のメンバーが各部屋を巡回。ちゃぶ台の足を長くして高齢者が生活しやすくするなどの作業をボランティアで行った。


 入居者の男性は「大原地区にあった自宅を被災し、今日まで女川町総合体育館で避難生活を送ってきた。部屋の鍵を受け取った時はうれしさでいっぱいでした。仏壇も設置できたので、まずはひと段落といったところです」と喜びを語っていた。


 なお、12日は野球場で入居者の交流を図るイベントを実施。日用雑貨の販売会、共有スペースのオープンセレモニーなどを開催する。




 【写真】 仮設住宅への入居を喜ぶ住民ら
<>2011/11/7 4250<>4250.jpg<>「ありがとう」を舞台で…東京・仙台公演目指して初練習<> 石巻地方の住民が震災の被災体験を乗り越え、支援してくれた国内外の人へ感謝を伝えるミュージカルの初練習が5日、東松島高校西体育館で始まった。「被災者100人が歌い踊る、震災と津波のミュージカル!」との題で、来年3月に東京都と仙台市で公演。子どもから高齢者まで、歌が得意な人もそうでない人も、プロの指導を受けながら、1つの舞台を目指して精一杯の歌声を響かせる。


 有志による「ありがとうを言いに行こう♪プロジェクト」(前谷ヤイ子実行委員長)の企画。実行委員長のヤイ子さん=東松島市新東名=の夫・ひろしさんの友人で、作曲家兼イラストレーターの寺本建雄さんが脚本、演出、音楽、美術、演奏を手掛け、震災体験をミュージカルにして上演する試みとなっている。


 出演者初顔合わせとなった5日の練習では、スキップなどで体を動かした後、寺本さんとひろしさん、総合プロデューサーで元舞台女優の祖父江真奈さんの演奏で歌のけい古。オリジナル曲「この町の土になる」「仙石線のうた」を子ども、成人の男性・女性のパートごとに発声練習した。


 練習は毎週土曜日午後1時から、同校などで行う。初回は男女約80人の参加で、中には宝塚女優に憧れた82歳の女性や、消防団員、公務員も。被災した漁師も加わる予定だ。練習と同時並行で各自の震災体験を聞き取りし、寺本さんがミュージカルに仕上げる。


 寺本さんは十数曲を書き下ろす予定で、「ストーリーはみんなの中にあるものなので、ドキュメンタリーミュージカルになる。きっと、感動的な舞台になるだろう」と、初練習に手ごたえを感じていた。


 参加者のうち、石巻高演劇愛好会の佐藤和さん(1年)は、家族は無事だったが、雄勝町水浜の自宅が流失し、1人市内に下宿中。練習の雰囲気の良さを感じ取り「物資を送ってくれた人、診療してくれた医師らボランティア、震災から立ち直るきっかけを与えてくれた人に感謝したい」と、秘めた思いを歌に込めていた。




 【写真】 初練習で元気な歌声を披露する子どもたち

<>2011/11/7 4249<>4249.jpg<>EU上級代表のアシュトン氏 東松島市を訪れ住民励ます<> 欧州連合(EU)のキャサリン・アシュトン外務安全保障政策上級代表は3日、宮城県を訪問し、東日本大震災の被害地を視察した。東松島市の矢本運動公園内仮設住宅団地では、住民の手を取り、「前向きに頑張っている皆さんの姿を全世界に発信したい」と語り掛けた。仮設団地に住む子どもたちと気さくに触れ合うなど、温かな人柄をうかがわせていた。


 アシュトン上級代表は、「被災地の声を直接聞きたい」と訪問。EU加盟国のデンマークから支援を受けている縁で同市を訪れた。野蒜小学校体育館では、犠牲者に哀悼の意を込めて献花し、ボランティアを激励した。


 続いて矢本運動公園内の仮設住宅を訪れ、大沼雄吉副市長や入居者から被害状況や現在の様子を聞いた。大沼副市長が、学校が被災し、教育環境が損なわれている現状を報告すると、「力を合わせて、子どもたちのために可能な限り最高の未来を切り開いていかなければならない」と思いを語った。


 アシュトン上級代表から激励を受けた佐藤一雄さん(68)=浜須賀区長=は、「国際的な要人に家の中まで見ていただき、生活再建への気力をもらった」と話していた。




 【写真】 被災した住民の手を取って励ますアシュトン上級代表(左)
<>2011/11/7 4248<>4248.jpg<>ダライ・ラマ14世 石巻市で震災慰霊法要<> チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世は5日、被災した石巻市を訪れて震災慰霊法要を行った。西光寺=同市門脇町=ではチベット式で読経したほか、幼稚園児や被災者と交流を深めた。


 ダライ・ラマ14世は西光寺の参道前から僧侶や法山寺幼稚園の園児らに迎えられ、本堂で法要を営んだ。ダライ・ラマ14世は「一人ではなく、皆で悲しみを分かち合って立ち上がらなければならない」と説いた。


 本堂と参道には約800人が参列し、ダライ・ラマ14世は「皆には自信と精神力、優れた知性がある。これらを結び合わせてこの地をよみがえらせてほしい」と強調。そのうえで「若い世代の子どもたちを助け、優れた教育の中で次の世代を育むことが大切。そうすることでより強い人間が育つ」と訴えた。


 市内17寺院が加盟する石巻仏教会の深草喬雄会長、遺族代表として亀山紘市長がそれぞれあいさつ。市内の小学生5人から花束が手渡されたほか、世界平和を願った大漁旗が贈られた。


 ダライ・ラマ14世は1960年、インドのダラムサラにチベット亡命政府を樹立。以来世界平和を求める活動を続け、1989年にはノーベル平和賞を受賞した。来日は慰霊法要や被災者交流を目的としており、石巻市を訪れるのは初めて。




 【写真】 園児らと触れ合うダライ・ラマ14世
<>2011/11/5 4247<>4247.jpg<>「門脇中に凱旋=v…金メダリスト室伏選手に生徒沸く<> 今年の8、9月に韓国・大邱(テグ)で開かれた世界陸上選手権のハンマー投げで金メダルを獲得した室伏広治選手=ミズノ=が先日、石巻市立門脇中学校(赤間彰校長、生徒323人)を訪れた。室伏選手は6月にも同校を訪れ、同大会での金メダル獲得を生徒たちと約束。その際に贈られた寄せ書き入りの日の丸はビクトリーランで掲げられ、話題にもなった。室伏選手は「メッセージをもらって励まされ、最後までがんばって競技することができた」と感謝。生徒たちも「何事も前を向いて取り組む勇気をもらった」と話し、憧れの選手の凱旋≠ノ大喜びだった。


 同校体育館で開かれた「世界一を祝う集い」には同校の全校生徒のほか、校舎を間借りしている門脇小学校の6年生の児童も参加して開かれた。


 冒頭、室伏選手は「皆さんの応援で金メダルを取ることができた。すぐにでも門脇中に来たかった。世界の舞台に立ち大変緊張したが、最後まで力を抜かずにがんばる姿を見てほしいと思っていた」とあいさつ。会場に集まった生徒たちからは盛んな拍手が送られた。


 また、6月にプレゼントされた日の丸について「もらってすごく感動した。選手村に張っていつも見ていた」と振り返った。さらに、「来年夏のロンドン五輪を目指してがんばる姿をみんなに見てもらえるようにトレーニングに励みたい」と抱負を述べた。


 会場では、室伏選手と触れ合う場も設けられ、生徒たちは一緒に腕立て伏せや腕相撲、ジャンケンなどを行い、会場を沸かせた。


 参加した門脇中3年生の三上凛さん(15)は「夢に向かってがんばる力をもらった。高校受験をがんばりたい」と目を輝かせていた。


 式の終了後、報道陣の取材に対して室伏選手は「石巻との絆(きずな)を大切にし、今後も長期的に物心両面でサポートしていきたい。ロンドン五輪に向けて生徒たちからパワーをもらった」と笑顔を見せた。


 なお、前日夜には、石巻地方の市民有志による金メダル受賞を祝う祝賀会が開かれた。




【写真】 生徒たちに優勝報告をする室伏選手
<>2011/11/5 4246<>4246.jpg<>東松島に県警本部長から賛辞…交通死亡事故ゼロ1年<> 昨年10月30日を最後に交通死亡事故が1年間なかった東松島市に1日、県警本部からの賛辞が贈られた。震災復興活動で交通量が増えており、県警は安全への意識が市民に広がることを期待した。


 県警交通部の後藤孝義参事官兼交通企画課長が同市役所を訪れ、阿部秀保市長に森田幸典本部長名の賛辞を伝達。地元の交通安全協会や交通安全母の会の代表者らも同席し、阿部市長は「関係機関の努力のおかげ。安全安心のまちへの取り組みを、一歩一歩積み上げたい」と感謝した。


 市内では昨年10月30日に大塚の県道でトラックと自転車が衝突する交通事故があり、自転車を運転していた松島町の男性=当時78歳=が死亡。それ以後交通事故で亡くなった人はおらず、10月31日で交通死亡事故ゼロ1年間を達成した。


 県内の10月末までの交通事故による死者は、昨年同期より5人少ない61人。震災後沈静化していたが、交通量が戻り始めた7月以降多発傾向にある。高齢者が死者の半数を占め、事故の当事者になるケースも多い。また、震災ストレスなどで飲酒運転も増えており、ひき逃げも多い。


 後藤参事官は「石巻地方では震災ガレキの運搬などで一日に数千台とダンプカーが走り、交通量が増えている。安全意識を高めてほしい」と呼び掛けていた。




 【写真】 後藤参事官(右)から賛辞の伝達を受ける阿部市長
<>2011/11/4 4245<>4245.jpg<>女川町にコンテナ商店「地域住民が集う場に」<> 大阪市の建築資材販売会社「潟Tンワカンパニー」(山根幸治社長)などは被災地支援の一環として、女川町新田地区にコンテナ製商店2棟を建設し、同町商工会に寄贈した。震災で店舗を失った理容ヨコヤマと食料品の清水百貨店の地元2店舗が1日から営業を開始。店主らにとっては復興への第一歩を踏み出す拠点となり、地元住民の憩いの場としての役割にも期待されている。


 サンワカンパニーの山根社長は、阪神大震災の際に受けた支援の恩返しとして東北の被災地へのサポートを決意。石巻市出身で大阪府在住の会社社長大谷龍雄さんと石巻日日新聞社の仲介により、女川町でプロジェクトを進めることになった。金品の支援ではなく仕事をする場を提供することが、より永続的な助けになるとコンテナハウスを贈ることにしたという。


 建造費は2棟で約1千万円。建物には古代ギリシャ語で広場≠意味する「アゴラ」と名前をつけた。商業施設の企画設計会社の椛D場が内装を請け負い、両店ともシンプルながら使いやすい仕上がりとなっている。


 食料品店を経営するのは地元商店街有志の共同経営となり、肉や野菜、飲み物など多くの品がそろっている。一方、理髪店は45年ほど前から営んできた店舗(鷲神浜)を津波で流された横山亮助さん(65)、美和子さん(61)夫妻がハサミを握る。


 横山さん夫妻は津波により、店舗だけでなく孫娘も亡くした。2人は「一時はすべてが嫌になり、仕事もやめようと思っていた」と当時の心境を振り返る。しかし、避難生活を送っていた周囲の人が復興に向けてそれぞれの仕事を始め、前向きになっていく姿をみて、「やはり自分たちの仕事は床屋しかない」と思ったという。


 それ以降、夫妻は避難していた町総合体育館や仮設住宅での出張理髪店などを行い、少しずつではあるが仕事をしてきた。その際に関係者から勧められたのが今回のプロジェクトだった。美和子さんは「震災後、本当にいろいろな人にお世話になった。一度生かされた命。恩を返せるかどうかは分からないけど、もう一度頑張りたい」と話していた。


 初日の1日は午後1時から、オープニングセレモニーを開催。サンワカンパニーの山根社長や同町商工会の高橋正典会長らが出席しテープカットを行った。両店舗にも大勢の地域住民や関係者が訪れ、津波で多くが流された同地区に久し振りのにぎわいが戻った。


 寄贈を受けた商工会では今後、コンテナハウスを商店主のためだけでなく、被災して買物が不便になった地域住民に活用してもらうという狙いもある。今回の新田地区をモデルケースとし、要望があれば他の仮設住宅での建設も検討する。




 【写真】 関係者がテープカットを行って完成を祝った
<>2011/11/2 4244<>0<>女川町は全国最低0・20倍…路線価の調整率<> 仙台国税庁は、相続税や贈与税の算定基準となる本年度分(1月1日)の路線価に、東日本大震災に地価下落を反映させるための調整率を1日、発表した。震災特例法によるもので、宮城、岩手、福島など7県の全域と埼玉、新潟県の一部が指定地域となる。


 調整率が低いほど相続税、贈与税が減額する。津波で甚大な被害を受けた石巻地方2市1町は軒並み低く、中でも女川町は中心部などが0・20倍と全国最低の設定となった。その他の地区も0・20―0・55倍と震災前の半分以下。


 石巻市も0・30―0・75倍。0・30倍は門脇、南浜町、渡波地区や雄勝、北上、牡鹿地区など津波に襲われたほとんどの地域。津波はなかったが、地震被害を受けた地域にも調整率が設定されている。東松島市も0・25―0・70倍と低率となった。


 2市1町の主な調整率最低地域は次の通り。なお調整率表は国税庁ホームページで公表している。


 【石巻市】
 ▽0・30倍=大街道南2―4丁目、門脇、大門町1―4丁目、南浜町1―4丁目、川口町、湊町1―4丁目、中央1―2丁目、中瀬、長浜町、渡波、荻浜、雄勝、北上、牡鹿地区ほか


 【東松島市】
 ▽0・25倍=新東名1―4丁目、野蒜、矢本ほか


 【女川町】
 ▽0・20倍=鷲神浜、尾浦町、黄金町、寿町、清水町、桜ヶ丘ほか

<>2011/11/2 4243<>4243.jpg<>市場流儀 三本締めで弾み…観光再開宣言<> 石巻の観光再開を全国に発信するため、石巻市は1日、観光再開宣言を行った。これまでは安全面と被災者心情に配慮し、観光PRを自粛していたが、すしや金華ブランドなど食の街いしのまき≠代表するメニューにも再開めどが立ってきたと判断。宣言で観光事業の再スタートを切った。12―13日は駅前広場で石巻観光再会≠ワつりを行う。津波被害を受けた観光施設は来春以降の再開を目指すが、建て替えを要する施設は年次計画の中で整備していく。




 再開宣言は飛翔閣=同市山下町=であった石巻市観光再開の会の中で行われた。末広がりを意識し、1が8つ並ぶ2011年11月1日午前11時1分に食彩感動いしのまき観光推進協議会(会長・亀山紘市長)の後藤宗徳副会長が「石巻の観光を再開する。亡くなった人たちの思いを受け継ぎ、石巻の再興に力を注ぐ」と語った。


 ステージには後藤副会長ら市、県、石巻商工会議所などから関係者8人が登壇。石巻魚市場の須能邦雄社長が市場流儀にならい、三本締めで観光再開に弾みをつけた。


 再開の会ではB―1グランプリ(12―13日・姫路市)に出場する石巻焼きそばアカデミーの出陣式も兼ねて行われ、遠藤多一会長が「石巻の焼きそばを全国に売り込む」と気勢を上げた。会場では金華ずしと石巻焼きそばの試食会もあった。


 12―13日に駅前にぎわい交流広場で開く観光再会まつりでは、石巻焼きそばの実演販売や物産展、シージェッター海斗ショー、ポケモンショーなどが披露される。両日とも午前10時半―午後3時。石巻駅にはSL石巻復興号が乗り入れ、市の玄関口から観光再開を祝う。


 市内飲食店は震災前と比べて半数以上が営業再開しているが、課題は観光施設。中心市街地のシンボルともいえる石ノ森萬画館は来年7月の再開を目指しており、おしかホエールランドは離島を含めた観光戦略の中で協議する。修繕可能な施設は来春か来夏、建て替えを要する施設は年次計画で整備するが、いずれも国の予算措置が要となる。




 【写真】 1並びに合わせて後藤副会長が観光再開を宣言した
<>2011/11/1 4242<>4242.jpg<>本港に仮設荷さばき場…石巻魚市場「本格復興にはずみ」<> 東日本大震災で被害を受けた石巻魚市場に1日、2棟の仮設荷さばき所がオープンした。施設は衛生管理に留意したテント型で、岸壁水深は7メートルとなっており、海外巻き網船など大型船にも対応可能となる。石巻市の水産のシンボルが完全復興に向け、加速を始めようとしている。


 今回、石巻漁港本港にオープンした仮設荷さばき場は、巻き網船専用のA棟(1232平方メートル)と海外巻き網船専用のB棟(2632平方メートル)の2棟。震災前に水揚げを行っていた本港西側に並べて配置された。いずれも上屋方式ではなく側面もあり、鳥害から水産物を守れるようになっている。


 オープンした1日は底引き網船が漁獲したスルメイカ51・4トン、サバ16・2トンなどを入札。定置網船の水揚げもあり、大ぶりな秋サケなど、新鮮な魚がフォークリフトで次々に市場内に運ばれていった。


 今回の荷さばき所のオープンで本港西側から約150メートルの岸壁が使用可能となり、今月20日までに、さらに90メートル東側に延長する。今後は魚の自動選別機を導入していく。なお、7月の再開後からこれまで荷さばき場として使用してきた西側の副港は岸壁の整備工事を来年1月まで実施。底びき網船など小型船は当面、本港で水揚げと入札を行う。


 須能邦雄同魚市場社長は「市場が元気になることで背後地の整備促進につながる。今回の荷さばき所のオープンで、水産業復興に弾みをつけたい」と話していた。


 同魚市場は3月11日の津波により、長さ600メートルで東洋一といわれる上屋の全てが崩壊。さらに荷揚げ場前の岸壁も地盤沈下し海水が流れ込むようになっていた。




 【写真】 2棟並んで建てられた仮設荷さばき場
<>2011/11/1 4241<>4241.jpg<>石巻産カキ初出荷「復興への一歩踏み出す」<> 宮城県漁協石巻湾支所(丹野一雄運営委員長)は、30日から生食用カキの出荷を始めた。東日本大震災の津波で船や漁業資材など多くを失いながらも、踏み出した復興への第一歩。漁業資材の調達や岸壁補修、漁場整備など課題が山積している漁業者だが、「まずはおいしいカキを提供するのが支援への恩返し」と31日も早朝からカキむき作業に励んでいた。


 同支所では3月11日の津波で大きな被害があったが、幸いにも万石浦内にあったカキは流出しなかった。71世帯中、再開を決めた52世帯の漁業者はボランティアらの手を借り、残ったカキを吊るし直して7月に石巻湾に垂下。そのカキが成長したことから、例年に比べて約1か月遅れたものの、何とか出荷までこぎつけた。


 作業員の減少や資材不足などで生産量は例年の6―7割ほどとなるため、年内は相対取引で出荷することになる。初日は1キロ当たり1600円となった。


 同支所に所属し、県漁協カキ部会長も務める高橋文生さん(61)は「ゼロからではなくマイナスからのスタートだが、それでも仕事が出来ることは我々にとってうれしいこと。ここからが本当の勝負だ」と語っていた。


 なお、同支所では消費者に安全性を示すため、放射性物質測定や細菌検査なども実施。いずれも不検出となっており、高橋部会長は「安全でおいしい石巻のカキを、みなさんに食べていただきたい」と話していた。




 【写真】 手早くカキの身をむく石巻湾支所の作業員(31日、梨木畑共同カキ処理場)

<>2011/10/31 4240<>4240.jpg<>秋晴れの下に市民集う…労福協まつり<> 石巻地方労働者福祉協議会は29日、労働会館駐車場=石巻市泉町=で「第18回労福協まつり」を開いた。復興支援で行ったティッシュ格安販売の相乗効果もあり、毎回好評のサンマ特売は開始からわずか30分程度で売り切れるなど人気を集めた。


 イベントは労働団体と市民の交流の場として行っており、今年は震災復興支援がテーマ。女川港から直送したサンマ約150キロは5匹300円で売り出したが、瞬く間に完売した。また日本製紙労組石巻支部は、グループ本社から無償提供されたローションボックスティッシュを3個100円で販売。収益金は義援金とした。


 サンマとティッシュの効果で会場は例年を大幅に上回る人出となり、出店もにぎわいを見せた。恒例の餅つき実演と販売では、子どもたちが杵(きね)を手に「よいしょー」と振り下ろしていた。




 【写真】 子どもたちが餅つきを楽しんだ

<>2011/10/31 4239<>4239.jpg<>地元住民の熱意結集…サン・ファン感謝デー再開<> 東日本大震災の影響で、中止されていた「サン・ファン感謝デー」が29日、サン・ファンパーク=石巻市渡波=で再開された。会場には多くの人たちが訪れ、地場産品などを買い求めていた。また、地元の獅子風流塾らによるステージイベントも行われ、会場は盛り上がりを見せていた。


 渡波地区の住民らで作る実行委などが主催。感謝デーは年8回、同パークで開かれているが、震災で施設が被害を受け中止されていた。震災後、初となる同日は「サンファン復興祭り」と銘打って、慶長使節船・サン・ファン・バウティスタ号の出帆記念日(10月28日)に合わせて開かれた。


 パークには午前10時の開場とともに多くの家族連れらが訪れた。野菜の無料配布や魚介類の格安販売が行われ、多くの人たちが列を作った。また、観光PR集団「奥州・仙台おもてなし集団 伊達武将隊」のメンバーが登場し、パフォーマンスを披露。コミカルな内容に来場者たちは盛んな拍手を送っていた。


 なお、この日は、サン・ファン館で「サン・ファン・バウティスタ出帆記念イベント」も開かれ、スペイン友好400年の記念植樹や慶長使節の足跡をたどる写真展などが行われた。




【写真】 伊達武将隊のパフォーマンスがイベントを盛り上げた

<>2011/10/29 4238<>4238.jpg<>福岡から漁船届く…東松島市東名 カキの恩返しに<> 福岡県豊前市と同市の豊築漁業協同組合は28日、震災で漁船の7割が流失した県漁協鳴瀬支所(仙石和男支所運営委員長)=東松島市大塚字東名=に船外機船2隻を寄贈した。豊前市では、東名で生産されたカキの稚貝(種ガキ)で養殖カキのブランド化に成功しており、産地の早い再生と両市の交流が深まることを願った。


 寄贈されたのは1・26トン(全長5・43メートル、幅1・63メートル)と2・95トン(全長7・6メートル、幅2・43メートル)の中古船外機船。豊築漁協の青年部が塗装し直し、船体に「がんばろう!東松島市」のメッセージを書き込んでいる。24日から陸路と海路で運ばれた。


 東名漁港で引渡式があり、釜井健介豊前市長に代わって奥本隆己農林水産課長が「復興の船出となるよう微力ながら支援し、両市の交流が深まればいい」とのメッセージを代読。東松島市の大沼雄吉副市長は「ガレキで覆われた海がきれいになってきた。寄贈された船を有効に使い、漁業の再生を図りたい」と市を代表して感謝を述べた。


 豊前市議会は震災復興支援等推進特別委員会を設置しており、全会一致で東松島市への支援を議決。広域議会ではガレキの受け入れも決議したという。豊築漁協は昭和50年代からカキ養殖を始め、鳴瀬支所とは約30年の付き合い。11月中旬以降、もう2隻の船外機船を贈ることにしている。


 県漁協鳴瀬支所では、240隻ほどあった漁船のうち約170隻が流失。養殖施設も被災し、402トン5億2400万円あったカキ(むき身)の生産高は今年、10分の1になる見込み。贈られた船はカキ養殖で使用し、カキむきは12月初旬以降、大塚漁港前の処理場を復旧させて始める予定だ。




 【写真】 クレーンなどを使い船外機船を進水させた
<>2011/10/29 4237<>4237.jpg<>流された通帳 銚子で発見 300キロ漂流<> 東日本大震災の大津波で石巻市南浜町の自宅から流され、千葉県銚子市の港で見つかった預金通帳が、先日、持ち主の手元に届いた。300キロの海上を約7か月かけて漂流した末に戻ってきた通帳に「なによりうれしい」と持ち主。「この話が被災した人たちの希望≠ノつながれば」と話している。


 通帳の持ち主は、現在石巻市の開北地区のアパートに住んでいる水泳指導員の小澤和子さん(67)。先日、千葉県の銚子警察署から銚子港で通帳が見つかったという電話が入った。石巻市から銚子までの直線距離は約300キロメートル。最初は半信半疑だったが後日、郵送されてきたものは確かに自らのもの。小澤さんは「通帳は再発行もできたが、元の家にあったものが手元に戻ってくれた。それが何よりうれしい」と笑顔をみせる。


 小澤さんは3月11日の地震発生時、勤めていた中里地区の体育施設にいた。自宅にいるはずの長女と孫が心配になり徒歩で帰っていると、門脇町付近で北上川からあふれてくる津波に気付いた。そこで偶然通りがかった車の運転手に助けられ、一緒に門脇小に避難。屋上に上がった時には学校周辺はすでに水に浸かっていたという。


 そこから見えるのは壮絶な風景だった。雪が降りしきる中、燃えたままで流されて来る近隣の家屋。その火が校庭に停めていた車から漏れ出した燃料に引火するなどして、さらに燃え広がる。小学校にも火がついたため小澤さんらは裏山に避難。日和山にたどりつき、そこで家族の無事も確認できた。


 自宅を確認することができたのは数日後だった。2階建ての木造家屋は土台だけで、中にあった家財道具は周辺を探しても見当たらなかった。「命が助かっただけでも良かったと、諦めるしかなかった」と小澤さんは当時の心境を振り返った。


 その後は開北地区のアパートに家族で転居。将来の生活に不安を抱えながらも新たな土地にも少しずつ馴れて来た今月初め、銚子警察署から通帳を拾った人がいると連絡が入ったという。


 同署によると、9月末、銚子港近くの交番に匿名の男性が訪れ「港に落ちていた」と泥にまみれたポーチを届け出た。署員が中を開けると小澤さんの通帳3冊と印鑑2本が入っていた。本人確認もできたため、小澤さん宅に郵送した。


 届いたものを手に小澤さんは「無くなってしまい諦めていただけに、信じられなかった。多くの人が思い出の品を失っている。この話が少しでも石巻の人の希望になってもらえれば嬉しい」と話していた。




 【写真】 千葉県から郵送されてきた通帳、印鑑を手にする小澤さん
<>2011/10/28 4236<>4236.jpg<>石巻の希望の星≠ノ…比屋根選手 太田選手 ヤクルトが指名<> プロ野球のドラフト会議が28日、東京都内で開かれ、東京ヤクルトスワローズが日本製紙石巻硬式野球部の2選手を指名した。比屋根渉外野手(24)=沖縄県出身、城西大=は3巡目、太田裕哉投手(M)=多賀城市出身、一関学院高=は4巡目で指名を受けた。チームからは、昨年ヤクルトに入団した久古健太郎投手(25)に続く2年連続でのプロ入り。2人は震災復興に取り組む石巻地方の希望の星≠ノなることを誓っていた。


 指名後に同工場敷地内クラブハウスで会見した比屋根選手は、指名の瞬間について「人生の中で一番うれしかった」と喜びの声。「(プロで活躍し)石巻の人たちに明るい話題を提供したい」と抱負を語った。太田選手は「うれしい。自分の名前が出て正直驚いた」と振り返った上で、「震災に遭った被災者の気持ちと一緒にプロで頑張ってきたい」と話していた。


 その後2人は日本製紙の室内練習場を訪れ、集まっていたチームメートは盛大な拍手で迎えると、堅い握手や胴上げで祝福した。その様子を見守っていた木村泰雄監督は「うれしいことだが、主力が抜けることで、今後のチームを考えると不安で複雑な気持ち。2人には甚大な被害があった石巻地方に明るい話題を提供してほしい」と述べていた。


 比屋根選手は180センチ、70キロで右投げ右打ち。沖縄県島尻郡出身、沖縄尚学高で3年生の春に甲子園に出場しベスト8。城西大では首都大学リーグで3度ベストナインを受賞。昨年春に日本製紙に入り、1年目から中堅手として活躍した。50メートル5秒8の俊足だ。


 一方、太田選手は175センチ、72キロの本格派サウスポー。多賀城二中から一関学院高に進学し、3年生春に甲子園に出場。その後は日産自動車を経て、日本製紙に移籍。最速144キロの直球とキレの良い変化球による強気の投球が持ち味だ。




 【写真】 ヤクルトに入団する比屋根選手(写真右)と太田選手(28日、クラブハウスで)
<>2011/10/28 4235<>4235.jpg<>仮設住宅で寒さ対策…県 「年内中に完了」目標<> 県は今週から、災害応急仮設住宅の寒さ対策工事を始めた。石巻地方の各団地でも外壁を追加する断熱工事が進められており、入居者からは「寒さが厳しいので助かる」との声が聞かれた。ただし、すべての団地で工事が完了するのは2か月ほど先。被災者が寒い冬を乗り切れるよう、各自治体は県の対応をみながら暖房器具の貸し出しなどの調達を進めている。


 県による寒さ対策は、外壁断熱工事をはじめ、2重サッシ、玄関先から室内に直接風が吹き込まないようにする風除室の設置。暖房便座も取り付けられる。県は24日から順次、県内約2万1千戸の仮設住宅で施工することにしているが、業者の資材調達や職人の確保の関係で、12月に着工する団地もある。


 被災地のプレハブ仮設住宅はエアコンが設置されているものの、断熱が弱い構造。生活再建を目指す被災者にとっては電気代もかさむ。


 県によると、仮設住宅は平成15年の県北部連続地震や平成20年の岩手宮城内陸地震のときとほぼ同じ寒冷地仕様。入居者からは隙間風や結露に関する苦情も多いことから、寒さ対策を講じることになった。県は「年内には完了させたい。対策により寒さが緩和されるだろう」と話した。


 自費や支援物資で暖房器具をそろえた入居者もあり、石巻市では希望に応じてこたつ、電気ストーブ、ホットカーペットを備品として貸し出すことにした。東松島市もこたつや石油ファンヒーター、ホットカーペットを貸与するほか、エアコンの追加や畳敷き、暖房効率を上げる隣接部屋との壁抜きなどの費用を予算措置した。


 仮設住宅内で石油暖房機を使うことは禁じられていないが、火災などのおそれもあり、各自治体で対応が分かれる。


 また東松島市の調査では、自前で風除室を設けた入居者が180世帯、エアコンが20世帯あり、そうした世帯に設置費用の一部助成を実施。市として3か所の仮設住宅団地に防風ネット、凍結防止の浄化槽を囲い込む工事を施工する。




 【写真】 仮設住宅の外壁断熱工事が始まった(東松島市川下のひびき工業団地)


<>2011/10/27 4234<>4234.jpg<>エッサッサ〜で大笑い…安来節保存会が公演<> どじょうすくい踊りで知られる安来節保存会=島根県安来市=は26―27日、石巻市内の仮設住宅団地集会所で慰問公演を行った。市民が踊りを体験するコーナーもあり、会場は爆笑の渦に包まれた。


 今年で創設100周年を迎えた同保存会からは、家元の4代目渡部お糸さんら21人が来石。大橋、蛇田、万石浦、開成の各団地集会所で公演した後、市と県にそれぞれ50万円ずつ義援金を贈った。


 このうち蛇田ふれあい拠点センター(集会所)では、三味線に合わせた正調安来節で幕開け。メーンの「どじょうすくいスペシャル」は、本物のどじょうとウナギを使って出演者が踊り、会場を沸かせた。


 また石巻市と東松島市の市民6人が本場のどじょうすくい踊りを体験し、ユニークな動作が注目を集めた。60歳代の女性は「辛いことばかりが続いていたけれど久々に大笑いした」と話していた。


 最後に家元の渡部さんが「私たちができるのは元気と笑顔を贈ること」と語り、震災復興を歌詞に込めたオリジナルの安来節をお披露目。伸びのある歌声に会場からは盛大な拍手が送られた。




 【写真】 市民が歴史と伝統ある踊りを楽しんだ
<>2011/10/27 4233<>4233.jpg<>海中の震災ガレキ 底引き網漁を阻む<> 石巻魚市場の水揚げの多くを占める底引き網船が、東日本大震災の津波で海中に流出したガレキに漁を阻まれている。沖で網を上げるたびに木材などが入ってくる。時には沈没船1隻が引っかかることもあり、その際は網を切断せざるを得ない。事故にもつながりかねない危険な状態のなか、毎日の漁が行われている。


 21日午後6時ごろ、照明も真っ暗な石巻魚市場に地元の底引き網船「龍神丸」(75トン)が入港した。金華山周辺沖合20キロほどでの操業を終え、帰港した船には震災ガレキと思われる木材などが積まれていた。


 「今日は少ないほうだ」と、話すのは津田興志漁労長。「水を吸った布団や畳などが入ると網が破損する。作業時間も1時間以上余計にかかる」と頭を抱える。


 さらにガレキは漁場に捨てるわけにはいかず、陸揚げをしなければならない。処理場までの運搬費は自己負担だ。


 県沖合底びき網漁業組合によると、所属船は例年、正月明けには福島県以南の沖合に出るが、今年は福島第一原発事故の影響で宮城県沖から南に行くことはできない。ガレキが沈んでいる漁場での操業を続けなければならないという。


 「自分たちで処理作業も行っているが、今でもガレキが引っかからない日はない」と津田漁労長。国や県による支援や補助も限界があるなか、漁業者の苦闘は続く。




 【写真】 ガレキを陸揚げする龍神丸の乗組員
<>2011/10/26 4232<>4232.jpg<>NTTデータ 石巻市に事務センター設立へ<> IT(情報技術)大手のNTTデータ=本社・東京都江東区=は25日、石巻市に事務センターを設立することを明らかにした。年度内に10人程度を雇うことからスタートし、事業規模を拡大しながら2―3年後は地元で100人程度の雇用を生み出す。


 市役所には榎本隆副社長らが訪れ、亀山紘市長に事業概要を説明した。石巻事務センターは石巻ビルディング=立町1丁目=の7階に開設し、業務開始は来年3月の予定。設立時は10人程度の雇用を見込んでいるという。


 同センターはグループ内で実施している債権管理などの一部業務を石巻に移管する。榎本副社長は「雇用創出が目的であり、ハローワークを活用して求職者を支援したい」と話していた。11月に募集を始め、年明けから採用する見通し。


 次の段階としてはコールセンター業務を開設し、24年度内に50―60人程度、2―3年後には100人規模を目標に事業を拡充していく。同社はこのほか事務センターの設立に合わせ、グループ社員による石巻市への継続的なボランティア活動も促進していく考えだ。


 亀山市長は「まだまだIT関連のスキルアップが必要な地域であり、雇用創出を含めて非常にありがたい」と話していた。榎本副社長は「ここからがスタートであり、人材育成にもつながるITボランティア活動も考えていく」と語った。




 【写真】 亀山市長に概要を説明する榎本副社長(中央)
<>2011/10/26 4231<>4231.jpg<>1並びの日に再スタート…石巻市が観光再開宣言<> 震災以降、石巻市は観光事業を控えてきたが、産業界も少しずつ活気を取り戻す中、市は11月1日に「石巻市観光再開$骭セ」を行う。12―13日には石巻観光再会″ユりを開き、物産展やステージイベントを繰り広げるほか、SL宮城・石巻復興号が石巻駅に乗り入れるなど観光事業の再出発にふさわしい内容にしていく。


 震災で市内の観光施設は大きな被害を受けており、市は安全面と被災者の心情に配慮して観光PR事業を当面自粛。半年を過ぎた9月ごろから市に支援してきた全国の自治体に出向き、各地のイベントで支援に対する感謝と観光PRを並行するようになった。


 観光事業の再開は新米収穫や石巻魚市場の水揚げが進み、金華御膳、金華寿司などのブランドも再開のめどがたってきたと判断。食彩感動いしのまき観光推進協議会(会長・亀山紘市長)が音頭をとり、全国に石巻の観光を宣言する。


 2011年11月1日午前11時1分は1が8つ並ぶ末広がり。「1からのスタート」と認識する市は、同時刻に観光再開宣言する。この日は寿司の日でもあるため、竹の浦・飛翔閣=同市山下町=でセレモニーを開催。市や県、石巻商議所、観光協会などから関係者らが出席する。


 市が舵を握る観光事業の第1弾が12―13日に石巻駅前にぎわい交流広場で行う「石巻観光再会祭り」。石巻焼きそばの実演販売や石巻地方の物産展、ステージでは郷土芸能などが披露される。午前10時30分―午後3時。このほか石巻駅にSL復興号が乗り入れ、石巻の玄関口から観光再開を祝う。


 また市民団体の石巻焼きそばアカデミーは、12―13日に姫路市で開かれるB―1グランプリに出場を予定しており、1日の観光再開宣言の中で出陣式も行う。市商工観光課は「市内の飲食店も徐々に営業再開しており、宣言を機にさらに弾みをつけていきたい」と話していた。




 【写真】 末広がりを意識した観光再開のポスター

<>2011/10/25 4230<>4230.jpg<>石巻に歩車分離式信号機<> 石巻市中心部にこのほど、車と歩行者の交差点進入を完全に分離する信号機「歩車分離式信号機」3基が導入された。石巻地方に同信号機が設置されたのは初めて。歩行者が巻き込み事故に遭う可能性が低くなることが期待される。反面、従来の信号機に慣れた人たちは「車用と歩行者用が青信号になるタイミングが以前と異なるため、運転者、歩行者ともに見込み発進≠する危険性もある」と戸惑いの声も。慣れるまでにはもうしばらく時間がかかりそうだ。


 歩車分離式信号機は車両と歩行者を信号で分離する仕組み。車両用信号が青の時は車両がスムーズに右左折することが出来る。一方、歩行者用信号が青の時は歩行者が安全に横断できる。


 石巻市内で設置されたのは@穀町の石巻市役所前の国道398号丁字路交差点A中央2丁目のアイトピア通りと広小路の十字路交差点B日和が丘1丁目の石巻小前十字路交差点―の3か所。分離式が活用されるのは、午前7時―午後7時。


 いずれも、従来式の信号機から変更。3か所は東日本大震災の津波被害を受けて使えなくなくなっていた。


 石巻署交通課は、歩行者が多く、左折時の巻き込み事故が懸念される交差点を選定した、と説明。さらに、「歩行者の事故防止には車と歩行者を完全に分離することが重要。歩行者の安全確保につながる」とし、「スタートしたばかりなので信号に慣れない面もあると思う。歩行者も運転者も信号機の表示をよく確認してほしい」と注意喚起している。


 ドライバーの1人は「これまでは、歩行者用の信号機が青だと、ついアクセルを踏みそうになった。巻き込み事故防止には役立ちそうだが、まだ慣れない。今後は、しっかり注意したい」と話していた。


 同署によると、来月中にはアイトピア通りの市社協前十字路交差点にも同タイプの信号機を設置される予定という。




 【写真】 石巻市役所前に設置された歩車分離式信号機。歩行者信号が青の時は車側が赤となり、歩行者と車の分離がなされる


<>2011/10/25 4229<>4229.jpg<>天国の子らの面影重ねる…大川小に「子まもり」像<> 東日本大震災で児童、教職員ら84人が犠牲となった石巻市立大川小学校に慰霊の石像が建立された。幼子を抱く母親の姿を刻んだ「子まもり」像で、山梨県富士吉田市在住の彫刻家、浜田彰三氏(67)が制作、遺族会に寄贈した。23日に現地で行われた除幕式には遺族ら多数の関係者が出席し、天国にいる児童の面影を母子像に重ねていた。


 像は母性愛がテーマ。無垢(むく)な幼子を懐に抱く母親の姿が、亡くなった子どもたちの魂を慰めている。高さ65センチ、台座を含めると180センチで、校門にしつらえた祭壇に並んで置かれている。


 浜田氏は子どもの純粋さや母親の愛をモチーフにした石像を多く手掛け、作品は国内外の公園などに建立されている。震災報道で大川小の惨事を知り、亡くなった児童、教職員らの慰霊のために、と5月から母子像の制作に取り掛かった。完成まで約半年間かけたという。


 大川地区への寄贈を古くからの友人で新党改革代表の舛添要一参院議員に相談。舛添議員から石巻市出身の安住淳財務大臣に伝わり、地元有志で除幕式実行委員会を組織した。23日の除幕式には、遺族会、地元住民、亀山紘石巻市長と浜田氏、舛添氏、安住財務大臣らも出席した。


 式で浜田氏は「亡くなった子どもたちや先生の魂が安らかになりますようにと、念じて制作した。大川小の惨事を決して忘れてはならない。遺族のつらい気持ちを少しでもこの像に託していただければと思っている」と語った。


 除幕の後、参列者全員で黙とうを行い、犠牲者の冥福を祈った。遺族会会長の武山剛さんは「天国から降りてきた子どもや先生たちが、母像の懐の中で安どして、また昇っていくような気持ちになる。まだまだ苦しみは癒えないが、この像の前では悲しみを忘れたい」と感謝していた。


 式が終わった後、遺族らは母子像に触れて、ぬくもりを感じていた。





 【写真】 地元代表らとともに浜田氏(左から3人目)も除幕
<>2011/10/24 4228<>4228.jpg<>石巻を訪れ被災地に献花…フランス・フィヨン首相<> フランスのフランソワ・フィヨン首相が22日、石巻市を訪れ、津波で大きな被害のあった場所で献花を行ったほか、市内で活動するボランティア団体と懇談した。


 フィヨン首相は日和山から津波で壊滅的被害を受けた南浜町、門脇町一帯を眺めた後、実際に現地を歩き、焼け焦げた門脇小学校などを見て回った。市民が立てた「がんばろう石巻」の看板前では花輪を献上し、犠牲になった人へ哀悼の意を示し黙とうを捧げた。


 地元衆院宮城5区選出の安住淳財務大臣や亀山紘石巻市長が同行し、被災状況を説明。石巻日日新聞社の記者が市民を代表して津波に被災した体験談を述べると、フィヨン首相は「体はもう大丈夫か」など気遣いをみせていた。


 湊町では、災害支援団体の神戸チームが拠点とするふれあいサロンを訪問し、金田真須美代表と懇談。ガレキ撤去や泥かきのボランティアに従事していたフランス人をねぎらった。


 被害の大きさと復興への強い意志を目の当たりにしたフィヨン首相は、「暮らしが以前の状況に戻りつつあるのは分かったが、被災者の心の傷口がふさがるのは時間がかかるだろう」と述べ、必要な支援をする用意があることを記者らに語った。




 【写真】 災害支援団体の代表と意見を交わすフィヨン首相(右から2人目=石巻市湊町=)
<>2011/10/24 4227<>4227.jpg<>漁業再開へ準備着々<> 東日本大震災から7か月以上が過ぎた。被害を受けた石巻地方の漁業者らも少しずつではあるが、漁や養殖の再開に向け準備を進めている。その動きに呼応するように民間団体が支援の動きを加速。石巻市牡鹿地区では日本財団がフォークリフトの購入を助成したほか、NPO法人のJENは漁業資材製作の就労支援を始めた。復興へと自らの力で立ち上がろうとする漁業者らにとっては心強いサポートとなっている。


 日本財団=本部・東京都港区=は石巻市牡鹿地区の漁協支所などを対象にフォークリフト76台の購入を支援。20日は県漁協表浜支所でお披露目式を開催した。同財団の尾形武寿理事長らが出席し、養殖業など地場産業の本格復興に願いを込めた。


 石巻地方の漁業者は、津波で養殖施設や船舶はもちろん、陸上の設備にも多大な被害を受けた。タンクやイカリなどの重い漁業資材運搬には欠かせないフォークリフトもその一つ。作業の効率化を図る上で大切な設備だ。


 今回、支援対象になったのは3団体で県漁協表浜支所に45台、同石巻市東部支所に23台、牡鹿漁業協同組合に8台が割り当てられた。合計購入費1億8065万円のうち、半額を日本財団が負担。残りを組合側が支払った。


 お披露目式では石巻市出身でもある日本財団の尾形理事長が「皆さんの仕事が軌道に乗って初めて復興となる。どうか頑張って一日も早く漁業を復活させてください」と、漁業者らに激励のメッセージ。県漁協の阿部力太郎理事長と表浜支所の木村千之運営委員長が感謝の言葉を述べた。


 その後はデモンストレーションが行われ、漁業者が漁で使う道具を運搬。出席者は大きな拍手を送っていた。フォークリフトは今後、再開する予定のワカメ養殖などで使用する見込みという。


◇            ◇


 一方、震災で最も被害面積と人的被害の大きい石巻市で支援を展開しているJEN=本部・東京都新宿区=は県漁協石巻市東部支所管内で、漁業者に漁で使う網を製作してもらう事業を始めた。これは被災地での自立に向けたCFW(キャッシュ・フォー・ワーク)の一環。各地区の漁業者に網の材料を提供し、出来上がった製品をJENが購入する。それを製作にあたった漁業者に寄贈する仕組みだ。


 被災者を復旧・復興事業に雇用して賃金を支払うことで、被災地の経済復興と被災者の自立支援につなげる狙い。漁業者の間でも失われつつあった網製作の技術伝承、皆で集まって浜仕事を行うことで地域コミュニティーの再生なども合わせて図っていく。


 今回、対象となったのは福貴浦と鹿立屋敷、牧浜、竹浜、狐崎浜。これらの5地区では毎年5月ごろから夏にかけ、シャコエビ漁を実施している。シーズン初めは1キロ当たり3千円になる貴重な現金収入だが、漁業者それぞれが持っていた網のほとんどが津波で流出。そこでCFW事業で来年用の網を作ることになったという。


 21日は鹿立地区に各浜の代表者が集まり、作業手順を確認。同支所の石森裕治運営委員長らが指導役を担い、1ミリほどのテグス糸で幅1メートル、長さ75メートルの網を縫う方法を若手漁業者らに伝授した。今後、JENでは各浜にテントを設置し、作業所として活用してもらう。




 【写真】フォークリフトに乗りデモンストレーションを行う漁業者(20日、県漁協表浜支所前)
<>2011/10/22 4226<>4226.jpg<>「エクレール・お菓子放浪記」の吉井さんに主演男優賞<> 石巻市をはじめとした県内で撮影された公開中の映画「エクレール・お菓子放浪記」(近藤明男監督)が、中国最大である映画祭「第20回金鶏百花映画祭」(19―22日、安徽省・合肥)の国際部門に出品され、主人公のアキオ少年を演じた吉井一肇さん(12)が主演男優賞を受賞した。震災前の石巻の風景がよみがえる作品であり、関係者は受賞が被災地の明るい話題となることを願っていた。


 国際部門の金鶏国際映画賞には、20か国から23作品が出品された。吉井さんの主演男優賞は、日本人として17回(2008年)の「おくりびと」以来2人目となる。授賞式は21日にあり、吉井さんに代わって近藤監督が受賞してきた。


 映画は西村滋さんの自伝的小説が原作。孤児のアキオが、菓子への憧れや人の心のやさしさを支えに戦時を生き抜く姿を描いた。石巻市の日和山などで昨年10月に撮影され、震災の津波で失われる前の中瀬の岡田劇場や北上川のヨシ原がスクリーンに登場する。


 同映画はワーナー・マイカル・シネマズ新石巻で上映中。被災者向けの無料上映会や各小中学校対象の上映会も企画されている。製作委員会代表の鳥居明夫さんは「主演男優賞の吉報が、石巻市民の心の復興の足がかりになれば」と期待した。


 この作品が初主演の吉井さんは「県や石巻の地元のサポートがあってできた映画です。感謝の気持ちしかありません」と語り、受賞をばねにして10月末から東京や大阪で行われる舞台のけい古に励んでいる。




 【写真】 昨年10月、石巻市桃生町の植立山公園での撮影に臨む吉井一肇さん(中央)
<>2011/10/22 4225<>4225.jpg<>12月上旬に診療開始…夜間急患センター<> 石巻市夜間・急患センターの建設が旧市役所第3分庁舎跡地=日和が丘1丁目=で進んでいる。診療開始はB月上旬を予定。プレハブ造りの仮設センターだが、大型医療機器を安定させるため、内装はコンクリートを土台に本建設並みの重厚な造りになるという。仮設センターが診療開始するまで隣接する市立病院仮診療所で診察を行っており、継続的な夜間医療で安心を提供している。


 建設中の急患センターは建物面積約700平方メートル。プレハブ造り2階建てで9月に着工し、現在は外観がほぼ整ってきた。11月14日からCT(コンピュータ断層撮影法)など大型医療機器の搬入が予定され、同21日には市に引き渡しされる。


 診療科目は内科、外科、小児科。スタッフは医師、看護師、放射線技師、事務職員合わせて25人前後が見込まれており、このうち医師は石巻市医師会や桃生郡医師会、東北大学病院などから協力を受けていく。


 診療時間は内科、外科は月―土曜日が午後6時―翌午前7時、日曜祝日は午後6時―翌午前6時。小児科は月―木曜日が午後7時―同10時、金曜日は翌午前7時まで。土曜日は午後6時―翌午前7時、日曜祝日は翌午前6時まで。


 市立病院=同市南浜町=に隣接する急患センターは津波被害で機能停止に陥り、震災後は石巻赤十字病院に負担がかかっている状況が続いた。市は9月から市立病院仮診療所で夜間の診療を再開しており、週末を中心に小児科の来院数が増えるなど徐々に周知が図られている。




 【写真】 外観がほぼ整ってきた夜間急患センター

<>2011/10/21 4224<>4224.jpg<>仮設住宅でカーシェア…石巻市流留「住民の交流にも一役」<> 石巻市流留の仮設住宅万石浦団地で20日、入居者が自動車を共同利用するカーシェアリングの本格運用が始まった。日本カーシェアリング協会(吉澤武彦代表)=神戸市=は市内7か所の仮設住宅団地に計8台の自動車を貸し出しており、移動手段の確保だけでなく、住民らが主体的に運用することでコミュニケーションが図られると期待している。


 万石浦団地で本格運用された車両は、中古車買取販売のガリバーインターナショナル=東京都=から同協会に提供された5台のうち1台で、平成12年式の5人乗りセダン。運用開始に先立って贈呈式があり、仮設住宅団地の自治会副会長で代表管理者の増田敬さんに車検証が手渡された。


 協会名義で団地近くに車庫証明を取得。代表管理者がキーの保管や利用予約を受け付け、1日単位で貸し出す。利用料を無料にする代わりに募金してもらい、ガソリン代や運営費に充てる。


 カーシェアリングにより、自動車の購入が困難な入居者の生活の足が確保される。ただ、実際はほとんどの世帯が車を保有し、複数台ある世帯も。仮設住宅では1世帯1台の駐車場しかないため、個人所有車を増やさず、駐車場所を巡るトラブルを防ぐ狙いもある。


 増田さんは「使い勝手のいい車があれば、みんなのためになる」と感謝。約100世帯の同団地のほか、近隣の団地からも利用者を募る考えだ。


 協会の吉澤代表は「石巻をモデルに、他の仮設住宅や自宅生活者にも広げたい」と意欲。7月下旬から各地で試験運用を行ってきたが、本格化に向けた住民の話し合いが、自治会の立ち上げにもつながっているという。


 協会は7月に発足。さまざまな団体・企業が支援しており、ガリバーも被災地支援として車両やノウハウを提供した。同社マーケティングチームリーダーの北島昇さんは「車は楽しみの一つ。コミュニティーづくりの一助になれば」と話した。




 【写真】 仮設住宅の入居者が共同利用する自動車が提供された
<>2011/10/21 4223<>4223.jpg<>「被災者の心のサポート拠点」…からころステーション開所<> 被災者の心のサポートに中長期的に取り組むための活動拠点「からころステーション」が19日、JR石巻駅近くの石巻市鋳銭場に開所した。精神科医らでつくる一般社団法人震災こころのケア・ネットワークみやぎ(原敬造代表)が同市の委託を受け、精神保健分野の包括的な地域支援を行っていく。


 避難生活の長期化に伴って、被災者のPTSD(心的外傷後ストレス障害)や仮設住宅での孤独死などが懸念される。これらを予防するため、同法人はステーションを拠点とした仮設住宅への訪問支援や被災者の心の相談会を実施。さらに保健師など支援者を支援するための研修会を行い、市内の精神保健の底上げと医療への結び付けを図る。


 震災後の精神保健分野の訪問支援活動は、日本精神神経科診療所協会からの応援を含め、医師や看護師、心理士、ケースワーカーらがボランティアで展開。継続して取り組む必要性から、原代表らが6月26日に法人を立ち上げた。


 ステーションによる心のサポート拠点事業は市の助成事業で、市が支え合い拠点センターなどで取り組む被災者の見守り活動の一環。からころ≠ヘ体と心の相談所に由来する。


 開所式には市や県をはじめ、医療福祉の関係者が出席。原代表は「皆さんと手を携え、被災地の医療福祉を考えていきたい」とあいさつした。記念講演もあり、法人理事で石巻市中里の宮城クリニック院長の宮城秀晃さんが震災体験を回顧。住民が十分な医療が受けられる環境になるまで、継続して訪問支援などに当たる考えを述べた。
 
 



 【写真】 開所式であいさつを述べる原代表
<>2011/10/20 4222<>4222.jpg<>石日杯秋季新人少年野球大会 組み合わせ決まる<> 第13回石日杯争奪秋季新人少年野球大会(石巻日日新聞社主催、石巻野球協会共催)の組み合わせ抽選会が19日、いしのまき農協大会議室で開かれた。出場23チームの相手が決まり、11月19日からのべ3日間、栄光の石日杯を懸け球児たちが熱戦を繰り広げる。


 大会は5年生以下のチームによる新人戦。今年は震災の影響で、例年より3か月遅れの開催となった。「力を合わせ復興へ向けがんばろう」をテーマに、昨年より3チーム少ない23チームがエントリーした。


 抽選会には、各チームの監督や選手、石巻野球協会審判団など約60人が出席。主催者を代表して石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役報道部長が「これまでリードしてきた6年生が抜け、新チームでの戦いとなる。力試しの意味でも、思いきりプレーしてほしい」と激励した。その後、選手らが順番にくじを引き、トーナメント表を埋めていった。昨年度優勝した渡波ジュニアや今年度の石日旗で優勝した稲井マックスは2回戦から登場する。


 1、2回戦は11月19日、準々決勝は同20日、決勝は同23日にいずれも鷹来の森運動公園で実施される。




【写真】 試合への闘志を燃やす選手たち

<>2011/10/20 4221<>4221.jpg<>菊池寛賞 石巻日日新聞社が受賞<> 第59回菊池寛賞(日本文学振興会主催)の受賞者が19日、発表された。新聞分野で石巻日日新聞社が受賞した。河北新報社と同時受賞で、このほか「なでしこJAPAN」の澤穂希選手らが選ばれた。


 石巻日日新聞社の受賞理由として、「東日本大震災で被災し、数々の困難に直面しながら、地元新聞社としての役割と責務を報道において果たしたそのジャーナリズム精神」が挙げられている。授賞式は12月上旬、東京都内で行われる。


 新聞分野を除く受賞者は次の通り。
      (敬称略)
 ▽津村節子=夫・吉村昭の闘病から壮絶な死までを描いた『紅梅』は、作家という存在の厳しさを改めて世に示し、多くの人々に深い共感と感銘を与えた。
 ▽新藤兼人=独立プロを率いて多くの傑作映画を世に送り出し、99歳の日本最高齢現役監督として、今年は『一枚のハガキ』(監督・脚本・原作)を完成させた。
 ▽前新透「竹富方言辞典」(南山舎)=前新透氏が27年の歳月をかけて採集した方言を収録し、日本最南端の出版社から刊行されたこの辞典は、琉球語と日本語の古層、民俗を研究するための貴重な文化遺産である。
 ▽澤穂希=日本女子サッカーの歴史を切り拓き、「なでしこJAPAN」の中心選手として活躍、チームをまとめあげたリーダーシップに対して。
 ▽水戸岡鋭治=今春に開通した九州新幹線など、永年にわたり手がけてきた斬新な鉄道デザインの数々は、上品さ・遊び心・和の風合いと最新技術を大胆に融合させ、列車旅の世界を革新した。


    ◇

 【菊池寛賞】 菊池寛(1888―1948)は、小説家・劇作家。芥川龍之介らと「新思潮」に参加。戯曲「父帰る」、小説「忠直卿行状記」「恩讐の彼方に」などが代表作。大正12年に「文藝春秋」を創刊、日本文藝家協会の設立など、文学者の社会的地位の向上に貢献した。昭和10年には芥川賞・直木賞を創設し後進の育成に道をひらく。


 菊池寛賞は、菊池寛が生前関係の深かった文学、演劇、映画、新聞、放送、雑誌・出版、広く文化活動一般の分野で、最も清新かつ創造的な業績を上げた人物、団体を対象としている。




 【写真】 号外として震災翌日から6日間発行した石巻日日新聞の手書き壁新聞(3月12日付)
<>2011/10/20 4220<>4220.jpg<>応募1万3千超 家電製品に人気…復興支援物資の抽選<> 東松島市は17日、希望した市民に提供する復興支援物資の抽選を行った。家電製品など高額の物資もあり、応募総数は1万3238通(1世帯4通まで)と大きな反響があった。


 提供物資は復興支援として各メーカー、自治体などから市に寄せられたもので、液晶テレビやリサイクルノートパソコン、デジタルカメラといった家電製品から学習机、衣類、食料品に至るまで15種類。個数が限られるため、できるだけ必要な人にわたるように往復はがきによる懸賞形式で配布することにした。


 最も応募があったのは、地デジ対応の18―19型液晶テレビ(20台)で、2238通。パソコンやデジカメといった家電製品はやはり人気が高く、1300通を超えるはがきが寄せられた。衣装ケースも1313通の応募があった。応募総数は市の世帯数に匹敵。1世帯4通出したとすれば、3分の1の世帯が応募したことになる。


 抽選は商品ごと、阿部秀保市長らが箱に入ったハガキを無作為に取り出し、当選者を決定した。返信はがきで当落を通知し、電話での当落に関する問い合わせには応じない。当選者には今月下旬から順次商品の引き渡し場所に来てもらう。




 【写真】 目をつぶって応募はがきを引く阿部市長
<>2011/10/19 4219<>4219.jpg<>青年海外協力隊OB 渡波小避難所で閉所式<> 青年海外協力隊OB石巻市震災支援プロジェクトチームは15日、石巻市立渡波小学校で避難所閉所式を行った。


 同チームは、3月20日から同校で炊き出しなどのボランティアを実施。多いときには、1800人分の食事をつくったほか、近隣の小中学校の避難所にも食事を届けた。今回は避難生活の労をねぎらい、最後の炊き出しとともに閉所式を行った。


 式には、同校に避難し、現在は仮設住宅で生活する住民と関係者ら34人が出席。同チームの菅野芳春代表は「震災から7か月が経過し、先日最後の避難者10人が仮設住宅などに入居できた。これからが本当のスタート。住民同士が支え合って生活してほしい」とあいさつ。避難者を代表して丹野徹さん(63)が、「閉所まで炊き出しや泥だしなど多くのボランティアに支えられた。心から感謝している」と語った。


 閉所式終了後、参加者らはボランティアメンバーと住民が協力して作ったちらし寿司を食べながら、久しぶりの再会を喜び合っていた。




 【写真】 震災から閉所までを語るメンバー(左)

<>2011/10/19 4218<>4218.jpg<>日本語教室 7か月ぶりに開講<> 震災の影響で休講となっていた国際交流サークル21(三川小夜子代表)の「平成23年度楽しい日本語教室」が17日、ロマン海遊21で再開した。


 同教室は、石巻地方在住の海外出身者が日常生活に必要な日本語や日本文化、生活習慣を学ぶため、平成11年から開講。これまで会場だった石巻中央公民館が震災で避難所となり休講していたが、受講者から再開を求める声が多数寄せられたことから、会場をロマン海遊21に移して7か月ぶりに開講した。


 同日は、新規会員を含めた7か国19人の在石外国人をはじめ、ボランティア講師などが出席。初回は、自己紹介を兼ねて震災時の様子や自宅の被災状況、現在の生活などを一人ひとり発表した。


 このうち、石巻市渡波在住のピク・ウィリアムさん(ペルー)は、「津波で住んでいた女川町のアパートが流された。避難所には1週間ほどいたが、日本語での説明が難しく大変だった。現在は家族と一緒に渡波で生活しています」と近況を報告。東松島市矢本在住の杉山美恵さん(台湾)は、「震災で大変な思いをしたが、こうして皆と会えてほっとしています」と再会できた喜びを語っていた。教室は毎週月曜に同会場で開講。授業は平成24年3月19日まで行われる。




【写真】 参加者らは震災当時の苦悩などを振り返った

<>2011/10/19 4217<>4217.jpg<>年賀はがき到着…震災の影響で扱い減少<> 平成24年用お年玉付年賀はがきの受け入れ作業が、郵便事業会社石巻支店=石巻市南中里3丁目=で18日から始まった。今年は東日本大震災の影響で、利用者減を考慮し、初日到着枚数は昨年の約半分となった。発売は11月1日から。


 18日朝、石巻支店には366箱(1箱4千枚入り)が運び込まれた。昨年よりも430箱少ない搬入数。職員たちはトラックから段ボールを積み下ろし、石巻や矢本、河北などの各郵便局に振り分けていった。


 同支店によると、震災によって地域が被害を受け、さらに被災郵便局の一部が営業再開していないなどの理由から扱い数が少なくなった。また、今年は喪中欠礼はがきに適している通常はがき「胡蝶蘭(こちょうらん)」の扱い量を増やすことにしているという。


 年賀はがきは「ディズニーキャラクター年賀」や「インクジェット写真用」など計11種類。来月1日から全国の郵便局などで販売される。お年玉抽選日は来年1月22日。




 【写真】 年賀はがきの搬入作業に追われた(18日午前9時20分ごろ、郵便事業会社石巻支店で)
<>2011/10/18 4216<>4216.jpg<>復興への第一歩踏む…高砂長寿味噌本舗が県鑑評会で1位獲得<> 宮城県味噌醤油工業協同組合が主催する「本場仙台味噌・醤油鑑評会」が先日、仙台市で行われ、石巻市の轄mサ長寿味噌本舗(高砂光延社長)がしょうゆの部で1位を獲得した。同社は東日本大震災で三和町の本社工場が被災。一時は閉鎖も検討したが、地域住民や常連客の後押しもあって伝統の味を復活させた。


 鑑評会は、仙台みそやしょうゆの品質向上を目指し、昭和27年から行われている審査会。毎年10月に行われ、審査員が商品の色や香り、味などを評価し、優秀品に賞を贈っている。


 今年はしょうゆ、みその各部に15社が出品した。このうち高砂長寿味噌本舗のしょうゆが見事1位に輝いた。さらに来年5月の全国大会に出品することも決定した。また、みその部でも4位に入賞し、こちらは来月の全国大会に出す予定だ。


 同社は明治35年に創業した老舗(しにせ)。製造してきたみそとしょうゆは、住民はもちろん、多くの飲食店や農水産加工業者からも利用される地域にとって欠かせない味になっていた。


 その本社工場が3月11日の大津波で約70センチの高さまで冠水。周辺の家屋に比べれば被害は少なかったが、しょうゆ製造に使う釜や充てん機、配管、ボイラーなどほぼすべての機器が使えなくなってしまった。合わせて3千万円以上の被害額だった。


 その後、高砂社長は自宅が流された社員らとともに、工場の2階で寝起き。ライフラインも復旧しないまま不安を感じての生活が続いたが、しばらく経つと取引先から支援物資が届くようになった。そのなかにはたくさんの応援のメッセージが入っていた。さらに店舗前を通る常連客からは「また始めてください」と声を掛けられた。


 高砂社長は「もうだめだと思ったが、自分たちの味噌やしょうゆを待っている人がいると分かり、勇気が沸いた」と振り返る。


 再開を決意し、被害が少なかった東松島市の味噌工場を5月に稼働。本社工場も整備を始め、6月下旬にはしょうゆの製造を始めた。


 今は震災前の状況に戻していくことが同社の目標。高砂社長も「石巻の皆さんの復興にわたしたちのみそ、しょうゆが一助になれるよう努める。それがたくさんの支援への恩返しになると思います」と話していた。




 【写真】 1位を獲得したしょうゆを手に笑顔を見せる高砂社長
<>2011/10/18 4215<>4215.jpg<>「震災の記憶 映像に」…ドキュメンタリー映画予告篇を上映<> 震災で甚大な被害を受けた石巻市を舞台としたドキュメンタリー映画「宮城からの報告〜こども・学校・地域」の予告篇上映会が15日、かめ七呉服店=石巻市中央=で行われた。


 「復興までの姿を映像に」という住民からの声を受け、ドキュメンタリー映画で全国で高い評価を得ている青池憲司監督率いる製作チームが、5月下旬から石巻市立門脇小学校の児童たちの撮影を開始した。同チームを市民有志らが発足した実行委員会がサポートしている。


 上映会には地元住民約70人が参加。50時間分の撮影データを30分にまとめた短編が上映された。映画では、門脇小の児童らが将来の津波対策について意見を発表する姿や住民が震災時の行動を振り返る映像が収められ、参加者らは真剣な表情で見入っていた。


 石巻市広渕から夫婦で訪れた工藤泰子さん(60)は「焼けた校舎の姿などすさまじい光景に涙が出た。以前小学校で教師をしていたので本当に胸が痛みます。それでも子どもたちが元気に学校生活を送る姿に勇気をもらいました」と目頭を押さえながら語っていた。


 撮影は来年3月まで行われ、来夏の完成を予定している。




 【写真】 映画について思いを語る青池監督

<>2011/10/18 4214<>4214.jpg<>「復旧復興へ前進」…新北上大橋が供用開始<> 震災の津波で落橋した国道398号新北上大橋と一般県道石巻工業港矢本線の定川大橋は17日、仮橋による一般車両の通行が可能になった。ともに震災被害の大きさを象徴する橋で、住民生活や物流の面で重要な交通の要所。仮橋の供用開始により、被災地の復旧復興が確実に一歩進んだ。


 仮橋は頑丈な鉄の板を路面にしており、ともに幅員8メートル、上下各1車線を確保。県が5月から応急復旧工事を進めてきた。石巻市の北上町橋浦と河北町釜谷にかかる新北上大橋(全長565メートル)は17日午前11時、定川河口の石巻市門脇、東松島市大曲を結ぶ定川大橋(全長126メートル)は同午後3時に仮橋のバリケードが取り去られ、自動車が行き来を始めた。


 新北上大橋は、北上川左岸側(北上町側)の橋台から155メートルの間で橋げたが流失した。仮橋は162メートルの長さで下流側に建設され、残存403メートルの現橋に接続する。


 架橋により上流約12キロ先の飯野川橋をう回する必要がなくなり、対岸への移動時間が約40分短縮。災害復旧車両による周辺道路の混雑解消も見込まれる。歩道は今月31日の供用を予定する。


 石巻市雄勝町の畳販売業の男性(78)は商談で北上町に向かうために橋を利用。「これまでは大回りをしなければならなかったため、本当に助かる」と喜んでいた。


 一方、定川大橋は緊急輸送路に位置付けられた県道。大津波で流された大型貨物船の衝突で橋げたの中央部が落橋するなどし、既設橋の下流側に全長154メートルの仮橋が建設された。内陸側の国道45号の渋滞緩和と共に、石巻港の復旧と物流の促進が期待される。


 本格復旧は3―5年後になるという。




 【写真】 仮設の橋でつながれた新北上大橋。自動車が往来した(17日午前11時5分ごろ)
<>2011/10/17 4213<>4213.jpg<>元気な石巻圏域アピール…おらほの復興市<> 「おらほの復興市〜石巻・女川・東松島〜」が16日、石巻市総合運動公園で開かれた。被災した地元商店経営主らが自慢の品をそろえたほか、多彩なステージイベントを通じて来場者に元気な石巻圏域をアピールした。来場者は2万人(主催者発表)だった。


 石巻地方の商工会や水産界、観光関係団体などで組織する実行委員会(窪木好文委員長)の主催。飲食、物販を合わせ86のブースが並び、その場で味わえる石巻焼きそばや海の幸の浜焼きをはじめ、海産物、野菜、地酒、オリジナルの復興Tシャツなどを販売した。


 このうち、雄勝町船越の漁業女性らは、雄勝石の手作りアクセサリーなどを並べ、客の関心を集めた。中里良子さん(54)は「浜の125軒中、住めるのは2軒だけ。売り上げは復興作業の燃料費にあてたい」と話していた。


 一方、ステージでは雄勝町伊達の黒船太鼓保存会や渡波獅子風流塾、石巻フラガールズ、地元小中学生グループの巻っ娘V(ファイブ)が出演し、多彩な演目を展開。特別ゲストのナオト・インティライミさんがプロの歌声を披露した。


 さらに会場では電動カートや警察・消防車両の展示、輪投げ、凧づくりなどが楽しめる子ども広場も。石巻専修大学と石巻駅前からシャトルバスが出され、圏域外の客も会場に運んだ。多数のボランティアが復興市の運営に協力した。


 近くの仮設住宅団地から訪れた女性(60)は「復興に向けた催しなので、なるべく購入したい。ただ、仮設なので物の置き場所がなくて…」と、女川高校の生徒が考案しただんごなどを購入していた。




 【写真】 会話のやりとりで活気にあふれた物販ブース
<>2011/10/17 4212<>4212.jpg<>東松島市内3か所にプレハブ店舗 17日オープン<> 被災した商店主の再建と仮設住宅の利便性向上のため、東松島市が中小企業基盤整備機構(中小機構)の仮設施設整備事業により3か所に整備してきた復興仮設店舗が完成し、17日にオープンする。1か所あたり2―4店舗、計9店舗の出店。


 仮設店舗は200戸以上の仮設住宅が並ぶ矢本運動公園=大曲=、ひびき工業団地=川下=、グリーンタウンやもと=大塩=の3か所。それぞれ所在地の字名にちなんで「堺堀」「ひびき」「緑ヶ丘」と名付けた。


 いずれもプレハブ平屋建ての長屋で、堺堀(床面積236平方メートル)が4店舗、ひびき(同197平方メートル)は3店舗、グリーンタウン(144平方メートル)は2店舗が入居。3か所に共通して理容店、食料品店が出店し、堺堀とひびきは飲食店もある。1店舗当たりの面積は40―100平方メートル。営業時間は店舗によって異なり、飲食店は最も遅い午後9時の閉店となっている。


 市で確保した土地に中小機構が整備し、事業費は約8900万円。買い物に不便な仮設住宅入居者と津波で店を失った事業主を支援するのが目的で、市が市商工会を通じて出店者を募集した。水光熱費は自己負担だが、賃借料は無料。市は陳列棚など設備費用で最大50万円を補助している。入店期間は仮設住宅と同じ原則2年間。


 セレモニーは堺堀で午前9時30分から。市、市商工会、中小機構関係者があいさつし、テープカットする。福島工業(株)から冷凍冷蔵庫5台が寄付される。


 石巻地方では中小機構の仮設施設整備事業により漁業倉庫などが建設され、店舗としては最初の完成。石巻商工会議所も同事業により、中心市街地に12月のオープンを目指した21区画の仮設店舗を整備している。


 復興仮設店舗の出店者は次の通り。かっこ内は被災前の場所。
 【堺堀】▽相栄商店(大曲浜)▽理容おくだ(同)▽三浦鮮魚店(下浦)▽えんまん亭(野蒜)
 【ひびき】▽東名やきとりかっちゃん(東名)▽マイショップちば(牛網)▽理容田村(野蒜)
 【緑ヶ丘】▽ヘアーサロンヨコタ(野蒜)▽渇恟シ島公社(同)




 【写真】復興仮設店舗が完成。17日に向け開店の準備が進む(矢本運動公園内)
<>2011/10/15 4211<>4211.jpg<>笑顔と歓声あふれる場に…プレナミヤギ 17日リニューアル<> 東日本大震災で設備に被害を受け営業を停止していたアミューズメントセンター「プレナミヤギ」(高橋芳昭社長)=石巻市不動町=が17日、リニューアルオープンする。当日は午後3時からのセレモニー後にボウリングレーンを無料開放。地域住民が家族連れで集える施設として再出発する。


 3月11日の津波で同施設は約2メートルの高さまで浸水。高橋社長によるとボウリング、ビリヤード、スケートなどすべての施設が水に浸かり使用不能となった。


 ただ、従業員たちは幸いにも全員無事だった。さらに建物にも大きな被害はなく、高橋社長は再開を決意。従業員総出でボウリングレーンにたまった泥をかきだす作業に精を出した。


 当初は子どもたちの夏休み前の7月中にオープンする予定だったが、工事業者のスケジュールの都合がつかず、今月まで延びていた。


 新しい店舗のコンセプトは「希望・未来」。内装も一新し、壁や床は虹色を基調とした。震災の影響で石巻地方の公園やスポーツ施設などが使えなくなっていることから、以前はゲームコーナーだった場所には子ども向けの遊具を設置する予定という。


 なお、17日のボウリングの無料開放は1組2ゲームまで。ビリヤード、卓球も営業する。スケートに関しては設備が使用できることが分かればオープンさせる見込みだ。


 高橋社長は「笑ったり、ゲームで仲間と一緒に楽しんだり、そんな時間も必要だと思う。石巻地方の住民の皆さんが気軽に集まれる施設にしていきたい」と話していた。


 通常営業は18日からで、時間は平日、日曜日が午前10時から午前0時、土曜、祝前日が午前10時から午前2時。年中無休。




 【写真】 再開することが決まったプレナミヤギ

<>2011/10/15 4210<>4210.jpg<>「震災経験し決意新た」…石巻赤十字病院 救護班員任命<> 石巻赤十字病院(飯沼一宇院長)で12日、自然災害や大規模事故の被災現地で医療活動に従事する救護班員の任命式が行われ、任命された93人の職員が東日本大震災を経て使命感を新たにした。震災では全国3633チームが石巻地方で活躍しており、県災害医療コーディネーターとして圏域の合同医療救護チームを統括した石井正医師(医療社会事業部長)による活動報告もあった。


 任命されたのは、同病院に勤務する医師や看護師、薬剤師などで構成された救護班1―4班と、災害発生48時間以内の救急医療に対応した初動救護班(DMAT=災害派遣医療チーム)。県の初期被ばく医療機関として女川原子力発電所の事故に備えた緊急被ばく医療チーム2班も編成した。有事の際に交替で現地に派遣され、平時は自治体訓練などに参加して備える。


 任命式で飯沼院長は「震災で全職員が、住民を守るため昼夜を問わず活躍してくれた。合同救護チームは10月5日に終了したが、もしもがあれば駆けつけることが全国の応援に対する恩返しになる」と述べ、各班代表に任命証を渡した。


 式後、石井医師が救護活動を報告。発災直後に運ばれた患者の多くが低体温症で、救急隊の被災や通信システムの断絶など想定外が続いたという。当時は全国の救護チームが個別に活動して非効率的だったため、石井医師は県の全権委任を取り付け、3月20日に合同救護チームを発足。被災自治体に代わり、避難所の食料や衛生環境など実態把握も行った。


 「日赤の救護チームでなく、オールジャパンのチームを目指した」と石井医師。3633チームのうち、3分の2は赤十字以外からの派遣という。「後方支援もあり、組織に恵まれた。マニュアルは初動の確立には有効だったが、その後は応用の連続。すべてを想定すると想定外に対応できない」と現場の知恵や決断力が求められた震災を振り返った。




 【写真】 飯沼院長から任命証が渡された
<>2011/10/14 4209<>4209.jpg<>海外から温かい支援…被災校に10万ユーロ<> ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴォルフスブルク市は13日、東日本大震災で被災した石巻市立渡波小学校(橋義樹校長)と同中学校(阿部博志校長)に義援金合わせて10万ユーロ(約1千万円)を贈った。


 同市は、ドイツの首都ベルリンから100キロに位置し、人口12万人の都市。震災のニュースを受け、今年4月に同市で開かれた議会で被災地支援を決定。学校法人専修大学で理事を務める西島篤師愛知県豊橋市日独協会副会長の協力で、津波で校舎が被災した渡波小・中学校へ寄付した。


 渡波小仮設校舎=稲井中敷地内=で行われた贈呈式には、ヴォルフスブルク市のロルフ・シュネレッケ市長をはじめ、石巻市の北村悦朗副市長や境直彦教育長ら約15人が出席。シュネレッケ市長が「被災した校舎や街を見て本当に心が痛んだ。子どもたちが一日も早く元気になれるよう、教育復興に役立てていただきたい」と話し、橋校長と阿部校長に大きく引き伸ばした小切手を手渡した。義援金は、電子黒板などの備品に充てられるという。


 渡波小・中学校は、津波2メートル近い津波で校舎が被災。他校を間借りしていたが、今年8月に稲井小・中学校校庭に建設されたプレハブ校舎で授業を再開した。




【写真】 拡大した小切手を渡すシュネレッケ市長(左)

<>2011/10/14 4208<>4208.jpg<>「エコタウンの実現へ」…石巻 産学官プロジェクト発足<> 石巻市は12日、新エネルギーやエコタウンの実現で震災復興を進めていく産学官の協働組織「石巻復興協働プロジェクト協議会」を立ち上げた。国内の復興支援企業や地元経済界、学術研究機関などで構成され、先進的なエネルギー管理や情報通信技術(ICT)を活用した産業の実現などを目指す。3次補正予算の申請をにらんだ議論を進め、来年1月末までには全体計画書を策定。石巻市を世界の復興モデル都市として発展させていく。


 発足式は市役所で行われ、会長に就いた亀山紘市長は「単に復旧復興ではなく、石巻から世界の復興モデル都市を目指す」とあいさつ。副会長で日本IBMの志済聡子執行役員は「社会インフラと安定した生活を取り戻す一方、新しいまちづくりも同時に進める。各社の技術とノウハウを共有し、最先端のエコタウンを築きたい」と協力を呼び掛けた。


 協議会の主要テーマは@スマートコミュニティ(エコタウン)A循環型エネルギーBICTを活用した水産業と農業の構築―。テーマに沿ったワーキンググループ(WG)も設け、復興事業に対する資金や技術、採算などを検討しながら実現性の高い事業を優先的に進めていく。


 受益者は市民や生産者であり、協議会は災害に強い都市づくりや新エネルギーを使った産業と雇用創出、付加価値と効率化を高めた一次産業に目を向けた事業を計画。市民への効果やサービスメニュー、実現時期、採算性などを精査し、事業推進を図る。


 復旧、復興にはスピード感が要求されるように協議会もスケジュールを明確化し、集中的な議論を行う。今月からWGで事業アイデアを共有するほか、11月末には事業申請書(全体構想)を完成させる。来年1月末には全体事業計画書と個別事業計画書を策定し、順次、事業を進めていくなど機動力を持って取り組む。


 参加企業は次の通り。(順不同)▽日本アイ・ビー・エム、石巻ガス、日本製紙、JFEエンジニアリング、双日、三菱総合研究所、日本GE、日本政策投資銀行、おひさま、国際航業、東芝、東北電力、大和ハウス工業、石巻IT・測量業協同組合、ユニゾン・キャピタル、三井物産、東京ガス、石巻専修大学、東北大学、いしのまき農業協同組合、石巻市漁業協同組合、石巻商工会議所




 【写真】 発足式で事業の方向性などを確認した
<>2011/10/13 4207<>4207.jpg<>石巻地域の物産一堂に…「おらほの復興市」16日開催 <> 「おらほの復興市〜石巻・女川・東松島」が16日午前9時から、石巻市南境の石巻市総合運動公園で開かれる。石巻地方の地元商店経営者が自慢の品をもって出店する。飲食、物販の各ブースのほか、郷土芸能やゲスト歌手が出演するステージなど多彩なイベントも展開。石巻地方の復興への取り組みを内外に示すとともに、市民やボランティアの再会、出会いの場とする。


 主催は石巻地方の商工会や水産界、観光協会などで構成する実行委(窪木好文委員長)。石巻市、女川町、東松島市が後援する。


 当日は石巻地方のほか、涌谷、登米などから飲食21団体、物販38団体が出店する予定。石巻焼きそばや新鮮な海の幸を味わえる浜焼き、野菜や果物、地酒、復興Tシャツなども販売する予定となっている。


 ステージでは午前10時から、開会セレモニーを開催。雄勝町伊達の黒船太鼓保存会や渡波獅子風流塾、石巻フラガールズ、巻っ娘V(ファイブ)などが出演する。このほか、ゲスト歌手も登場する予定という。


 また、会場には子ども広場を設置。電動カートや輪投げ、パトカーや消防車、救急車などの展示スペースなども設ける予定だ。


 なお、臨時駐車場となる石巻専修大学からは随時、無料シャトルバス、石巻駅からは午前8時30分、10時、11時30分、午後1時発で無料シャトルバスを運行する。




 【写真】 復興市のイベントポスター

<>2011/10/13 4206<>4206.jpg<>「鮎川に復興商店街」…牡鹿地区で初 11月11日オープン<> 東日本大震災の津波で市街地のほとんどが壊滅した石巻市鮎川浜地区の商店が集まり、複合型仮設店舗「鮎川浜のれん街(仮称)」として営業を始めることが決まった。11月のオープンを目指して店舗の建設工事が進んでおり、震災後の牡鹿・鮎川地区では初の商業施設となる。買い物できる環境が整うことで住民の利便性向上、観光の目玉としての役割が期待されている。


 鮎川地区では震災でほとんどの店舗が被害を受け、食料品など生活用品を購入することが難しい状況となっていた。住民からの店舗再開を望む声に応えて、個人事業主らが準備を進めてきた。6月29日から復興市と名付けたテント商店街を始め、毎週水曜日に生鮮食品などを販売してきた。


 この商店街を運営する石巻市牡鹿稲井商工会や牡鹿復興支援協議会などは、仮設店舗建設を目指し補助事業を探していたところ、復興支援に携わっているNPO法人のJEN(本部・東京都)が支援を申し出て木造平屋建ての店舗(約424平方メートル)の建設が決まった。建物はJENから寄贈された同商工会が事業主らに無償貸与する。土地も牡鹿公民館向かいの市有地を借りるという。


 新たな店舗には元々、鮎川地区で営業していた飲食店や薬局、生鮮食品店などが入る予定。検討中も含めると16店舗が営業する見込み。11月11日のオープンを目指して、工事が進められている。


 なお、開店1か月前の今月6日にのれん街のPRと工事の安全祈願を兼ね、牡鹿公民館駐車場で「商売繁盛祈願式」を開催し、住民が地域の復興に祈りを込め、七福神舞を披露。JENの東北事業統括責任者の森信之氏らが「地域振興の拠点となってほしい」とあいさつした。




 【写真】 商売繁盛祈願式で七福神舞を披露する住民

<>2011/10/12 4205<>4205.jpg<>「被災乗り越え2人で歩む」…震災後初の神前結婚式<> 震災から7か月が経ち、自粛傾向にあった結婚式や披露宴を挙行するカップルが増えてきた。8日には鹿島御児神社=石巻市日和が丘=で震災後初の神前結婚式があり、新郎新婦が新たな道を歩み始めた。


 式を挙げたのは川田峻也さん(25)、恵梨香さん(同)夫妻。2年前に入籍し、今年6月に仙台市で結婚式を予定していたが、震災で延期。沿岸部にあった新郎新婦の実家も被災し、2人は悩んだが、両親の後押しを受けて生まれ育った石巻市内で挙行した。


 結婚式を行った同神社、披露宴会場のブライダルホール飛翔閣=同市山下町=もともに震災後初の挙式。とくに同神社の境内では白無垢衣装の新婦が姿を見せると、お宮参りなどで神社を訪れていた市民からは「明るい気持ちになるね」などの声が聞かれた。


 披露宴で新郎の峻也さんは「震災当日、仕事が休みで実家(南浜町)にいた。津波はないと思っていたが、父親から逃げるように言われて家を離れた。命の大切さを痛感し、家族を大切にしていきたい」と話していた。


 飛翔閣の杉山寛明常務によると、震災から半年を過ぎた9月ごろから結婚式や披露宴の相談、問い合わせが寄せられているという。




 【写真】 鹿島御児神社で震災後初の神前結婚式が行われた

<>2011/10/12 4204<>4204.jpg<>石巻4か所に待機所、女川には多層型住宅完成…震災から7か月<> 震災から7か月を迎えた11日、石巻市は市内に開設されていた全避難所を閉鎖した。自宅修繕などの理由で生活拠点が決まらない約70人は4か所の待機所に移り、おおむね2か月間の暫定的な暮らしを始めた。一方、女川町は独自で多層型の仮設住宅団地を建設しており、今月末の完成によってほとんどの避難者が入居できる見通しだ。


 震災直後の3月は石巻市内約250か所(約5万人)に避難所が設けられたが、仮設住宅の入居などに伴って少しずつ閉鎖が進み、10日現在は21か所(269人)となった。11日の避難所閉鎖を受け、週末は多くの避難者が仮設住宅などに移った。


 待機所は避難所となっていた石巻中央公民館、うしお荘、みなと荘、向陽地区コミュニティーセンターの4か所に設置。10日現在で43世帯67人を予定しており、市によると最大で70人前後という。在宅支援との整合性を図るため、食事支援は行うが、避難所で実施していた物資、入浴支援は行わない。待機所の閉鎖時期は2か月後の12月11日を予定している。


 この7か月間、避難所となっていた渡波保育所では10日にお別れ会があり、仮設住宅の入居を直前に控えた避難者8人に対し、ボランティアがピアノ演奏などを披露。一時期、同保育所に避難していた市民も参加して新たな生活にエールを送った。


 長期の避難所生活を終え、河北地区の仮設住宅に入居する阿部美代子さん(69)は「最初は自分の部屋がほしいと思っていたが、だんだん周りが家族のように思え、たくさんの思い出ができた。でもこれからが本当の第一歩」と話す。阿部さんら8人は全員、同じ団地に入居するという。


 一時期は同保育所の避難所で生活し、現在は河北地区の仮設住宅団地に住む60歳代の女性は「避難所ではコミュニティーができていたが、団地に入ればまた一からやり直し。やはり近所付き合いが大変」と苦労をにじませていた。

        ◇      ◇

 女川町は10日に町民野球場に建設した仮設住宅への入居説明会を実施した。対象は2階建て3棟45戸の入居予定者。野球場内には3階建て6棟144戸が建設中であり、10月末までには引き渡される見通し。これで建設計画にある全1294戸が完成する。


 町内はもともと平地が少なく、仮設住宅を石巻市内に建設するなど用地が限られている状況。そこで町は土地を有効的に使える多層型の仮設住宅を独自発注した。上階は階段の利用を強いられるなどの課題もあるが、入居説明を受けた住民のほとんどが「やっと生活の場が決まった」と安堵の表情を浮かべた。


 町内で避難所生活しているのは215人(10日現在)。多くは一刻も早い仮設住宅への入居を望んでいる。鷲神浜の勤労青少年センターに避難している阿部政男さん(82)もその一人。「避難所生活も7か月が過ぎた。仮設に入れれば家族で集う場所ができ、生活も頑張れる。少しでも早く入居したい」と待ちわびていた。




 【写真】 ボランティアらがイベントを開き、避難者にエールを送った(10日、渡波保育所で)

<>2011/10/11 4203<>4203.jpg<>被災者見守り必要なケア…東松島市「サポートセンター設置」<> 被災者の心身の健康管理が求められる中、東松島市は11日、仮設住宅や在宅の市民を見守り必要なケアにつなげていくため、被災者サポートセンターを設置した。市内を3つの区域に分けて、それぞれ支所的な常設のセンターを置き、自立支援とコミュニティーの再生にも携わっていく。


 市の委託を受け、市社会福祉協議会が生活復興支援センター(旧ボランティアセンター)の業務として運営する。市コミュニティパーク=矢本=に中核の中央サポートセンター、また現地事務所として、矢本運動公園=大曲=、グリーンタウンやもと=大塩=、ひびき工業団地=川下=の大規模仮設住宅団地に、矢本東、矢本西、鳴瀬各サポートセンターを設けた。


 新規雇用の市民45人を含め各センターに16人、計64人のスタッフを配置。中央を除く各センターには事務局と専門職による生活支援相談員各2人、見守り協力員12人を確保する。


 協力員は仮設住宅を戸別に定期訪問して相談支援や要援護者の把握に務め、それらに対応する行政や関係団体のつなぎ役になる。さらにコミュニティーづくりに必要な地域支援をするほか、民生委員とともに在宅被災者のニーズを取り込むことにしている。


 中央サポートセンターの業務開始式でセンター長の大沼雄吉副市長は「被災者の身になり、思いやりの心で接してほしい」とあいさつ。他のセンターも業務を開始し、スタッフと住民代表が顔を合わせた。研修後、17日から戸別訪問を始める。




【写真】中央サポートセンターの業務開始式が行われ、大沼センター長があいさつした
<>2011/10/11 4202<>4202.jpg<>五輪選手と運動に汗…東松島市でイベント<> 10月10日は東京五輪(昭和39年)に由来した体育の日―。震災の影響で石巻地方の多くの体育施設が使用できない中、東松島市の鷹来の森運動公園では「オリンピックデー・フェスタin東松島」が開かれ、子どもたちが五輪出場選手とさまざまな運動に汗を流した。


 北京五輪陸上4×100メートルリレー銅メダリストの塚原直貴さんをはじめ、トリノ五輪スキーフリースタイルの畑中みゆきさん(塩釜市出身)、ロサンゼルス五輪新体操8位入賞の山ア浩子さんら16選手が参加。市内外から集まった約700人の小学生らと交流した。


 絶好の体育日和のもと、3つの競技を繰り広げ、手つなぎ鬼ごっこでは、鬼役の選手に捕まらないように子どもたちが元気良く走り回った。大縄跳びは、同時開催の仙台会場と跳んだ回数を競い合った。


 赤井南小6年の西條遥子さんは「選手は足が速く、私はすぐに捕まってしまった。自分もそうなりたい」と憧れていた。


 フェスタは日本オリンピック委員会が平成25年度末までの約3年間、青森県から茨城県までの被災地約60か所で開くスポーツを通じた復興支援事業。日本財団、笹川スポーツ財団が協力した。




 【写真】 鬼(選手)に捕まったら手をつないでいく鬼ごっこ。会場に子どもの笑顔があふれた

<>2011/10/10 4201<>4201.jpg<>仮設住宅の安心に一役…河北署が立寄所設置<> 仮設住宅での犯罪を防止しようと、河北署は管内の全仮設住宅団地(23か所)に「警察官立寄所」の設置を進めている。警察官が定期的に巡回し、住民の困りごと相談に応じるほか、今後、発生が懸念される振り込め詐欺などへの警戒を呼び掛ける。


 7日、石巻市小船越の三反走第一団地では、住民と河北署員ら50人が出席し開所式が開かれた。立寄所は同団地の集会場に設けられた。大友智河北署長は「仮設住宅で犯罪被害に遭わないように、また、犯罪が起こりにくい環境をつくっていきたい。立寄所を拠点に相談などに応じるので警察官に気軽に声を掛けてほしい」とあいさつ。


 この後、大友署長と住民が集会場入り口に立寄所のプレートを設置。同所には河北署員や派遣中の警視庁の警察官がほぼ毎日、訪問することにしている。


 開所式に出席した神山光枝さん(75)は「以前は石巻市尾崎地区に住んでいて家には鍵を掛ける習慣がなかった。そのため、慣れない仮設暮らしでは犯罪が心配。警察官が定期的に来るのは安心。困った事や異変を感じたらすぐに警察官に相談したい」と話した。


 なお、石巻署ではすでに管内すべての団地への立寄所の設置が完了している。




 【写真】 地域の防犯拠点の「警察官立寄所」の開設を喜ぶ住民たち(7日、石巻市小船越)
<>2011/10/10 4200<>0<>「石巻工、初戦で涙飲む」…秋季東北地区高校野球で<> 第64回秋季東北地区高校野球大会の2回戦が9日、秋田県秋田市の八橋球場などで行われ、宮城県第2代表として初出場した石巻工業は、青森県第1代表の光星学院と対戦した。石巻工は序盤に相手に許したリードが響き、1―8(7回コールド)で初戦敗退した。


 石巻工業は初回に暴投と適時打で2点を失うと、さらに本塁打を浴びるなどし、3回までに7点を奪われる苦しい試合展開に。8点差とされた五回裏、石巻工業は奥津の三塁打と相手の暴投で1点を返したが、反撃及ばず、2回戦で涙を飲んだ。


▽2回戦(9日、八橋球場)
光星学院
223 010 0=8
000 010 0=1
石巻工業
      (7回コールド)
【光】金沢―田村【石】荒川、阿部剛、三浦―阿部翔▽本塁打=北條(光)▽三塁打=奥津(石)▽二塁打=武田、金沢(光)

<>2011/10/10 4199<>4199.jpg<>震災避難所 11日に閉鎖…蛇田中で退所式開催<> 石巻市は東日本大震災から7か月目の11日までに、全避難所の閉鎖を予定している。7日は市立蛇田中学校で退所式が開かれ、避難者らが、200日以上にわたる避難生活を支えた学校関係者に感謝の気持ちを示した。また生徒たちが熱いエールを送る場面もあり、新たな生活に移る被災者たちを激励した。


 同校では災害発生直後のピーク時には1500人以上が避難生活を送っていた。当初は校舎全体を使用していたが、4月中旬の学校再開に伴い体育館に移動。今月7日現在で残っていたのは27世帯48人だった。


 式は市の方針を受け退所することになった被災者らを励まそうと生徒たちが発案し、学校が主催。避難者約20人、生徒ら110人が出席した。避難者の代表は「蛇田中の皆さんが支えてくれたことに感謝します」とあいさつ。3年生で生徒会長の木村晃也さんは「皆さんは辛さも見せず接してくれた。今後の石巻を作っていくのは僕たち。出来ることを頑張りたい。復興への道をともに歩み始めましょう」と激励。さらに被災者に手書きのメッセージをプレゼントしたほか、力強いエールも贈った。


 避難者の一人で石巻市三ツ股地区の自宅が全壊したという吉田より子さんは今後、親戚の家に身を寄せるといい「ここまでの被害になるとは今でも信じられない。生活の見通しも立っておらず、不安は続く」と話していた。


 なお、石巻市によると震災直後は約250か所の避難所に5万人を超す市民が避難していたが、仮設住宅の整備や民間賃貸住宅の入居により、7日現在は27か所372人。渡波保育所も10日にお別れパーティーを予定しており、8―10日の連休で多くの避難所が閉鎖される見通しだ。


 市は、自宅や民間賃貸住宅の修繕待ちなどで転居先が決まっていない人のために12日から待機所を開設。待機者は約100人が見込まれ、公民館などに移動して生活再建を図っていく。




 【写真】 避難者に手書きのメッセージを贈る蛇田中学校の生徒たち

<>2011/10/8 4198<>4198.jpg<>キャンパスに笑顔の花咲く…石鳳祭開幕<> 石巻専修大学で8日、恒例の学園祭「2011石鳳祭」(矢澤崇暢実行委員長)が開幕した。さまざまな催しが行われ、学生らの元気な声で会場は活気に満ちていた。9日まで。
 今年のテーマは「前進全礼」。震災で被災した住民や学生が一丸となっての復興と、全国から支援に訪れているボランティアなどへの感謝を込めた。


 オープニングセレモニーで坂田隆学長が「震災の影響で開催できるか心配だったが、実行委員会が『やります』と言ってくれて本当にうれしかった。2日間、思い切り楽しんでほしい」とあいさつ。亀山紘石巻市長も「復興には若い力が不可欠。今日は楽しんでください」と開催を祝った。その後、恒例の鏡割りが行われ、イベントがスタートした。


 会場では、地場産品を格安販売するブースや学生有志らによる模擬店、企画展示のほか、SWOミニコンサートなどが行われた。このうち模擬店ブースでは、同大学経営学部石原ゼミの学生有志らが製作した「サバラーメン」も登場。サバ節でダシを取ったさっぱりした味付けに、市民らが舌鼓を打っていた。


 石巻市大橋から訪れた小畑昌樹さんは、「はじめて石鳳祭に参加したが、活気があってとても楽しい。今日は子どもたちをたくさん遊ばせてあげたい」と話していた。


 イベントは9日も行われ、仙台市在住のシンガーソングライターのRakeさん、甲斐バンドの甲斐よしひろさんによるライブもある。なお、同祭ではチャリティー活動も行っている。募金やペットボトルキャップを回収するほか、模擬店などでの収益金の一部を後日、石巻市に寄付するという。




【写真】 セレモニーでは恒例の鏡割りが行われた
<>2011/10/8 4197<>4197.jpg<>再生可能エネを石巻に…新会社設立「経済活性と雇用創出目指す」<> 石巻信用金庫(高橋賢志理事長)と地元企業などが出資して、新会社「おひさまコーポレーション」(齋藤祐司社長)をこのほど設立した。太陽光や木質バイオマス発電など再生可能エネルギーを公共施設、企業、家庭にまで広く普及させることで、二酸化炭素削減に貢献するとともに関連事業活性化による雇用創出も目指す。


 設立発起人として出資したのは、石巻信金のほか(株)齋武商店社長の齋藤氏と石巻ガス(株)社長の青木八州氏、それに同様の事業を盛岡市など他県で手掛けているサステナジー(株)(東京港区)社長の山口勝洋氏。青木氏を除く3人が7日、石巻信金会議室で設立報告会を開いた。


 高橋理事長らによると、設立構想は震災前からあり、震災で長引く停電などを経験して、重要性を改めて感じたという。同社では、自然エネに関するコンサルティングと建物の設計施工を主な事業として取り組む。設備導入に必要な資金は石巻信金が同社に融資するほか、国の補助金や市民参加ファンドも視野に入れて業務を展開する。


 同社が目指すのは、再生可能エネによる石巻地方の復興。仮設住宅への太陽光発電や太陽熱温水を導入することで光熱費を削減し、また避難所となる公共施設に同じく太陽光発電と蓄電池、福祉施設や病院に木質バイオマス熱電併給を進めるなどで今後の災害に備える。さらに風力発電などによる農林水産業の再建支援、将来は復興集落のエネルギー自給で副収入化などを実現する。


 報告会で齋藤社長は「これからの時代には、意義のある事業。被災した石巻の企業人が力を合わせて新たなビジネスチャンスを作っていきたい」と抱負を語っていた。




 【写真】 設立報告会で今後のビジョンを語る齋藤社長

<>2011/10/8 4196<>4196.jpg<>17日に仮橋で供用開始…津波で落橋の定川大橋と新北上大橋<> 震災の津波による影響で落橋し、県が応急復旧工事を進めている一般県道石巻工業港矢本線の定川大橋と、国道398号新北上大橋は今月17日、仮橋による一般車両の通行が可能になる。ともに住民生活や物流の面で欠かせない交通の要所であり、仮橋の開通は被災地の復旧を後押ししそうだ。


 定川大橋は定川の河口、石巻市門脇、東松島市大曲の市境にかかる全長126メートルの橋りょう。大津波で流された大型の貨物船が衝突し、橋げたの中央部が落橋するなどした。


 仮橋は全長154メートルで、既設橋の下流側に建設中。緊急輸送路に位置付けられた県道であり、供用開始により内陸側の国道45号の渋滞が緩和されると共に、復旧が進む石巻工業港を中心にした物流の促進が図られる。


 一方、石巻市の北上町橋浦と河北町釜谷を結ぶ全長565メートルの新北上大橋は、北上川左岸側(北上町側)の橋台から155メートルの間で橋げたが流された。仮橋は162メートルの長さで下流側に建設され、残存403メートルの現橋に接続する。


 仮橋の完成で上流約12キロの飯野川橋をう回する必要がなくなり、対岸への移動時間が約40分短縮。河北町側の交通の混雑も解消されると見込まれる。


 仮橋はともに幅員8メートルあり、上下各1車線と歩道を確保。17日は定川大橋が午後3時、新北上大橋は午前11時に一般開放される。ただし新北上大橋は当面車両のみの通行で、歩道は今月31日の供用を予定する。事業費は各1億5千万円―2億円。


 県東部土木事務所(佐々木源所長)は「被害の甚大な両地域なので、明るい話題になれば。本格復旧を早急に検討し、3―5年以内に終えたい」とした。




 【写真】 鉄製の仮設げたの架橋が進む定川大橋(7日午前)

<>2011/10/7 4195<>4195.jpg<>浦宿地区で営業再開「8、9日はさんま祭り」…マリンパル女川<> 東日本大震災で建物に被害を受け営業を停止していた「マリンパル女川おさかな市場」が7日、女川町浦宿地区の仮設店舗で営業を再開した。鮮魚や水産加工品を扱う6店舗が入り、店内には港町らしい威勢の良い声が響いていた。


 女川湾付近にあったマリンパル女川は津波で壊滅的被害を受けた。再開の見通しはたっていないが、店舗経営者らは別の場所での早期再開を求めていた。


 その声を受けて施設を運営する事業協同組合が仮設店舗を探していたところ、見積もりを依頼した石巻市小船越の佐々木工業所が支援を申し出。石巻と女川の国道398号の境にある浦宿字篠浜山の敷地を買い上げ、既存の木造店舗を改築。それを組合に貸し出すことにした。


 開店前のセレモニーでは同組合の山田雅裕理事長が「皆さんのおかげでオープンできたが、まだ復興とはいえない。でも商売をしていかなければならない。本当のマリンパルができるまでこれからもがんばっていく」とあいさつ。今後は8、9日に再開後初めてのイベントとなる「さんま祭り」を開催。年内中を目標に敷地内にレストランを建設するほか、すでに新工場が稼働している高政と連携した復興ツアーなども企画している。




 【写真】 店内には新鮮な魚がズラリと並んだ

<>2011/10/7 4194<>4194.jpg<>雄勝に待望の診療所…平日診療 往診も実施<> 石巻市雄勝診療所の開所式が5日、同市雄勝町大浜の現地で開かれた。雄勝町は東日本大震災の津波ですべての病院、歯科が壊滅し無医地区となっていた。式には各地区の代表者らが出席し、復興への第一歩となる住民の健康を守る拠点の完成を祝った。


 3月11日の震災で雄勝町では市立雄勝病院と斑目医院、松尾歯科医院のすべての病院が壊滅し休診を余儀なくされた。被災後は日本赤十字社などによる石巻圏合同救護チームが救護所を開設。訪問診療なども行い住民の健康管理にあたってきたが、あくまで期間限定の措置だった。


 また被災地支援のために雄勝を訪れていた東京都の医師が5月、地域住民のためにと水浜地区に内科などの診療所をオープンしていた。しかし、医師が東京と石巻を往復する都合上、水浜の診療所は日・月曜日のみの診療だった。住民からは「公的な常設診療所が必要」という意見が相次ぎ、早期開設を求める声が高まっていた。


 これを受け、市では6月上旬から準備を進め、同月下旬に仮設診療所の設置を表明。9月1日に大浜地区の高台の民有地に着工し、面積117・57平方メートルのプレハブ造りの建物が完成した。


 5日の開所式では、北村悦朗副市長が「本市では、住民が安心して健やかに暮らせることを目標にまちづくりを行っている。診療所建設にあたり、さまざまな力添えを得、感謝します」とあいさつした。


 さらに医師1人、看護師3人、事務長1人のスタッフも紹介された。所長となる小倉健一郎医師は神戸市出身で、佐賀医科大学卒業後、イランやスリランカ、インドネシア、中国など、災害救援や発展途上国での医療支援などを行ってきた。


 小倉医師は「しっかりとした医療を提供したい。そして人が気軽に集まり元気になれる施設にしていきたい」と話していた。


 雄勝病院の診療科目は内科、外科、整形外科。診療は月曜―金曜日の午前9時―午後4時まで。午前は外来、午後は往診などを行う。電話番号はカ58―3373。


 なお、雄勝病院を含む市立三病院のうち、市立病院は移転新築を決めており、市立牡鹿病院は高台にあるため被害をまぬがれている。




 【写真】開所式で5人のスタッフが紹介された(左端が小倉所長)
<>2011/10/6 4193<>4193.jpg<>津波乗り越え敬老施設復旧…NPO創る村<> NPO法人創る村(飴屋善敏理事長)=東松島市新東名=は、開所を間近にして津波による浸水被害を受けた敬老施設「老莱子(ろうらいし)の家」を復旧させ、5日、デイサービスの受け入れを開始した。有料老人ホーム事業はあきらめざるをえなくなったが、施設を最大限に活用しながら「高齢者の尊厳を大切にする社会」の理想を追求していく。


 老莱子の家は、創る村でフリースクールを指導してきた元宮城教育大学教授の飴屋理事長(79)が、教え子たちと共に設立した有料老人ホームとデイサービスセンターからなる木造2階建ての施設。松島湾を眺望でき、内外装や家具は105歳の母親を介護する飴屋理事長が「高齢者が明るく楽しく過ごせるように」とデザインした。


 今年3月5日に落成式を終え、4月からの開所を待つばかりだったが、津波で1階の床上1・5メートルが浸水。利用者も決まっていたものの、修理に伴う追加資金やスタッフの雇用の面で有料老人ホームの開設を断念した。


 5日は「アートステージ」と名付けたデイサービスセンターの開所式があり、仮設住宅などに入居している被災高齢者8人を招待。声を出して体を動かす音楽療法を体験してもらい、創る村の子どもらが歌や演奏を披露した。飴屋理事長は「親子のきずなが失われつつある現代、ここから親孝行を全国に広めたい」と話していた。


 有料老人ホームとなるはずだった1階の一部は、高齢者の長・短期有料宿泊施設にする考え。フリースクールの子どもと利用者の交流も図る。利用に関する問い合わせはアートステージ(カ88―4383)または創る村(カ88―3793)。




 【写真】 招待したお年寄りに音楽療法を体験指導した飴屋さん
<>2011/10/6 4192<>4192.jpg<>「安全でおいしい米食べて」…津波乗り越え稲刈り<> 津波で浸水し除塩作業を施した石巻地方の水田で稲の収穫作業が行われている。農業者は「当初は今季の作付けをあきらめていただけに収穫できて良かった」と安堵の表情を見せる。一方、不安なのが福島第一原発事故による風評被害。県は先月、「(石巻地方の米から)放射性物質は検出されなかった」と安全宣言を出したものの、農業者の心境は複雑。生産現場は「全国の人たちに安心して食べてほしい」と安全でおいしい石巻産米をアピールしている。


 石巻市蛇田字新刈場の稲作農家、伊藤勝昭さん(66)方の水田約180アールでは「ひとめぼれ」と「まなむすめ」を栽培している。排水掘を伝って流れ込んだ海水で蛇田地区などの水田は約40センチ冠水。塩分濃度が高く、そのままでは作付けができなかったため、代(しろ)かきを数回繰り返して、塩分濃度を低くする作業に追われた。田植えは例年より遅い5月中旬だった。


 「海水に浸かった田んぼを見た時、米はできないだろうと思った。農協などの指導を受け、作付けを行ったが、実るのかどうか分からなかった」と伊藤さん。
常に水を切らさないようにし、水管理に例年以上に手をかけて栽培してきた。


 「稲を刈ることが出来るなんて奇跡。苦労して育てたかいがあった。田植え時期が遅れたことと、台風などの影響で収量は減ったが収穫できただけで良しとしなければ。今年の米は困難を乗り越えた力強さがある」と笑顔を見せる。


 一方で気がかりなのが原発事故による影響。「さまざまな農産物の風評被害は非常に残念なこと。石巻の米は検査で安全性が証明されている。安全な米をたくさん食べてほしい」と訴えていた。


 石巻農業改良普及センターのまとめでは石巻地方の平成23年産米(主食用)作付け面積は約7200ヘクタールで、そのうち約620ヘクタールが冠水したため、除塩対策が行われた。


 また、先月、県が実施した調査で石巻、東松島市の計38地点から採取された米から放射性セシウムは検出されなかった。




 【写真】 津波被害を受けたほ場では収穫作業が急ピッチで進む(4日午後3時25分ごろ、石巻市蛇田)
<>2011/10/5 4191<>4191.jpg<>心のケアの心構え学ぶ<> 被災者の心のケアを行う際の心構えなどについて学ぶ研修会が先日、石巻赤十字病院で開かれた。精神科看護の専門家が講演し、精神的に不調をきたしている人たちへの接し方などを学んだ。


 研修会は、避難所や仮設住宅での生活を強いられ、不眠などから精神的に不安定になる人が増える可能性あるとし、日本精神科看護技術協会=東京都港区=が開いた。石巻地方の医療関係者らが参加。同協会の末安民生会長と仲野栄専務理事がそれぞれ講演した。


 このうち、末安会長はケアを行う医療、福祉関係者らの心の健康について「人を助ける仕事―息長く続けるための方法―」と題し講話。「ケアという仕事は肉体労働であり頭脳労働でもある。普段は優しさが求められ、職員業務としては公平と迅速さが求められる。その場その場で感情をコントロールしいくつもの人格を演じ分けなくてはならない。感情を扱う労働はケアする者にじわじわと影響を及ぼす」と指摘した。


 その上で「『誰かのために一生懸命に働くことにこそ意味がある』『言いたいことを抑えられるのがプロだ』などと考えている人は気を付けること。自分自身を理解することから始めるべきで、援助場面を振り返り違和感や行き詰まり感などを感じたら注意が必要」と訴えた。


 参加した人たちは時折、メモを取るなどしながら真剣な表情で講演に耳を傾けていた。




【写真】 ケアを行う立場の人の心の健康について説明する末安会長

<>2011/10/5 4190<>4190.jpg<>感謝を込めて舞を披露…雄勝法印神楽 9日に鎌倉公演<> 国指定重要無形民俗文化財「雄勝法印神楽」の東日本大震災復興支援公演が9日、神奈川県鎌倉市の鎌倉宮境内で開かれる。衣装や面など、ほとんどの道具を失ったが、雄勝の住民に希望を感じてもらおうと復活。室町時代から雄勝の各地区で奉納されてきた伝統の舞を、歴史ある鎌倉の地で存分に披露する。


 主催は湘南リビング新聞社、雄勝法印神楽鎌倉公演実行委員会。震災の影響で活動に窮している貴重な文化財を未来につなげようと、チャリティーを目的に開催する。入場料は必要経費を除き保存会に寄付される予定だ。


 今回の公演には同保存会から18人が鎌倉に向かう。ほとんどが津波で自宅を失い、6人の会員が雄勝地区外の仮設住宅などに住んでいる状況だが、伝統を絶やしてはならないと、週2回大須小学校でけい古に励んできた。


 津波により舞台で使う道具もほとんどが流されたが、ガレキの中から衣装を見つけ、太鼓などは支援者から寄付を受けた。


 何とか続けられる状況となり、今年5月28日には雄勝地区で開催された復興市で、震災後初めて地元住民の前で神楽を披露。会場周辺は津波で荒廃していたが、慣れ親しんだ太鼓と笛の音、勇壮な舞に涙を流す住民の姿もあった。


 9日の鎌倉公演は、昼夜2部構成で開催。昼は道祖、岩戸開き、産屋、夜は橋引き、鬼門、蛭児、日本武尊の各演目を特設舞台上で奉納する。各部800人の定員を予定しており、入場料は3千円、昼夜通しで5500円となっている。同保存会副会長の伊藤博夫氏は「皆さんの支援でここまでくることができた。全国の皆さんの思いに感謝を込めた舞をみせたい」と話していた。


 なお、鎌倉宮は後醍醐天皇の第一皇子で足利尊氏との対立で斬殺されたとされる護良(もりなが)親王を祭る神社。一方、石巻市吉野町にある一皇子神社にも護良親王を祭神としており、落ち延びた同親王を埋葬しているとの伝説が残っている。


 主催者は「石巻市にもゆかりのある鎌倉宮での奉納の舞は、東日本大震災の復興への一歩となると思います」と期待を込めている。




 【写真】 おがつ復興市で披露され、聴衆の喝采を受けた雄勝法印神楽(5月28日)
<>2011/10/4 4189<>4189.jpg<>美しい花で心癒して…華道協会 石巻市役所での展示再開<> 震災後、休止していた石巻市役所2階のいけ花展示コーナーが3日から再開した。従来通り石巻地区華道協会(奥田流翠理事長)の8流派が月替わりで担当し、週に1回新しい作品を飾る。


 震災以降、各種物資や来庁者で混雑していた庁内も半年が過ぎて展示のためのスペースを確保できるようになった。一方、会員数人を亡くした華道協会だが、「こういう時期だからこそ市民の心を花で癒そう」と震災前と同じ場所での展示を始めた。


 再開第1号を担当した古里玲梢副理事長(池坊)は、震災犠牲者の慰霊と復旧を支えてくれた人々への感謝を込めて「命―おかげさま」をテーマにした。大地に力強く根付く木には、アンスリウムとシクラメン、それに銅版でかたどった8本のロウソクをあしらえ、末広がりを願った。また枝と枝をつなぐアクリルで石巻と全国、世界のきずなをイメージさせた=写真=。


 古里副理事長は「辛いことが多かったが、これからは前を向いて進んでほしい。未知の世界から開く未来を作品に託しました」。奥田理事長も「市役所を訪れる皆さんに花を見て気持ちを明るくしてほしい」と話していた。


<>2011/10/4 4188<>4188.jpg<>「女川町 復興に心一つ」…サンマ収獲祭、規模縮小で開催<> 第14回おながわ秋刀魚収獲祭が2日、女川町総合運動公園で開かれた。町民らが秋の味覚に舌鼓を打ち、昨年まで全国屈指のサンマ水揚げを誇っていた女川町の再起に願いを込めた。


 収獲祭は町を代表するイベントであり、例年は多くの観光客でにぎわうが、今年は震災の影響で事業規模を縮小。主催した女川魚市場買受人協同組合は町が一体となって復興の歩みを進めようと町民向けの祭りとした。


 開会式では同組合の高橋孝信理事長が「今は震災を忘れ、サンマを食べて活力にしてほしい」とあいさつ。安住宣孝町長は「復興に向けた旅路は長い。町民の心を一つにしていくことが大切だ」と呼び掛けた。


 会場では3千本のサンマが炭火焼きで振る舞われたほか、すり身汁の試食コーナーや生サンマ(3本)の無料配布が行われた。町民たちは脂の乗ったサンマ焼きをほお張り、再び漁業と観光の町として活気がよみがえることを切望した。


 ステージイベントは伝統芸能の潮騒太鼓で幕開け。女川二小のさざなみ太鼓、女川一小の踊り、女川町が生んだリアスの戦士イーガーのショーなどが行われ、サプライズゲストとして人気グループ嵐の大野智さんが登場した。最後は女川一中の生徒が「サンマDEサンバ」を披露し、町民に立ち上がる元気を与えていた。


 女川魚市場の岸壁は震災で地盤沈下しており、現在はかさ上げした一部の岸壁で水揚げを行っている。収獲祭も当初は開催が危ぶまれたが、復興に向けたのろしにしようと会場を移して開いた。




 【写真】 サンマ焼きの試食もあり、多くの町民でにぎわった
<>2011/10/3 4187<>4187.jpg<>被災松に命吹き込む…黒坂さんがコカリナを寄贈<> 被災した松の木が楽器のコカリナとして復活し、2日に西光寺本堂=石巻市門脇=で復興祈念コンサートが行われた。日本コカリナ協会の黒坂黒太郎会長=埼玉県飯能市=が素朴な音色を奏で復興を願った。


 震災で校舎が全焼した市立門脇小学校。周囲が炎と化す中、隣接する西光寺の敷地内にあった高さ11メートル、樹齢約80年のアカマツ1本だけが残った。4月に被災地を訪れた黒坂さんは「松に再び命を吹き込みたい」と同寺の許可で伐採し、楽器に復活させた。


 コカリナは円筒に6つの穴を開けた木製楽器であり、被災松から約100本を製作。コンサートでは黒坂さんが「木立を抜ける風の音」「一本の樹」を合奏した後、全国から集まったコカリナサークルのメンバーが「ふるさと」を奏でた。


 当時6年生だった門小の卒業生約20人に対し、黒坂さんが被災松で作ったコカリナを手渡した。門脇中の佐藤真歩さん(13)は「火災で校舎が焼けたので門小のものは何もなくなった。このコカリナは小学校時代の思い出として一生大切にしたい」と話していた。


 松の切り株前に移動した児童たちは、黒坂さんと一緒に「ふるさと」を演奏。校舎を背に優しい音色を響かせた。




 【写真】 被災松のコカリナを使って演奏する黒坂さん
<>2011/10/3 4186<>4186.jpg<>震災後の石巻の記録…本紙報道写真展 イオン石巻で9日まで<> 東日本大震災による石巻地方の被害や復興状況を伝える石巻日日新聞社報道写真展が2日から、イオン石巻ショッピングセンター1階海の広場で開かれている。多くの買い物客が足を止め、食い入るように見ていた。9日までで、その後は鳥取県を皮切りに全国のイオン系列各店で巡回展示を行う。


 写真展では、震災が発生した3月11日から9月までの報道写真約170枚を展示している。マグニチュード9を記録した大きな地震と、長い年月をかけて築いてきた街を一瞬にして破壊した大津波。一枚一枚の写真には石巻地方の被災者の痛みや悲しみがつまっている。


 本紙で毎週末に掲載している写真特集「惨景」、4―9月の主なニュースを記事付きで紹介。半年間の復旧状況を見てもらうため、同じ場所で撮影した2枚を並べているコーナーもある。このほか、会場には震災時に各所に張り出した壁新聞の実物を展示した。


 写真展に訪れた石巻市吉野町の蜂谷進さん(61)は「あらためて被害の大きさが感じられた。震災を忘れないためにもこのような企画は重要だ」、泉町の浅野修一さん(32)は「壁新聞は震災時にも見た。忘れかけていた震災当時を思い出した」とそれぞれ感想を述べていた。


 また初日は午後2時から1階緑の広場で、同社の武内宏之常務取締役報道部長が「被災地の半年を追う」をテーマに講演。「今後の災害に備えるためにも東日本大震災を風化させないことが必要」と話した。
 



 【写真】 大勢の市民が震災の写真に見入っていた
<>2011/10/3 4185<>4185.jpg<>JR仙石線東名―野蒜駅周辺 内陸に移設復旧へ<> JR仙石線・石巻線復興調整会議が9月30日、仙台第3合同庁舎で開かれ、津波により大きな被害を受けた東松島市の仙石線東名―野蒜駅間について、沿線自治体とJRの担当者が内陸部の丘陵地に線路や駅を移設する復旧方針に合意した。石巻線の不通区間である石巻―浦宿駅間(14・5キロ)は現ルートでの復旧となり、その先の終点女川駅は移設する。ただし、再開の時期や費用は今後の話し合いに持ち越された。


 仙石線のルート変更は、再開の見通しが立っていない高城町駅(松島町)―陸前小野駅(東松島市)の15・9キロのうち、東名―野蒜駅(1・6キロ)とその前後。現況から500メートルほど内陸の丘陵地に線路を引き、東名、野蒜駅を移す。


 同区間は2メートル以上の津波をかぶり、駅舎やレールに著しい被害を受けた。JRは安全確保ができないとの理由で、現ルートでの復旧を考えていない。


 人口流出やまちづくりへの影響を懸念する東松島市は、JRに早期の再開を要望。JR側は国による費用負担を求め、話し合いに折り合いがつかないまま。調整会議では事務局の東北運輸局鉄道局が、両者を仲介する形でルートの変更案を提示し、了承を得た。


 東松島市は野蒜地区で市街地の集団移転を構想しており、現在の市街地の背後にある丘陵地に新市街地を造成する考え。仙石線の変更ルート案は新たなまちづくりの構想に合わせたものになっている。ただし、現ルートでの早期復旧を望む住民もおり、東松島市は調整会議で、JRによる住民への説明や代替交通機関の充実を要望している。


 調整会議では今後、東松島市が12月にまとめる復興計画に間に合うよう具体的なルートを決め、運行再開までのスケジュールを策定する。用地の買収から造成、鉄道設備整備まで、運行の再開には少なくとも3年はかかる見通し。東名―野蒜駅間以外の不通区間は現行ルートのまま復旧させ、駅も生かす。


 一方の石巻線の不通区間は、地盤沈下による冠水被害が出ている万石浦沿いの護岸整備や排水対策を講じた上、浦宿駅まで早期に復旧させる方針。流失した女川駅は、安全な場所への移設を検討していく。




 【写真】 仙石線や野蒜駅の復興方針を調整した会議
<>2011/10/1 4184<>4184.jpg<>入居者講師に手芸教室<> 仮設住宅の入居者を対象とした手芸教室が先日、石巻市の開成団地で開かれた。同じ団地内に住む入居者が講師を担い、お守りで知られる飛騨高山の「さるぼぼ」を作った。


 雄勝町出身の伊藤律子さんが手ほどき、石巻復興支援ネットワーク「やっぺす隊」がサポートした。材料となる生地は被災で着られなくなった着物や衣類を使ったほか、東松島市の主婦から一部提供を受けた。


 郷土人形の「さるぼぼ」は、サルの赤ん坊という意味を持ち、厄除けや縁結びのお守りで知られる。集会所で開いた教室には小学生や主婦らが参加し、生地を縫い合わせて綿を詰め、オリジナルの人形に仕上げていた。


 教室は震災で携わることが少なくなっていた裁縫の感覚を取り戻してほしいと開催。参加者は自分好みの作品を作り上げることに喜びを感じていた。




 【写真】 見本のさるぼぼ(左)を飾り、教室を開いた

<>2011/10/1 4183<>4183.jpg<>仮設団地で訪問支援開始…石巻市社協 13区域で<> 石巻市内の仮設住宅団地内を見回り、入居者の不安解消に努めていく支援活動が30日からスタートした。初日は訪問支援員が各戸を訪れ、顔合わせをしながら活動内容を説明。世帯構成や健康状態を問うアンケート用紙を手渡し、協力を求めた。


 市の委託を受けて市社会福祉協議会が行う巡回型の支援活動で、公募で選んだ訪問支援員137人、エリア主任15人、復興支援コーディネーター16人を委嘱。支援員らは平日に決められた団地内を回り、1人暮らしや高齢世帯を中心に見守り活動などを行っていく。


 市社協は市全域を13エリアに分け、約550世帯が入居する大橋地区は7班15人(1班2―3人)体制で支援員が活動を始めた。とりまとめを行うコーディネーターや主任から説明を受けた後、1班約100戸を目安に訪問し、活動内容の紹介チラシやアンケートを手渡した。


 湊地区で被災し、仮設住宅で暮らす大金美恵子さん(62)は、入居者の気持ちが分かるとして支援員に申し込んだ。大金さんは「慣れ親しんだ地域から離れて暮らす寂しさは私も痛感しており、気持ちを共有したい」と話していた。


 また、被災地で役立つ活動をしたいと仙台市内での仕事を辞めて支援員になった吉澤康友さん(48)は「どれだけ力になれるか分からないが、悩みを吸い上げたい」という。初日は戸別訪問を行いながら裁縫バサミや石けんなど生活用品が入った物資も配った。




【写真】新たに入居する市民に声を掛ける支援員(左)

<>2011/9/30 4182<>4182.jpg<>道路舗装修復が完了…ことぶき町通り<> 東日本大震災で被害を受けた石巻市のことぶき町通りのカラー舗装修復工事が完了した。10月2日には現地で竣工式を開催。津波後に空き店舗となっている建物も多く完全復旧とはいかないが、近藤三雄実行委員長は「一歩一歩進んでいきたい」と話していた。


 3月の津波で、ことぶき町通りの店舗は1・5―2メートル浸水した。36店のうち営業しているのは19店。開店に向け準備しているところもあるが、今だ空き店舗もある。


 この状況下でも商店街では希望を持てるようなメッセージを示そうと道路の修復工事を行うことを決めた。約1900万円の事業費はさまざまな補助金を活用。青山学院大学をはじめボランティアの手も借り、短期間で終えることができた。


 10月2日は午前11時から竣工式を実施。ステージイベントのほか、屋台も軒を連ね、200円でビールやサンマ焼、イカポッポを味わえる。また、会場には石巻日日新聞社が提供する石巻市中心市街地の被災風景写真20点も展示する。




 【写真】 きれいな舗装に生まれ変わったことぶき町通り
<>2011/9/30 4181<>4181.jpg<>映画「お菓子放浪記」10月から石巻上映開始<> 石巻市など県内で撮影され、震災で公開が遅れていた映画「エクレール・お菓子放浪記」(近藤明男監督)の記念試写会が28日、石巻グランドホテルで開かれ、銀幕に被災前の石巻の風景がよみがえった。10月から始まる市内一般上映の出発式も兼ねて出演者らが舞台あいさつし、戦後を生き抜く少年を描いた作品が復興を目指す市民の心の支えになることを願っていた。


 試写会には地元の応援する会会員や協賛の個人・団体、エキストラ出演の市民ら約300人が招かれた。上映に先立つ出発式で、応援する会の浅野亨会長は「何もないところから復興させた戦後の人たちに負けないよう、映画をがんばるきっかけにしてほしい」とあいさつした。


 映画は西村滋さんの自伝的小説が原作。天涯孤独の少年アキオが菓子への憧れや人の心のやさしさを支えに戦時を生き抜く姿が描かれる。出発式に駆け付けた西村さんは「戦争も震災も心がないが、残った人間にはある。苦しいけど助け合って乗り越えてほしい」と自身と同じく親を亡くした子どもに励ましの言葉を送った。


 アキオを演じた吉井一肇さん、養母役の女優いしだあゆみさんも出席。「ようやく見ていただけるのは、うれしい限り」「皆さんと一緒に作った映画。すばらしい石巻が永遠に残る映画であり、大事にしたい」と語っていた。


 当初は4月に石巻で先行上映し、その後全国に発信する計画だった。震災後も全国500か所と3つの国際映画祭での上映が決まっており、製作委員会代表の鳥居明夫さんは「支え合う心のやさしさが全国、世界と一つの輪につながった」と感極まっていた。


 映画の冒頭は北上町の北上川のヨシ原、クライマックスは日和山でののど自慢大会の場面。昨年10月に撮影され、津波で流失した中瀬の岡田劇場も使われた。震災で亡くなったエキストラもいるという。見慣れた風景や顔がスクリーンに登場すると、会場から歓声が上がり、感動的な物語に涙する人もいた。


 石巻市大街道西の行方由美子さん(70)は「風情な場所が石巻にあったことを映画で改めて知った」と話し、友人でエキストラ出演した安住攝子さん(70)は「いしださんと一緒に写っていた。自宅は震災で全壊したけど、出演はいい思い出」と目を細めた。


 市内での一般向け上映は10月1日から、ワーナー・マイカル・シネマズ新石巻。11―12月ごろには、仮設住宅入居者など被災者向けの無料上映会を市内数か所で予定。また各小中学校対象の上映会も調整している。




【写真】舞台あいさつする原作者の西村さんら

<>2011/9/29 4180<>4180.jpg<>石巻工業が準優勝 利府に敗れる…高校野球秋季県大会<> 第64回秋季東北地区高校野球宮城県大会の決勝戦が28日、仙台市民球場で行われ、石巻工業は利府に6―11で敗れた。石巻工業は3位まで与えられる東北大会の出場権を手にしていて、来月の東北大会に出場する。同校の東北大会出場は初めて。


 石巻工は一回裏、2死一、三塁から木原の適時打で1点を先制。しかし、二回に逆転を許すと、四、五回と追加点を奪われる苦しい展開に。なんとか反撃したい石巻工は五回裏、無死満塁と攻め、押し出しの四球と2つの犠飛で3点を返した。


 ところが終盤の七、八回と相手に追加点を奪われ、4―11と差を付けられた。石巻工は八回、三浦、木原、高橋、阿部克、伊勢の5連打で2点を返す粘り強さを見せたが、追い着けなかった。


 石巻工は準決勝で地元の石巻商業を破っての決勝進出。その石巻商は3位決定戦で古川学園に敗れ、2校そろっての東北大会出場はかなわなかった。石巻工業の阿部翔人主将は「東北大会では石巻商業の分まで闘ってきたい」と話した。


    ◇


 この日、三塁側スタンドには「あきらめない街 石巻 その力に 俺たちはなる」と書かれた横断旗が掲げられた。阿部主将は「元気なプレーで被災した石巻地方を元気づけたい。準優勝の結果は悔しいが、本番では出来ることを全力でやってきたい」と意気込んだ。


 松本嘉次監督は「『よくここまできた』と選手たちをほめてやりたい」と選手たちをたたえた。「東北大会までの残された期間で、大事な時に引くことなく向かっていく精神面の強化をしていきたい」と述べた。


 東北大会は10月7日から秋田県こまちスタジアムなどで行われる。


▽決勝戦(28日、仙台市民球場)
利府
 040 210 130=11
 100 030 020= 6
石巻工業
【利】高橋潔、鈴木、遠藤―千葉、橋本【石】阿部剛、荒川、三浦―阿部翔人▽二塁打=三浦(石)




【写真】 石巻工は一回裏、木原の内野安打で阿部翔人が先制のホームを踏んだ

<>2011/9/29 4179<>4179.jpg<>秋サバ初水揚げ「石巻魚市場に170トン」<> 石巻魚市場で28日朝、今季初めてとなる本格的なサバの水揚げが行われた。かさ上げ工事が終わったばかりの本港西側仕込み岸壁に巻き網船が入港した。これで本格的な秋漁到来となるが、加工団地では未だ冷凍庫が整備されておらず、受け入れ量は多くはない状況。初水揚げだが、例年並のにぎわいとはいかなかった。


 この日は茨城県波崎の巻き網船第56石田丸(橋本重男船長)が入港。青森県八戸沖で漁獲したマサバとゴマサバ合わせて170トンを水揚げ。ゴマサバが多かったがシーズン初めにしてはサイズが大きく、入札の結果1キロ当たり70―102円とまずまずの価格となった。


 石巻魚市場は東日本大震災でほぼすべての施設が損壊したが、復旧作業は徐々に進んでいる。7月には西港岸壁で水揚げを再開し、製氷機などを整備。今回、サバを揚げた本港西側仕込み岸壁のほか、本港内の一部も10月半ばまでに供用開始。海巻き船2隻分のスペースで10月末までに荷さばき場も設置する。


 一方、課題となっているのは冷凍庫の復旧。魚町にあった冷凍施設の多くは稼働しておらず、受け入れ量が限定されてしまう。生出荷できない魚種に関して船側は水揚げができない、仲買人は購入できないという問題もでてきている。


 市内の仲買人は「一方だけを整備するのではなく、全体のバランスを考えた復興計画にしてほしい」と話していた。




 【写真】 新鮮なサバが石巻魚市場に水揚げされた

<>2011/9/28 4178<>4178.jpg<>安全な地域呼び掛け…向陽小児童がパレード<> 地元住民と学校が連携し交通事故のない地域を訴える石巻市立向陽小学校の児童によるパレードが26日、向陽地区で行われた。同校鼓笛隊の力強い演奏で安全安心なまちづくりをアピールした。


 秋の交通安全運動(21―30日)の一環。6年生の子どもたちでつくる鼓笛隊と交通安全協会のメンバー、石巻署員ら計約100人が参加。出発に先立ち、児童代表の末永知沙さんは「パレードで向陽小学区が安全なまちになるように呼び掛けたい」とあいさつした。


 子どもたちは同署のパトカーを先導に通学路がある学校周辺の約1キロを演奏しながら行進。沿道では地域住民らが、金管楽器や太鼓などの息の合った演奏に拍手を送っていた。




【写真】 息の合った鼓笛演奏で事故防止などを訴えた

<>2011/9/28 4177<>4177.jpg<>石巻工、東北大会初キップ<> 第64回秋季東北地区高校野球宮城県大会は27日、仙台市民球場で準決勝が行われ、石巻工業が石巻商業との地元対決を3―1で制し、3位まで与えられる東北大会の出場権を手にした。秋季東北大会は来春の全国選抜大会出場校を決める上での参考になる大会で、石巻工は初出場。敗れた石巻商は28日、同球場で古川学園と3位決定戦を争ったが7―13で敗れ、62回大会以来の東北大会出場を逃した。


 準決勝の石巻工―石巻商は、石巻工が9安打3打点を奪って快勝。投げても阿部剛、三浦の継投で被安打5、1失点に押さえた。前日の仙台育英戦で強力打線を封じた石巻商の主戦首藤は、走者を背負う場面で粘れなかった。


 3位決定戦に進んだ石巻商は28日、仙台市民球場で古川学園と対戦。石巻商は1点を追う二回裏、鈴木の安打などで5点を奪って逆転。しかし、3点差で迎えた5回、相手に7点を勝ち越され、その後も追加点を奪われる展開。石巻商は8回に1点を返すのがやっとだった。


 石巻工は同日午後、利府と決勝を戦った。


 ▽準決勝(27日、仙台市民球場)
石巻商業
000 010 000=1
000 102 00×=3
石巻工業
 【商】首藤―鈴木【工】阿部剛、三浦―阿部翔▽三塁打=木村銀(商)▽二塁打=奥津、三浦、木原、阿部翔(工)


 ▽3位決定戦(28日、同球場)
古川学園
111 071 011=13
150 000 010= 7
石巻商業
 【古】阿部、地紙、天野―小野寺【商】首藤、武山裕、須藤、武山友―鈴木▽三塁打=永浦、榊原(古)武山友(商)▽二塁打=庄子、地紙(古)





【写真】 先制された石巻商は1回裏、武山友の三塁打で勝又が生還
<>2011/9/28 4176<>4176.jpg<>比アキノ大統領来石…石巻市に復興資金寄付<> フィリピンのベニグノ・アキノ大統領が26日、石巻市を訪問した。被災した門脇小学校などを視察したほか、石巻カトリック幼稚園ではフィリピン人被災者と交流を深めた。亀山紘市長とも懇談し、アキノ大統領は市に対して「最大限の援助」を約束。復興資金として100万ドル(約7600万円)を寄付した。


 アキノ大統領は25日から4日間の日程で訪日しており、石巻市役所には外務、運輸通信、貿易産業、広報業務担当の各大臣と駐日大使らが同行。アキノ大統領は「どうしても石巻市を訪れたかった。国難であり、最大限の援助をしたい」と語り、亀山市長は「訪問に心から感謝したい」と述べた。


 懇談は非公開で行われた。市関係者によると、亀山市長は市内で外国人登録しているフィリピン人は68人(8月31日現在)おり、震災で1人が犠牲になったことを報告。アキノ大統領は「これからも出来る限りの支援を行っていく」と述べたという。


 その後、市長室前に掲示された震災後の写真を見ながら亀山市長が状況を説明。アキノ大統領は雄勝公民館の屋根に乗ったバスや津波で壊滅被害を受けた南浜町、中瀬地区の写真を食い入るように見つめ、被害の大きさを実感していた。


 アキノ大統領は全焼した門脇小学校を視察して正門で献花し、黙とうを捧げた。避難所となっている門脇中学校も訪れたほか、カトリック幼稚園では在石フィリピン人らと交流を深めた。27日は野田佳彦首相との首脳会談に臨む。




 【写真】 門脇小で亀山市長から説明を受けるアキノ大統領(左から4人目)

<>2011/9/27 4175<>4175.jpg<>石巻赤十字看護専門学校で戴帽式<> 石巻赤十字看護専門学校(飯沼一宇校長)の本年度入学生(82回生)の戴帽式が26日、石巻赤十字病院=石巻市蛇田=で開かれた。男性5人を含む1年生39人に純白のナースキャップが授けられ、看護の道を進む決意を新たにした。


 戴帽式は入学から半年を迎え、看護を職業として選び学んでいく意志を改めて確認する立志の式。式で飯沼校長は「大災害ではお年寄りや子ども、障害者などが最も被害をこうむり、赤十字の精神はそうした災害弱者に向けられている。ナースキャップを頭にのせるこの瞬間から、赤十字の心を持った看護師になる自覚を持ってほしい」と告辞した。


 生徒一人ひとりが前に進んでナースキャップを被せてもらい、ナイチンゲールに由来するキャンドルの火を受け継いだ。それから、全員で思いやりやぬくもりある看護の誓いを立てた。


 1年生は震災で例年より2か月遅い5月30日に入学。今後、実習などを通じて3年間で専門知識や技能を磨いていく。同看護専門学校は同市吉野町の校舎が津波で使用できなくなり、石巻専修大学を間借りしての授業。来年度は同病院敷地内に建設する仮設施設を利用し、将来的には移設再建も計画している。





 【写真】 1年生39人に純白のナースキャップが授けられた

<>2011/9/27 4174<>4174.jpg<>音楽と食で市民に笑顔…トリコローレ&ボンバール<> 東日本大震災から半年。復興を目指す石巻市中心市街地を盛り上げようと「トリコローレ音楽祭」と「ボンバールいしのまきV」が25日、石巻駅前にぎわい広場や近隣の飲食店などで行われた。好天も後押しして、初秋のまちなかには市内外から延べ3千人以上の人が繰り出した。各通りには、音楽と食のイベントを楽しむ人たちの姿があふれていた。


 今年で8回目を迎える「トリコローレ音楽祭」。当初は震災のために規模縮小も考えていたが、出場経験があるバンドに呼び掛けた結果、予想を上回る60組から応募があった。その8割は石巻地方の住民で、多くが自ら被災した人たち。実行委ではその思いを伝えようと、例年並みの規模で開催することを決めた。


 会場は石巻駅前にぎわい交流広場、ロマン海遊21、エスタ東口、リオモールパーキング、岩手銀行、北日本銀行の6か所。メーンの駅前広場では地元商店による出店も軒を連ね、オープンカフェのような雰囲気を作った。その中で市民らが音楽に聞き入っていた。


 フィナーレを飾ったのは、日本のソウルミュージック界の大御所といわれる大上留利子さん。アカペラによる「アメージング・グレース」からスタートしたステージはイベントを大いに盛り上げていた。


 大街道地区で被災し、現在は駅前北通りのアパートに家族で住んでいるという女性(29)は「まちににぎわいがあるのは良いこと。アパートの部屋でも音楽は聞こえたが、会場で多くの人の笑顔を見られたのはうれしかった」と話していた。


 一方、飲食店でグルメラリーが楽しめる「ボンバールいしのまき」は知産地賞の会(松本俊彦会長)の主催。立町や中央、穀町、不動町などの38店舗と復興応援として大阪、函館、弘前の料理店も参加した。


 このうち石巻市中央の料理店の松竹は、八幡家、茅と合同で参加。店前にテントを設けてコロッケやサンマの南蛮漬けなどを提供した。常連客のほか、イベントのマップを手に初めて訪れたという人たちでにぎわいをみせていた。


 松本会長は「店の再開状況や人出などさまざまな不安があったが、盛況となり開催して良かったと思う。これをきっかけに再開する店も増えるなど、まちに活気を取り戻すことにつなげられたら」と話していた。




 【写真】 ソウルミュージックの大御所、大上さんの迫力あるライブが石巻市民を励ました

<>2011/9/26 4173<>4173.jpg<>震災影響少なくひと安心…23年産米の初検査<> 石巻地方の平成23年度産米の検査が、26日からJAいしのまき河南低温農業倉庫=石巻市和渕=で始まった。初日は同市河南地区で収穫された「ササニシキ」と「ひとめぼれ」など計2600袋(1袋30キロ)が検査を受けた。今年は震災で田植えが遅れるなどの影響があったが、同JAは「初日はまずまずの結果でひと安心」と胸をなで下ろしていた。


 同倉庫では、農産物検査課の検査員ら約10人が今月上旬に収穫されたばかりの米を肉眼で調べていった。担当者は皿に乗せた米粒の表面の状態や大きさなどで等級を決めていった。この日の同倉庫での1等米比率は85・3%で上々の滑り出しとなった。


 石巻地方の23年産米は福島第1原発事故の影響を受け、県が米に含まれる放射性セシウムを検査していた。石巻、東松島市の38地点からサンプリングした米からはセシウムは検出されなかった。


 同JA農産物検査課の橋彰検査員(45)は「震災の影響で米の質が心配だったが、まずまずの出来。安全、安心でおいしい米を味わってほしい」と太鼓判を押した。


 検査は10月末まで続けられ、ピークは同月中旬となる見込み。本年産米の集荷目標は震災で作付けできなくなった水田があることから昨年より5万俵(1俵60キロ)少ない46万俵としている。




 【写真】 米の状態などを入念にチェックした(河南低温農業倉庫で)

<>2011/9/26 4172<>4172.jpg<>稲井 2年ぶり優勝…大街道、2年連続準V<> 第53回石日旗争奪少年野球大会(石巻日日新聞社主催)は24日、東松島市の鷹来の森運動公園で決勝戦が行われ、稲井マックスが大街道キッズを3―0で破り、出場36チームの頂点に立った。稲井は震災で亡くなった阿部惣一前監督に捧げる2年ぶり2回目の優勝。2年連続で優勝旗に手が届かなかった大街道も最後まで諦めずに戦い、見る人を感動させた。個人三賞の最高殊勲選手賞(MVP)は松川大地選手(稲井)、敢闘賞は吉田慎吾選手(大街道)、打撃賞は佐藤沙羅選手(大街道)が手にした。


 稲井は2年ぶり、大街道は2年連続の決勝進出。23日の準決勝では、稲井は二俣マックスジュニアに8―3、大街道は湊ビッグウェーブに9―2と快勝しており、ともに投打が好調なチーム同士による天王山の戦いとなった。


 24日の決勝戦は、さわやかな秋晴れの下で始まり、序盤はスコアボードにゼロが並ぶ投手戦。稲井は六回に2点を挙げると、最終回の七回にも追加点を挙げ、粘る大街道を振り切った。


 閉会式では、優勝した稲井に深紅の石日旗、準優勝の大街道にはカップが贈られ、両チームの選手の首に金、銀のメダルがかけられた。


 主催者を代表し、武内宏之常務取締役報道部長が「決勝にふさわしい引き締った試合。稲井は亡くなった前監督に優勝を報告しようと、攻守に心を一つに取り組んでいた。大街道は最後まで諦めない姿が印象的だった」と講評を含めてあいさつ。優勝旗を手にした稲井マックスの選手らは、誇らしげにダイヤモンドを1周した。


 最高殊勲選手賞(MVP)の松川大地投手(稲井)は、主将としてチームをまとめ、決勝で七回を完封するなど優勝の原動力となった。また、MVPに次ぐ敢闘賞となった吉田慎吾捕手(大街道)もまた主将としてチームを盛り上げ、投手を支えた。打撃賞の佐藤沙羅投手(大街道)は1回戦から決勝まで、15打数10安打、打率6割6分7厘と好成績を残した。




 【写真】 2年ぶり2回目の優勝を果たした稲井マックス
<>2011/9/24 4171<>4171.jpg<>「ノリのいいリズムで元気」…ひばり幼稚園でドラムコンサート<> 石巻文化スポーツ振興公社主催の「ドラムカフェコンサート」が21日、学校法人ひばり幼稚園=同市蛇田=で行われた。園児たちが独特のリズムを持つアフリカ音楽に合わせて太鼓演奏を楽しんだ。


 (株)ドラムカフェは、ジャンべ≠ニ呼ばれるアフリカ伝統の太鼓を使って被災地の子どもたちを笑顔にしようと5月から岩手・宮城で活動を行っている。


 この日は、ヨハネスブルク在住のイノックさん(32)とコリーさん(39)、同カフェメンバーらが演奏を披露。園児一人ひとりにも太鼓が用意され、イノックさんらと一緒にリズムを楽しんでいた。


 園児らは、「ポコポコと叩いていたら楽しくなった。またやってみたい」と話していた。同カフェは、その後石巻市立和渕小学校でも演奏を行った。




【写真】 演奏者と元気に太鼓を叩く子どもたち
<>2011/9/24 4170<>0<>第53回石日旗争奪少年野球大会結果<>【1回戦】
釜小ヤンキース 5―6 雄小サイクロン(17日)
貞山ファイターズ 2―0 中里ブルーシャークス(17日)
矢本クラブジュニア 0−5 前谷地小笠松クラブ(17日)
鮎川モビーディックス 0―12 大街道キッズ(17日)

【2回戦】
橋浦小イーグルスジュニア 1―12 雄小サイクロン(17日)
大塩野球クラブ 0―4 二俣マックスジュニア(17日)
赤井南スターズ 3―0 須江小クラブ(17日)
開北小オークス 4―6 飯二小杉の子クラブ(17日)
赤井ビクトリー 0―1 貞山ファイターズ(17日)
大谷地野球スポ少 11―3 相川小ホワイトウエーブ(17日)
稲井マックス 5―1 大曲ドリームズ(17日)
山下ビッグバーンズ 7―0 広渕クラブ(17日)
中津山ツイスターズ 0―7 前谷地小笠松クラブ(17日)
桃生アスレチックス 0―11 浜市小フェニックス(17日)
門小ガッツ 0―4 渡波マリーンズ(17日)
石小レッドベンチャーズ 0―10 湊ビッグウェーブ(17日)
飯一小かしわクラブ 0―7 大街道キッズ(17日)
蛇田イーグルス 4―0 鹿又クラブ(17日)
女川ビクトリーレッズ 20―3 北小フェニックス(17日)
住吉ブルーリバース 2―4 万石浦ベイスターズ(17日)

【3回戦】
雄小サイクロン 2―5 二俣マックスジュニア(18日)
赤井南スターズ 4―5 飯二小杉の子クラブ(18日)
貞山ファイターズ 13―0 大谷地野球スポ少(18日)
稲井マックス 5―0 山下ビッグバーンズ(19日)
前谷地小笠松クラブ 1―2 浜市小フェニックス(18日)
渡波マリーンズ 1―2 湊ビッグウェーブ(19日)
大街道キッズ 5―1 蛇田イーグルス(19日)
女川ビクトリーレッズ 2―6 万石浦ベイスターズ(19日)

【準々決勝】
二俣マックスジュニア 4―0 飯二小杉の子クラブ(18日)
貞山ファイターズ 5―6 稲井マックス(19日)
浜市小フェニックス 5―7 湊ビッグウェーブ(19日)
大街道キッズ 2―1 万石浦ベイスターズ(19日)

【準決勝】
二俣マックスジュニア 3―8 稲井マックス(23日)
湊ビッグウェーブ 2―9 大街道キッズ(23日)

【決勝】
稲井マックス 3―0 大街道キッズ(24日)

<>2011/9/24 4169<>4169.jpg<>台風15号 被災地を襲う…1万7千人に避難勧告<> 台風15号は21日午後10時に県内に最も接近し、強い雨と風をもたらした。石巻地方の随所は東日本大震災で地盤沈下しており、爪あとが残る中で再び災害に見舞われた。各地で冠水や土砂崩れが発生し、住家の床上、床下浸水被害もあった。2市1町では、沿岸部や河川の流域地域など約6700世帯(約1万7千人)に避難勧告や避難指示を出した。避難した市民は「もう水はこりごり」と疲れきった表情を浮かべていた。


 降り始めから22日午前6時までの総雨量は石巻市雄勝で532・5ミリと県内最多。女川町は452・5ミリ、石巻市では302ミリ。また、21日午後9時40分には石巻市内で30メートルの最大瞬間風速を記録した。


 石巻市は21日午後6時45分に市内中心部や沿岸部、同7時には蛇田地区に避難勧告を出した。石巻地区で77世帯185人、河北地区は自主避難も含めて63人、河南地区14人、雄勝地区13人、北上地区6人、牡鹿地区35人がそれぞれ避難した。


 石巻市内各地で冠水が激しくなった21日午後6時ごろ、中里小に自主避難した70歳代の夫婦は「万が一、避難できないような状態になったら大変だと思い、ここに来ました」と不安な様子でテレビのニュースを見入っていた。


 石巻、河北両署によると、石巻市給分浜など2か所で土砂崩れが発生したほか、道路冠水した37か所中11か所が通行止めになった。また、周囲の冠水で孤立した住宅などから計17人が県警などに救出された。人的被害はなかった。


 石巻市災害対策本部では、仮設住宅の敷地内で冠水被害が相次いだことが報告された。建物の雨漏り、トイレの逆流による苦情も多かった。牡鹿地区では倒木や車両浸水の報告もあるが、道路の通行止めで被害状況が把握できていない。石巻市と女川町教委によると、22日に石巻市内の小中学校19校と4幼稚園が臨時休校、女川町は町内すべての小中学校が臨時休校となった。なお、東松島市では通常通り授業を行った。管内高校は、石巻北飯野校を除く全校が臨時休校した。


 東松島市では市内を流れる定川に越水のおそれがあり、21日午後7時30分に赤井、大曲地区の一部2277世帯6065人に避難勧告22日午前0時に解除されるまで602人が小学校や市民センターに避難した。道路の冠水やがけ崩れの報告も相次いだ。


 東北電力によると21日夜、石巻市鮎川浜、寄磯浜、荻浜、田代浜、女川町塚浜、飯子浜など牡鹿半島の3299世帯で停電が発生。土砂崩れなどで道路が寸断されているため、同社では女川から海路で現地に入り復旧を進めている。なお、22日午前8時現在で、停電世帯は2374世帯となっている。




 【写真】 女川町清水地区の川が氾濫、新田仮設住宅周辺が水で囲まれた(22日午前8時20分ごろ)

<>2011/9/22 4168<>4168.jpg<>中心市街地に仮設店舗…12月上旬オープン予定<> 石巻商工会議所(浅野亨会頭)は20日、震災で店舗を失った商店主の再建を支援するため、同市立町2丁目の民間有料駐車場に21区画のプレハブ仮設店舗を運営することを発表した。12月上旬のオープンを予定しており、今月26日午後2時から商議所で入居希望者説明会を開いて募集を開始する。消費者のニーズに応える店舗群を構成していき、本格的な中心市街地の復興につなげたい考えだ。


 仮設店舗施設が整備されるのは、現在市役所臨時駐車場となっている立町大通りのekパーキング(旧エンドーチェーン)。1510平方メートルの敷地面積に、7棟21区画の店舗と共同トイレ、倉庫、事務所を設置する。催事場に使える中庭も設ける。


 区画の内訳は12坪(39・6平方メートル)の物販Aタイプが9区画、6坪(19・8平方メートル)の物販Bタイプが4区画、同飲食店向けのCタイプが8区画。2年間無料で入居できるが、共益費は出店者の案分となり、陳列棚など備品は自己負担で各自用意してもらう。


 会議所が希望者と入居契約を結んで運営する。土地の賃借料は市が負担し、施設自体は独立行政法人中小企業基盤機構の支援事業により設置される。10月3日から工事に着手。公募で名称を決める。


 応募は市内の店舗が震災で大規模半壊以上の被害(罹災証明書による)を受けた中小企業者で、仮設店舗入居期間終了後も引き続き市内で事業を継続することが条件。26日から10月5日まで募集を行い、7日選定。応募多数の場合は抽選になる。


 商議所2200会員のうち、4分の1が大規模半壊以上の被害。建築制限により、事業を再開しようにもできない企業主も多い。中小機構の仮設店舗整備は被災各地で進められているが、中心市街地に置くのは他にない石巻方式≠ニいう。


 浅野会頭は「やる気のある企業主にがんばってもらい、身近なものが買える活気のある中心市街地にしたい」と話していた。




 【写真】 仮設店舗が整備される民間有料駐車場。中心市街地の復興につなげる
<>2011/9/22 4167<>4167.jpg<>石巻地方各地で冠水 鉄道運休など影響<> 非常に強い台風15号は21日午前11時現在、和歌山県潮岬の東約80キロにあり、時速35キロで北東に進んでいる。石巻地方には21日夜遅くから22日未明にかけて最も接近する見通し。この台風で石巻地方の公共交通機関が運休するなど市民生活に影響が出た。気象台は「雨と風は次第に強まる見込み」と話し土砂災害や低地の浸水などへの警戒を呼び掛けている。


 仙台管区気象台によると、台風15号の中心は950ヘクトパスカル(21日午前11時現在)で、中心付近の最大瞬間風速は60メートルの暴風。次第に速度を速めながら北東に進んでいて、21日夜から22日未明にかけて東北地方に接近し通過する見込み。


 同気象台によると、20日の降り始めから21日午前9時までの総雨量は石巻市雄勝で204ミリ、同市泉町で143ミリ、東松島市矢本で131ミリ、女川町で170ミリを観測。台風接近と前線の影響で、石巻地方の雨と風は次第に強くなると見られる。


 22日午前6時までの24時間雨量は多い所で200ミリ、最大風速は22日にかけて宮城県東部の海上で30メートル、陸上で20メートルとなるとそれぞれ予想される。


 今後、台風は22日朝に岩手県沖に抜け、北海道の東側に進行すると見られる。台風通過後も風が強い状態は続く可能性があり、気象台は引き続き、警戒を求めている。


 県は21日午前7時ごろまでに石巻市と東松島市、女川町に土砂災害警戒情報を発表。大雨のため対象地域では土砂崩れなどの危険性が高まっているとし警戒を呼び掛けている。


 石巻市防災対策課によると、21日朝には新橋や清水町、駅前北通り、石巻市民会館前など市内14か所で道路が冠水し、うち7か所で通行止めとなった。また同日午前には同市水押、南境などの仮設住宅で床下浸水の被害が報告されている。


 東松島市では、道路の所々で10―20センチほどの冠水はあるが通行に支障はない状況。女川町ではホテル華夕美の入浴支援事業が一部中止された。


 なお、石巻地区消防本部に入った情報では21日午前、石巻市しらさぎ台で土砂崩れが発生。約5メートルほどの範囲で土砂が崩落したものの、近隣の住宅に被害はなかった。


 台風15号で、JR仙石線は21日朝から石巻―矢本駅間で、同石巻線は石巻―小牛田駅間で運行を見合わせ。また石巻と田代、網地島を結ぶ離島航路「網地島ライン」は始発から全2便が欠航した。


 石巻、東松島市、女川町教委などによると、石巻地方の小、中学校計10校が臨時休校。高校も10校が臨時休校となった。




 【写真】 大雨で各地の道路が冠水。多くの人に影響が出た(21日午前7時10分ごろ、石巻市南光町で)
<>2011/9/21 4166<>4166.jpg<>市立病院 移転新築へ<> 石巻市は20日、市立病院=同市南浜町=を現地復旧せず移転新築する方針を固めた。市議会全員協議会で再建案を示し、仮設病院を建てずに本建設の場所を選んで5年以内の開院を目指す考えを明らかにした。市は再建するまでの間、石巻赤十字病院に市立病院の看護師らを派遣して雇用を確保していく。病院局は近く専門委員会を立ち上げ、本年度内には建設予定地を含めたおおよそのスケジュール案を示す見通しだ。


 津波被害で機能停止した市立病院の再建をめぐり、市は現在地復旧と移転新築の両にらみで方向性を探ってきた。最近になって移転した場合でも国の財源がつく見通しとなり、県の計画で市立病院の位置づけが明確になったため、日赤と連携しながら移転新築する方向で舵(かじ)を切った。


 亀山紘市長は「当初は現地復旧で進めてきたが、これからは移転新築を基本としたプランで進めたい」と話していた。病院局は「新たな市立病院は救急医療機能を維持し、市民に開かれた病院にしていく。日赤との相互連携で石巻医療圏の役割を果たす」と語っていた。


 再建案では短期対応に病院スタッフの雇用確保を掲げた。看護師123人、技師25人は市職員の身分で石巻赤十字病院が年度内に建設する仮設病棟に派遣するほか、仮設住宅の巡回診療などを担ってもらう。


 中・長期的には医療復興をテーマに市立病院は1・5次救急、亜急性期、回復期リハビリ、在宅支援などに取り組む。石巻赤十字病院は2―3次救急、専門医療を有しているため、連携を図ることで急性期から慢性期、在宅まで幅広い医療サービスが提供できる。


 病院局によると、新たな市立病院は現在地と同等規模を計画しており、本年度内には建設地を含めたスケジュール案を示す考え。9月15日現在、市立病院には医師7人がいるが、年内には3人になる見通し。病院局は「病院連携で魅力的な研修環境を作り、医師の確保を進めたい」と語っていた。




 【写真】 石巻市議会全員協議会で再建案が示された
<>2011/9/21 4165<>4165.jpg<>就任後初、地元入り…安住財相「早期の3次補正に意欲」<> 衆院宮城5区選出の安住淳財務大臣が19日、大臣就任後初めて地元の石巻市に戻り、2市1町の首長らと復興に向けた財源などで意見交換した。1千億円を計上する被災中小企業グループ等に対する施設等復旧整備補助事業で安住大臣は、「予備費を使い、3次補正をまたず前倒しで対応したい」と語った。


 意見交換には、亀山紘石巻市長、阿部秀保東松島市長、安住宣孝女川町長、浅野亨石巻商工会議所会頭らが出席。自治体は復興計画を具現化するために必要な国による早期の予算措置を求めており、地元出身の財務大臣の手腕に期待していた。


 安住大臣はあいさつで、「できるだけの予算措置をしたい。復興債の償還財源になる臨時増税について、国民の皆さんに頭を下げ理解を得たい」と述べた。増税は所得税、法人税が軸となる見通しだが、被災地は「事実上負担のかからない制度にしたい」という。


 また3次補正予算については「総額10兆円を超え、うち復興関係が8兆円強になる。被災地が心待ちしており、来月には提案して早い段階で成立を目指したい」と語った。


 安住大臣は同日、地元大原浜で墓参りしたほか、給分浜、小渕浜の仮設住宅なども訪問した。




 【写真】 安住財務大臣(右)が就任後初めて地元入りし、石巻市役所で2市1町の首長らと意見交換

<>2011/9/20 4164<>4164.jpg<>「安全、安心な牛肉食べて!」…消費拡大願い試食販売<> 原発事故の影響で価格が低迷している県内産牛肉の消費を拡大しようと、JAいしのまきは19日、同JA農業情報センター=石巻市蛇田=で試食販売会を開いた。県内産牛肉から放射性セシウムが検出されたとして、県内産肉牛に出されていた出荷制限は8月に解除。その後も風評被害が懸念される中、牛肉の安全性をアピールした。


 販売に先立ち同JAの千葉昭浩肉牛部会長は「検査をクリアした安心、安全な牛肉を賞味してほしい」と安全性を強調。サーロインステーキ用やモモスライスなどが市価よりも3割ほど安く販売され、開始の午前10時前には多くの人が列を作った。また、試食コーナーも設けられ、地元産牛肉のおいしさと安全性を確かめていた。


 石巻市大街道の伊藤好美さん(70)は「柔らかくてとてもおいしい。風評被害もあったが安心して食べられる。牛肉を食べることで農家の支援になればと思う」と話した。


 県産牛肉は福島第一原発事故の影響で、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性セシウムが検出されたとして、政府は7月28日、県内で飼育されているすべての牛の出荷を停止とした。制限は8月19日に一部解除されたが、風評被害からその後も牛肉価格は低迷を続けている。




【写真】 地元産牛肉が格安で提供された(19日、JAいしのまき農業情報センターで)

<>2011/9/20 4163<>4163.jpg<>仮設団地に自治会設立…渡波第一団地 石巻市内で初<> 仮設渡波第一団地=石巻市渡波字四勺=で18日、市内では初めてとなる仮設住宅の住民らによる自治会が発足した。住民同士の交流を深めることで、仮設での孤立を防ぎ、住みよい地域づくりを進めるのが目的。同日行われた設立総会で、自治会長に就任した辺見俊一さん(76)は「住民同士が和気あいあいと暮らしていけるように取り組んでいきたい」と意気込みを語った。


 石巻市では、仮設住宅入居者から地域内のルールやコミュニケーションの場が必要との要望が寄せられたことから、市内50戸以上の仮設住宅団地内に自治会組織立ち上げを進めている。


 第1号となった渡波第一団地は、万石浦小学校近くにあり、79世帯166人が生活している。市の指導で8月7日に自治会組織立ち上げの準備委員会を設立。4回の会議を通じて、会員相互の連絡や防災・防犯活動、清掃・美化の環境整備などについて盛り込んだ会則(案)を作成した。


 設立総会には住民約50人が出席。会則の内容や役員の人選を住民らが承認し、自治会がスタートした。


 辺見会長は、「入居者が震災前に住んでいた地域は女川町や市内の各所などバラバラだったことから、一人暮らしの住民の孤立やゴミ出しなどの規則がないことが課題となっていた。これからは入居期間にとらわれず、支えあって生活できるよりよい環境づくりを進めていきたい」と話していた。


 なお、24日には同第二団地でも自治会設立総会が行われる。




 【写真】 総会には住民らが出席し、準備委員会からの説明を受けた(石巻市渡波の仮設渡波第一団地で)

<>2011/9/19 4162<>4162.jpg<>築地銀だこ 石巻に本社<> 全国に400店以上のたこ焼きチェーン「築地銀だこ」を展開する(株)ホットランド=群馬県桐生市=の佐瀬守男代表取締役は16日、石巻市役所で記者会見し、年内を目標に本社を石巻市に移すことを発表した。たこの加工工場も市内に建設し、新たに200―300人の雇用を生み出す考えがあることを明らかにした。


 同社は被災地支援を目的に今夏、大街道北にホット横丁石巻を開設。本社はこれと合併する形で隣接地に建設し、横丁の多店舗化に向けた業態作りや商品開発、人材育成、来年以降の稼働を目指すたこ加工工場の管理運営を行う。


 佐瀬代表は「加工工場は年内に候補地を選ぶが、水産加工団地の一角を検討したい。石巻市の食材を使った新商品の開発にも力を入れ、全国に発信していく」と話した。同席した亀山紘市長と石巻商工会議所の浅野亨会頭は「経済再生に向かう中で大きな弾みだ」と期待を込めた。


 工場は現在、中国で1次加工、国内4か所で2次加工を行っているが、これを石巻市に集約。たこの惣菜を含めた3次加工や物流センターの配置も視野に入れた。東北エリアでは56店舗が営業しているが、これを倍にしたい考えも示した。


 ホット横丁石巻は築地銀だこをはじめ、バラエティー色豊かな店舗が連ねており、新たに地元産の米粉を用いたホットドック専門店やラーメン店を開設した。平日は800人前後、週末は1500人が足を運ぶなど市内の人気スポットとなっている。




 【写真】 記者会見で、本社を石巻市に移転することを発表した佐瀬代表(中央、石巻市役所で)

<>2011/9/19 4160<>4160.jpg<>第53回石日旗争奪少年野球大会 開幕<> 「力を合わせ復興に向けがんばろう」をスローガンに掲げた「第53回石日旗争奪少年野球大会」の開会式が、16日午後6時から鷹来の森運動公園=東松島市大塩=で行われ、石巻地方2市1町の36チームの選手約720人が堂々と入場行進した。東日本大震災で監督やチームメートを失い、また野球道具や練習場もなくした球児たちが、多くの支えにより球場に帰ってきた。野球をできる喜びをかみ締めて、17日からの試合に臨み、“深紅の石日旗”を目指す。
                 
 大会は石巻日日新聞社主催。石巻市、東松島市、女川町、各市町教育委員会、NPO法人石巻市体育協会、石巻野球協会、県野球連盟石巻西支部、石巻市・東松島市各スポーツ少年団、石巻市野球スポーツ少年団連絡協議会、東松島市同、社会を明るくする運動石巻市実施委員会、石巻市社会福祉協議会、石巻市PTA協議会、財団法人石巻市スポーツ振興公社が後援。(有)大橋商店=石巻市穀町=が協賛している。
                 
 例年、6月に石巻市総合運動公園を主会場に行われてきたが、今年は震災の影響で3か月遅れとなり、開閉会式と全試合を鷹来の森運動公園とした。
                  
 入場行進は昨年優勝の蛇田イーグルスから始まり、万石浦ベイスターズまで36チームの選手らがマーチと観客席の拍手に合わせて力強く行った。開会に先立ち、震災犠牲者に全員で黙とうを捧げ、国旗、大会旗も今回は半旗とした。
                
 あいさつで石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役は「震災の影響による厳しい環境の中で練習に励んできた皆さんにとって、この大会は特別な意味を持っている。亡くなった監督、選手の思いを胸に全力でプレーしてほしい」と呼び掛けた。来賓を代表して東松島市教育委員会生涯学習課の菅野利一課長、県野球連盟石巻西支部の北沢松一支部長、ヤッくん杯少年野球名誉会長の渥美巖県議が各チームの健闘を期待した。
                
 選手宣誓は稲井マックスの松川大地主将(12)。長年、チームの指導にあたってきた阿部惣一監督が震災で命を落とした。「3月11日の大震災でもう野球はできないと諦めていた僕たちに、このような状況でも試合に出られるようにしてくれたすべての人たちに感謝します」「犠牲となった人たちの思いを胸に、周りが元気になるよう精一杯戦います」と夜空に響く大きな声で述べた。
               
 試合は17、18、19日に1回戦から4回戦(準々決勝)、23日に準決勝、24日に決勝戦が行われる予定。
                 
【写真】「周囲が元気になるよう精一杯戦います」と力強く選手宣誓する稲井マックスの松川主将

<>2011/9/17 4159<>4159.jpg<>抄紙機 営業運転スタート…日本製紙石巻<> 東日本大震災からの早期復興を目指す日本製紙石巻工場が、16日から営業運転を開始した。順次復旧させていく予定の抄紙機6台のうち、8号抄紙機が稼働。社員らが万歳三唱するなどして半年にわたる地道な復旧作業の成果を喜び、完全復旧に向けて決意を新たにした。


 構内では、8号抄紙機の前で復興立ち上げ式が開かれた。社員ら100人が見守る中で倉田博美工場長が営業運転に切り替えるスイッチを押すと、紙を巻くロールが出荷用に切り替わった。社員らは大きな声で万歳を連呼し、倉田工場長を胴上げするなどして喜んだ。


 その後のセレモニーで倉田工場長は、社員や全国からの支援に感謝を込め、その上で「まだまだ完全復旧には長い道のりだが、安全第一で努力してほしい」と激励。亀山紘石巻市長は「日本製紙石巻工場の復興なくして石巻市の復興はない。今後も力添えをお願いしたい」とあいさつした。


 なお、出荷は16日午後から行われ、トラックで仙台市まで運び、そこからは貨物列車で首都圏に届けられるという。


 8号抄紙機は書籍用紙をつくる機械。幅6メートルの紙を1時間で42キロメートル生産することができる。年間生産量にすると11万2千トン。完全復旧後の目算は85万トンのため、約13%の復旧率だ。


 今後、石巻工場では11月にN4号抄紙機・4号塗工機を稼働。本年度末までにN5号抄紙機、そして国内最大級のN6号抄紙機を動かす。さらに来年度初めに7号抄紙機、N2号抄紙機・2号塗工機で生産を行う予定となっている。




 【写真】 8号抄紙機のスイッチを押す倉田工場長

<>2011/9/16 4158<>4158.jpg<>石巻弁でラジオ体操<> 被災者の健康管理や地域住民同士の親ぼくにつなげてもらおうと石巻地方の方言を取り入れたラジオ体操「おらほのラジオ体操第一」を普及するプロジェクトが、石巻市などで進められている。取り組みを行う実行委は「地域住民の連帯感を高め、新しいコミュニティーづくりのきっかけにしてほしい」と期待を込める。収録CDは石巻市内で販売している。


 実行委は、(株)石巻日日新聞社と石巻コミュニティ放送(株)(ラジオ石巻)などで組織。プロジェクトは医療・福祉分野の広告を手掛けるマッキャン ヘルスケア ワールドワイド ジャパン=東京都=が企画。石巻市渡波の法音寺住職谷川正明さんが方言指導を行ない、石巻市出身のラジオパーソナリティー本間秋彦さんが号令をかけている。


 内容は「前下さ、曲げっぺっちゃ、やっけぐ、弾みっこつけて(前下に曲げます。柔らかく弾みを付けて)」「体ば、回すべし(体を回しましょう)」などの号令をラジオ体操第一の原曲に付けた。標準語の号令と内容は同じ。
 実行委は今後、石巻地方の教育委員会や自治体などへの普及を図り、各地域で体操を実施する考え。「誰もが慣れ親しんだラジオ体操を石巻弁で行っているので気軽に参加してほしい。仮設住宅団地などで人と人をつなぐ交流のきっかけとしてほしい」としている。


 10日には、石巻市開成のコバルトーレトレーニングパークで、体操の実演が行われた。地元の子どもや保護者ら約80人が参加し、号令に合わせて体を動かした。石巻弁で号令がかかると「おもしろい」などと、笑い声があがっていた。


 「おらほのラジオ体操第一」を収録したCDはラジオ石巻=カ96―1010、石巻市鋳銭場=で販売している。1枚500円で、うち200円は災害復興義援金に充てられる。




【写真】 石巻弁を交えたラジオ体操を行う子どもたち(10日、石巻市開成)
<>2011/9/16 4157<>4157.jpg<>仮設入居者が寄せ書き 都内イベントで展示<> 石巻市開成の仮設住宅団地に入居する市民が書いた「復興寄せ書き」が、11日に東京都中央卸売市場大田市場であった復興支援イベントで掲げられた。全国の支援に感謝を込めたメッセージが来場者の関心を呼んだ。


 入居者の寄せ書きは石巻復興支援ネットワーク「やっぺす隊」が集めた。同隊は、仮設住宅で行事を通じたコミュニティー支援を展開しており、そこに参加した市民が全国から寄せられた支援に感謝の気持ちを込めてペンを握った。


 「サポートしてくれるすべての人に感謝します」「災害に負けず前進します」「石巻の美味しい海の幸を早く全国の方に食べていただきたい」などと思いを書きつづった。縦1・5メートル、横2メートルのビニール製の生地が使われ、中央には復興≠フ2文字が力強く書かれている。


 市場であったイベントは3年ぶりに行われた大田市場まつり。催しに全面協力した大都魚類椛蜩c支社(堅田照久支社長)が、会場の入り口に寄せ書きを掲げた。まつりでは宮城、岩手両県から仕入れた魚介類を並べ、水産界の復興を願った。


 石巻市南浜町出身で同支社営業部営業一課の阿部宗一課長は「故郷の被災で毎日心が痛む。メッセージを読んで涙があふれた。今後も都内のイベントで寄せ書きを掲げ、石巻市に支援の輪を広げたい」と話していた。




 【写真】 大田市場まつりの入り口に掲げられた寄せ書き


<>2011/9/15 4156<>4156.jpg<>理解を深めて…骨髄バンク「いのちの輝き展」<> 宮城県骨髄バンク登録推進協議会石巻支部(小野喜代人代表)は、イオン石巻ショッピングセンター特設会場で「元気出そうよ!石巻骨髄バンクいのちの輝き展=vを開催している。19日まで。


 白血病と闘う患者の作品を通じて、骨髄バンクへの理解を深めてもらおうと年2回開催している。今年は、震災で被害を受けた石巻市の復興への願いも込められている。


 会場には、7歳9か月で亡くなった小さな画家≠やちゃんが白血病治療の間に描いた作品や、17歳でこの世を去った守くんの心のメッセージなど約200点が展示され、多くの買い物客が足を止めて見入っていた。


 石巻市南中里から訪れた日下有さんは「ドナー登録を考えたこともあるが、仕組みなどがわからないことが多かった。どの作品を見ても考えさせられる」と話していた。


 観覧は午前10時―午後9時(最終日午後5時)。問い合わせは同支部小野さんまで。




【写真】 多くの市民が会場を訪れている

<>2011/9/15 4155<>4155.jpg<>被災地の思い背負い東北代表に…河南西中吹奏楽部<> 秋田県湯沢市で11日に開かれた全日本吹奏楽コンクール東北大会で、宮城県代表で出場した石巻市立河南西中学校吹奏楽部(高平亜弥部長、部員28人)が金賞を受賞。来月9日、神奈川県横須賀市で開催される東日本学校吹奏楽大会に進出することが決まった。石巻地方の中学校が、小編成部門の最高峰である同大会に出場するのは初めての快挙だ。部員たちは「東北地方の代表として、また被災地の思いを込めて演奏してきたい」と張り切っている。


 東北大会の中学校小編成部門に出場した同校は「喜歌劇『サーカスの女王』セレクション」を演奏した。秋田県や福島県など東北地方の12校のうち、4位となり金賞を受賞。東日本大会への切符をつかんだ。


 同校は石巻地方の内陸部にあり、東日本大震災で津波被害は受けなかった。しかし、校内は断水、停電したため震災後の約1か月間は合同練習ができなかった。そのため部員たちは、自宅に楽器と楽譜を持ち帰って各自で練習を続けていたという。本格的な練習が始まったのは、5月上旬から。例年に比べて短い練習期間だった。


 それでも「津波で楽器が流れてしまった学校や大会出場のチャンスを失った学校に比べると、恵まれた環境にある」と、他校の悔しさ、無念さを思いながら練習に打ち込んできた。


 1か月を切った本番の日に向けて平部長は「被災した石巻市の中学校として、被災者や出場できなかった学校の人たちの思いを背負って演奏してきたい。部員の心を一つにし、まとまりあるサウンドを奏でたい」と意気込む。


 顧問の菅原久美子教諭は「石巻地方から東日本大会に進むのは初めてで、生徒たちにとってもいい経験になるはず。例年よりも厳しい環境の中でよくがんばった。大会では気負わずに演奏してほしい」と見守っている。




 【写真】 初の東日本大会に向けて意気込む河南西中吹奏楽部メンバー
<>2011/9/14 4154<>4154.jpg<>最優秀に菅原さん(湊中)…少年の主張石巻地区大会<> 第33回「少年の主張」石巻地区大会が13日、同市立河南西中学校体育館で開かれた。2市1町の中学校の代表生徒13人が震災での体験や学校生活で感じたことなどを力強く発表し、最優秀賞に菅原彰太さん(湊2年)が輝いた。


 大会は、青少年のための石巻地区市・町民会議連絡協議会(菅原良光会長)の主催。中学生に日常生活での思いや考えなどを自由に発表する場を提供しようと毎年開催。発表時間5分の間に、論旨・表現・態度の観点から審査した。


 最優秀賞に選ばれた菅原さんは「今、自分にできること」をテーマに、津波で被災した街や同級生の死で悲しみに包まれるなか、プレーしたサッカーの試合での喜びと苦悩を発表。練習する姿が仮設住宅の住民に笑顔を与えたことを機に、「小さなことでも自分にできることを少しずつやっていきたい」と熱く主張した。菅原さんは21日に仙台東華中で開かれる県大会に出場する。


 最優秀賞を除く入賞者は次の通り。
 ▽優秀賞=氣仙遥(石巻中3年)▽優良賞=今野大樹(桃生中3年)高橋昌也(河南西3年)橋葵(大須中3年)




【写真】 県大会出場を決めた菅原さん

<>2011/9/14 4153<>4153.jpg<>希望¢tでる再生ピアノ…クミコさんしっとり歌う<> 津波被害を受けながら、多くの人たちのサポートで再生したグランドピアノを使ったコンサートが震災から半年にあたる11日、石巻市立湊小学校講堂で行われた。「再生ピアノで唄う心の復興<Rンサート 一歩だけ前へ…」と題してシャンソン歌手のクミコさんが弾き語りなどを聞かせた。


 ピアノは石巻市寿町通りの楽器店「サルコヤ」=中央2丁目=のもの。3月11日にまちなかを襲った津波で同店も被災し、店内にあった30台のピアノが向かいの石巻商工会議所付近まで流された。いずれも泥まみれで音が出なくなったが、長年、楽器をわが子のように愛(いと)しんできた社長の井上晃雄さん(82)は修復を決意。賛同したピアノ技術者や災害ボランティアらの支援を受けて作業を進めてきた。


 この話を聞いたクミコさんが、震災から半年にあたる11日までに再生できたら石巻市内でコンサートを開こうと約束していた。1週間前の音あわせでは、まだ音が出ない鍵盤もあったが、ラストスパートをかけて完全に復活。無事、開催できた。


 クミコさんはオープニングで再生ピアノを弾きながら「ともだち」(オリジナルは坂本九)を歌った。泥だらけだったとは思えない美しい音色は、クミコさんのしっとりとした歌声を乗せて響いた。会場には被災した市民も多くいたが、甦ったピアノに希望を見出していた。


 最前列に座って耳を傾けていた井上さんは感慨深げな表情を浮かべながらも「まだまだ課題はいっぱいある。今日をスタートに、第2、第3弾の修復作業をがんばっていきたい」とまた新たな目標への意気込みを語っていた。




 【写真】 見事に甦ったグランドピアノで「ともだち」を歌うクミコさん。客席最前列右端は井上さん
<>2011/9/13 4152<>4152.jpg<>北海道知内町 石商野球部を招待<> 石巻商業高校硬式野球部が先日、北海道知内町で4泊5日の合宿を行った。東日本大震災後に石商野球部がガレキに囲まれたグラウンドで練習しているのを知った同町が、被災地支援の一環で招いたもの。知内高と函大有斗高、北広島高の各野球部が参加し試合をするなどして交流も深めた。


 石商の校舎付近は震災後、廃棄物置き場となり、グラウンドには悪臭が漂い、多くのハエも発生。悪条件の中だったが野球部は4月21日から、マスクを着用するなどして練習を再開していた。


 その様子をテレビのニュースで知った知内高野球部が北海道に石商野球部を招くことを提案。監督が町に打診したところ快諾を受け、町の施設を無料開放するなどの支援が決まり、合宿を開催することになった。


 石商の1、2年生の選手たち29人は在来線と新幹線を乗り継ぎ、同町を訪問。2日目には交流試合を行い、今年春の全道大会で優勝した函大有斗には4―5で惜敗。センバツ出場経験をもつ知内高には5―4で勝利した。試合後は知内高とのバーベキューによる交流会も実施。その後3、4日目は町内のグラウンドを借りて練習を行った。


 石商の佐藤光也主将は合宿を終え、「知内町の皆さんに感謝したい。強豪校と試合を通して手応えも感じた。春の甲子園で北海道のチームと再戦したい」と話していた。




 【写真】 バーベキューで交流を深める選手たち
<>2011/9/13 4151<>4151.jpg<>「あれから半年」…東日本大震災 発災時刻に黙とう捧げる<> 石巻地方で5600人以上が犠牲となった未曾有の東日本大震災から6か月にあたる11日、各地で追悼と復興に思いを込めた催しが数多く行われた。「もう半年」「まだ半年」―。流れた時間は同じでも、一人ひとりの受け止め方は異なり、心情もさまざま。地震発生時刻の午後2時46分になると、各市町の会場ではイベントを中断して震災犠牲者に黙とうを捧げた。


 石巻駅前にぎわい交流広場ではこの日、地元業者が復活した石巻の味≠ネどの出店を並べ、市民団体が獅子風流や歌、踊りをステージ発表する「がんばろう!石巻祭り」(電化生活館石巻・女川主催)を開催。午後3時から中村雅俊さんがスペシャルゲストで登場するとあり、大勢の市民が会場を埋めていた。


 2時46分、防災無線からサイレンが鳴り、1分間の黙とうを呼び掛けると、客席の市民らはじっと目を閉じ、犠牲者の冥福を祈った。


 幼なじみの村上知昭さん(70)=石巻市新橋=と佐藤清さん(同)=同市南中里=は震災以来、この会場で偶然、再会。互いの無事を喜ぶとともに、現状を報告しあった。100人の同級生のうち3人が犠牲となったことが分かっている。まだ状況が分からない人もおり、今後、増えるかもしれないという。


 震災からの日々を振り返ながら、「何もかも行政のせいにすることはできないが、すべてが遅い。石巻は今後どうなるのか。もっとスピーディに物事を進めてほしい」と訴えていた。




 【写真】 防災無線の呼び掛けで黙とうを捧げる市民たち(石巻駅前にぎわい交流広場で)


<>2011/9/12 4150<>4150.jpg<>女川でサンマ初水揚げ<> 全国有数のサンマ水揚げ基地、女川港に12日、今季初めてサンマ船が入港した。震災の影響で初水揚げは例年より3週間ほど遅くはなったが、多くの買受人らは喜びの表情を浮かべ、場内は活気に満ちていた。


 この日は午前8時40分ごろ、かさ上げ工事を完了した女川魚市場西側岸壁に宮城県船籍の大型サンマ漁船の「第6安洋丸」(199トン)が入港。船員らは休む間もなく北海道東沖で漁獲した新鮮なサンマ約60トンを次々に水揚げした。


 岸壁では、地元女川町や石巻市の買受人が待ち構え、魚体の大きさや質を丁寧にチェック。その後の入札では1キロ当たり200円―250円で取り引きされた。400円―500円だった前年の初水揚げのように、ご祝儀相場とはいかなかったが、同日は北海道花咲港で数十円で売買されていたことから、全国の相場を考えればまずまずの価格。大きさも「大」(160グラム以上)が6割を占め、脂の乗りも良い。


 今後はサンマの群れの南下に伴い、女川魚市場への水揚げも増えてくる見込み。同魚市場の加藤實専務は「震災被害のため受け入れ能力は例年の半分ほどになるが、今後も一歩一歩前進するしかない」と話していた。


 同市場は東日本大震災で岸壁が破壊され、周辺にあった多くの加工場も休業に追い込まれた。急ピッチで作業を進め今月に入ってから受け入れ態勢が整い、本格的な水揚げシーズンに何とか間に合った。




 【写真】 新鮮なサンマが女川港に水揚げされ、魚市場を活気づけた
<>2011/9/12 4149<>4149.jpg<>震災後初めて日本製紙石巻に燃料用石炭が到着<> 東日本大震災からの早期復興を目指す日本製紙(株)石巻工場(倉田博美工場長)に10日、発電用燃料の石炭約2万4千トンが届いた。この日、石巻港雲雀野埠頭に燃料を積んだ貨物船が到着。震災後、同工場に関連する燃料貨物船の入港は初めてで、関係者が歓迎した。工場では8号抄紙機の運転再開も16日に控えており、多くの部門では3交代制勤務が復活。本格復旧に向けた作業にも拍車がかかる。
               
 この日午前8時ごろ、雲雀野埠頭に着岸したのは、バラ積み船「EMILY MANX」(マン島船籍、最大積載量4万6千トン)。インドネシアで石炭4万4千トンを積んで先月30日に出港。8日に仙台港で半分を降ろし、石巻港に向かった。
                
 岸壁では倉田工場長をはじめとする石巻工場幹部ら10人が船を出迎えた。操舵室でフィリピン人のキュバ・ペピト船長に石巻産の地酒を贈り、航海の労をねぎらった。
                 
 今後2日間、延べ2千台以上のトラックが24時間体制でフル稼働し、石炭を港から工場に運び込む。工場には石炭と重油、バイオマスの各燃料を使用する発電機があるが、石炭はバイオマスの燃料としても使われるという。
                
 例年、石巻工場向けの石炭貨物船は年間10船ほど入港。一度に3万5千トンほどを荷降ろしている。今回は震災被害に遭った港内の状況と工場の稼働状況などから量を抑えたが、今後は少しずつ増やしていく考えだ。
                   
 なお、同工場では書籍用紙などを製造する8号抄紙機を9月16日に稼働させ、11月には塗工紙をつくるN4抄紙機・4号塗工機で生産を開始。年度内にはN5、N6抄紙機も動かす予定となっている。
               
 倉田工場長は「一歩一歩前進していることを実感している。従業員も緊張感を持って頑張ってくれている」と話していた。
                
【写真】震災後初めて日本製紙石巻工場用の貨物船が石巻港に入った<>2011/9/10 4148<>4148.jpg<>東松島市モデルに復興支援…JICA緒方理事長が視察<> 独立行政法人国際協力機構(JICA)の緒方貞子理事長が8日、東日本大震災で被災した東松島市を視察した。JICAは同市のコミュニティー形成をサポートしているが、国内の支援活動は極めてめずらしいという。
            
 JICAは東松島市をモデルとした支援を決め、被災者や青年海外協力隊の経験者ら3人を地域復興推進員に委嘱した。宮城大地域連携センターの復興まちづくり推進員と共に、復興まちづくり計画の地区懇談会などをサポートしている。
               
 被災地共通の課題となっている地域コミュニティーの立て直しを手伝い、ここでの積み重ねを本来の海外協力に役立てるつもりだ。
                
 緒方理事長は市の復興本部を訪問し、阿部秀保市長らから被災状況や復興のまちづくりについて説明を受けた。阿部市長は「応急対応から協力していただきありがたい」と感謝。緒方理事長は「まだまだ大変なことがあると思うが、JICAとして復興を手伝えることがある」と話していた。
                
【写真】
阿部市長から被災状況や応急対応について説明を受ける緒方理事長(左)<>2011/9/10 4147<>4147.jpg<>定川 新北上大橋 仮橋建設進む<> 石巻市と東松島市の境に位置する県道石巻工業港矢本線の定川大橋と、新北上川河口から上流約4キロの国道398号新北上大橋。2つとも震災で橋げたが落橋したが、ともに10月中旬の供用開始を目指して、仮橋の応急復旧工事が進められている。生活や物流、防災の面で重要な交通の要所だけに、仮橋の完成で圏域全体の復興に加速が期待される。


 定川大橋は定川の河口、東松島市大曲と石巻市重吉町にかかる全長126メートルの橋梁。大津波で流された貨物船が衝突して橋げたの一部が落橋し、石巻市側の路面の土砂が流失した。落橋は、う回路となる国道45号が混雑する一因になっている。


 仮橋は現在の橋の下流側に建設。全長は154メートルになる。工事は川底に杭を打ち込み、一時的な路面となる覆工板を繰り返し取り付け、複数の大型クレーン車を用いて石巻側から徐々に仮橋をかけている。


 石巻市の北上地区と河北地区をつなぐ新北上大橋は全長566メートル。うち左岸側(北上町側)が津波により橋げたが落ちた。計画では下流側に162メートルの仮橋を建設し、残っている約400メートルの現橋に接続。仮橋の完成により、両地区の行き来が格段にしやすくなりそうだ。


 両方の仮橋とも幅員は8メートルあり、上下各1車線の2車線を確保する。県東部土木事務所は「台風による工程の見直しが必要だが、間もなく具体的な供用開始の時期が示せる。3年以内(25年度末)の本復旧を目指したい」とした。





  【写真】 仮橋の建設が進む定川大橋(9月6日撮影)
<>2011/9/9 4146<>4146.jpg<>選手のびのびプレー…石日杯ゲートボール<> 第21回石日杯親善ゲートボール大会(石巻日日新聞社、同市ゲートボール協会主催)が8日、追波川河川公園で行われ、渡波(石巻)が優勝を飾った。準優勝にひまわり(石巻)、3位に鹿又(河南)。


 大会は中・高年のスポーツ振興と発展、友好親善を深めることを目的に平成2年から実施。今大会は25チームが出場した。


 同日は天候に恵まれ、選手らはコートでのびのびとプレーしていた。


 優勝した渡波チームの石森清主将(74)は、「日々の練習とチームワークが勝因につながった」と喜びをかみ締めていた。
 また、準優勝に輝いたひまわりチームの佐藤すみ子主将(67)は、「石日杯初出場以来、初めての準優勝なのでとてもうれしいです。来年は優勝を目指したい」と意気込みを見せていた。


 コート賞は次の通り。
 ▽1コート=井内▽2コート=雷神▽3コート=ひまなシターズ▽4コート=沢田▽5コート=第二明友




 【写真】 優勝した渡波チーム
<>2011/9/9 4145<>4145.jpg<>「優勝目指し真剣勝負」…石日杯親善ゲートボール<> 第21回石日杯親善ゲートボール大会(石巻日日新聞社、同市ゲートボール協会主催)が8日、追波川河川運動公園で行われた。秋空の下、選手たちは優勝を目指しはつらつとプレーしていた。


 大会は、中高齢者スポーツの振興と友好親善を深めることを目的に毎年開催している。今年は震災の影響で、前年度より3チーム少ない25チームが出場した。


 開会式で、石巻日日新聞社の佐藤勝雄会長が「途切れることなく21回目を迎えられたことをうれしく思う。元気にプレーしてほしい。健闘を祈ります」と選手らを激励。その後、選手を代表して井内チームの斉藤栄一主将が「勝ってもおごらず、負けても晴れやかに、正々堂々プレーします」と選手宣誓した。


 競技は午前9時から開始された。5チームごとにゲームが行われ、各グラウンドでは、スティックでボールを打つ音が響き渡り、会場は盛り上がりを見せていた。


 参加者の一人は、「震災で南浜町にあった自宅が流され、本当に悲しい思いをしたが、仲間と再び大会に出られることをうれしく思います」と、笑顔で話していた。


 大会はリーグ戦で争われ、順位を勝敗や得失点差で決める。




【写真】 震災後初の大会に、笑顔で臨む選手ら
<>2011/9/8 4144<>4144.jpg<>そばの花 秋風に揺れる…きょうは白露<> きょう8日は二十四節気の一つ白露。大気が冷え、植物に露が宿り始めるころとされる。9月に入り、石巻地方でも朝晩が涼しくなり、過ごしやすくなってきている。仙台管区気象台によると、同日正午時点の石巻市の気温は25・9度で平年並み。日差しは強かったものの、時折、秋風の心地良さを感じられる一日となった。


 東松島市の上下堤地区では、約10ヘクタールの休耕田でそばが白い花を咲かせ、秋風に揺れている。緑色の農地に白いジュウタンを敷いたようにも見え、そのコントラストが見る人を楽しませる。


 そばは上下堤転作組合(浅野公夫組合長)が転作作物として3年前から栽培している。「東松島市の特産品にしよう」と作付け面積を年々、拡大。今年は昨年の1・5倍に面積を増やした。毎年、夏と秋に種をまき収穫。秋そば≠ヘ7月下旬に播種(はしゅ)し、10月上旬には収穫できそうだという。「震災があり、被害を心配していたが、影響がなく安心した。また、夏場の天候が良かったため、出来がとても楽しみ」と浅野さん。


 収穫されたそばは来月16日に同地区で開かれる「コスモスまつり」で提供される予定。




 【写真】 真っ白なそばの花がジュウタンのように広がる(8日午前7時ごろ、東松島市上下堤地区)


<>2011/9/8 4143<>4143.jpg<>ALTテイラーさんの遺族 娘の遺志継ぎ文庫寄贈<> 東日本大震災の津波で亡くなった外国人指導助手(ALT)、テイラー・アンダーソンさん(享年24)が指導した石巻市内の小中学校などに6日、遺族らから「テイラー文庫」が寄贈された。


 テイラーさんは、アメリカ合衆国バージニア州出身。平成20年に来日し、市内6つの小中学校と幼稚園で英語指導していた。3月11日の震災時、石巻市立万石浦小学校(相澤一夫校長、児童420人)で授業を行っていたテイラーさんは、荷物を持ち出そうと門脇の自宅に戻る途中に津波に巻き込まれた。


 本と子どもが大好きだったテイラーさんの思いを形に残したいと、遺族らが指導していた学校などに文庫の設置を決めた。


 このうち、万石浦小で行われた寄贈式には、テイラーさんの両親らが訪れ、目録と図書カードを相澤校長に手渡した。テイラー文庫は、木工作家の遠藤伸一さん(東松島市在住)が製作したベンチ付きの本棚に、英文書50冊とパソコンなどを設置。休み時間や放課後を利用して多くの児童が本に親しんでいる。


 6年生の佐藤航平くん(12)は「休み時間に日本語で話しかけてくれる優しい先生だった。亡くなったことを聞いて本当にショックだった。英語の勉強をがんばって、先生が小さいころに読んでいた英文も読めるようになりたい」と話していた。




 【写真】 休み時間には多くの子どもたちが訪れている
<>2011/9/7 4142<>4142.jpg<>「心一つに楽しみたい」…河南西中吹奏楽部 東北大会に出場<> 全日本吹奏楽コンクール予選宮城県大会(宮城県吹奏楽連盟主催)が先月、東北学院中高校=仙台市宮城野区=で開かれ、石巻市立河南西中吹奏楽部(平亜弥部長)が中学校小編成の部で金賞を受賞した。11日に秋田県湯沢市で開かれる東北大会に出場する。部員たちは「心を一つにして演奏を楽しみたい」と本番直前の練習に取り組んでいる。


 宮城県大会には仙台市や気仙沼市、大崎市などの36校が出場。そのうち、河南西中は「喜下劇『サーカスの女王』セレクション」を演奏。岩沼市立岩沼北中とともに金賞に輝き、東北大会にコマを進めた。


 吹奏楽部のメンバーは28人。昨年の県大会では大編成(25人以上)の「中学生の部」で金賞を獲得したものの、ベスト4に入れず、東北大会出場はかなわなかった。今年は震災後、しばらく学校が停電や断水となり、発災直後から約1か月間は活動できず、練習回数が昨年よりも少なくなった。


 逆境の中でつかんだ切符≠ノ顧問の菅原久美子教諭は「石巻地方の中学校としては久しぶりの東北大会進出となる。本番を前に技術的に伸びている生徒がいる。石巻地方の代表としていい演奏をしてほしい」と期待を込める。


 平部長は「『西中サウンド』の完成度をさらに高められるように、残された時間でやれることをやりたい。東北大会は大きな舞台ですが、緊張しないで演奏をしてきたい」と意欲をみせていた。




【写真】 東北大会を目前に控え最終練習に取り組む部員たち
<>2011/9/7 4141<>4141.jpg<>底引き網漁 初水揚げ…石巻魚市場<> 9月から漁が解禁された底引き網船が6日、石巻魚市場に入港し、初水揚げを行った。底引き網漁は同魚市場で最も水揚げ額が多い主要漁業種。例年7―8月の2か月間は休漁となるが、今年は東日本大震災で3月11日以降、水揚げが止まっていた。久し振りとなる石巻らしい豊富な魚種の水揚げに、市場は多くの買受人で活気づいた。


 この日は宮城県沖で操業していた底引き網船9隻が同市場西港に入港。9月1日に急きょ増設した仮設テント2張りにタコやカレイ、アジ、稚ダイなど総量約20トンが並んだ。


 競りは午前7時から行われ、買受人100人ほどが集まった。加工場が復興していないため競りに参加する業者が少なく、値段は振るわなかった。当面は受け入れ態勢の問題から一日当たりイカ10トン、沖ハモ10トンなどの水揚げ制限を設置するという。しかし、この状況下でも市場職員や多くの人が少しずつ戻ってきたにぎわいを実感し、満足げな表情を浮かべていた。


 石巻魚市場の須能邦雄社長は「この半年間で背後地の準備をしてきたが、船側を満足させるようにはなっていない。今は業界全体で協力し合う時期。仲間とともにこの難局を乗り切り、早く希望をもてる環境にしていきたい」と話していた。




 【写真】 半年振りに底引き網の水揚げが行われ、活気づく石巻魚市場
<>2011/9/6 4140<>4140.jpg<>開北町内会で敬老会…「仮設の高齢者も招待し」<> 震災により石巻市主催の敬老会が中止となる中、同市開北町内会(木村勝会長)は4日、町内の75歳以上を招き、開北会館で本年度の敬老会を開いた。近くの仮設住宅やグループホームの高齢者も招待し、さらなる長寿を願った。


 敬老会で木村会長は「雨降って地固まるというように、このような震災のときだからこそ、町内が団結して仲良くなりたい」とあいさつし、「戦時と震災を乗り越えたのだから、今日は少し気ままに過ごし、いつまでも元気でいてほしい」と祝いの言葉を贈った。


 75歳以上の高齢者約100人の出席があり、全員に商品券など、90歳以上には記念品が贈られた。4丁目の大場昭一さんが「明るく健康に過ごしたい」と代表して謝辞を述べた。


 その後、役員による歌や踊りの演芸があり、縁起をかついだ獅子舞も披露された。招待された高齢者らはジュースやビールで乾杯し、菓子などを囲んでよもやま話に花を咲かせていた。


 同町内会は1―4丁目の1176世帯で構成。津波による被害が比較的軽かった町内は、民間賃貸住宅や仮設住宅に入居する人などで約100世帯増えたという。75歳以上の高齢者は294人おり、最高齢は104歳となっている。




 【写真】 演芸を見ながら、会話に花を咲かせた高齢者
<>2011/9/6 4139<>4139.jpg<>「早朝の浜で採苗作業」…県漁協石巻湾支所 ノリ養殖始まる<> 宮城県漁協石巻湾支所(丹野一雄運営委員長)は5日、石巻市渡波の梨木畑かき処理場で、ノリの陸上採苗作業を行った。


 3月11日の巨大津波で養殖だなが流出した上、海中の状況がつかめないため種付け量は例年の4割ほど。それに伴い生産量も4割程度になる見込み。それでも漁港ではノリ網に種付けをする直径2・5メートルの水車が勢い良く回り、その周りで組合員らが黙々と作業に励んでいた。


 同支所のノリの年間生産額は6億円で、2位のカキ4億円に大きく差をつけ、トップを占める。この日は採苗作業をするため、組合員や作業員ら合わせて33人が早朝の浜に集合。九州地方から購入したノリの種をプールに入れ、その中で長さ約18メートルの網をつけた水車を5分ほど回転させた。


 顕微鏡で網に種が付着しているのを確認すると、安定させるためにプールで4時間放置。その後は網を取り出して陰干しし、保管用の冷凍庫に入れ、作業を完了させた。


 種を付着させたノリ網は9月20日以降、波が穏やかで干満の差が激しい松島湾に運び、成長を促す。10月上旬に回収して持ち帰り、石巻湾小竹沖での養殖が始まる。収穫作業は同月末からの予定。


 宮城県内のノリの年間生産量(平成21年)は約6億8千万枚で全国5位。このうち石巻湾支所は年間約7200万枚で、県内3位となっている。




 【写真】 石巻産ノリの生産に向けて、種付け用水車が勢い良く回る作業場
<>2011/9/5 4138<>4138.jpg<>地域医療復興を支援…祐ホームクリニック石巻が開所<> 在宅医療専門の診療所「祐ホームクリニック石巻」の開所式が3日、石巻市水明北2丁目の現地で行われた。津波により多くの医療機関が被災した中、自力で病院に行けない人にも医療サービスを届け、地域医療復興のモデルケースとして発信していく。


 診療所は約100平方メートルの平屋建てプレハブ施設。東京都で在宅医療を専門に扱う医療法人社団鉄祐会が、日本財団の支援を受けて1日に開設した。診療科目は一般内科と循環器内科。外来は受け付けず、旧石巻市内で介護が必要な人の自宅を訪問して診療を行う。


 スタッフは医師3人を含めて9人おり、24時間で在宅医療を提供。テレビ電話を活用し、東京都の診療所に21人いる専門医の助言をもらうこともできる。地元のNPOと連携しながら心のケアにも対応していく方針で、診療所隣に建てた同じ面積のプレハブの集会所を利用してもらう。


 開所式は集会所内であり、亀山紘石巻市長や市医師会の舛眞一会長、日本財団の尾形武寿理事長らが出席してテープカットを行った。亀山市長は「被災者の健康状態が1番心配。在宅医療拠点の開所は、ありがたい」と感謝していた。


 在宅医療は地元の医師がすでに行っているが、避難所から仮設住宅への入居が進むに伴って在宅医療が必要な人は増える見通し。期限付きの開設になり、将来的には診療所を失った地元の医師などにノウハウを引き継ぐ考えだ。今後、地元薬剤師会も同じ敷地内に薬局を設ける。


 法人の理事長でもある武藤真祐院長は「被災地には高齢者が孤立に陥る現実があり、心のケアを含めて在宅医療を始めようと思った。地元と連携し、震災前より安心安全で人が住み、日本中から見習われる石巻にしたい」と話していた。


 診療の希望は同クリニック。




 【写真】 関係者らがテープカットを行った

<>2011/9/5 4137<>4137.jpg<>「地元対決制し8強」…ラグビー県予選 石巻工<> 第91回全国高校ラグビーフットボール大会宮城県予選は4日、県サッカー場で2回戦が行われ、石巻工業が石巻との地元勢対決を83―0で制し、準々決勝進出を決めた。


 石巻工は前半3分、敵陣ゴール前5メートルと迫り、中央のラックから出たボールをFW佐々木悠人がトライ。その後4つのトライを立て続けに奪った。24分には自陣5メートル前でボールを奪うと、FW後藤孝一郎へとつなぎ、そのまま相手ゴールへと独走した。石巻工は後半に入っても攻撃の手を緩めず、前後半で計13トライと圧倒した。


 石巻は5月の県総体では他校との合同チームで出場しており、単独では今年初めての公式戦。一度引退した3年生が夏休み明けから合流したが、練習が十分でなく力負けした。2年の大山三史朗主将は「悔しいが他校とのレベルの差が分かったし、1年生にも経験になった。部員を集め、新人戦に臨みたい」と歯を食いしばった。


 石巻工は8強入り。準決勝(10月20日)進出をかけ、週末10日に同会場で仙台一と戦う。後藤主将は「FWが前に出る石巻工らしい試合ができた。仙台育英に雪辱し花園に行くことが目標。次も相手を意識するより、自分たちのプレーをするという内容を重視したい」と意気込んだ。




【写真】前半3分、相手をかいくぐり、FW佐々木悠人が中央へ先制トライ。試合の主導権を握った
<>2011/9/5 4136<>4136.jpg<>東松島市中学校特別支援学級 高校と連携<> 東松島市内の中学校特別支援学級に在籍する生徒の共同学習が2日、東松島高校美術棟で始まった。専門の指導者から教わる陶芸の体験学習を通じて生徒相互の交流を深め、同時に社会性を養っていく。


 特別支援学級の共同学習は本年度から。当初は年間35回の予定だったが、震災で1学期の開講が見送られ、本年度は2月下旬まで計18回行われることになった。矢本一、矢本二、鳴瀬二中の生徒8人が参加している。


 初日は開講式が開かれ、木村民男教育長が「皆さんで交流し、教え合い学び合う雰囲気を作ってほしい。また、専門の指導を受け、陶芸で人を喜ばせてほしい。どんな作品ができるのか楽しみです」とあいさつした。


 生徒らは「他校の友だちと仲良くしたい」「陶芸は初めてだが、がんばりたい」などの抱負を述べながら自己紹介。さっそく作業台に座って陶芸の土に触れ、小皿を製作した。


 共同学習は地元陶芸家の樋田隆さんが講師となり、毎週金曜日に2時間の実習を行う。東松島高の美術棟には地元への開放講座にも利用されている陶芸用の焼き釜があり、住民や高校生との交流も期待。同校で美術を担当している高橋成徳教諭がアドバイスする。




 【写真】 地元の陶芸家に学ぶ共同学習が始まった(東松島高校美術棟で)


<>2011/9/3 4135<>4135.jpg<>全国から応援旗や千羽鶴…石巻で復興支援ポスター展<> 石巻市は、市役所1階商業施設エスタの無料休憩所で全国各地から届けられた応援旗や千羽鶴などを展示している。兵庫県印刷工業組合から贈られた復興支援ポスターも掲げられ、精鋭デザイナーが描いた作品が被災地に元気を与えている。展示は10日まで。


 復興支援ポスター展は同組合が後援した被災地支援の一環。「がんばろう日本」をキーワードに、デザイナーが作製した作品40点を掲示した。ハートや日本地図、国旗などがデザインされ、「離れていても心はひとつ」「取り戻そう美しい国」などとメッセージが添えられている。


 同組合も1995年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受けており、そのときに全国から寄せられた支援が心を支えた。同じ被災地からの支援に対し、市秘書広報課は「心強く感じており、ポスターのデザインやメッセージからは立ち上がる元気が伝わる」と感謝していた。


 休憩所には応援旗や手紙、写真、千羽鶴など石巻市に託されたメッセージが展示されており、連日、多くの市民が訪れている。観覧は午前10時―午後7時。





 【写真】 テーブル席やフロア側からも見物できるように工夫した

<>2011/9/3 4134<>4134.jpg<>石工が多賀城に辛勝…全国高校ラグビー県予選<> 全国高校ラグビーフットボール大会県予選大会の1回戦は、2日に宮城県サッカー場=利府町=で行われた。石巻工業が多賀城に17―15で辛くも勝利し、4日に石巻高校との地元勢対決に臨む。


 試合は台風の接近による大雨と強風の中で行われた。石巻工業は前半1分、敵陣22メートル付近の右ラックから2人が右に展開し、トライとゴールを決め先制。その2分後、相手にトライを許したものの、24分に敵陣ゴールのラックから主将の後藤孝一郎がトライを決めて前半を終えた。


 後半に入ると多賀城に攻め込まれる場面が続く。3分にペナルティゴールを決められ、12―8。その後も自陣での攻防を強いられたが、気迫の守りをみせ辛くも勝利をつかんだ。石巻工業は4日午後0時10分から、同会場で石巻高校と対戦する。


 また、宮城水産は佐沼と対戦し、5―13で敗退した。




 【写真】 気迫溢れるプレーを見せる石工の選手ら
<>2011/9/3 4133<>4133.jpg<>安住氏 初入閣で財務相…「復興への力 期待」<> 野田佳彦新首相は2日、組閣を行い、財務大臣には民主党前国会対策委員長の安住淳氏(49)=衆議院宮城5区選出=を起用した。国の財政政策を担う重要閣僚。東日本大震災で国の対応が遅れているだけに、地元出身の大臣誕生に石巻地方の首長をはじめ各界トップは期待と同時に強いリーダーシップ発揮を切望した。石巻市出身の大臣は、1996年に橋本内閣で郵政大臣を務めた故日野市朗氏(2003年死去)以来15年ぶり。


 安住氏は石巻市(旧牡鹿町)出身で、石巻高―早稲田大卒。NHK記者から1996年の衆院選で初当選し、当選5回。一昨年の政権交代以降、衆院安全保障委員長、選挙対策委員長を務め、昨年9月に防衛副大臣、今年1月からは国対委員長として与野党間の調整に努めてきた。


 野田内閣での入閣は数日前からささやかれており、地元の支持者の間でも期待する声が大きかったが、国家財政の金庫番である財務大臣は予想以上のポスト。石巻市中里の安住事務所に朝から集まり推移を見守っていた支持者らは、午前10時に就任のニュースがテレビから流れると、驚きとともに喜びを口にした。


 連合後援会の佐藤文志会長は「国と地方でのがんばりが認められたのだと思う。若くして立候補し、大役を任されるまでになったのは地方の支援のおかげ。ねじれ状態の国会対策で与野党の連携に奔走してきたので、財務大臣という重責も大丈夫だと信じている」と話していた。


 ◇被災市長ら財政支援求む



 安住氏の入閣に石巻地方の首長や経済界から就任への期待が寄せられた。石巻市の亀山紘市長は「石巻地域にとって念願の大臣誕生だ。財務相は被災地の復旧、復興を進める中でも重要なポストであり、一刻も早く3次補正を成立させてほしい」と話していた。


 東松島市の阿部秀保市長は「3次補正の速やかな成立、一括交付金など積極的な被災地への財政支援を拡充してほしい。スピード感と実行力で国の推進役になることを期待したい」とコメントを発表した。


 石巻商工会議所の浅野亨会頭は「日本を支える大事なポスト。ぜひ財政立て直しに力を入れるとともに被災地に光を当てる財政政策を進めてほしい」と期待した。2日午前、電話で財務大臣就任の祝いの言葉を伝えた際、安住氏本人も「責任の重さを感じている」といい、震災復興への思いを強くしていたという。




 【写真】 安住氏の財務大臣就任のニュースに喜ぶ後援会関係者ら(午前10時50分ごろ、石巻市中里の事務所で)
<>2011/9/2 4132<>4132.jpg<>夜間急患センター 市立病院仮診療所で再開<> 石巻市夜間・急患センター(佐藤仁人所長)は、1日夜から市立病院仮診療所=同市日和が丘、旧市役所第4分庁舎=で診療を再開した。初日は発熱などを訴える子どもや大人が訪れ、診察を受けながらも夜間急患の再開に安堵の表情を浮かべていた。


 市立病院=同市南浜町=に隣接する同センターは津波被害で機能停止となっており、震災後は石巻赤十字病院に負担がかかっている状況が続いた。仮診療所には高度医療機器は備わっていないが、かぜなどの軽症外来であれば夜間診療で十分対応でき、日赤の負担軽減にもつながる。


 夜間急患の診療科目は内科と小児科。石巻市医師会、桃生郡医師会、東北大学病院、民間医療機関が連携しており、初日は内科が佐藤所長と田中裕太副所長、小児科は佐々木医院=同市河南=の佐々木俊医師が対応した。


 発熱した4歳の子どもを連れ、小児科を受診した渡部浩美さん=同市蛇田=は「震災前も利用していたが、すぐに受け入れてもらえるので安心できる。センターの再開を待ちわびていた」と胸をなでおろしていた。佐藤所長は「本来はもっと早く再開したかった。仮設センターが建設されるまで夜間医療の空白期間がないようにしていく」と話していた。


 仮診療所での夜間診療は、仮設センターが建設されるまでの約3か月間。震災前と同様に高度医療機器も導入し、市民生活の安全安心を確保していく。開院は12月上旬の予定。




 【写真】 夜間急患が再開し、患者を診察する佐藤所長

<>2011/9/2 4131<>4131.jpg<>女川の復興へ大きな弾み<> 東日本大震災の発生からもうすぐ半年。甚大な被害を受けた石巻地方では、少しずつではあるが民間企業が活力を取り戻し復興への取り組みが進んでいる。9月1日からは女川町の蒲鉾本舗「高政」の新工場が稼働。また10月には、同町の観光業の柱となるマリンパル女川おさかな市場が再開することになった。「地域のために」という住民たちの思いが壊滅した地域にひと筋の希望を与えそうだ。


 高政では、本社敷地内で建設を進めていた新工場がこのほど完成し、9月1日から稼働し始めた。同社がある浦宿地区は幸いにも町内他地域に比べ津波被害が少なく、震災直後は町民をはじめ、石巻地方の避難者らにかまぼこを配布。合計12万枚以上を配り、食料不足の中で住民の食をつなぐ役目を果たした。


 その後の復旧作業などの影響で新工場の完成は2か月ほど遅れたが、設備内容はほぼ計画通りとなった。全国初のオール電化工場でエネルギー効率を最適化し、労働環境の充実や衛生管理の徹底を図った。


 建物は鉄骨2階建てで敷地面積は約4800平方メートル、延べ床面積は約3600平方メートルとなっている。製造ラインを従来の3基から5基(笹かま2基、揚げかま3基)に増設し、毎時生産量も4倍になった。


 工場には併設する形で直営店「万石の里」を設置。今月16日にはグランドオープンする予定で、店内には囲炉裏(いろり)を設け、観光客や町民が出来立ての手焼かまぼこを味わえるようにする。また、かまぼこのほか、町内の水産加工品なども販売していく考えだ。


 この震災により、全国から注目が集まった女川町。高政も例外ではなく、新規の問い合わせも増えている。高橋正樹取締役企画部長は「高政を応援してくださるお客様は女川町を応援する気持ちで購入いただいていると思う。私たちはその気持ちを地域にどう還元できるか。さまざまな支援策を考えていきたい」と話していた。


    ◇ ◇


 女川町では高政に続き、観光客向けの物産施設マリンパル女川おさかな市場も10月1日から、浦宿地区でプレオープンすることになった。季節ごとに魚市場に水揚げされる新鮮な魚介類を求め大勢の人が訪れていた施設も津波で壊滅。建物は残ったが、波が入り室内の設備のほとんどが流出した。


 建物の周辺は地盤沈下により、満潮時などには冠水。海岸の駐車場は使用できず、再開のめども立っていなかった。施設を運営するマリンパル女川事業協同組合は活動を休止。職員はボランティアで残務処理に当たっていた状況だった。


 しかし、職員の知人である石巻市内の企業経営者がマリンパルへの支援を申し出。石巻市と同町の境となる浦宿字篠浜山の国道398号沿いの敷地を購入し、その場所に立っていた木造店舗を改築。それを同組合に貸し出し、新たなおさかな市場として再開することが決定した。


 現在、物販7店舗とレストラン1店舗が入る予定だ。10月7日にはグランドオープンし、同月9、10日には復活イベントとなるサンマ祭りを開催。女川の新たな玄関口としての集客が期待されている。




 【写真】 製造ラインが動き出した高政新工場<>2011/9/1 4130<>4130.jpg<>すべての避難所 閉鎖…「5か所で最後の引っ越し」<> 東松島市は8月31日、仮設住宅に希望者全員が入居できる環境が整ったため、すべての避難所を閉鎖した。


 市内の避難所は、最大で約90か所に1万5千人いたが、仮設住宅や民間賃貸住宅への入居が進み、30日現在5か所34人だけ。避難所として使われてきた地区センターを地域に返すため、市は8月末での閉鎖を決め、避難者と個別に面談を進めてきた。


 震災直後83人がいた大曲地区センターも5世帯15人になり、閉鎖の日は早朝から掃除をしてセンターを明け渡した。それぞれ荷物をまとめ、自宅や仮設住宅に引っ越していった。


 このうち、避難所に入り大規模半壊となった自宅の応急修理を待っていた岡田栄子さん(64)は、退去の期限に修理が間に合わず被災した家に戻ることになった。「業者が来るのは9月末。職場がダメになり、収入は夫の年金だけ。退去はやむを得ないが、もっと早く教えてほしかった」と話し、自立が求められる今後の生活に不安を抱えていた。


 他の避難所でも住宅の修理待ちの世帯が大半。市はそうした世帯が一時入居できる仮設住宅を用意したが、多くは自宅や民間住宅に移った。期限内に退去できなかった避難者も1日朝までに避難所を後にした。


 なお、市内の仮設住宅はプレハブが1727戸、市営住宅・雇用促進住宅の転用分が93戸の計1820戸(グループホームなど除く)。入居率は約98%で、市外からの入居者は20%ほど。空き室の28戸は出産などで家族が増えた世帯などにもう1室割り当てるなどし、入居の相談にも応じることにしている。




 【写真】 荷物を車に積み込む避難者(大曲地区センター)
<>2011/9/1 4129<>4129.jpg<>被災体験をミュージカルに…プロジェクト立ち上げ<> 東日本大震災で被災した石巻地方の住民が、苦難を乗り越える姿を舞台で表現しようと、ミュージカルを作ることになった。被災者が自らの体験を語り、歌い、踊り、支援してくれた国内外の人たちに感謝を伝える内容で、「とびだす100通りのありがとうX」がテーマ。舞台に上がる目標人数は100人にしており、現在出演者を広く募集している。11月から練習を開始し、来年3月に地元など県内で上演する計画だ。


 ミュージカルはこのほど有志で立ち上げた「ありがとうを言いに行こう♪プロジェクト」(前谷ヤイ子代表)が企画、上演する。被災者が東日本大震災をモチーフに舞台化するのは初めて。


 代表の前谷さん(54)は東松島市新東名の自宅が津波に直撃され、現在は大塩の仮設住宅で暮らす。震災2日間は満員の避難所内に入れず、家族で戸外に寝泊りを強いられた。仕方なく3日目に自宅に戻り、なんとか体を置くスペースのあった2階で生活したが、電気も水道もない中では限界を感じ、東京の知人宅に1か月ほど身を寄せた。


 その知人とは夫、ひろしさん(52)の古くからの友人で、これまで800曲以上ものミュージカル曲を作っている作曲家でイラストレーターの寺本建雄さん。前谷さん夫妻の震災体験を聞いているうちに、ミュージカルにしてはどうかと助言してくれた。


 「震災で大事な家族を亡くし、暖かい家を失うなど石巻地方の人は皆傷つきました。ただいつまでも後ろを向いていては、気がめいるだけ。大きな声で歌い、体を思い切り動かして皆で一つの舞台を作ることで心が開かれるきっかけになれば」と前谷さん。地元に戻ってきてから友人らに声をかけ、プロジェクトを立ち上げた。


 舞台の構成は寺本さんが担当する。小学生からお年寄りまで幅広い世代の100人(目標)の出演者が震災で感じたこと、そしてさまざまな支援の手を差し伸べてくれた人たちへの感謝の気持ちを言葉で表わし、歌や踊りに託す。


 出演者は9月末まで募集し、11月から毎週土曜日に練習を行う。音楽が苦手だったり、踊れなくてもプロの指導で舞台に立てるようになる。また被災を免れた人でも舞台に立ちたい人や元気になりたい人には「ぜひ参加してほしい」とプロジェクトでは呼び掛ける。このほか舞台スタッフも20―30人募集している。


 出演希望者の申込みや問合せは前谷さんまで。




 【写真】 東松島元気フェスタのステージで歌を披露した寺本さん(右)と前谷ひろしさん


<>2011/8/31 4128<>4128.jpg<>復興へ住民思い寄せる…野蒜地区まちづくり懇談会<> 東松島市が策定を進める復興まちづくり計画へ住民の意見を反映する地区懇談会は28日、野蒜地区を対象に開かれた。被害が著しく、不通のJR仙石線や市街地の高台移転など課題が多い地域。住民が散り散りとなっている中、会場の小野市民センターには約300人が集り、復興への思いをぶつけた。


 はじめに野蒜まちづくり協議会の齋藤壽朗会長が「地区で500人の命が奪われ、生活基盤が破壊された。安全に暮らせることが復興への共通の思い。建設的な意見を出してほしい」とあいさつ。他の地区懇談会のようにグループ討議の形式にせず、市当局から市長、副市長、教育長の3役、部長級職員が出席し、復興まちづくり計画の骨子案を説明した。


 野蒜地区では東名運河南側集落のほとんどの家屋が全壊し、北側の市街地も全半壊の被害を受けた。そのため市は、南側は高台への集団移転、北側は居住を継続する住民の意向を尊重しつつ高台移転と現地復興の両面での復興を想定。阿部秀保市長は「国から予算を引っ張るため、精一杯のことをしてきた」と述べた。


 移転後の従前の土地について古山守夫復興政策部長は「防災集団移転事業で買い上げることができるが、危険区域に指定しなければならない。国による制度の拡充を待っている」と説明。JR仙石線の復旧ルートについては、阿部市長は「11月に公表されるが、工程表も示すよう要望した。それを待って対応を考える」と回答した。


 住民からは「仮設住宅では葬式もできないし、嫁も来ない。この現実から復興を考えてほしい」という訴えや、集落ごとの意見交換、若者の提言を集める場など地区懇談会そのものについての意見もあった。


 次回は19日に開く。





 【写真】 会場を埋める約300人の住民
<>2011/8/31 4127<>4127.jpg<>サバを生かした商品開発 仮設住宅で振る舞う<> 石巻専修大学(坂田隆学長)の学生らは27日、県石巻北高校飯野川校内仮設住宅集会所で「サバダシそば」を振る舞った。


 同大学経営学科では、石原慎士准教授のゼミ生らが、河北まちづくり研究会「なつかしの街・飯野川」(佐藤祐樹会長)とサバダシ料理の開発とそれを広める取り組みを行っている。


 同日は、石原准教授をはじめ7人のゼミ生が同仮設住宅の住民にサバそば100食を用意。同北海道短期大学の農場で生産されたダッタンそばにサバブシからダシを取った汁が絡み合い、訪れた住民らは舌鼓をうっていた。


 石巻市雄勝から同仮設住宅で生活する佐野内みよ子さん(78)は、「とても上品な味で、どこか懐かしくとてもおいしかった」と話していた。


 石原准教授は、「今回の商品を石巻の水産復興にもつなげたいと考えている。現在は八戸産のサバを使用しているが、本格的に水揚げが始まれば石巻産に切り替えたい」と今後の展望を語っていた。


 その後、飯野川商店街で開催された歩行者天国ではサバダシラーメンが試食販売された。




 【写真】 地域の味を生かしたソバが振る舞われた

<>2011/8/30 4126<>4126.jpg<>料理≠ナ住民交流…こ〜ぷのお家いしのまき<> 仮設住宅の住民同士の交流を目的とした「こ〜ぷのお家であいましょう」が27日、石巻市向陽町の同施設内で開かれた。


 仮設住宅で生活する住民の孤立を予防し、コミュニティーづくりのきっかけにしてもらおうと「こ〜ぷのお家いしのまき」(丹野幸子施設長)が企画。石巻市向陽町の蛇田中央団地の住民ら約20人が参加。県北の郷土料理であるはっと″りや健康相談会などが行われた。


 はっと作りでは、住民らが協力して生地を練り上げ、出来上がったはっとをあんこやかぼちゃ、ずんだなど4種類の味に仕上げた。参加者らは談笑しながら、一緒に作った料理を味わっていた。


 同団地から参加した阿部てつこさん(75)は、「仮設に来てから閉じこもりがちになっていた。近隣の人と交流する場が出来てよかった」と話していた。


 次回は9月10日午前10時30分から、同会場で「みんなでお月見団子をつくろう」が開催される。問い合わせは、こ〜ぷのお家いしのまき。




 【写真】 住民らが協力しながらはっと作りに取り組んだ

<>2011/8/30 4125<>4125.jpg<>「仮設団地入居者6割無職」…石巻専修大学 南境地区を調査<> 石巻市南境地区の仮設住宅団地住民の約6割が無職(年金生活者含む)で、このうち4割が震災で失職していたことが、石巻専修大学のゼミ生がまとめた実態調査結果から分かった。28日に大学で報告会を開き、被災に伴う生活環境の変化を浮き彫りにしたほか、住民の6割が自治会などのコミュニティー形成を望んでいることを明らかにした。学生らは今後、交流、就労の場を具現化して仮設団地入居者の支援を行っていく。


 報告会は山崎泰央経営学部准教授のゼミ生が行った。調査は8月10―12日に実施し、石巻トゥモロービジネスタウン内に設置された団地など南境地区の計6団地が対象。入居済みの812戸(8月1日現在)すべてを見込んだが、実質は573戸のアンケート配布となった。ゼミ生8人が個別訪問したため、回収率は48・3%(277戸)だった。


 入居者の世帯主は60歳代以上の男性が最も多く、住民の6割が無職。このうち4割が震災で失職しており、義援金や失業給付などで生計を維持している状況だ。食料品を除いて入居後に購入した生活用品は、衣類の収納ケースが群を抜いた。調査結果を説明した阿部桂太さん(経営学部2年生)は「収納場所が少なく、物置の設置を求める声もあった」と語った。


 買い物で利用したいサービスでは@移動販売A近隣への店舗誘致B送迎―の順。団地周辺には小売店舗がないため、安価な公共交通の運行を望む意見が多かった。一方、団地内の近所付き合いは「あいさつをする程度」が5割、反面、交流の場や自治会の必要性は6割を超えていた。


 しかし2年間の入居期限では必ずしもコミュニティーを重視する人ばかりではない。阿部さんは「阪神・淡路大震災でも仮設住宅の入居期間は5年近くになった。石巻市も2年間での撤退は考えにくく、長期的に住民生活を支えるには自治会が必要」と訴えた。


 子どもたちの遊びについての問いでは、付近に自由に遊べる場がなく、同年代の子どもも少ない。結果、5割以上が親や兄弟、親せきと遊んでいることが分かった。通学では距離的な問題に頭を悩ます保護者が多く、スクールバスの運行を強く望んでいた。


 こうした調査結果を受け、ゼミ生は@買い物対策Aコミュニティー形成B子ども支援―を行っていく。団地内の集会所で交流会などを企画し、入居者間のふれあいを育む考えも示した。市内の製造業と収入対策のプロジェクト化も進めていることを明らかにした。


 報告会では団地の入居者も訪れ、意見交換では「報告内容は確かに住民が願っていること。ハード面は関係機関を巻き込んで実行してほしい」と要望。コミュニティー形成については「本来は自分たちから声を掛けていくべきだが、知らない人だと反応が怖い。交流会など後押しの場があれば助かる」と期待を込めていた。




 【写真】 アンケート結果をゼミ生が報告した
<>2011/8/29 4124<>4124.jpg<>ボランティアで出会う…東松島で結婚パーティー<> 東松島市で災害ボランティア活動中に出会った大江歩さん(38)=神奈川県=と下郷亜紀さん(40)=東京都=の結婚披露パーティーが27日夕、同市の鹿妻地区センターで開かれた。2人をボランティアとして受け入れた民間団体が企画し、支援を受けて復興へ歩み始めた地域住民も参列し祝福した。


 自動車部品開発エンジニアの大江さんは5月から、塾講師の下郷さんは4月から、休日などを利用して被災地でボランティア活動してきた。2人は、東松島市内に拠点を設けて支援を行っている児童養護施設支援の会=埼玉県=に加わり、ガレキ撤去や泥のかき出しといった共同作業≠通じて愛を育んできたという。


 プロポーズは震災から3か月の6月11日。宿泊所の調理場だった。左党の大江さんは「これからもおいしい酒を飲もうよ」と、他のボランティアの前で突然の求婚。「勇敢なところにほれた」と、下郷さんは承諾した。


 神奈川県相模原市で一緒に暮らし始め、今月上旬には最後のスペースシャトルの打ち上げを見に米国フロリダに新婚旅行。夫婦別姓にこだわり、同意の上入籍も指輪の交換もしない事実婚≠ニなっている。


 結婚披露パーティーには、そろいの作業着にそれぞれヘルメット、ブーケをかぶった姿で出席。ボランティア仲間や住民ら約80人が集まり、地酒で乾杯し、花束や地元の子どもらによる歌が贈られた。


 2人は「たくさんの犠牲者がいる中で、浮かれてばかりいられないが、出会うことができた東松島市にお礼を言いたかった。観光で来るなどこれからもかかわり続けたい」と話していた。




 【写真】被災地で結ばれた大江さん、下郷さんに地元から花束が贈られた


<>2011/8/29 4123<>4123.jpg<>コンテナハウスで仮設保育所…鳴瀬地区の子どもら感謝<> ドイツ企業ボッシュ・グループから提供されたコンテナハウスを、震災で被災した鳴瀬地区3保育所の代替施設として使用する東松島市は26日、小野保育所敷地内に設置された現地で贈呈式を行った。同グループは同市に300個のコンテナハウス(総額4億円)の寄贈を決めており、10月までに野蒜地区の市民センターや消防団詰所など仮設施設計14棟が順次整備される。


 自動車機器の開発製造などを行う同グループ日本法人のボッシュ(株)=東京都=から織田秀明社長らが出席し、阿部秀保市長にコンテナハウスの目録を贈呈。また、同社製品を使用した日産の環境ディーゼル自動車6台も贈られた。


 保育所の子どもたちにはクマのぬいぐるみ「テディ・ベア」などがプレゼントされ、全員で「保育所をありがとうございました。みんなで大切に使います」と感謝していた。


 市内では震災により小野、牛網、野蒜の3保育所が使用できなくなり、小野地区の集会所を間借りして3保育所72人の保育を行っている状況。仮設保育所は32個のコンテナハウスをつなげたもので、震災後取り壊された小野保育所敷地内に置かれた。年齢別の保育室、調理室、冷暖房、トイレを完備。今後その他の備品を調達した上、9月末から10月初旬にかけ使用を開始する。


 このほかに、コンテナハウスを使って野蒜小学校に仮設消防団総合詰所や野蒜地区仮設市民センター、市内6か所に仮設学童保育所などを整備中。式で織田社長は、グループ創始者ロバート・ボッシュが掲げた社会・市民・教育・企業の奉仕循環型社会の理念を紹介しながら、「復旧・復興にわれわれも一緒に努力する。活気あるまちになるよう祈念したい」と述べていた。




 【写真】 寄贈された仮設保育所の前で感謝を示す3保育所の子どもたち
<>2011/8/27 4122<>4122.jpg<>川を生かしたまちづくり…堤防高さ体験会<> 石巻市の中心商店街の有志らでつくる、まちなか復興会議などは26日、北上川西内海橋たもとで「堤防高さ体験会」を開いた。堤防に見立てたやぐらを設置。約50人の市民がその高さを体感した。現地で確認した後には意見交換会も行い、堤防についてどのような高さや形が適切かを参加者が話し合った。


 まちなか復興会議のほか、石巻商工会議所、街づくりまんぼうが主催。同会議では歴史的に川と海を中心に発展してきた石巻には水辺を生かすまちづくりが必要とし、今回は住民に堤防の高さについて考えてもらおうと体験会を企画した。


 この日は旧丸光敷地に鉄パイプで組んだやぐらを設置した。やぐらには震災後、北上川の内海橋以南に応急的に建設した水面高3・5メートルのコンクリート堤防、内海橋以北の土手堤防の同5メートル、震災前に国が進めてきた海岸防波堤の計画高の7・07メートルを目安として表示。参加者は高所作業車でそれぞれの高さを体感した。


 意見交換会には、同会議のメンバーや土木、都市計画などの専門家、国や県の担当者らが出席した。堤防のあり方としては「もし7メートルの海岸が川の両岸に立ったら檻のような雰囲気になるのでは」「安全のために高い堤防をつくるより、(川を見ながら)日々気持ちよく暮らし何かあったら逃げるのが良い」などの意見が出ていた。




 【写真】 約7メートルの堤防の高さを体感した市民

<>2011/8/27 4121<>4121.jpg<>3か月遅れで9月開催…石日旗少年野球<> 第53回石日旗争奪少年野球大会の組み合わせ抽選会が25日、いしのまき農協=石巻市中里5丁目=であり、出場36チームの対戦相手が決まった。例年、同大会は6月に開催されていたが、今年は震災の影響で3か月遅れの9月16日に鷹来の森運動公園=東松島市矢本=で開会式を行う。試合は17日から同公園内の球場で繰り広げ、決勝戦は23日の予定。なお開会式での選手宣誓は、稲井マックスの松川大地主将(12)に決まった。


 大会は石巻日日新聞社の主催。石巻市、東松島市、女川町、市体育協会、石巻野球協会などが後援する。開会式は16日午後6時から鷹来の森運動公園で行われ、試合は同公園内の4球場を使って17日に1・2回戦、18日は3回戦と準々決勝、19日に準決勝、23日午前9時からは決勝戦と閉会式が行われる。


 初戦の対戦相手を決める抽選会には、各チームの主将と監督らが出席。震災で亡くなった選手や監督ら関係者に黙とうを捧げた後、石巻日日新聞社の武内宏之常務取締役報道部長が「震災で3か月遅れの開催となるが、組み合わせが決まることで相手を意識して練習に励み、大会に臨んでほしい」とあいさつ。石巻野球協会審判部がルールの変更点などを説明した。


 このあと各チームの主将らがくじを引いてトーナメント表を埋めた。今年は昨年より5チーム少ない36チームが深紅の優勝旗を目指す。前年度優勝の蛇田は鹿又、準優勝した大街道は鮎川とそれぞれ対戦する。両チームは同ブロックであり、勝ちあがれば18日の3回戦で激突する。


 選手宣誓のくじを引き当てたのは稲井マックスの捕手、松川大地主将(12)。3年前の50回大会では兄の勇真さんが引いており、兄弟で幸運を射止めた。松川主将は「震災の犠牲となった阿部惣一監督に声が届くように堂々と選手宣誓したい。そして地域が明るくなるような試合を繰り広げていく」と意気込んでいた。




 【写真】 出場36チームの対戦相手が決まり、トーナメント表の前で選手たちは闘志を燃やした

<>2011/8/26 4120<>4120.jpg<>石巻地方の漁場ガレキ 7割の撤去が終了<> 東日本大震災で宮城県沿岸の養殖漁場に流れ込んだガレキのうち、石巻市河北地区から東松島市波島先端までの石巻地方分は約7割が撤去終了していることが25日、分かった。県水産技術総合センターが石巻市開成の宮城県漁協で開いた調査報告会で明らかにした。


 調査は4月26日から7月30日にかけて実施。気仙沼市から山元町までの漁場を超音波を用いる「サイドスキャンソナー」などを使う手法で行われた。


 同センターによると、撤去は8月12日現在で石巻市河北地区から牡鹿半島先端が7割、牡鹿半島先端から東松島市波島先端でも7割近くが進んでいる。また、県全体では6割に当たる11万立方メートルが撤去された。


 報告会でセンターの担当者は@女川から寄磯にかけての海域ではガレキが連続的に分布していたA十三浜から雄勝船越にかけての追波湾周辺海域、渡波周辺海域では養殖いかだのガレキが多いB長面浦では船や家屋、車が分布―などと説明した。


 その上で「海上に浮いているのは被害を受けた養殖施設が多く、海中に沈下しているのは住宅など陸上のものが多い」。さらに「沈下したガレキは岸に寄るほど多く見られ、浮いたガレキは養殖漁場に広く確認された」と報告した。撤去作業は現在も続けられている。




 【写真】 石巻地方などの海のガレキの状況などが説明された(宮城県漁協本所)

<>2011/8/26 4119<>4119.jpg<>地域の支え合い育む<> 石巻市は、仮設住宅での被災者生活支援事業の一環として(仮称)支え合い拠点センターを市内11か所に置き、9月中旬ごろから専門職による相談や子育て、生活支援、福祉サービスなどを提供していく。さらに50戸以上の仮設住宅団地には、集会所や談話室を使って計99か所に(仮称)支え合いセンターを設置。直営や民間委託を活用しながら、支え合いと心のサポート事業を展開していく。


 同事業は県地域支え合い体制づくり事業に基づき、仮設住宅で暮らす被災者支援に努めるのが狙い。阪神・淡路大震災(平成7年)や新潟県中越地震(同16年)を踏まえ、孤独死や引きこもりなどを防止するため、庁内で協議を進めてきた。
 支え合い拠点センターは、社会福祉士や医師ら専門職による相談や生活支援のほか、子育て、障害者(児)や高齢者のサポート事業を行う。市内を5つのエリア(@蛇田・青葉A南境・大橋B渡波・万石C河北D雄勝)に区切り、計7か所の仮設住宅団地内や公園内にセンターを設置、河南と桃生、北上、牡鹿地区の4か所は、保健福祉センターなど既存施設を使う。


 新設する7か所はプレハブ造りで建築面積は150―200平方メートルを予定しており、いずれも県が整備。9月中旬には蛇田中央団地内、開成公園、万石開発公園の3センターが先行して開所する見通しだ。


 一方、支え合いセンターは仮設団地の集会所に39棟(住宅100戸に1棟)、談話室に60棟(50戸に1室)の計99棟を置く。きめ細かな配置で入居者の心身ケアを図るほか、11か所の拠点センターを結ぶ役割も担う。市は育児から介護までの支援に取り組むほか、心のサポートを実施し、地域の支え合いを育んでいく。




 【写真】 蛇田中央団地内に整備された支え合い拠点センター

<>2011/8/25 4118<>4118.jpg<>会費残額を市に寄付…南浜町1丁目会<> 津波で壊滅被害を受けた石巻市の南浜町地区。当時、同町1丁目会で会長を務めていた松本公一さん(73)は23日、町内会費の残額すべてを石巻市に寄付した。松本さんは「分配するにも誰がどこに住んでいるのか分からない。市で有効に活用してほしい」と話していた。


 同会は市立病院周辺の町内会で震災前は約165世帯あった。津波でほとんどの家屋が流失したが、会計を務めていた菅初子さんの自宅が何とか残り、菅さんが室内を探したところ町内会費の通帳を見つけた。ただし、領収書や集金帳簿などはすべて流されていた。


 通帳の口座は今月19日に解約し、総額69万9239円をすべて市に寄付した。市役所を訪れた松本さんは「1丁目会だけでも20人以上が死亡、行方不明となっている。住民がどこにいるのか分からず、22年度決算も行っていない状況。同じような悩みを持つ町内会も多いはずだ」と語った。


 亀山紘市長は「被災したのに寄付まで受けて頭の下がる思い。南浜町に住んでいた人たちと今後話し合い、安全な場所に住宅を整備できるようにする」と話していた。


 松本さんは現在、向陽町の仮設住宅団地に入居しており、暫定行政委員としてコミュニティー形成などに力を入れている。同団地は行政区長経験者らが協議し、1か月交代の班長制を設けるなど入居者間の交流を精力的に進めている。




 【写真】 趣旨を説明し、町内会費を寄付する松本さん(右)

<>2011/8/25 4117<>4117.jpg<>26日に感謝の盆踊り…めだかグループ 仮設施設で事業再開<> 石巻市南浜町で通所介護や地域密着型の小規模多機能型居宅介護を行っていた「めだかグループ」(井上光代表)は、3月11日の震災で施設が壊滅的な被害を受けたが、大津波襲来前に避難して利用者全員が無事だった。その後の避難生活で利用者は散り散りとなったが、同市元倉に仮設施設が完成し事業を再開。近隣の住民への感謝を込め26日に盆踊り大会を開く。


 大地震があった時、通所介護施設「めだかの楽校」、小規模多機能型居宅介護施設「めだかの楽園」に47人の利用者がいた。ちょうど送迎時間で自動車の用意があり、第1避難場所と決めていた日本製紙石巻工場の運動施設に避難した。


 その後津波の第1波が到達し、高台にある同工場の関係施設に移動。その日のうちに医療度の高い利用者は大手町の関係者宅、それ以外は門脇中学校武道館に移った。
 利用者のため毛布を取りに戻ったスタッフ5人が波にのまれたが、ガレキにつかまるなどして難を逃れた。グループは津波注意報が発令された3月9日の地震でも迅速に避難しており、平時からの繰り返しの訓練や危機管理が生きた。


 しかし、避難生活では食料や水がなく、十分な介護ができない状況。他の地域の施設に手配して利用者を受け入れてもらい、一部は在宅介護になった。スタッフはボランティアに従事してきた。


 幸い元倉の店舗(旧100円ショップシルク)を借りることができ、5月10日から改装に着手。「入魂式」と題した再開セレモニーを7月19日に開き、関係手続きの済んだ8月16日に開所した。約600平方メートルの広さがあり、定員は通所介護が35人、小規模多機能介護が25人。


 26日の盆踊りでは、開北町内会からやぐらを借り、焼き鳥や焼きそばの出店を並べる。リーダーの井上利枝さんは「全国から励ましを受け、やる気が起きた。地域密着でやってきたので、仮設住宅の人も誘ってコミュニケーションを図りたい」と話した。




 【写真】 再開しためだかグループ。地域に密着した姿勢は場所が移っても変わらない<>2011/8/24 4116<>4116.jpg<>県大会かけ10校激突…秋季高校野球 東部地区大会が開幕<> 「第5回秋季東北地区高校野球宮城県大会東部支部予選」(県高野連主催)が、24日から河南中央公園野球場などで始まった。南ブロックには石巻勢を含む10校が出場。2年生が主体となる新チームで県大会への4つの代表枠を争う。


 南ブロックは石巻、石巻西、石巻好文館、石巻北、石巻工業、石巻商業、宮城水産、涌谷、米山、松島の計10チームによるトーナメント戦。上位2校が県大会に出場する。さらに敗者復活トーナメントで2枠を争う。


 初日の24日、河南中央公園野球場では1回戦の石巻西―宮城水産、石巻北―米山戦の計2試合が行われた。グランウンドでは、白球を追い掛ける球児たちがはつらつとしたプレーを展開。観客席に集まった保護者らは、好機が訪れるたびに盛んな声援を送っていた。


 気仙沼地方を含む北と南ブロック1位同士による優勝決定戦は、9月10日午後0時40分から河南中央公園野球場で、県大会は同17日から仙台市民球場をメーンに行われる。




【写真】 4回、石巻西が先制すると直後に追加点を加えた(石巻西―宮城水産戦)

<>2011/8/24 4115<>4115.jpg<>待ってました!生カツオ…石巻魚市場で初水揚げ<> 石巻魚市場で23日朝、巻き網船が漁獲した生カツオやキハダマグロなど約10トンの水揚げと競りが今季初めて行われた。石巻の夏漁のシンボルと言えるカツオの到来とあって、仮設上屋がある西港は大勢の買受人が集まり、活気に包まれた。


 今季、同魚市場には海外巻き網船の冷凍カツオは揚がっていたが、一般消費者向けの生カツオの水揚げは一度もなかった。その状況下でも津波被害からの復旧を急ぐ買受人の受け入れ態勢が徐々に整い、少量ならば生でも対応可能になったことから、今回の初水揚げが実現した。


 23日は午前7時ごろ、静岡県の巻き網船団の運搬船第31大師丸(山本賢治漁労長、336トン)が石巻魚市場西港に入港。22日夕方に千葉県沖で漁獲したカツオやキハダマグロなどを次々に水揚げした。買受人も続々と集まり、選別のためベルトコンベアで運ばれるカツオの質をじっくりと確かめていた。


 その後の競りでは1キロあたりの価格はカツオが800―1千円、キハダマグロ(幼魚)が420―500円で取り引きされた。生カツオの初水揚げは例年ならば5月。今年はすでに全国に流通しているためご祝儀相場とはならず、例年同時期に比べて少しだけ高い価格となった。


 同魚市場の須能邦雄社長は「生カツオは石巻にとって大きな存在。市場も買受人も恋人が来たような大きな喜びだ。今後も協調性をもって復旧に取り組んでいきたい」と話していた。




 【写真】 新鮮なカツオやキハダマグロなどが次々に水揚げされ、石巻魚市場も活気付いた

<>2011/8/23 4114<>4114.jpg<>ボランティアに心を込めた昼食を<> 石巻市中央一丁目の鮮魚店プロショップまるかでは22日から、震災の復旧作業で石巻市を訪れたボランティアに感謝を込め、焼き魚定食を無料で振る舞っている。店内で惣菜などを販売する「名店街」の料理店も協力。26日まで作業に当たるボランティアに石巻の味覚を楽しんでもらう。


 同店では8月上旬、東京都の取引先から支援物資として贈られたハンバーグをボランティアの昼食として提供。温かなご飯も一緒に出し、店内のテーブルで食べてもらった。


 ガレキ撤去や側溝清掃などの肉体労働に励むボランティアに喜ばれ、毎日限定の50食がすぐになくなる好評ぶり。ハンバーグは1週間ほどで無くなったが、まるかの佐々木正彦社長や料理店の店主らは「石巻地方の住民として、ボランティアに感謝の気持ちを表したい」と自費で昼食の提供を決めた。


 22日は女川町でボランティアを行うNPO団体VERY50のメンバーが来店。脂の乗ったサバの塩焼き2枚と大盛りのご飯、サービスのボイルイカなどに舌鼓を打っていた。


 同団体副代表の東桂太さんは「3月にも石巻市に来ましたが、ガレキだらけの場所だったところが活気にあふれるとうれしい。魚もおいしいです」と話していた。




 【写真】 復旧作業のボランティアに昼食を振る舞った

<>2011/8/23 4113<>4113.jpg<>「復興願う大輪の花火」…東松島元気フェスタ<> 多くの災害ボランティアや支援に感謝し、子どもたちに元気を与えるありがとう=u東松島元気フェスタ」(同実行委員会主催)が20日午後、東松島市矢本の市商工会周辺で開かれた。航空自衛隊松島基地所属のブルーインパルスが久しぶりに市民の前で勇姿を見せたほか、約1万発の花火が復興ののろしとなって夜空を焦がした。


 松島基地の航空祭中止に伴い、同商工会やボランティア団体が毎年航空祭前夜祭の夏祭りに代わって開催した。オープニングでは、福岡県の芦屋基地にいて被災をまぬがれたブルーインパルスが会場上空を飛んだほか、市内4小学校の鼓笛隊がパレードし、児童らが元気な姿を見せた。


 歩行者天国となった商店街に出店が並び、2万人以上の人でにぎわった。4つのステージや交差点で各種団体がバンド演奏、創作太鼓、ダンスなどを熱演し盛り上げた。


 日が暮れてからは、震災犠牲者の慰霊と感謝を込めたメッセージキャンドルが灯され、松島基地北側から約1時間にわたって花火が打ち上げられた。メーンステージでは、花火の協賛金集めに協力した俳優の津川雅彦さんが登場し、「力を合わせれば奇跡は起こる」と励ました。ボランティア男性が市民の前で求婚する場面もあり、大勢が祝福した。




 【写真】 矢本地区では久しぶりに打ち上げられた花火。ありがとうの思いを込めた

<>2011/8/22 4112<>4112.jpg<>「今日から2学期」…女川町 2校合同で授業スタート<> 石巻地方のほとんどの小中高校で22日、2学期が始まった。女川町でも授業が再開され、児童生徒らが登校し、校舎に元気な声が戻ってきた。


 女川第一中学校を間借りしていた女川第一小学校(星圭校長、児童204人)では、同日から女川二小に移って授業が開始された。


 二小校舎4階で開かれた夏休み明け最初の集会で星校長は、「今日から授業が再開します。新しい校舎になっても一小っ子らしく元気に過ごしてください」とあいさつ。児童らは「はい」と元気良く返事をしていた。その後、教室に戻った児童らは担任の先生に夏休みの思い出を発表し、宿題などを提出した。


 女川一小は、4月22日から女川一中の校舎で間借り授業をしていたが、プールや校庭などの設備が中学生規格のため、体育の授業などは隣接する女川二小の施設を利用していた。


 また、日本ユニセフ協会が実施していた同町の給食施設修繕支援作業が完了し、この日から町内の学校では完全給食が再開した。




 【写真】 学校に子どもたちの元気な声が戻った
<>2011/8/22 4111<>4111.jpg<>「仙石線復旧へ熱い思い」…横断幕掲げアピール<> 津波により再開のめどが立たないJR仙石線の一部区間に関して、東松島市の野蒜・東名・大塚沿線住民の会(坂本雅信代表)は先日、現状ルートでの早期復旧を訴える横断幕を野蒜駅に掲げた。市が作成した復興まちづくり構想案では、線路の移設を想定。両者に考えの相違がみられるものの、早い復旧は同じ思い。ただし、肝心のJR側からいまだに見通しが示されていない状況だ。


 横断幕は長さ4メートル、幅70センチあり、野蒜駅に併設された市観光情報センター(Nマップ)の2階に設置した。「仙石線を現ルートで早期に復旧を!」とアピールし、「がんばろう!野蒜地区!」の文字や子どもが描いた電車の絵も添えられている。


 野蒜地区は大津波で壊滅的な被害を受け、鉄道線路も流失。高城町―矢本駅間は現在も不通となっている。同会は被災住居で生活し、現地復興を目指す住民で構成。移設となれば生活や観光客に不便になることは必至で、同会は先月上旬、現ルートでの早期復旧を市に求めている。


 市のまちづくり構想案では、野蒜地区は市街地の現地復興と集団移転の併用による復興を想定し、現在より山側に新東名駅、新野蒜駅も描いている。坂本代表は「再開が遅れると、人がいなくなってしまう。学校の移転はやむを得ないが、鉄道の移設は時間も費用もかかるのではないか。石巻市民にも呼び掛けたい」と話した。


 一方の市は、JRに「安全確保を前提にした早期復旧」を要望し、現状か移設かの判断を委ねている。JRは、鉄道のルートが今後の市街地形成を誘導してしまう可能性があるとして、復旧の見通しを示していない。費用的な問題もあり、復旧は「年単位の時間がかかる」という。




 【写真】 被災した野蒜駅に掲げられた横断幕。時計は震災から止まったままだ
<>2011/8/20 4110<>4110.jpg<>復興ははやぶさ≠フように…夢と希望育む科学の祭典<> 青少年のための科学の祭典2011石巻大会(同実行委員会など主催)が20日、県慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)=石巻市渡波=で始まった。「みらいへの道標」と題した祭典は、世界で初めて小惑星から物質を持ち帰った探査機はやぶさの原寸大模型展示や宇宙に関する工作・実験コーナーがあり、震災を経験した子どもたちが夢と希望を育んでいた。21日まで。


 小惑星探査機はやぶさの模型は、岩手中・高校が制作した1メートル×1・6メートル×2メートルの原寸大。宇宙開発機構JAXAのスタッフから説明を受けることができるほか、宇宙服の試着やロケットづくりなどの体験も楽しめる。


 また、「復興は『はやぶさ』のように!」をテーマに、絶滅危惧種の猛禽類はやぶさ、JR新幹線はやぶさ、大津波から生還した七ヶ浜町の漁船はやぶさ号に関する展示もあった。石巻日日新聞社の6日間の壁新聞をはじめ、震災後のボランティア活動についてのパネルも並べられた。


 両親と来場した中里小4年の佐藤礼菜さんはロケットづくりなどを体験。雄勝町の生家は津波で全壊となったが、「夏休みはどこにも行けなかったので、一番の思い出になりました」と喜んでいた。


 21日は午前9時30分から午後4時まで。




 【写真】 親子の目を引く小惑星探査機はやぶさ(奥)と小惑星イトカワの模型(手前)
<>2011/8/20 4109<>4109.jpg<>浜の拠点番屋♀ョ成<> 女川町の塚浜地区に漁業者が集会所として使う番屋が完成し、18日に引渡し式が行われた。漁業者が使うほか、津波で壊滅した地域の住民たちが集う場としての機能も担う。町では9月中を目標に11か所に建設する予定だ。


 式は番屋内で行われ、安住宣孝町長や武山欣一郎水産農林課長、地元漁業者15人が出席。安住町長は「復興するにあたり皆さん一人ひとりが意見を出し合う場が必要だ。この番屋でじっくりと考えていただきたい」とあいさつ。


 地元住民を代表して鍵を受け取った木村尚区長は「復興に向けて頑張っていきたい。一層の支援をお願いしたい」と感謝の言葉を述べていた。その後は「番」「屋」と記された1メートル四方のマグネットシールをそれぞれ外壁に張りつけ、浜の復興拠点の完成を祝った。


 番屋は経産省の中小企業基盤整備機構の事業として建設。県内では塩釜市に続き2番目に完成した。建物のタイプは約100平方メートルの平屋と、1フロア50平方メートルの2階建ての2種類で、いずれもプレハブ造り。町内の港11か所のほか、女川魚市場には約350平方メートルの仮設事務所が設置される予定だ。




 【写真】 浜の復興への願いを込め番屋に看板を取り付ける漁業者
<>2011/8/19 4108<>4108.jpg<>亡き松本じっちの絵本刊行<> 松本じっち≠フ愛称で子どもたちに慕われ、東日本大震災で亡くなった松本昭英さん(享年72歳)=東松島市大曲=。日本人で初めて世界一周した石巻の若宮丸を題材に、松本さんが手作りした紙芝居が東松島市図書館によって刊行され、20日にお披露目されることになった。


 松本さんは航空自衛隊松島基地の元自衛官で、市図書館の紙芝居ボランティアサークルかちかちかちの代表。地元の昔話などを題材にした大型紙芝居を自作し、毎年図書館まつりなどで子どもたちに披露していた。市図書館は、松本さんが手掛けた紙芝居約25作品を所蔵。本人が好きだった子どもたちのため、今後も遺族は図書館で活用されることを望んだ。


 刊行された紙芝居の題は「初めて世界一周した日本人 若宮丸漂流」。松本さんが4―5年前に制作した作品で、江戸時代の実話に基づいた話。石巻の千石船「若宮丸」が漂流し、乗組員が互いに協力し合い、世界を1周して古里に戻ってくるまでを、独特の温かな絵で描いている。


 図書館は「遭難した若宮丸の乗組員は力を合わせてふるさとに帰ろうとし、結果として世界一周を成し遂げた。松本さんの紙芝居から、震災を乗り越えるたくましさが学べるはず」と話している。郷土の歴史を学ぶ、調べ学習にも活用できる。


 全12場面あり、10分程度で上演できる文字数。製本版は、B4判の大きさに縮小されている。財団法人図書館振興財団の支援で製作された。図書館が紙芝居を刊行するのは極めてめずらしい。150部を製作し、市内の保育所・幼稚園、小中学校、県内20の市町村図書館、47都道府県図書館に寄付した。


 20日の「おひろめ会」は午後1時から。刊行にあたって監修・補作した仙台市在住の絵本作家ときわひろみさんが演じる。




 【写真】 図書館が刊行した「初めて世界一周した日本人 若宮丸漂流」

<>2011/8/19 4107<>4107.jpg<>養殖作業の再開へ準備…石巻市北上地区<> 東日本大震災で養殖施設に壊滅的被害を受けた石巻市北上地区の漁業者が、再開に向けて地元の漁港で準備作業に取り組んでいる。17日には同地区内の小室漁港で、漁業者らが養殖施設の基礎部分となるブイなどを海中に配置するための作業に精を出した。


 港には県漁協十三浜支所の組合員20人が集まった。同地区では津波で沖合にあるほぼすべての養殖施設が流出。船やロープなど、そのほか多くの資材も失ったが、多くの漁業者らは再開を決意。コストが低く、半年で収穫できるワカメ養殖から始めることにしたという。


 養殖ではワカメなどの海産物を育てる際に結びつける生育施設が必要で、この日はその基礎部分をつくる作業を実施した。1・2メートル四方、高さ50センチのコンリートブロックにタイヤを埋め込んだイカリと、長さ1・5メートルほどのブイを港に置き、船で運び出しやすいようにした。


 今後、同支所ではクレーン船を手配。沖合2キロ付近にイカリを沈めてロープでブイと結び、養殖施設の漁場とするほか、航路の目印にもする。ワカメ養殖は10月にタネ付けを行い、順調に育てば来年2―3月に収穫する。


 同支所の組合員武山慶喜さん(60)は「いつまでも、『参った』とばかり語っていられない。少しずつだが、皆でやろうという気持ちが出てきた」と語っていた。




 【写真】 ワカメ養殖再開に向けてブイを準備する漁業者(石巻市北上地区内の小室漁港で)


<>2011/8/18 4106<>4106.jpg<>「震災に負けず就活を」…市女商 3年生進路ガイダンス<> 石巻市立女子商業高校(狩野宏史校長、生徒295人)は17日、3年生を対象とした進路ガイダンスを行った。震災で多くの地元企業が被災し就職活動が困難な中、将来に向け生徒らは真剣な表情で講師の話に聞き入っていた。


 同校では、毎年3回のガイダンスを開催し、就職活動に向けて準備を進めている。今年は震災で校舎が被災し、本格的な授業再開が遅れたことから、5月に予定していた学校全体でのガイダンスが中止となった。就活を控える3年生だけでも指導したいと、夏休み期間を利用して進路ガイダンスとなった。


 この日は、仙台市に本社を置くキャリアプランニング(株)代表取締役の桑名暢さんが面接試験対策についての指導を行った。
 桑名さんは「面接官は、やる気と話し方、表情などに重点を置いて見ている。緊張して上手く話せないのは誰だって一緒。飾らず思いを伝えることが内定へのカギ」と説明した。


 同校進路指導部長の吉田浩二先生は、「就職希望者のうち半数が地元での就職を考えているが、現状は依然厳しいまま。県外からの被災地求人や地元外での就職を入れなければならない状態」と厳しい表情で話していた。本格的な就職試験などは9月からスタートする。




【写真】 面接でのポイントを指導する桑名さん(左)

<>2011/8/18 4105<>4105.jpg<>映画「エクレール・お菓子放浪記」、9月28日石巻で<> 石巻市をメーンに撮影され、震災により地元での上映が延期になっていた映画「エクレール・お菓子放浪記」は、9月28日午後3時30分から石巻グランドホテルで、地元上映開始の出発式と試写会が行われることになった。10月下旬または11月初めには、市内5か所で被災者対象の上映会を開催するほか、小中学生向け学校上映会も予定している。
             
 石巻「お菓子放浪記」を応援する会(会長・浅野亨石巻商工会議所会頭)が先日ロマン海遊21で役員会を開き、ゼネラル・プロデューサーの鳥居明夫さんも交えて地元での上映計画を具体化した。
              
 上映開始出発式と試写会は来月28日に決定。会員や協賛団体、市民エキストラ、石巻市長に参加案内し、出演した俳優も招く。学校上映会は民間の国際援助団体セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの支援で2―3学期に実施。各校や市教育委員会と調整していく。
              
 また10月下旬または11月初旬、旧石巻市内2か所、牡鹿地区、北上・雄勝地区、河北・河南・桃生地区各1か所の計5か所で被災市民に上映。避難所が閉鎖となった公共施設などで会場を確保する。
               
 無料の上映会とし、市報などで周知しながら事前の参加申し込みを受け付ける。役員会は、映写機を確保した上で、津波で事業が行えなくなった岡田劇場に、仕事として上映を依頼したい考え。
                
 被災市民向けと前後して、ワーナー・マイカル・シネマズ新石巻で一般上演も行われる見通し。県内では仙台市の桜井薬局セントラルホールで7月30日から公開されており、1週間で約2千人の観客動員があった。
               
 映画は西村滋さんの自伝的小説が原作で、天涯孤独の少年アキオが菓子への憧れを支えに戦時を生き抜く姿が描かれている。昨年10月、石巻市北上町のヨシ原や日和山、岡田劇場などで撮影された。
               
【写真】石巻での上映日程を具体化した応援する会の役員会
<>2011/8/17 4104<>4104.jpg<>エスタでコンサート…名曲演奏で市民に癒し<> ピアニスト長坂将志さん(36)=埼玉県出身=、ベーシスト三浦トオルさん(33)=千葉県出身=のコンサートが先日、石巻市役所1階の商業施設エスタ内で行われた。懐かしの名曲からジャズナンバーまで計8曲を演奏した。
               
 エスタを活用したコンサートは珍しく、買い物客や市役所に訪れた市民も足を止めて聞き入った。「フライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン(私を月に連れて行って)」などを2人で演奏した後、長坂さんがソロで「アメイジンググレイス」「青葉城恋歌」などを奏でた。
                    
 新潟中越地震でも4年間にわたり、支援活動を続けてきた長坂さんは「震災は風化させてはならない。伝えることで支援の輪を広げていきたい」と語っていた。一方、三浦さんは「皆が元気になることが一番の源。自分ができる精いっぱいの演奏を行いたい」と話していた。
                   
【写真】エスタ東側でピアノとベースのコンサートが開かれた
<>2011/8/17 4103<>4103.jpg<>全国の舞台へもう一度…日本製紙石巻 硬式野球部<> 「石巻の名をもう一度全国の大舞台へ。市民の皆さんに戦う姿をみせたい」―。日本製紙石巻硬式野球部が出場する「第82回都市対抗野球第二次予選東北大会」が18日から6日間、秋田県の秋田市営八橋球場などで行われる。震災による練習不足が心配される日本製紙だが、地域や会社のためにと大会に臨む選手たちの意気は日増しに高まってきている。


 東北地区に与えられた本戦出場枠は2つ。大会では出場12チームがA―Dまで4つのブロックに分かれて、予選リーグを戦う。各1位が東北第一代表を決める決勝トーナメントに進出。ここで敗退すれば、予選2位チームと第二代表を争う別のトーナメントに入る。日本製紙の予選リーグ初戦は19日午前8時30分から、八橋球場で行われ、山形県代表のきらやか銀行と戦う。


 昨年の日本製紙は県予選から東北大会まで、無敗で優勝しているだけに、今大会は各県の強豪チームから追われる立場となる。相手もエース格の投手を登板させてくることも考えられ、勝ち上がっていくのは至難の技だ。


 厳しい戦いになることは選手たちも、十分分かっている。いつもは明るい雰囲気のチームだが、先日石巻市の河南球場で行われた練習は緊張感に包まれていた。野球が続けられることに感謝しながらも、勝たなくてはならないという重圧。社会人野球の宿命だが、今年はさらに「石巻の震災復興のシンボルになる」という特別な気持ちもある。


 木村泰雄監督は「この状況の中で野球ができている。周囲の支えや市民の皆さんの応援に応える気持ちをどう表現できるかだと思う」と語る。その上で「去年は優勝しながらも他チームの総合力には及ばなかった。今年になってやっと戦えるようになってきた。市民の皆さんのために頑張らないと」と抱負を述べた。


 練習中、シートノックで若手選手を中心にミスが目立つと、大声で檄(げき)を飛ばした主将の西尾俊介選手(29)=二塁手=。「前日の試合でもチームの集中力が感じられなかったため、厳しく言った。今は夏バテもあるが仕上がりは良い。あとは気持ちだ」とし、「石巻の皆さんの期待を感じる。自信をもって二次予選に臨みたい」と語っていた。




 【写真】 大会を前に熱のこもった練習が繰り広げられている(12日、河南球場で)

<>2011/8/16 4102<>4102.jpg<>「慰霊の風船 大空へ」…女川盆まつり 鎮魂と復興の願い込め<> 東日本大震災から新盆を迎えた女川町で15日、総合運動公園第二多目的運動場を会場に「がんばっぺ女川盆まつり」が開催された。


 震災で犠牲となった町民の追悼と、復興への一歩を踏み出すきっっかけにしてもらおうと同町復興連絡協議会、商工会などが企画。慰霊風船飛ばしや追悼花火大会、盆踊りなどが行われ、避難所や仮設住宅で暮らす町民のほか、帰省客ら約300人が参加した。


 慰霊風船飛ばしでは、震災による死亡者・行方不明者の人数と同じ830個の風船に遺族らが追悼や復興への思いを込めたメッセージを結びつけて、震災発生時刻(午後2時46分)に合わせて一斉に空高く飛ばした。


 女川町女川浜出身の鈴木美保さん(23)=仙台市在住=は、「天国にいる祖父母と父親にがんばるから見守っていてね≠ニメッセージを書いて飛ばしました。まだ前を向くことはできないが、少しずつ歩んでいけたらと思います」と話していた。




 【写真】 震災発生時刻に合わせて風船を飛ばす遺族ら

<>2011/8/16 4101<>4101.jpg<>「仮設入居者の生活向上へ」…東松島市で初 コミュニティー組織<> 東松島市で初めてとなる災害応急仮設住宅入居者の共同体組織が大曲の矢本運動公園内仮設住宅に発足し、10日夜に同西集会所で設立総会が行われた。入居者の孤立解消が求められる中、住民の交流を図り、住みよい生活環境をつくっていく。


 設立されたのは、「矢本運動公園仮設住宅(西)コミュニティー」。公園内の西側仮設住宅に入居する209戸521人で構成される。多くは大曲浜、大曲、矢本地区だが、野蒜、宮戸の住民もいる。


 総会で発起人の1人の大江貞徳さんは「仮設住宅にはいろいろな人が集っている。多くは不安を抱えており、どのように暮らしていくか話し合わなければ」と、設立趣旨に触れながらあいさつ。総会に出席した阿部秀保市長は「復興の計画も人のつきあいを大切にしたい」と歓迎した。


 コミュニティーはごみ処理や花壇整備などの環境美化をはじめ、行事の開催、高齢者宅の見守り、救援物資の受け入れといった住民交流活動、防犯・防災活動を行う。総会では、ごみ出しや駐車場の利用など生活上のルールも改めて確認した。


 また、会長に大曲浜地区の遠藤克己さん(下浜二区行政区長)を充て、2人の副会長を選任。仮設住宅2―3棟で1班とし、全11班の班長と事業の運営委員13人を決めた。任期は班長が6か月、それ以外は1年。会費は徴収せず、助成金などで運営する。


 組織の設立は、大曲市民センターが支援。近く東側仮設住宅(184戸)でもコミュニティーを立ち上げる。市によると、他の大規模仮設住宅も組織化の動きがあり、小規模仮設住宅は既存の行政区に組み入れて自治活動を進めてもらう。




 【写真】 仮設住宅の入居住民がコミュニティー組織を立ち上げた
<>2011/8/13 4100<>4100.jpg<>津波の恐ろしさ伝えて…観光ボランティアが活動<> お盆の帰省ラッシュのピークを迎えた13日、石巻観光ボランティア協会(齋藤敏子会長)は石巻市の日和山公園で、帰省客や観光客らに東日本大震災の被害状況を説明した。ありがとう 頑張っちゃ いしのまき≠ニ記した手作りのしおりを手渡し、「地元に帰ったらこの状況を周囲の人に伝えてほしい。そして将来、復興した石巻にも来てほしい」と呼び掛けていた。


 被災状況の説明は「被災地を見ただけでは分からない石巻の現状を少しでも知ってほしい」と実施。そのため毎年、盆の時期に石巻駅前で行ってきた観光案内の形を変えた。


 この日は協会員7人が参加。南浜町や門脇地区などの被災状況を見ようと日和山を訪れた人を冷たい麦茶でもてなし、津波の恐ろしさや発災当時の沿岸部の様子などについて説明した。


 兵庫県姫路市から車で訪れた北本雅裕さん(45)もガイドを受けた一人。平成19年から3年連続で金華山を訪れており、石巻市は今回が4回目。南浜町の建物を破壊した津波の力に驚いたようだったが、阪神・淡路大震災時の復旧活動に取り組んだ自らの経験から、「石巻も必ず復興できる。市民の皆さんは勇気をもって取り組んでほしい」と話していた。




 【写真】 観光客に石巻の被災状況を伝えた
<>2011/8/13 4099<>4099.jpg<>「鈴木堅登君、巴那さんに捧ぐ」…音楽教室生徒が追悼コンサート<> 震災で犠牲となった石巻市立大川小学校の6年生鈴木堅登君と4年生巴那(はな)さんの追悼コンサートが11日、石巻グランドホテルで開かれた。とても仲が良く、音楽教室と英語教室に通っていた兄妹。コンサートでは両親が見守る中、7月の発表会で巴那さんが弾く予定だった曲をピアノ講師の久我真奈美さんが披露した。隣のいすには巴那さんのステージ衣装を飾り、優しい旋律が会場を包み込んでいた。

 コンサートは2人が通っていたサルコヤ音楽教室矢本教室=東松島市=が企画。堅登君に英語、巴那さんにピアノを教えていた久我さんは「お兄ちゃんは妹を思いやり、妹はお兄ちゃんを頼るとても優しい2人でした。皆の心を一つにして音楽を届けたい」とあいさつした。


 教室に通う小学生から高校生までの生徒約20人が、巴那さんが発表会で披露してきた曲などを演奏。祭壇に飾られた2人の遺影に手を合わせ、楽譜に向き合った。終盤では「YELL」と「翼をください」をピアノに合わせて生徒が合唱し、歌声を響かせた。


 最後は巴那さんが7月の発表会に向けて練習してきた「Close to you〜セナのピアノU」。自宅で練習に励む映像が映し出される中、久我さんは隣の席に巴那さんが着る予定だったピンクのドレスを飾り、連弾≠ナ夢をかなえた。


 大川小では警察や保護者が連日、捜索活動を行っているが、巴那さんら児童6人が行方不明になっている。両親はコンサートの最後に教室の生徒たちに感謝の気持ちを込め、涙を拭いながら「一日も早く見つけてあげたい」と思いを語った。
 そのうえで母親の実穂さんは「7月、大川小の上空に天の川がかかりました。星の一つひとつが子どもたちの顔に思え、今も苦しい時は夜空を見上げています。そこには子どもたちの笑顔があり、『お父さん、お母さん。ぼく達は元気だからもう泣かないで』と聞こえてくるようです。どうぞ、たまには星空を見上げて下さい。大川小の子どもたちが皆を照らしています」と話していた。




 【写真】 両親の隣で教室の子ども達が歌声を届けた<>2011/8/12 4098<>4098.jpg<>宮本選手と一緒にプレー…石巻でサッカー教室<> NPO「KIDS SAVER」(川口清勝理事長)=東京都港区=は8日、石巻専修大学でスペシャルサッカー教室を開いた。サッカー元日本代表主将の宮本恒靖選手が参加し、地元の小学生100人と一緒にプレーを楽しんだ。


 「KIDS SAVER」は子どもたちをいじめや虐待から守ることを目的に立ち上げられた団体。趣旨に賛同するスポーツ選手や芸能人は多く、宮本選手もその一人だ。


 この日は石巻市内の少年サッカーチームに所属する子どもたちが参加。ランダムにつくった即席チームでミニゲームを繰り広げた。


 また、宮本選手も試合に参加した。ボールに触れるたびに、やわらかなパスで得点チャンスを演出するなどプロの妙技を披露。子どもたちには「ボールが来る前に味方がどこにいるか確認すること」などとアドバイスしていた。




 【写真】 子どもたちと一緒にボールを追う宮本選手

<>2011/8/12 4097<>4097.jpg<>サンマ船出港&カツオ初水揚げ…石巻魚市場に活気<> 東日本大震災から5か月を迎えた11日、津波で陸に乗り上げ、一時は出漁も危ぶまれた大型サンマ船「第2大慶丸」(196トン、浅野修漁労長)が石巻魚市場から北海道の釧路港に出港した。魚市場向かいの岸壁では同日朝、今季初となるカツオの水揚げも行われた。市場職員や船の乗組員が忙しく作業し、出船の見送りで関係者らも大勢訪れ、港は久し振りの活気に包まれた。


 第2大慶丸は震災が発生した3月11日、同魚市場西側の岸壁に係船しており、大津波に巻き込まれた。乗組員は全員無事だったが、船は岸壁に乗り上げた。


 「船が陸(おか)に上がっているのを見て九分九厘、漁は無理だと思った」と浅野漁労長が話すほど船体の損傷は激しかったが、内部の設備は何とか無事だった。「あきらめかけたが、会社から『やるぞ』と言われた時はうれしかったね」と浅野漁労長。「震災で亡くなったり、船を流されたり、多くの人が悲しい思いをしている。その人たちの分まで、気合を入れて魚を獲ってくる」と力強く語り、船に乗り込んでいった。


 サンマ漁はロシア海域で操業を始め、群れの移動とともに徐々に南下。小型船は今月2日にすでに解禁されており、大慶丸などの大型船は15日からとなる。


 サンマ船が北海道に出港していく脇で、石巻魚市場本港向かいの岸壁では巻き網船の第83惣宝丸(319トン、佐藤清幸漁労長)が50トンのカツオを水揚げ。一般消費者向けではなく輸出用だが、石巻にとっては今シーズン初めての水揚げとなった。


 例年ならば5月には水揚げが始まり、今は秋に向け脂が乗るカツオの水揚げ量が増える時期だ。同魚市場では本港西側新荷さばき場前の仮設水揚げ棟の整備を進め、早ければ9月にも本格的な水揚げを行い、「カツオやサバを消費者に供給したい」と話している。




 【写真】 「がんばるぞ石巻」という横断幕をなびかせ北海道に向かう大慶丸


<>2011/8/11 4096<>4096.jpg<>お盆前に家族のもとへ…行方不明者の一斉捜索<> 東日本大震災から11日で5か月を迎えた。石巻地方では、今も多くの人が行方不明となっている、沿岸部を中心に警察と消防などによる捜索活動が続けられている。


 10、11日には大規模捜索が行われた。初日の10日、石巻市では最高気温は31・7度を記録する真夏日。警察官らは日差しが照り付ける中、スコップを使い川底を調べていた。


 河北署などは児童の7割近くが死亡し、現在も児童6人と教諭1人が行方不明になっている石巻市立大川小学校周辺で大掛かりな捜索活動を実施。同署員のほか愛知、山口県警などの部隊計約200人態勢で、校舎南側の釜谷川などを捜索した。10日の捜索では不明者は見つからなかった。


 同署の佐藤昭彦地域課長は「もうすぐお盆を迎える。1人でも多くの不明者を家族のもとにかえせるように全力で活動を続けていきたい」と話していた。




 【写真】 懸命な捜索活動が続けられた(10日午前11時15分ごろ、石巻釜谷地区で)
<>2011/8/11 4095<>4095.jpg<>日本製紙石巻 復興へのろし<> 東日本大震災の壊滅的被害からの復興を図る日本製紙(株)石巻工場で10日、6号ボイラーの火入れ式が行われた。震災から約5か月が経過したが、来月には8号抄紙機が稼働するなど本格的な生産開始はもうすぐだ。この日、社員らは赤々としたボイラーの炎を見て「復興ののろしを上げることで、石巻の皆さんに勇気を与えたい」と決意を新たにしていた。


 同工場では大津波の影響でほとんどの設備が使用不能になった。ガレキ撤去や点検作業を少しずつ進め、何とか一部の設備を動かせるまでになった。


 火入れ式はボイラー制御室で実施。倉田博美専務取締役石巻工場長が集まった50人の社員を前に「これまでの大変な努力に感謝したい。一歩ずつ完全再開というゴールに向かい頑張っていきたい」とあいさつ。その後にボイラーの点火スイッチを押した。制御室の画面でボイラーに火が入ったのを確認されると、社員からは大きな拍手が上がっていた。


 6号ボイラーは抄紙機を動かす電力を発生させる設備。ボイラーを稼働させることで、各工程の蒸気配管が適切な状態に整備されていることも合わせて確認した。


 今月下旬には1号バイオマスボイラーの運転を開始。併設されているタービン発電機を稼働させ、場内に電源供給をする予定。自家発電が順調に進めば、9月中旬に8号抄紙機を稼働し、印刷用紙の生産を再開していく。


 一方で、日本製紙グループ本社では震災による被災工場の復興、国内洋紙市場の縮小などに対応するため、年間80万トンの生産設備を停機する復興計画を策定した。


 計画によると、来年9月末までに順次停機する予定。石巻工場では4号抄紙機(生産能力年間4万d)、N3号抄紙機(同8万8千トン)、1号塗工機(同11万2千トン)が停まる予定という。グループ全体で約1300人の人員削減を行うことも検討している。




 【写真】 制御室で点火スイッチを押す倉田工場長
<>2011/8/10 4094<>4094.jpg<>「憧れの俳優から指導受ける」…劇団四季 ワークショップ<> 劇団四季=神奈川県横浜市=の俳優たちが6日、石巻市立河北中学校を訪れ、生徒らに歌や発声などを指導するワークショップを行った。


 7日に同校で開かれた劇団四季のオリジナルミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」の公演に合わせて開催。ミュージカルに出演する俳優16人のうち、吉谷昭雄さん、あべゆきさん、赤間清人さん、斉藤舞さんの4人が同校生徒ら約50人に劇団ならではの実践的指導を行った。


 この日のテーマは「大きな声を出してみよう」と「歌を歌ってみよう」。俳優たちは「大きな声を出すためには息をいっぱい吸うことと、普段から練習が必要です」とアドバイス。さらに「口を大きく開けることで言葉をはっきりしゃべることができ、せりふが聞きやすくなる」と説明した。


 この後、全員でミュージカルの劇中歌「友達いいもんだ」などを歌った。子どもたちは普段、接することができない劇団俳優たちとふれあいながら、練習を楽しんでいた。


 「ユタと不思議な仲間たち」は被災した宮城、岩手、福島県内の13か所で上演している。




【写真】 本格的な発声方法などを学んだ


<>2011/8/10 4093<>4093.jpg<>ヤマニシ一部再開 本格復旧は年明けに<> 東日本大震災の津波で大きな被害を受けた造船会社の(株)ヤマニシ(前田英比古社長)=石巻市西浜町=は8日から、修繕船業務を一部再開した。敷地内と港内のガレキ撤去に一定のめどがつき、要望が多かった漁船の修繕から実施することになった。今後はクレーンなどの被災した設備を年内中に整備し、年明けの完全復旧を目指す。


 ヤマニシは津波で被災し、8基あるクレーンのうち、6基がレール上から脱輪。このほか、引き渡し間近の貨物船1隻(2万4千トン)と建造中の貨物船1隻(同)も被害を受けた。さらに、敷地内の設備が流出して海中に落下。船の航行が困難になっていた。


 同社では4月上旬からガレキの撤去を始め、クレーンなどを使って海底の堆積物の除去作業を続けていた。今月に入ってようやく終了し、船舶を上架(陸揚げ)する2号船台が使えるようになった。


 8日は午後から、塩釜市の底引き網船第32竜丸(65トン)を陸揚げ。潜水士や陸上でウインチを操作する作業員らが連携して、船を海中の船台に積み、つないだワイヤで慎重に引き揚げた。9日には洗浄と修繕作業を実施した。


 同社では現在、石巻市の本社工場の整備と並行して、静岡県の同業者に2万4千トンの貨物船など2隻を発注し、造船業務も始まっている。本社従業員約200人は解雇せず、本格復旧を待っている状況だ。


 生産部の担当者は「ガレキ撤去に時間がかかったが、何とか一部再開することができた。本社で新造船ができての完全復旧だと思っている。年明けには再開したい」と話していた。




 【写真】 底引き網船を陸揚げし、修繕作業を始めた(石巻市西浜町のヤマニシで)


<>2011/8/9 4091<>4091.jpg<>東松島市に新工場着工…産業復興に弾み<> プラスティック切削加工の(株)伊澤製作所(伊澤彰英社長)=本社・東京都調布市、社員85人=は8日、東松島市川下の奥松島ひびき工業団地で、(仮称)宮城工場新築工事の地鎮祭を行った。年内に完成し、来年1月中旬以降の稼働を予定。東日本大震災の影響で着工は遅れたものの、「復興の一歩になる」と、市の関係者は予定通りの工場進出を歓迎した。


 地鎮祭には同社の伊澤社長をはじめ、施工会社、設計会社、市、県関係者約20人が出席し、くわ入れなどの神事を進めた。大沼雄吉副市長は「2月に立地協定を結んだ後、大震災で着工が見合わせになったが、必ず進出すると約束していただき、復興へ大きな希望になった」と市長のあいさつ文を代読した。


 伊澤製作所は東京、山梨、熊本の3工場で産業用機械部品の製造・加工を行っており、22年度の売上は約19億7千万円。主に東京エレクトロンAT=山梨県=と取引し、宮城工場では東京エレクトロン宮城=大和町=向け製品を製造する。


 宮城工場は鉄骨平屋建てで、建築面積は事務所を含め約931平方メートル。総事業費は約3億円。当初は地元採用を含め7―8人の従業員規模で操業する。市から6099平方メートルの用地を取得しており、将来的には工場規模で3倍、社員は35人まで拡充したい考えだ。


 伊澤社長は「震災で工場進出は厳しいかと思ったが、現場に大きな問題なく予定通り進めることにした。職人がモノをつくるため、急激には大きくできないが、年を追うごとに成長できればいい。地域が元気になる力になりたい」と話した。


 ひびき工業団地の立地企業は、同社を含め11社目(携帯電話の基地局含む)。東京エレクトロンの1次下請けで、半導体製造装置の部品を供給する潟Tワ(佐波和社長)=山梨県上野原市=も空き工場を賃借し、4月から稼働を始めている。同団地は6割が分譲済みで、残りの用地には災害応急仮設住宅が建てられた。




 【写真】 地鎮祭でくわ入れを行う伊澤社長
<>2011/8/9 4090<>4090.jpg<>「生活の悩み、不安解消へ」…仮設カフェ 向陽、大橋団地に開設<> 石巻市は5日、心のケア事業の一環として応急仮設住宅が建設されている向陽町、大橋両団地の集会所で仮設カフェ「サロン・さくら」をプレオープンした。このうち市内では最も早く仮設団地が形成された向陽町(137戸)では住民約20人が参加。先進的に自治会や班長導入を進めている団地であり、仮設カフェでは傾聴ボランティアがお茶やコーヒーを出し、生活の悩みや将来の不安などを互いに話し合える雰囲気を作った。9月からは定期開催していく。


 サロンは震災後の心のケア事業。市が21年度に行った傾聴ボランティア養成講座の修了生が「今こそ活動のとき」と立ち上がり、鈴木敏子会長以下メンバー20人が市と連携して準備を進めてきた。向陽団地には10人が訪れてお茶やコーヒーなどで心が和む場を提供した。


 同団地は懸案だった自治会形成を目前に控えており、すでに団地内に班長制を設けるなど一体感が生み出されている。ごみ出しなど生活のルールも整いつつあり、仮設団地の中ではモデル的な位置づけ。サロンには児童から高齢者まで約20人が足を運んだ。


 サロンは1時間半程度だったが、集会所はにぎやかさ一色。門脇で被災した北村秀樹さん(52)は「近隣住民の顔が少しずつ分かるようになってきた。最近は1人暮らしの高齢者宅でしばらくカーテンが閉まっていると、声掛けするようにしている。ここからは1人も孤独死は出さない」と決意を込めた。


 一方、門脇の沼沢英夫さん(80)は、妻のたまよさん(77)が今も見つからず、現在は仮設住宅に1人で暮らす。「夕暮れが近づくと寂しくなり、津波の光景を思い出す。誰かと話がしたくてここ(仮設カフェ)にきた。不安な思いや悩みを聞いてもらえてすっきりした」と笑顔を見せた。


 向陽団地は少しずつコミュニティーが形成されており、サロンではすんなりと溶け込むことができた。市健康推進課の沓沢はつ子技術課長補佐は「コミュニティーや自治会が形成されれば、仮設住宅での心のケアも進む。他の団地でも広めていきたい」と語っていた。


 向陽、大橋両団地の仮設カフェは9月から本格スタートし、当面は毎月第1、3金曜日の午前10時―正午(祝祭日、年末年始除く)。




 【写真】 和やかに会話を弾ませる住民たち(向陽町団地集会所)<>2011/8/8 4089<>4089.jpg<>「開運」のシンボルに…兵庫県の有志 網地島に漁船贈る<> 東日本大震災への支援を進める兵庫県の有志らによる「漁船を贈ろうプロジェクト」(村上豊代表)は7日、網地島の漁業者に新造船外機船1隻を寄贈した。船は、宮城県内の漁港の開運シンボルになるようにと「開運丸」と命名された。


 同プロジェクトは、インターネット上のコミュニティーサイト「開運の社」の有志が取り組んでいる。被災した東北の漁業者に直接漁船を贈ろうとホームページで呼び掛けたところ、多くの寄付金が集まり、3か月で目標額を達成。第1弾として宮城県漁協を通して網地島に贈られた。


 開運丸の進水式は同日、石巻市重吉町の巡航船発着場で行われた。村上代表はじめ同プロジェクトのメンバー、網地島の漁業者代表者らが参列し、安全と早期の漁業復興を祈願した。神事の後は、参列者が乗り込み、港内を試乗。性能に満足していた。


 開運丸は和船で、全長8メートル、90馬力、1・3トンの重量。網地島では、漁業者が共同で養殖の準備作業や漁に使うという。




 【写真】 早速、「開運丸」に乗り込み、復興に胸膨らませる漁業者ら
<>2011/8/8 4088<>4088.jpg<>みやぎ生協 移動店舗車を導入<> 仮設住宅などに住み、買い物に困っている人たちを支援しようと、みやぎ生協=仙台市=は5日、蛇田店=石巻市蛇田=に移動店舗車両「せいきょう号」を配置し、運用を始めた。車内には生鮮食品や調味料など約600点が並び、店舗と同じように商品を手に取って買い物ができる。平日の午前と午後、石巻地方の仮設住宅団地を巡回する。


 郊外の仮設住宅には近くに小売店がないため、高齢者や車を持たない人は買い物に不自由を強いられている。この対策として、みやぎ生協は6月から移動型店舗運用の検討をしてきた。


 車内には菓子や精肉、鮮魚、野菜などが商品棚に陳列されており、蛇田店と同じ価格で販売されている。店舗となった2トンロングトラックの購入費約1千万円は「ならコープ」=奈良県=からの寄付を受けて購入。このほか、山形県内で車両による移動販売を実施している「生活共同組合・共立社」=山形県=から運営に関するノウハウを学んだ。


 5日朝には、蛇田店駐車場で出発式が行われた。みやぎ生協の宮本弘専務理事は「まだまだこれからだが、ここから一歩ずつ前に進んでいきたい。『せいきょう便』が多くの支持を受けられるように活動していきたい」と述べた。


 さらに、同便を担当する蛇田店の森照行さんは「利用者の期待に応えられるよう、声にしっかりと耳を傾けていきます」と決意表明した。


 その後、車両は生協役員や蛇田店の店員らに見送られながら出発。この日は東松島市内の仮設住宅を回った。


 「せいきょう便」の運行コースなどの問い合わせは同生協蛇田店へ。




 【写真】 移動店舗車の出発を祝った(みやぎ生協蛇田店駐車場で) <>2011/8/6 4087<>4087.jpg<>道の駅自慢の品一堂に…上品の郷「復興市」<> 震災後、地域に漂う閉塞感を打ち破ろうと、道の駅上品の郷(太田実駅長)=石巻市小船越=を会場に6日、復興市が開催された。同駅を除く県内11か所の道の駅が一堂に会して特設テントで特産品を販売したほか、歌謡ショーや演奏会、もちまきなどのイベントが来場者を楽しませた。


 県内の全道の駅が1か所に集まり、即売するのは初めて。栗原市の路田里はなやまから県南の七ヶ宿までそれぞれの地元特産品が勢ぞろいした。スタンプラリーで十円まんじゅうがプレゼントされることもあり、各テントを回って、買い求める人の姿も多かった。


 大津波に直撃された道の駅大谷海岸=気仙沼市本吉町=は、地域に残った数少ない水産会社のワカメや昆布などを販売した。高橋博明駅長は「多くの人の協力によって仮設直売所で営業をしている。今後の見通しはまだまだ厳しいが、焦らずできることからやっていきたい」と前向きに語っていた。


 芝生の広場では、人気のスコップ三味線演奏を皮切りに歌謡ショーやもちまきなどがあり、にぎわった。家族4人で訪れていた阿部祥子さん(36)=石巻市鹿又=は「今はまだ家族で出掛けて楽しめる場所が少ないので、こういうイベントはとてもいいですね。石巻も早く前のようににぎやかになってほしいです」と話していた。


 午後4時からは夜店が出るほか、ステージイベント、もちまきも再度繰り広げられる。またこの日、小学生以下無料となったふたごの湯も終日、盛況だった。




 【写真】 各地の特産品を楽しみながら買い求める人たちでにぎわった上品の郷


<>2011/8/6 4086<>4086.jpg<>旧北上川 車の引き上げ開始<> 石巻市の旧北上川で5日、震災による津波で流され沈んだ自動車や船などの引き上げ作業が始まった。管理する国交省北上川下流河川事務所は河口部から上流4キロの間に36台の車両と12隻の船舶を確認している。車両を優先に9月末までに陸上げし、同時に警察による行方不明者の捜索も実施される。


 初日は内海橋と石巻大橋の間1キロで自動車の引き上げ作業を実施。事前の磁気探査と潜水で、同区間に19台が沈んでいることが分かっている。作業ではそれらの目印に向かって台船を近付け、潜水士が水中で車両にワイヤを掛けて下準備。台船に積んだ重機が車体をつり上げ、別の積込台船に乗せて左岸のリバーサイドホテル跡地に仮置きした。


 陸上げされた車両は、石巻署の捜索を経て市が処分。同署によると、ほとんどの車はナンバープレートから所有者と安否が分かっているが、行方不明者が見つかる可能性もあるという。


 旧北上川の引き上げは河口部から曽波神大橋まで8・6キロが対象。金属探査ではドラム缶2個ほどの大きさのガレキが511個あった。水中の視界は30センチと不良だが、下流河川事務所は「一日に4―5台の車両を上げ、川の流れを阻害するものがない状態にしたい」としている。


 同様の作業は新北上川と鳴瀬川・吉田川でも予定されている。




 【写真】 ヘドロと一緒に重機で吊り上げられる被災車両

<>2011/8/5 4085<>4085.jpg<>ガレキの中から力強くスイカ<> 震災で津波被害を受けた石巻市鹿妻地区の宅地跡からガレキを押し上げて1玉のスイカが育った。日増しに大きくなる姿からは強い生命力が感じられ、発見した自営業村上優治さん(52)は「復興スイカ」と名付けて大切に見守っている。


 スイカが見つかったのは、村上さんの宅地跡周辺。今はガレキに埋もれているが、もともとは国道沿いの住宅街であり、周囲には畑もなく家庭菜園でスイカを育てていた人もいないという。誰かが植えたのか、それとも飛んできたタネが自生したのか、真相は分からない。


 地面にしっかり根を張り、ツタの先には直径20センチほどのスイカが実る。「ここは4メートル以上の津波が押し寄せ、土には今も塩分が残っているはず。肥料もないのにどうやってここまで大きくなったのか不思議だ」と村上さんは首をかしげる。


 「野菜はタネが根付いて花が咲き、そして実を結ぶ。何となくこのスイカは復興に向かう石巻市を象徴しているような気がする。大事に見守り、いずれは復興スイカのタネをまきたい」。村上さんはスイカを手にし、再び鹿妻地区で自営業を始めることを誓った。




 【写真】 ガレキと雑草に囲まれた中で育つスイカ(石巻市鹿妻地区で)

<>2011/8/5 4084<>4084.jpg<>「復興への思い込めて」…蛇田小鼓笛隊 イオンでパレード<> 石巻市立蛇田小学校鼓笛隊が3日、イオン石巻ショッピングセンターでパレードを行った。復興へ思いを音色に込め、市民らに元気な演奏を届けた。


 同校では、毎年石巻川開き祭りの小学校鼓笛隊パレードに参加していたが、今年は震災の影響で中止となった。運動会や蛇田地区民大会での演奏も中止なったことから、「子どもたちが発表する場を設けよう」とイオン石巻ショッピングセンターの協力を得て店内でのパレードとなった。


 この日は、6年生114人が参加し、ショッピングモール1階緑の広場をスタートし、店舗内を一周。主指揮の相澤菜々子さんを先頭に、校歌とZARDの「負けないで」を演奏。息の合った音色と元気な行進に買い物に訪れていた市民らからは大きな拍手が送られた。


 パレード終了後、副指揮を務めた仲上佳希さんが「パレードに参加できなかった小学校の分まで思いを込めて演奏できました。突然の震災でたくさん失ったが、演奏できて本当にうれしい。負けないで≠フ気持ちを持ち続け、前より美しい街にしていきます」と感謝の言葉を述べ、涙をにじませる市民の姿もみられた。




 【写真】 元気な演奏と行進を披露した子どもたち


<>2011/8/4 4083<>4083.jpg<>「障害伝える目印に」…古川支援学校PTA ハートバッジ贈る<> 古川支援学校PTA(遠藤盛会長)は先日、障害者であることを周囲に伝える「ハートバッジ」を石巻支援学校PTA(松川浩子会長)に贈った。


 ハートバッジは、外見からは判断できない障害者を誤解や偏見から守ろうと、古川支援学校PTAが中心となって作製したもの。7×7センチほどのバッジにはハートを重ね合わせた蝶のデザインが描かれ、大きく羽ばたいてほしいという願いが込められている。


 贈呈式が同校内の視聴覚室で行われ、遠藤会長をはじめ関係者ら約10人が出席。遠藤会長がバッチ150個と支援金2万円を松川会長に手渡した。


 松川会長は「震災からの避難所生活では、多くの人に支えてもらったが、障害を持った子どもの立場は依然厳しい状況が続いている。賛否両論はあるが全国の人たちにこのバッジを認識してもらいたい」と話していた。


 現在ハートバッジには、「障がいがあります」と明記されているが、認知度が高まれば文字を外すという。




 【写真】 バッチを手渡す遠藤会長(左)
<>2011/8/4 4082<>4082.jpg<>日本IBM 復興事業を支援<> 石巻市と情報関連産業大手の日本アイ・ビー・エム(株)(IBM)は2日、新エネルギーによる循環型社会の実現を目指す市の事業について、同社の総合的な支援を受けることで合意した。市は復興事業として取り組み、世界最先端のエコタウンとしての雇用の創出や魅力的な都市の再生を図っていく。


 石巻市はIBMと協議し@新エネルギーを活用した中心市街地の活性化Aバイオマス等を活用した循環エネルギー社会の構築B効率的なエネルギーを活用した次世代水産業の構築―の3つの復興事業のテーマを設定。これらの実現に向けた施策の検討や計画の作成で総合的な支援を受ける。


 具体的には、中心市街地は太陽光や風力などのエネルギーの活用、次世代送電網(スマートグリッド)の構築で災害に強いまちづくりを推進。また、石巻の地域資源である木質バイオマスや工場の余剰エネルギーなどを総合的に組み合わせ、むだのないエネルギー供給の仕組みを構想する。津波で甚大な被害を受けた水産業は、情報通信技術を活用して効率的、高収益な事業に復興させていく。


 これらは、米IBMが創業100周年を記念し、世界100都市で5千万ドル相当の技術や人材を提供する都市運営支援プログラム「スマーターシティチャレンジ」を活用。国内では札幌市、仙台市に次いで3例目で、政令指定都市以外では初めてになる。


 2日は、同社の北城恪太郎最高顧問(経済同友会終身幹事)が市長室を訪れ、亀山紘市長と合意書を交換。亀山市長は「災害を経て、世界のモデルになる都市にしたい。支援により現実味を帯びた」と感謝し、北城最高顧問は「石巻市は市民がまとまって何かをするのに最適な都市規模で、可能性がある。世界からの知識を集められるので、IBMの構想、立案能力を活用していただきたい」と話していた。




 【写真】 合意書を交わす北城最高顧問(右)と亀山市長
<>2011/8/3 4081<>4081.jpg<>駅近くに臨時庁舎…ハローワーク、きょう開設<> 東日本大震災に伴い求職者が増加していることを受け、宮城労働局は3日、石巻公共職業安定所(ハローワーク石巻)の「立町臨時庁舎」を石巻ビルディング内=石巻市立町1丁目=に開設した。当面の間、求職者の職業相談などに応じる。


 臨時庁舎では@専門相談員による職業相談と紹介A学卒用求人の受付B高校卒業予定者・既卒者の相談―を行う。求人検索用端末機も15台設置。ただし、雇用保険関係の各種届出、一般求人の申し込み、各種助成金制度の相談などはハローワーク石巻本所=同市泉町=で扱う。


 ハローワーク石巻の曽根金憲所長は「求職者が多い状態は続いている。駅から近く利便性が高まる上、臨時庁舎と本所の2つの施設があることで利用者が分散し、混雑緩和につながる」と話していた。


 開庁時間は平日午前8時45分―午後5時15分。問合せは職業相談コーナー(カ21―5390)、高卒(予定)者相談コーナー(カ21―5391)。




 【写真】 立町に開設されたハローワーク石巻の臨時庁舎

<>2011/8/3 4080<>4080.jpg<>「光の大輪 天国に届け」…花火大会 『祈り』と『希望』<> 石巻の夜空に高く高く上がった花火。天国からも、見えますか―


 第88回石巻川開き祭りの最後を飾って1日夜、中瀬公園から約4500発の花火が打ち上げられた。第1部「祈り」、第2部「希望」をテーマにした今年の花火は、北上川沿岸各地に集まった大勢の人たちの目に特別な光として映った。


 「毎年、花火を見に来ていますが、今日はいつもと違った思いがします」と家族4人で訪れた東松島市赤井の本木敬子さん(42)。震災で親戚が亡くなったという。


 「例年よりきれいに見える気がする。それは海や川で亡くなった人たちの…」。こう語り、言葉を詰まらせた。


 震災犠牲者の霊を送った前夜祭の流燈、そして星になった人たちに捧げた花火。静と動の灯が、困難の中にある石巻の夏に輝いた。

<>2011/8/2 4079<>4079.jpg<>ミッキーマウスも登場…川開き祭り<> 川開き祭りの陸上パレードは1日午後、石巻市中心市街地のアイトピア通りから立町通りにかけて行われた。市立湊中学校吹奏楽部による演奏を皮切りに、復興神輿(みこし)やはねこ踊りなどが続き、ミッキーマウスたちも登場。七夕飾りの中、復興への思いを乗せた市民やボランティアの演技に、まちなかが熱気で包まれた。


 「東京ディズニーリゾート・スペシャルパレード」では、ミッキーマウスとミニーマウスが手を振るなどして愛嬌(あいきょう)をふりまき、沿道に集まった子どもたちを喜ばせた。


 また、漁業資材や廃材を再利用して制作した復興神輿もあり、渡波獅子風流によるはやしに乗って、ボランティアらが威勢良く担いだ。トリは寺崎はねこ踊りが飾り、同保存会と交流のある東京都の私立和光鶴川小、和光小も参加。躍動感あふれる舞で市民を元気付けた。




 【写真】 ミッキーマウスは集まった子どもたちに手を振り元気を与えていた(石巻市中央、1日午後1時40分ごろ)
<>2011/8/2 4078<>4078.jpg<>「犠牲者への思い込めて」…石巻川開き祭り前夜祭<> 鎮魂と復興への思いを込めた第88回石巻川開き祭り(同実行委主催)は、7月31日の前夜祭、8月1日の本祭が石巻市内中心部を会場に開催された。東日本大震災の犠牲者約4千人を悼み、しめやかに営まれた前夜祭。ガラリと様相を変えた本祭は、子どもたちや若者を主役にした各種イベントでまちを活気づけ、この4か月半、夢中で過ごしてきた市民らも震災を忘れるひと時を過ごしていた。フィナーレを飾る花火大会は1日午後7時30分から中瀬公園が打上会場となり、「祈り」と「希望」をテーマに約4500発が夜空を焦がす。


 31日の前夜祭は石ノ森萬画館大型バス駐車場を主会場に営まれた。午後6時30分から「東日本大震災供養祭」として石巻仏教会による震災犠牲者の慰霊と同時に流燈が始まった。


 犠牲者の名前を記するなどした約1万個の灯ろうが北上川を静かに流れると、堤防や内海橋周辺に集まった大勢の遺族らが、涙を浮かべながら手を合わせていた。会場入り口に設けられた焼香所には、犠牲者の冥福を祈る人たちの列が長時間続いた。また市民の手づくりのマンガ灯ろうも並んだ。


 供養祭に参列した亀山紘石巻市長は「東日本大震災で多くの貴い命が奪われた。このような大災害が二度と起こることのないよう、一日も早い復興を遂げることが最大の供養となる」と全市を挙げて再生に取り組む決意を新たにした。


 実行委によると、前夜祭の人出は約2万人。まちなかの各通りには商店や市民グループによる出店、広場なども開設しており、祭りムードを作っていた。




【写真】北上川を流れる1万個の灯ろう。多くの市民が涙で送った

<>2011/8/1 4077<>4077.jpg<>街に活気とにぎわい…「本祭が開幕 夜は花火大会も」<> 石巻川開き祭りの本祭が1日、開かれた。今年は東日本大震災により、各種イベントや内容を縮小しての開催となったが、市内中心部は、午前中から多くの市民でにぎわいをみせていた。


 お祭り広場=石巻市立町=で開会式が行われ、実行委員長の浅野亨商議所会頭が「子どもたちの元気な姿をみることが出来て何よりうれしい。子どもの元気は親の元気にもつながるため、良い思い出を作ってほしい」とあいさつ。一方、亀山紘市長は「悲しみを乗り越え、しっかりとしたまちづくりをすることが最大の慰霊になる」と話していた。


 広場ではオープニングイベントでアンパンマンショーが繰り広げられた。アンパンマンをはじめ、人気キャラクターがダンスを披露し、ステージを盛り上げた。同市泉町から親子で訪れた佐藤瑛子さん(35)は「川開き祭りは毎年見物しているが、今年はどうなるかと心配していた。でも活気の中にいるだけで元気がわいてくる」と
笑顔で語っていた。


 午後はミッキーマウスが登場するなど各傘下団体の陸上パレードが続いた。




 【写真】 アンパンマンショーは子どもたちに元気と勇気を与えた

<>2011/8/1 4076<>4076.jpg<>自衛隊撤収 地元住民ら見送り<> 復旧復興支援で石巻地方で活動してきた陸上自衛隊が29日午後、任務を終え北海道や山形県の部隊に帰った。最後まで部隊の宿営地となった石巻市総合運動公園には地元の保育園児らが駆け付け帰隊する自衛官たちを見送った。


 自衛隊は震災直後から救助や炊き出し、入浴支援などの活動を展開。帰隊は県知事の撤収要請を受け、同日までに活動が終わったことから行われた。


 この日は、石巻市や女川町で生活支援を行っていた第20普通科連隊=山形県東根市=、第6後方支援連隊=同=、第5後方支援隊=北海道帯広市=の隊員計110人が帰隊。出発に先立ち、地元住民から隊員に花束が贈られ、5か月近くに及んだ支援に感謝した。


 同普通科連隊の佐藤明副連隊長は「石巻地方の一日も早い復興を祈っています」とあいさつ。その後、車両56台が出発すると、園児らは「お疲れさまでした」「助けてくれてありがとう」などと大きな声を上げて手を振った。


 帰隊に先立ち28日、同普通科連隊の冨田晃生連隊長が亀山紘石巻市長に活動終了を報告した。冨田連隊長は「自衛隊として初めてのことが多く、常にその場で考えながらの活動だった。市民のみなさんに支えられ活動できました」と述べた。亀山市長は「長い間お世話になりました。活動を通して改めて自衛隊のありがたさを感じた」と感謝していた。




 【写真】 地元の保育園児たちが長期間の活動に感謝の気持ちを伝えた(石巻市総合運動公園、29日午後2時ごろ)<>2011/7/30 4075<>4075.jpg<>「大街道に復興商店街」…ホット横丁石巻が完成<> 復興商店街「ホット横丁石巻」の完成レセプションが29日、石巻市大街道の現地で行われた。たこ焼きの築地銀だこをはじめ、7社11店舗が共同出店。一過性にせず長期的な活動を展開するため、地元から約100人を雇用するなど地域経済の再生を支援する。横丁は30日―8月7日までプレオープン(午後3時―同11時)とし、グランドオープンは8日。営業時間は午前10時―午後10時となる。


 ホット横丁石巻は七十七銀行穀町支店前の通称・パルプ5差路付近に整備された。運営は復興支援に向け、資本金1億円で石巻市に本社を置いた(株)ホット横丁(佐瀬守男、荒木重雄両代表取締役)が行う。レセプションで佐瀬代表が「今は感謝の気持ちでいっぱいであり、横丁が石巻市に出来てよかったと思われるように努力していく」とあいさつした。


 石巻商工会議所の浅野亨会頭は「経済復興に向けたトップランナーであり、地元雇用にも感謝したい。この勢いで活力を取り戻していく」と語った。ステージでは元読売ジャイアンツで野球解説者の槙原寛巳さんが祝辞を寄せたほか、東北復興の応援ソングを歌うmiu(ミュウ)がライブを繰り広げた。


 横丁はトレーラーハウス17台を置き、中央にデッキ通路を設けて商店街を構成。地元のメニューを扱う大衆食堂や弁当店、カラオケ店、音楽ショップなどを設けたほか、音楽ステージやスポーツ広場も整備した。今後は朝市や夕市を開き、地元経済の活性化につなげていく。


 出店店舗は次の通り。
 ▽築地銀だこ(たこ焼き)▽銀のあん(かき氷・アイスキャンディー)▽さわだベーカリー(焼きたてパン・惣菜パン)▽しげちゃん(お好み焼き・焼きそば)▽スマイル弁当(弁当・惣菜)▽大衆飯処石巻食堂(定食・丼物)▽炉端焼ふるさと(炉端焼き)▽カラオケ本舗まねきねこ(カラオケ)▽SPOLABo(スポーツコミュニティー・イベント・土産)▽近藤レコード(CD・楽器・ライブ)▽石巻キネマパラダイス(映画)





 【写真】 レセプションでは各店舗の前に行列ができた

<>2011/7/30 4074<>4074.jpg<>中瀬公園にひまわりの丘<> 大崎市三本木まちづくり協議会(佐藤仁一郎会長)28日から、石ノ森萬画館南側の中瀬公園にひまわりの丘≠つくり、石巻川開き祭りに彩りを加えようと準備を進めている。


 同会では、大崎市三本木の名産であるひまわりで、被災地に笑顔の花≠咲かせようと活動している。石巻市では、8月1日に川開き祭りが開催されることから、プランターに入ったひまわり1千鉢を同公園内に設置。本番当日までに満開の花が咲くようにと、会員が草取りや水やりなどの手入れ作業をしてきた。


 佐藤会長は「ひまわりの花言葉は光輝(こうき)=B花を通じて市民の笑顔が輝くきっかけになればと思います」と話している。


 同会では今後、仮設住宅にひまわりを届けるなどの支援活動も行っていくという。




 【写真】 1千本のひまわりがイベントに花を添える
<>2011/7/29 4073<>4073.jpg<>感謝を胸に10人出発…東松島市 更別村で交流<> 東松島市の「海と大地の子どもふれあい交流」が29日から始まり、市内の小学6年生児童10人が姉妹都市を結ぶ北海道更別村に出発した。震災後、同村から多くの支援があり、ホームステイや余暇活動を通じて双方の児童が絆を深める。


 出発式はコミュニティセンター前で行われ、団長で実行委員会の吉田國夫会長が「今年も交流が実現できたことに感謝したい」とあいさつ。阿部秀保市長は「家族への感謝を持ち、互いの友情を深めて」と児童に呼び掛けた。


 参加児童を代表して佐藤里紗さん(野蒜小6年)が「また更別村の人に会えるのが楽しみ。たくさん思い出をつくりたい」と出発の言葉。保護者らが見送る中、児童と引率者が乗ったバスが仙台空港へ向け走り出した。


 更別村では、双方の児童がTシャツを交換して活動。29日はキャンプファイヤーなどを行って合宿し、30日はミニ運動会や農業体験に汗を流した後、ホームステイする。8月1日に苫小牧からフェリーで帰路に着き、2日に到着・解団となる。


 交流は矢本町時代から毎年交互の市町で行われ、今年が21回目。





 【写真】 更別村に向けて出発式に臨む子どもたち

<>2011/7/29 4072<>4072.jpg<>「活動に市民から感謝の声」…自衛隊 撤収始まる<> 東日本大震災後、石巻地方などで人命救助や生活支援、行方不明者の捜索活動などを展開してきた自衛隊の活動が今月末までに終了することになった。27日、県庁で開かれた県の災害対策本部会議で村井嘉浩知事が明らかにした。石巻市などでは震災直後からいち早く入浴や給食などの民生支援を実施。市民は「生活のあらゆる面をサポートしてもらい大変ありがたかった」と4か月間余りに及んだ活動に感謝している。


 宮城、福島、山形県の南東北地方を担当する陸上自衛隊・第6師団=山形県=によると、自衛隊の活動は震災があった3月11日から始まった。人命救助や行方不明者捜索のほか、避難所での炊き出しなどを行った。石巻地方を含む被災地でで延べ58万人の自衛官が活動してきたという。


 同地方では、沿岸部などでの捜索、入浴施設の運営、避難所での給食を支援。また、医療チームが巡回診療を実施したほか、音楽隊は慰問演奏会を精力的に行い、長引く避難生活を送る人たちを支え続けてきた。


 石巻市大橋の入浴施設「花笠の湯」を毎日、利用していた女性(78)は「自衛隊の皆さんはどんなに疲れていても笑顔を絶やさずに私たちを支えてくれた。いくら感謝しても足りないくらいです」と別れを惜しんだ。また、市内で避難生活を送る男性(52)は「自衛隊の支援がなかったら、避難暮らしはもっと悲惨なものだったと思う。心温まる活動に頭が下がる」と話していた。


 28日朝、発災直後から陸自部隊が宿営を続けていた石巻市総合運動公園では、同市と女川町で活動を続けた第J普通科連隊=山形県東根市=などの隊員たちが撤収作業を開始。隊員たちはテントや通信機器などの装備品を手際よくトラックに積んでいった。多くが29日までに帰隊する予定だという。


 隊員の一人は「途中で離れるのは心苦しいが、石巻市の復旧に役立てて良かった。市民からの感謝の声が活動の励みになった。今度は個人として復興した石巻のまちを見に来たい」と話していた。




 【写真】 宿営に使った装備を片付ける隊員たち(28日午前9時20分ごろ、石巻市総合運動公園)
<>2011/7/28 4071<>4071.jpg<>兵庫の児童から千羽鶴…渡波のデイサービス<> 石巻市渡波のアイユーデイサービス(阿部吉治会長)は25日、震災支援を受けた関西学院初等部=兵庫県宝塚市=に対する感謝の集いを開いた。初等部が届けた千羽鶴を披露したほか、児童30人が寄せたメッセージを読み上げた。


 支援は4月2日に同デイサービスを訪問した東大阪市の教会が、施設での不足品などを聞き取りしたのがきっかけ。2日後には同初等部の宣教師が野菜や生活用品を大量に届けた。その後、児童たちが段ボール1箱を施設に贈り、25日に初めて開封した。


 箱に入っていたのは千羽鶴と児童30人の顔写真が張られたメッセージ。教諭の手紙には2年生の梶浦恵利さんが4月から千羽鶴を折り始め、それを見た児童たちが協力して6月上旬に完成させた。メッセージには「皆さんの安全をお祈りしています」「早く平和で普通の生活ができますように」などと子どもたちの願いが込められていた。


 デイサービスでは利用者27人が1人ずつ子どもたちのメッセージを読み上げ、心温まる励ましに感謝を込めていた。施設では、近く利用者が直接書いた御礼のメッセージを初等部に贈り、交流の輪を広げていく。


 阿部会長は「関西学院とはまったくつながりはなかったが、震災で人の温かさが伝わった。これからは、よい絆(きずな)を深めていきたい」と話していた。震災で同デイサービス施設は床上浸水し、スタッフと阿部会長が流されてきた5人の市民を救助したほか、利用者と地域住民を含めて一時は75人が避難していた。




 【写真】 児童のメッセージを読み上げる利用者。右は贈られた千羽鶴

<>2011/7/28 4070<>4070.jpg<>石巻グランドホテル 8月1日に再開<> 東日本大震災で被災し、改修工事などのため営業休止していた石巻グランドホテル=石巻市千石町=は、8月1日から再開する。レストランの一部と2階の大宴会場などはまだ利用できないが、客室135部屋はすべてリニューアル。震災後、石巻市中心部の宿泊施設が激減して来訪者に不便が生じていたが、緩和されそうだ。


 同ホテルは津波で1階が冠水したが、約2か月間、避難所として地域住民に開放し、初めの2週間は1日300人が生活。避難者がいなくなった5月上旬から改修に向けた準備を進め、6月上旬以降に着工。この間、宿泊は復興事業の関係者らを受け入れるにとどめてきた。8月1日に同社の新決算期が始まるのに合わせて再開する。


 20年ぶりの大規模リニューアルで、1階ロビー壁面の大理石は以前より明るい白、また大柱は木で仕上げ、全体的に都市型ホテルのイメージを高めた。市内には被災事務所が多いことから1階の旧売店跡にビジネススペースも設置。商談やパソコンをつないで自由に活用できる。後藤宗徳社長は「宿泊や会議の場所がなく、多くの皆様にご迷惑をおかけした。石巻の復興に向けて、さまざまな形で活用をしていただきたい」と話していた。




 【写真】 リニューアルした石巻グランドホテルについて説明する後藤社長

<>2011/7/27 4069<>4069.jpg<>園舎に幻想的アート…石巻みづほ幼稚園<> 石巻みづほ幼稚園(津田廣明園長・園児239人)の園舎ホールの壁一面にブラックライトで浮かび上がるエアブラシアートが施された。お披露目会が26日夜にあり、園児たちは幻想的な雰囲気を楽しんだ。


 長野県松本市で外装塗装などを手掛ける鰍rHINKAI(足立雅広社長)が被災地支援で取り組んだ。園児や保護者には内緒で1か月前から深夜を中心にアートを描き、ディズニーランドなどでパネル画を手掛けるアーティストの協力を受けながら完成させた。


 同園では本来、夏の行事としてお泊り会を実施しているが、今年は震災により規模を縮小し、日帰り行事に切り替えた。SHINKAI提供の花火大会を楽しんだ年長児92人は、帰りの会の最後にアートを目にした。


 真っ暗になった室内でカウントダウンが行われ、ステージにはイルカ、天井には無数の星と星座が一斉に浮かび上がった。園児は「きれい」「すごい」などと歓喜を上げていた。同社の高橋凡夫工事部長は「子どもの笑顔は大人を元気にさせる。1日も早い復興を願いたい」と話していた。




 【写真】 園舎の壁一面にイルカや天使の絵が浮かび上がった
<>2011/7/27 4068<>4068.jpg<>自衛隊運営の入浴施設 27日で撤収<> 震災後、石巻市で展開していた自衛隊が活動を終了する。これに伴い、市内に設置されていた自衛隊の入浴施設が、27日をもって撤収することが決まった。これまで施設を使っていた人たちは今後、各避難所と温泉施設を結ぶ巡回バスを使って入浴することになる。ただ、利用者の中には「体が不自由な高齢者らの利便性が悪くなるのではないか。もう少し長くいてほしかったのに…」と残念がる声が多い。なお、市はシャワー設置を検討している。


 撤収するのは@大橋浴場「花笠の湯」Aサンファン浴場「熊の湯」B本間屋パーキング浴場C青葉中シャワー設備D鹿妻小シャワー施設E万石浦中シャワー設備―の6か所。いずれも陸上自衛隊や海上自衛隊などが震災直後から支援を続けてきた。


 28日以降、施設利用者はバスで「ふたごの湯」=石巻市小船越=、「華夕美」=女川町=、「天平の湯」=涌谷町=に向かう。バス内で交付されるチケットを受け取った上で入浴する。また、自家用車で入浴施設に向かう場合は、「ふたごの湯」のみ市発行の罹災証明書(全壊または大規模半壊)と身分証明書の提示で無料となるが、「華夕美」と「天平の湯」はともに有料。


 自衛隊による入浴支援は震災直後から始まり、断水時期を中心に多くの利用者があった。中でも、市内で最大規模の「花笠の湯」は3月22日から運用が始まった。7月20日現在で延べ11万6154人の被災者が利用してきた。


 最大入浴者数は4月10日の2003人で、月当たりの平均利用者は3月が1351人、4月は1265人、5月は918人、6月は790人、7月(20日時点)は706人で徐々に減少していた。


 いずれの施設も最寄りの避難所で暮らす人たちが徒歩で訪れるケースが多い。ほぼ毎日訪れている女性(66)は「突然の撤収に驚いている。避難所の中でも戸惑っている人が多い。バスになると行きづらくなるのではないか。何とか続けてほしい」と話した。また、男性(63)は「これから暑くなり、衛生状況が悪くなる中で利用者が減ることにつながらないか」と心配していた。




 【写真】 まもなく撤収される大橋浴場「花笠の湯」(25日)<>2011/7/26 4067<>4067.jpg<>カキ養殖本格スタート…9月には出荷も可能か<> 県漁協石巻湾支所(丹野一雄運営委員長)は今、万石浦や石巻湾でカキの沖出し作業を行っている。県内生産地が軒並み壊滅状態の中、カキ養殖発祥の地とされる万石浦で復興への一歩を踏み出した。今後、同支所では今年9月の出荷を目指して作業を進めるなど、他地域をリードしながら、宮城のカキを復活させていく。


 沖出し作業は、津波被害をまぬがれた昨年生まれの万石浦のカキを、栄養豊富な同市渡波の長浜沖に移動させ出荷に向けて成長を促す目的で実施。今月10日ごろから始めていたが、台風の影響で数日にわたり中断していた。


 高波が落ち着いた26日には作業を再開。漁業者は早朝から漁船約20隻が万石浦漁場に垂下しているカキを挟んだロープを船にあげ、長浜沖に移動しイカダに結びつけていった。


 また、この日はボランティア団体のオンザロードのメンバー8人が参加。慣れない船上で苦労しながらも、人手不足の漁業者にとってはありがたい存在となっていた。


 なお、同支所では県内トップの生産量を誇る種カキについても作業を開始。調査次第では今月末から、幼生を付着させる原盤を海中に投入する。1連約70枚の原盤は例年の60万連から今年は震災の影響に25万連ほどに減少。生産量は昨年の3―4割となる。


 同支所の丹野運営委員長は「我々の動きを足がかりに他地域も活性化してほしいが、漁港などの復旧作業が進んでいない状況。周りがよくなるまで自分たちが頑張っていく」と話していた。




 【写真】 沖の漁場にカキをつるす漁業者ら(26日、石巻市長浜沖で)

<>2011/7/26 4066<>4066.jpg<>「著名建築家が牡鹿に集結」…各浜で復興案を模索<> 全国各地の建築家で組織している東日本大震災からの復興支援ネットワーク「アーキエイド」はこのほど、石巻市牡鹿地区で地域の人が住みたい未来の浜≠ノついて考えるワークショップを開いた。各チームが約30の浜で現地調査を実施した。住民の意見を聞き取り、まとめたプランは来月中に市に提出。策定中の震災復興基本計画に生かしてもらう考え。


 ワークショップには国内外で活躍する建築家27人と学生100人による建築系研究室15チームが参加。今月20日から各浜の地形を調整し、さらに住民からの意見を聞き、22日までに素案を作成していた。


 23日はそれぞれの地域でまとめられた提案を発表した。このうち鮎川地区は横浜国立大学大学院の小嶋一浩教授と研究室の学生約10人が担当。鮎川小体育館に1千分の1の地域の立体模型を設置し、俯瞰(ふかん)的に地域を見られるようにした。


 小嶋教授による現地調査の結果、鮎川地区では約50年前までは低地で稲作を行っており、宅地にしたのはそれ以降だということがわかった。現在は人口が大きく減少していることから、高台に移住をしても土地利用に無理がないことを、模型を使って示した。


 また、住宅の建設費の負担なども考慮し、集合住宅建設の可能性も示唆。宅地造成の手間を省くため、鮎川小付近の高台にある運動公園を活用する案も出された。


 これに対し住民からは家並を統一することによる観光振興など前向きなアイデアも出されたが、一方では「我々が案を出しても国が動いてくれるかどうかは分からない」「手持ち資金がない中で、先の議論はできない」など、将来を不安視する声も上がっていた。


 小嶋教授は「我々は復興策で住民と行政の橋渡しする。言い換えればセカンドオピニオン的な役割を担う。希望があれば5年、10年後もこの地域にかかわっていく覚悟をもって参加している」と話していた。


 この日、同様の提案発表は他集落でも行われており、24日には鮎川小体育館で全体講評会も開催した。今後、事務局では各プランを取りまとめて市に提出。8月には横浜市で模型などの展示会を開くなどし、石巻地域の現状を全国に発信していく。




 【写真】 立体模型を使用し、住民に説明する小嶋教授(鮎川小学校体育館で)

<>2011/7/25 4065<>4065.jpg<>四川から励ましの絵届ける…藤原紀香さん再来石<> 日本赤十字社広報特使を務める女優の藤原紀香さんがL日、石巻赤十字病院を訪れた。中国四川大地震(2008年)の支援の恩返しとして現地の子どもが描いた絵を寄贈し、東日本大震災の救護活動にあたる医師や看護師らを励ました。


 藤原さんが同院を訪れるのは、4月12日に次いで2度目。藤原さんは「復興への歩みを実感しましたが、心のケア問題などの課題があると思います。特使として皆さんの活躍を伝えたい」と看護師や全国からの救護チームをねぎらい、金田巖副院長に中国の子供からの絵を渡した。


 絵はB3判ほどの大きさ。四川大地震で被災し、日本赤十字社が救援金で再建を進めた小学校の児童が描いた。「向日本献愛心活動」と題し、日本のための募金活動を行う子どもたちの様子が描かれている。米国テキサスA&Mの留学生が集めた、寄せ書き入りの日章旗も披露された。


 藤原さんは22―23日、石巻市や女川町の避難所にも足を運んだ。




 【写真】 中国の子どもの絵や寄せ書き入りの日章旗を届けた藤原さん
<>2011/7/25 4064<>0<>日本製紙石巻が東北大会出場決定<> 第82回都市対抗野球大会の宮城県予選の2回戦が24日、仙台市の東北福祉大球場で行われた。石巻市の日本製紙石巻は青葉クラブ(仙台市)に8―1の7回コールドで勝利。東北大会出場枠が与えられるベスト4以上を確定させた。


 日本製紙は佐々木投手、狭間捕手の新人バッテリーが先発出場。初回、先制点を許してしまうが、その後は落ち着いた投球で相手打線を零封した。打線も三回に3点を入れ逆転すると六回に1点、七回に一挙4点を加え、コールドで試合を終わらせた。


 次戦は29日午後1時から、仙台市民球場で東北マークスと決勝進出をかけて対戦する。
<>2011/7/25 4063<>4063.jpg<>「石巻に勇気と活力を」…日本製紙石巻 都市対抗予選スタート<> 「誰も彼もが待ってたこの日 攻めよ攻め抜けわが石巻 北上川と空の青 勝利の歓喜になお晴れわたる」―日本製紙石巻硬式野球部の応援歌「おお石巻」の歌詞だ。石巻を誇るこの歌を大舞台で高らかに響かせ、未曾有の震災に遭遇した市民に勇気を届けようと選手たちは、23日から仙台市内で始まった都市対抗野球大会県予選に挑む。震災の影響で今年の全国大会は、10月22日から大阪ドームで開幕する。


 昨年、悲願の都市対抗出場を果たした同野球部は、石巻地方を大いに盛り上げた。年末にはエースの久古健太郎投手がプロ入りし、戦力ダウンが心配されたが、今年に入って多くの頼もしい新人選手が入部。ベテラン勢の奮起も期待され、全国の中でも注目されるチームとなっている。


 投手陣は右投げでMAX150キロの速球がさえる沖山勇介投手と、本格派左腕の太田裕哉投手が2本柱。攻撃面では俊足巧打の攻撃的先頭打者、比屋根渉外野手や今年から中軸を任されたチャンスに強い濱田正輝外野手らに期待がかかる。


 県予選はトーナメント方式で行われる。23日から1回戦が始まっており、シードの日本製紙石巻は24日の2回戦から登場。午後3時30分から東北福祉大球場で仙台市のクラブチームの青葉クラブと対戦する。勝てば東北大会出場権を手に入れることができる。その後は県代表順位を争う戦いとなる。


 昨年の予選では見事、東北第1代表の座についた日本製紙は追われる立場となった。目の色を変えて臨んで来る強豪チームとの戦いは昨年以上に厳しさを増すだろう。それでも木村泰雄監督は「我々は若いチーム。挑戦者の気持ちで戦ってくる」と静かに語り、「震災がなくても代表として出るのが使命だが、今年はもう一つ、野球を通して皆さんに勇気を感じてもらうという目標がある」と抱負を述べた。


◇地域のために◇


 野球部は今年3月、都市対抗や日本選手権と並び社会人野球三大大会とされる「第66回JABA東京スポニチ大会」に出場した。震災当日の11日は神宮球場の準決勝で大阪市のNTT西日本と対戦。3―5で敗れはしたものの、全国の強豪と渡り合える力を十分に示した。


 全国を相手に戦えるという手応えを感じたこの日、震災が発生した。試合を終えて八王子市内のホテルに戻ったときに「建物が折れるのではないか」という大きな揺れに見舞われた。数時間後、本拠地である石巻地方が壊滅的な被害を受けていることをニュースで知ったという。


 戻りたくても交通網が寸断されて戻れない。何とかバスを手配し、3日後になって東北地方出身者を中心とした9人が新潟県経由で石巻に帰ってきた。それ以来、職場の工場の復旧活動を行い、それぞれ炊き出しの支援、物資運搬などに当たった。


 幼少時から野球に打ち込んできた選手たちが、それだけの間、練習を休んだことはなかった。しかし地域が受けた被害や工場の状態を見れば何も言えなかった。内心で不安を抱えながら、黙々と日々の作業をこなしていた。


 その状況が変わったのは5月に入ってからだ。会社が「野球部が活躍することで石巻の頑張りを全国に向けてさらに発信できる。石巻の復興のシンボルとなろう」と野球部の活動再開を宣言。都市対抗予選の準備をするため、北海道や九州、東海地方などへの遠征を敢行することになった。


 長いブランクから勘を取り戻すには時間を要したが、試合をこなすにつれて少しずつ震災前の強さを取り戻していった。今月12日には、昨年の都市対抗で敗れた浜松市のYAMAHAを相手に2―1で勝利。小差ながらも、ほぼベストメンバー同士での戦いを制した。


 西尾俊介主将は「このような中で野球をやらせてもらえることに感謝し、僕たちの活躍が皆さんの活力となれるよう勝ち進みたい」と意気込む。さらに「応援歌のおお石巻=B市民の皆さんにも覚えてもらいたい。皆で大阪ドームで歌えたら本当に最高です」と引き締まった表情で力強く語っていた。




 【写真】 今年も活躍が期待される日本製紙野球部

<>2011/7/23 4062<>4062.jpg<>石巻勢の夏¥Iわる…石巻工業1点差の敗退<> 第93回全国高校野球選手権宮城大会の4回戦が22日、クリネックススタジアム宮城(Kスタ)で行われた。石巻勢で唯一勝ち残っていた石巻工業は利府と対戦したが、2―3で敗れた。東日本大震災でグラウンドが浸水し、道具も失うという状況に追い込まれた石工野球部。選手たちはそこから這い上がり、大会を通して粘り強い全員野球を披露した。


 石工は2点差を追う5回には四球の奥津が犠打や暴投で三塁まで進むと、小山の犠飛で生還。六回には1点を加えられたが、その裏の攻撃で2死からヒットで出た阿部翔を、中軸の津田が右中間を抜ける二塁打で返して2―3とした。


 1点差を追う最終回の攻撃では2死まで追い込まれながらも、代打毛利が「気持ちで打った」と執念の左前安打。代走の岩渕が果敢に二盗を決め、さらに四球で一、二塁としたが、次打者が倒れて惜しくもゲームセットとなった。


 石工主戦の加賀は序盤こそ堅さが見られ、相手に痛打を浴びたものの、終盤は直球のキレを取り戻し気合の入った投球でリズムをつくった。四回の不運な安打など連打による2失点が最後まで悔やまれた。


◇「石巻のために戦う」◇


 この日、スタンドには選手たちが開会式の入場で掲げた「あきらめない街・石巻 その力に俺たちはなる!!」という横断幕が掲げられた。その文字通り、選手たちは最後まで勝利を目指して戦った。


 初戦から試合後のインタビューでは毎回、「石巻のために戦う」と語っていた黒川慎朔主将。この日の試合後は駆け付けた応援団に対し、「野球ができたのは皆さんのおかげ。結果で恩返しをすることはできなかったが、僕たちの感謝の気持ちは伝わったと思う」と頭を下げた。


 選手たちを前に松本嘉次監督は「お前たちはほかでは味わえない我慢強さを学んだ。それを今後に生かせ。胸を張って石巻に帰ろう」と震災後からの頑張りをたたえると、選手たちはせきを切ったように涙を流していた。


 ▽4回戦(クリネックススタジアム宮城)
利府
 000 201 000=3
 000 011 000=2
石巻工業
 【利】加藤駿、水落、布宮―浅野【石】加賀―津田▽浅野(利)津田(石)





 【写真】 小山の犠飛で本塁に突っ込む石工の奥津(5回、Kスタ)

<>2011/7/23 4061<>4061.jpg<>市立病院「現在地で再建」…亀山市長 方針示す<> 石巻市の亀山紘市長は21日、石巻市立病院を現在地=南浜町=で再建する方針を明らかにした。現地となれば国の補助が受けられるため、市の財政負担はほとんどない。年度内に着工し、1年後の完成を目指す。ただし南浜町は土地利用の基本構想案で公園ゾーンに位置付けられ、建築制限が敷かれている。記者らの質問に対し、亀山市長は「今後のまちづくりと土地利用の中で整合性を図っていきたい」と案の見直しも示唆した。


 市立病院の現在地建設は、石巻市議会定例会の最終日で議員の質問に答えた。亀山市長は20日の震災特別委では「現在地復旧も視野に入れたい」と明言を避けていたが、定例会で「現在地の南浜町で市立病院の使命と機能を回復していく」と答弁。また伊勢秀雄病院長も「津波の直撃を受けたが、患者に被害はなく建物の安全性も実証された。市長には現在地復旧が妥当だと進言した」と語った。


 議会終了後、亀山市長は記者らの質問に対し、国の3次補正予算に向けた県への申請期限が22日に迫っていたため、方針決定を急いだことを説明。市立病院は津波の直撃を受けた場所だけに「今後は市民理解を得ることが大切。市民や医師、医療スタッフも早期再開を望んでおり、安全面に十分配慮しながら再建したい」と述べ、水没した1階部分については「どのような形にすべきか検討する」とした。


 市立病院の復旧をめぐっては、当初、場所を移転して年内に仮設病院を建設し、数年先には本建設を視野に入れていた。しかし仮設とはいえ、医療機器を含めた建設費は約20億円。現地復旧以外では国庫補助が受けられないため、仮設建設は大きな壁に直面した。市病院局は現地復旧した場合、約30億円かかると見込んでいる。




 【写真】 現在地再建が示された石巻市立病院
<>2011/7/22 4060<>4060.jpg<>石巻専修大学 スカラシップ入学実施へ…被災学生を全面支援<> 石巻専修大学(坂田隆学長)は19日、震災で被災した平成24年度入学者に対し4年間学費や施設利用費などの免除を行う「被災者支援スカラシップ入学試験」の実施を決めた。在学生への就学支援制度も同時に行い、被災地の大学として学生支援を全面的に行う方針を固めた。


 スカラシップ入学は、震災により家屋被害や親族の死亡または失業により経済的困窮状態となっている学生に対し、勉学に励める環境を作ろうと学校法人専修大学と石巻専修大学が展開する新たな入学制度。被災した平成24年度入学予定者を対象に、10月11日から募集を始める。


 また、在学中の学生に対し原則1年間、家屋が被災した場合に学費の全額免除(入学費や学会費を除く)、震災により経済的被害を受けた場合は、学費の一部免除も行う。


 これにともない、坂田学長は同日、同大学本館2階会議室で会見を行い、「本大学では、全学生の4分の1が被災している。被災地の大学として、在学生や入学予定者を全面的に支援し、復興に向かう地域の屋台骨となる学生輩出を目指していく」と話した。


 スカラシップ入学の出願期間は、10月11日―14日。募集人数は全学部合わせて10人程度とし、出願資格は、公的機関が発行する罹災証明または被災証明書の提出可能者(震災で家計支持者の死亡、失業などにより経済的困窮度の高い者も含む)。


 第1次選考は11月7日に同大学、第2次選考は同19日に県内5会場で行う。




 【写真】会見に臨む坂田学長

<>2011/7/22 4059<>4059.jpg<>漁港集約などを説明…女川町復興計画公聴会<> 震災からの早期復旧を目指す女川町は20日から、策定中の復興計画についての公聴会を行っている。初日は高白地区などが対象となり、課題となっている壊滅した沿岸部の居住地について、住民からは既存集落内での高台移転ならば受け入れるという声が上がった。


 現在も避難所となっている海泉閣で開かれた公聴会には、横浦や高白浜などの住民約100人が出席。安住宣孝町長や町復興計画策定委員会会長の鈴木浩福島大学名誉教授らが、5月に実施した前回公聴会での意見を踏まえた復興計画案を提示した。


 防災面では外洋からの波や津波制御を目的に国や県と協議し平成25年度を目標にした湾口防波堤の再整備、防災広報無線の充実や避難路の確保などの対策案を説明。さらに産業面では、昼間人口の多い水産加工施設周辺の背後地に住宅地を建設する案や運動場の一部移転、尾浦・出島・寺間など被害の少なかった町内7か所の港を拠点港候補地として優先整備することも示した。


 また、集落集約化については、すべての漁港を整備することが困難な状況であることに理解を求め、数か所に居住地と漁港をまとめることで行政サービスを得やすいことなどを強調した。


 これを受け、住民からは、「歴史ある集落をなくしてはいけない。背後地には十分な高台があり、居住地と漁港を区分けすることで既存の集落を残せるのでは」「高台への居住地移転にはおおむね賛成しているものの、既存の集落内の移転を考えてほしい」などの意見が多数あった。


 また「漁業を営む住民と、そうでない住民とで意見が分かれている」などの現状も委員会メンバーに伝えられた。


 公聴会は、22日まで町内5会場で開催していく。最終日は午前10時から旧女川第三小学校多目的ホールで行われる。集まった意見は8月の委員会で検討し、最終計画書に盛り込む。




 【写真】 復興に向けて活発な意見交換が行われた

<>2011/7/21 4058<>4058.jpg<>富県宮城グランプリ受賞…奥松島体験ネットワークなど2団体<> 県内産業の発展や地域活性化に貢献した企業や団体を表彰する平成22年度富県宮城グランプリに、石巻地方から奥松島体験ネットワーク=東松島市宮戸=、東北電子工業(株)=石巻市中島=が選ばれている。3月23日の表彰式で受け取るはずだったが、震災の影響で褒状が先日、各団体・企業に伝達された。このうち同ネットワークは、中心となる民宿が壊滅的被害を受けたが、体験の受け入れ再開に向け動き出している。


 22年度は2企業、1個人、2団体がグランプリを獲得。同表彰制度が始まったJ年度以降、石巻地方からのグランプリ選出は初めてになった。奥松島体験ネットワークは、国の「子ども農山漁村交流プロジェクト」の受け入れモデル地域指定を受けるなど、漁業体験を通じた教育旅行の誘致拡大に貢献。東北電子工業鰍ヘ、県内進出企業から車載電池用樹脂ケースの受注を獲得し、地域の自動車産業参入意識を高めたと評された。


 宮戸の民宿経営者を中心に構成される奥松島体験ネットワークは、シーカヤックやカゴ漁などの体験が人気で、昨年の受け入れ数は4千人を突破。グランプリの受賞が誘客の弾みとなるはずだった。ところが、震災で民宿はおろか宮戸の4浜のうち3浜が壊滅する事態となった。


 幸い12艇のカヤックのうち9艇は流失を免れ、地引き網やカゴも回収。16軒中2軒の民宿は無事で、ほかの2軒も修理すれば宿として使える見通し。以前に受け入れた神奈川県海老名市の中学校から見舞金が届くなど支援があり、今年の夏は東京都から15人を受け入れることが決まった。


 宮戸では震災後、住居の高台移転と特別名勝松島の文化的景観保護の両立を図りつつ、住民自ら将来を見据えた島の土地利用やまちづくりの全体像を描こうとしている。そうした中で、月浜は観光の浜%Iな位置付けとする案が浮上。月浜には国指定重要無形民俗文化財の「えんずのわり」もある。


 自宅が流失し、経営する月浜の民宿を避難所として開放する同ネットワークの小野勝見会長は、「宮戸は観光の面で何をするのにも中途半端だった。例えば魚を食べたり買ったりする店や、文化財を活用した体験があってもいい。これまで以上に人が集まる島がつくれる」とゼロからの復興へ意欲をかき立てた。




 【写真】 富県宮城グランプリの受賞をばねに、宮戸の観光振興を志す小野会長


<>2011/7/21 4057<>4057.jpg<>持ち主待つ思い出の品…来場 ピーク時の4分の1<> 石巻市は津波で流失した写真や位牌、各種証明書などの公開と返還を進めているが、思い出の品を捜し求める市民の数が徐々に減り始めている。中には市域以外から漂着したものもあり、市は「市内外の人も足を運び、確認してほしい」と呼び掛けている。


 市は石巻地区と旧町地区に分け、それぞれの地域で公開を始めており、石巻地区の会場は旧市役所議会棟=同市日和が丘=。5月23日の公開初日は400人が訪れ、108件の引き渡しがあり、月内平均で1日300人が足を運んだ。


 しかし6月中旬ごろから少しずつ来場者が減り、7月に入ると100人を割る日が多くなってきた。会場にはいまでも持ち主の引き取りを待つ遺影やアルバムが数多く残され、ランドセルや学生証、スポーツ大会のトロフィーなどもある。


 同会場リーダーの阿部麻由さんは「2週間ごとに入れ替えを行うほか、写真も見つけやすく整理し、地域も分かりやすく表示しています。大切な品々ですので、早く持ち主の手元に届くのを願っています」と話していた。


 写真の洗浄などは県内外のボランティアが行い、一枚ずつていねいに台紙からはがしている。写真は塩害やバクテリアの影響で時間が経つと真っ白な印画紙に戻るという。このため市は写真メーカーや地元企業の協力を受けて接写やインデックス化を進めており、1点でも多く持ち主に戻そうと熱を入れる。


 展示されているのは、必ずしも市民のものとは限らない。発見された場所は表記されているが、福島県双葉町の住民台帳の一部が石巻市に流れ着いたケースもある。市は「女川町や東松島市から漂着した品々もあると思う。他地域も同じであり、各会場に足を運んだ方が見つかりやすいのでは」と話していた。石巻地区の公開時間は午前10時―午後3時。




 【写真】 連日、ボランティアが写真の洗浄作業を行っている<>2011/7/20 4056<>4056.jpg<>楽しみがいっぱい!…あすから夏休み<> 石巻地方のほとんどの学校で20日、1学期の終業式が行われた。震災の影響で夏休み期間は短縮となったが、子どもたちは楽しい思い出を作ろうと目を輝かせていた。夏休みは8月21日まで。


 このうち津波で校舎が被災し、石巻市立開北小学校の教室を間借している湊第二小学校(中村たみ子校長、児童112人)は音楽室で終業式を行った。


 式では6年生の佐々木雄介さんと1年生の茄子川奈美さんが児童を代表して1学期を振り返り、2学期の抱負を発表。中村校長が「皆さんは震災から慣れない環境でもよくがんばった。楽しい思い出をたくさん作って始業式で元気な姿を見せてください」と呼び掛けた。


 教室に戻ると、担任教諭から一人ひとりに通知票が手渡され、児童はそれを眺めて1学期を振り返っていた。


 21日から開北小敷地内で湊二小の仮設校舎建設が始まり、9月末の完成を予定している。


 石巻市内の小中学校では、震災で授業開始が遅れた前期授業日数分を補うため、本年度は夏季休業期間が例年より3日ほど短くなったほか、冬季も短くなっている。




 【写真】 笑顔で通知票を受け取る湊二小児童ら
<>2011/7/20 4055<>4055.jpg<>高校野球 地元勢対決 石巻工業が制す<> 第93回全国高校野球選手権宮城大会の3回戦4試合が18日、仙台市内で行われた。石巻勢7校のうち敗退せずに残っていた石巻工業と石巻西は東北福祉大球場で対戦し、石巻工業が7―6で点の取り合いを制した。試合後、石巻西は多くの折り鶴で「希望」とデザインしたタペストリーを石巻工業ナインに贈り、被災地を勇気づける戦いをしてほしいと思いを託した。


 石巻工業は二回、左前安打の加賀を送ると今野も左前安打で続き1死一、三塁。三浦の犠飛と黒川の右前安打で2点を先制した。4―2で迎えた六回には先頭打者の三浦を二塁に置いて阿部翔が右越三塁打。渡邊の犠飛などもあり、2点を追加した。さらには八回にも代打毛利の左前安打などで1点を奪い、コツコツと得点を重ね、少しずつ差を広げていった。


 これに対し石巻西は失点後には、得点を奪い返すものの相手打線を抑えきれず、最終回を迎えたときには4点差を追う状況。それでも九回の攻撃は代打の鈴木諒が強打で相手の失策を誘って出塁。続く佐々木健が左中間を破る二塁打で走者を返し1点を奪取した。さらには山根の打球を相手内野手が処理を誤り一、三塁とチャンスが広がったが、後続が倒れて2死まで追い込まれてしまった。


 ここで打席に立ったのは四番打者の土井。ベンチとスタンドが期待を込めて見つめる中でフルカウントまで粘ると、芯で捉えた打球は中越の三塁打。2者が生還し1点差まで迫った。しかし、次打者の打球は惜しくも内野ゴロ。そのままゲームセットを迎えた。


   ◇


 試合後、石巻西の阿部俊樹主将らは石巻工業の選手たちのもとに行き、折り鶴の飾りをプレゼント。石巻工業の黒川慎朔主将と固い握手を交わして互いの健闘をたたえ合った。阿部俊主将は「多くの応援に応えられなくて残念だが、最後まで粘る自分たちの野球はみせることはできた。石巻工業には甲子園に行ってもらい、石巻地方を盛り上げて欲しい」と語っていた。


 石巻工業は22日午後0時30分から、クリネックススタジアム宮城で利府と対戦。勝てばベストに進出する。石巻工業の黒川主将は「西高のみんなの分まで気持ちをぶつけてくる」と話していた。


 【18日】
 ▽3回戦(東北福祉大球場)
石巻西
 001 010 103=6
 020 112 01×=7
石巻工業
 【西】阿部徳、目黒―佐々木健【工】加賀―津田▽三塁打=土井(西)阿部翔(工)▽二塁打=鈴木靖、佐々木健(西)渡邊、小山、加賀(工)




 【写真】 八回に7点目を挙げる石巻工業<>2011/7/19 4054<>4054.jpg<>香取さんが市民を激励<> 来月から全国で公開される「こち亀THEMOVIE〜勝どき橋を封鎖せよ!」の無料上映会が16日、石巻市の中瀬公園で行われた。主役の両津勘吉を演じる香取慎吾さんらが特別ゲストとして登場。明るい笑顔で集まった子どもたちを励ました。


 この日は公園内に180インチのモニターを搭載したトラックを設置。カキ氷や焼き鳥などの出店も軒を連ね多くの親子連れでにぎわった。


 上映後には香取さんのほか、中川圭一役の速水もこみちさん、秋本麗子役の香里奈さんが映画衣装で登場。香取さんは「復興の兆しが見えてきたと聞いたが、石巻に来てまだまだだと思った。両津として、SMAPとしても、今後にできることを考えたい」と話した。


 また、速水さんと香里奈さんも「離れていても心はつながっている。一緒に頑張っていきたい」などとあいさつ。最後には子どもたちと記念撮影も行った。


 無料上映会は両さん≠フ笑顔で被災地に元気になってもらおうと開催しているもので、岩手県釜石市に続き石巻市は2か所目となる。




 【写真】 子どもたちと一緒に笑顔を見せた香取さんら
<>2011/7/19 4053<>4053.jpg<>音楽で勇気・元気与えたい…石巻専修大SWO慰問コンサート<> 石巻専修大学吹奏楽研究会(シンフォニック・ウインド・オーケストラ)は17日、東日本大震災の被災者を元気づけようと、避難所になっている石巻市稲井公民館でコンサートを開いた。


 研究会から15人が避難所を訪問。「北国の春」「北酒場」「川の流れのように」の演歌や歌謡曲をメドレー演奏したほか、学校の合唱曲として定着している「ビリーブ」、さらに「少年時代」「上を向いて歩こう」といったなじみのある曲を届けた。


 一時は300人いた稲井公民館の避難者は、現在45人。日曜日の日中とあって、避難者は少なかったが、研究会は汗をかきながら精一杯真心を込めて演奏していた。代表の菅野雅人さん(経営学部3年)は「これまで地域の催しに招かれ、演奏させていただいた。せめて音楽で勇気を与えることができれば」と願った。


 研究会は今後も、被災地での慰問演奏を行うことにしている。






 【写真】 学生らが被災者を元気づける精一杯の演奏を行った
<>2011/7/19 4052<>4052.jpg<>「喜劇で涙を笑顔に」…池田監督、俳優の赤塚さんが相川慰問<> ドキュメンタリー映画「弁護士 布施辰治」の池田博穂監督らがG日、ロケ地となった石巻市北上町の相川保育所(旧相川中学校)で、被災した住民にラーメンの炊き出しを行った。同映画で布施辰治役を演じた俳優の赤塚真人さんも劇団を率いて喜劇を演じ、震災の涙を笑顔に変えた。


 同映画は石巻(旧蛇田村)出身の人権弁護士・布施辰治(1880―1953)の生涯を描いたドキュメンタリー。石巻市や女川町で一昨年に撮影された。旧相川中は裁判のシーンなどで使われ、多数の住民がエキストラ出演。跡地に完成した相川保育所は15日で避難所は閉鎖されたが、現在も数人の住民が残っている。


 池田監督らが震災後、石巻地方を訪れるのは2度目。昼食時に集まった住民に、仙台市のホテルの協力でラーメン150食を提供したほか、山形県の支援者がサクランボなどを届けた。


 食後には赤塚さんの劇団「裏長屋マンションズ」が、古典落語「大工調べ」を芝居にして上演。言葉の行き違いで騒動になる過程を、赤塚さんらが台本にないセリフの連発や体を張った演技で面白おかしく表現した。


 さらに「弁護士 布施辰治」の地元エキストラ出演シーンを抜粋した映像が上映されたほか、赤塚さんの「爆笑人情落語」と題した寄席もあった。自宅を津波で流された自治会長の鈴木学さん(66)は「震災後に池田監督や赤塚さんが来て、手をとって涙を流してくれた。仮設住宅に入ってもコミュニティーを大事にし、交流を続けたい」と感謝していた。


 同映画に出演し、津波で亡くなった地元の漁師も。赤塚さんは弱者の立場で弁護した布施辰治のように「支援をしてくれた人たちが被害に遭い、だまっていられない」と語り、池田監督は「布施辰治が仲立ちとなり、支援をする人、受ける人がいる」と感慨深げだった。池田監督らは18日、女川町も慰問した。


 映画「弁護士 布施辰治」は震災で各地での上映が一旦中止になったが、徐々に再開の動きが出ている。秋ごろに石巻市蛇田での上映会も計画している。




 【写真】 古典落語を芝居にして演じる赤塚さん(17日、相川保育所)

<>2011/7/18 4051<>4051.jpg<>海の日も人姿なく…海水浴場は閉鎖<> 海の日の18日、例年は遊泳客でにぎわう石巻地方の海水浴場も震災の影響で今年は閉鎖され、海辺を歩く人の姿もなかった。いまだ漂流物が堆積している海水浴場もあり、震災は夏のレジャーにも大きな爪あとを残した。


 石巻市に6か所ある市営海水浴場は、防波堤の損傷被害を受けており、遊泳区域の監視台やシャワー室なども流失。震災からまもないこともあり、安全性の確保が困難なことから本年度は閉鎖を決めた。


 一方、例年4万人以上が訪れる東松島市の野蒜海水浴場は、砂浜にガレキや流木が大量に漂着。また津波に巻き込まれた小型漁船が海岸に打ち上げられており、石巻市同様に泳げる状況でもない。海中にはガレキが残っている海岸が多いと見られ、本格的な夏を迎えても海に足を運ぶ姿は見られない。




 【写真】 漂流物が多くうちあげられた海岸(野蒜海水浴場)


<>2011/7/18 4050<>4050.jpg<>石巻・石巻北ベスト16ならず<> 第93回全国高校野球選手権宮城大会の3回戦4試合が17日、仙台市内で行われた。石巻勢は2校が登場したが石巻北は登米に2―9、石巻は仙台一に2―3で敗退した。ベストF進出は果たせなかったが、両校の最後まであきらめない戦いぶりに、スタンドからは大きな拍手が送られた。


仙台市民球場での第1試合に臨んだ石巻北は、序盤から登米に主導権を握られ、徐々に点差を広げられた。それでも8点差を追う五回、2死から先頭打者の阿部が中前安打で出塁し、すかさず二盗。続く佐藤大は三塁打、岡田も二塁打と長打を重ねて2点を奪うことに成功した。しかし反撃もここまで。2―9の7回コールドで敗戦した。


 石巻北は、震災でグラウンドが使用できなくなった宮城水産との合同練習が今も続く。この日の登米戦で3打数1安打1四球3盗塁の活躍を見せた3年生の阿部選手は、すでに今大会で敗れて野球部を引退した宮水の同学年から激励のメッセージをもらっていた。試合後、阿部選手は「宮水の分も勝ちたかった」と悔しさをにじませ、「(両校の)後輩たちには自分たちの分まで頑張ってもらいたい」と思いを託した。


         ◇


 一方、第2試合は石巻と仙台一の伝統校同士の対戦。石巻は三回にバントヒットの土井が三塁まで進み、石川の左飛で本塁を突いたが惜しくも捕殺。先制機を逃したが、四回には中軸の伊勢が中越二塁打で出ると、高澤が中前にはじき返し1点を挙げた。しかし五回に追いつかれ、六回に逆転を許すと最終回にはさらに1点を加えられ、1―3の苦しい展開になった。


 何とか意地を見せたい石巻は2死まで追い込まれた9回裏、勝利への執念をみせて好機を作りだした。四球の高澤を一塁に置き、吉田が左前安打で一、二塁にすると高砂の中前に落ちる安打で一人が生還し2―3。さらに今野が死球を受け、一打サヨナラの満塁となった。絶体絶命の危機からしぶとく立ち上がり、あと一歩まで迫った石巻だったが、ここで後続が倒れ、1点差で惜敗した。


 試合中、石巻の応援席には、中央に大きく「感謝」と書かれたメッセージボードが掲げられた。自分たちの野球で被災地に勇気を与えたいと、勝利に向かった選手たち。日野主将は試合後、悔し涙を流しながらも「選手と応援席が一つになって戦えた。石巻地方はまだまだ大変な状況。今後はボランティア活動など取り組めることをやりたい」と力強く語っていた。


 なお、残る石巻勢の石巻工業と石巻西は18日午後、東北福祉大学野球場で4回戦進出をかけて対戦する。


【17日】
 ▽3回戦(仙台市民球場)
登米
 203 030 1=9
 000 020 0=2
石巻北
(7回コールド)
 【登】崎、菅原―熊谷【石】佐藤大、大槻―豊田▽三塁打=熊谷(登)佐藤大(石)▽二塁打=岡田(石)


仙台一
 000 011 001=3
 000 100 001=2
石巻
 【仙】阿部巧、木下、阿部巧―深堀【石】三浦祐、三浦典―日野▽二塁打=伊勢(石)




 【写真】 三回、惜しくも本塁でアウトになった石巻の土井(仙台一―石巻)
<>2011/7/18 4049<>4049.jpg<>「待ち遠しかった」と笑顔…JR仙石線 石巻―矢本間再開<>震災の影響で運休していたJR仙石線・石巻―高城町駅間(24・7キロ)のうち、石巻―矢本駅間(8・8キロ)が16日、震災から約4か月ぶりに運転を再開した。1時間に1本程度運行し、同区間で1日19往復。津波被害が大きかった矢本―高城町駅間(15・9キロ)の運転再開のめどは今も立っていない。石巻地方と仙台圏が直接、鉄路でつながるにはまだまだ時間がかかりそうだ。


 矢本駅(渡辺勝栄駅長)では、始発の午前6時16分発石巻行きの列車に乗ろうと高校生や家族連れなどがホームに並んだ。渡辺駅長が旗を振って車両を見送ると、列車は石巻駅に向かって走り出していった。


 石巻工業高2年の奥田大夢さん(16)=東松島市=は「待ち遠しかった運転再開。今日までずっと自転車で通学していたが、ようやくそれから解放されます」と安堵の表情。石巻市立女子高1年の阿部佳奈さん(15)=同=は「代行バスは渋滞に巻き込まれ、かなり時間がかかっていた。毎日、早めに家を出ていたのでこれからは少しだけ朝、ゆっくりと過ごせそうです」と笑顔を見せた。
 JR東日本仙台支社によると、震災の影響で仙石線は踏切Aか所が故障したほか、陸前山下駅と陸前赤井駅が冠水し駅舎が使えなくなった。このため、両駅は仮設駅舎で営業をしている。


 さらに同線は電化区間だが、赤井駅近くの鉄道変電所が被災。電力供給ができなくなり、ディーゼル列車を使用している。車両は利用者が多い朝・夕は4両、それ以外は2両編成で運転。車体には「仮面ライダー」や「ロボコン」「サイボーグ009」などが描かれたステッカーが張り付けられておりマンガの街・石巻≠アピールしている。


 渡辺駅長は「高校生らを中心に利用客が多い。従来の代行バスに比べて時間が短縮になる。この運転再開が地域の復興の一助となればうれしい」と話した。


     ◇         ◇   


 仙石線の一部運転再開を祝おうと、石巻市山下地区の住民たちは16日午前、JR陸前山下駅で歓迎セレモニーを開いた。同駅の近隣住民約100人がホームを通過する列車に日の丸の小旗を振り、再開を喜んだ。


 参加した同市錦町の主婦、斉藤幸子さん(71)は「仙石線は買い物や通院などでよく利用する。一部区間とはいえ再開はうれしい。仙台まで開通する第一歩になった」と話していた。




  【写真】 日の丸の小旗を振って運転再開を喜ぶ地域住民ら(午前9時10分ごろ、陸前山下駅で)
<>2011/7/16 4048<>4048.jpg<>「移転せずに住み続けたい」…野蒜地区など在宅住民が市に要望<> 市街地の集団移転を含めた東松島市の復興まちづくり計画策定にあたり、津波で被災しながらも在宅で生活している野蒜・東名・大塚地区の住民が先日、市役所で阿部秀保市長らと懇談し、集落を移転せずに現在地に住み続けることができるように求めた。阿部市長は「移転は強制できない。避難路をつくることが大事で、住み続ける選択肢は残す」との考えを示した。


 津波による住家の流失を免れた同地区の在宅住民約T人が出席。636人の署名を集め、6月27日に@復興計画でも居住区域とすることAライフラインの早期復旧BJR仙石線の現状ルートでの早期復旧―など5点を市に要望している。


 市の復興まちづくり構想案では、市街地から海側へ向かって防潮堤やかさ上げ道路などを3重に整備し、沿岸部から高台へ南北に延びる避難路をつくる。野蒜地区では東名運河を挟んで南側は高台移転、北側は住民の意向を織り込み、現地復興を想定している。


 市は今後の土地利用を考える上で、住民一人ひとりに移転するか現地で再建するかを聞くアンケートを実施する予定。集団移転を要望している他の地区でも現地に残りたい住民はおり、市はそうした人たちの減災を図るための避難路の重要性を強調した。


 線路が流失したJR仙石線野蒜駅周辺の復旧について、市は「JRが安全なルートを選定する」と説明した。住民らは「観光地として駅を残したい思いがある。元に戻してこそ復興だ」と現地復興を要請。加えて「早く再開してもらわないと人がいなくなる」と強く求めていた。




 【写真】 在宅被災者が阿部市長らと意見交換した
<>2011/7/16 4047<>0<>石商、投打に精彩欠く…高校野球<> 第93回全国高校野球選手権大会宮城大会は15日、3回戦が行われた。石巻商は東北福祉大球場で仙台商と対戦し、0―10(5回コールド)で敗れた。


 石巻商は二回に先制されると、その後も追加点を許す苦しい試合展開。打線も相手投手の前に、精彩を欠いた。それでも2点を追う四回、石商はこの試合は初となる内野安打で出塁。しかし、好機を広げられず、逆に四、五回と相手打線に圧倒され、勝負を決められた。


 岡本侑也主将は「気持ちの差が大きかったと思う。石巻が盛り上がればと思っていたので勝ちたかった。後輩には最大限のことをやって秋の大会に備えてほしい」と話した。


 なお、石巻勢は17日午前10時から仙台市民球場で石巻北が登米と、午後0時30分から石巻は仙台一と対戦。18日午後0時30分からは東北福祉大球場で石巻西と石巻工が対戦する。


 ▽3回戦
【東北福祉大球場】
石巻商
  000 00  = 0
  011 35× =10 
仙台商
     (5回コールド)
 【石】亀山、鈴木涼―鈴木翔【仙】米―渡邉▽二塁打=大友(仙)
<>2011/7/16 4046<>4046.jpg<>「牡鹿半島の鹿肉に感激」…ボランティアをもてなす<> 牡鹿半島で捕獲したニホンジカの食肉加工販売を行う三浦信昭さん=石巻市小船越=は11日、ボランティアで市内を訪れている若者らを自宅に招き、鹿肉の料理を振る舞った。初めて口にした人が多かったが、「おいしい」「力がつく」と連呼していた。


 集まったボランティアは熊本、大阪、兵庫、千葉、埼玉、高知、東京、愛知、福島の20―30歳代の男女約10人。被災者と専門的支援をつなぐプロジェクト「つなプロ」のメンバーで、県内の避難所を回りながら介護や要要支援のニーズ調査を行ってきた。


 ボランティアらはバーベキュー形式で鹿肉を味わい、香ばしく焼かれたソーセージやウインナーに舌鼓を打った。さらに狩猟者でもある三浦さんが静岡県の伊豆で捕獲してきたイノシシの肉を使って、鍋料理や石巻やきそばが振る舞われた。


 普段は地域活性化に関係した仕事をしている友廣裕一さん(26)=大阪府出身=は「ジビエ(狩猟の肉)はなかなか食べられない。まったくクセがなくおいしい」、稲葉隆久さん(29)=熊本県出身=は「鹿を初めて食べたが、力がついた気がする」と上機嫌だった。


 三浦さんが代表を務める「丸信ワイルドミート」は牡鹿半島で捕獲した鹿の肉を専門に扱い、道の駅上品の郷などで販売。震災直後の牛肉、豚肉の不足で売れ、地元に認知されてきたという。



 【写真】 談笑しながら鹿肉のウインナーやソーセージを焼くボランティア

<>2011/7/15 4045<>4045.jpg<>中瀬公園に真っ赤な太陽<> 石巻市の中瀬公園で先日、県内の子どもたちが将来の夢を書いたハンカチをつなげて太陽の形をつくるアートイベントが行われた。


 佐賀県で活動する芸術家の内山大志さんを中心に宮城県内外の有志が企画。県内の幼稚園から高校までの児童生徒に願いを書いてもらったハンカチ約5千枚の裏面を赤く塗り、それを結び公園内に丸く並べた。


 真っ赤な太陽をイメージさせる直径約20メートルのアート作品は約6時間の作業で完成。最後は製作者全員で天に掲げて被災地の復興への願いを込めた。


 内山さんは「暗い話題が多い中で、みんなでハッピーなニュースを作りたかった。明けない夜はない。必ず陽は昇るということを感じてもらえれば」と話していた。




 【写真】 約5千枚のハンカチをつなげて完成したアート作品
<>2011/7/15 4044<>4044.jpg<>フランスからも「ガンバッテ」…日本人の行動に賛辞<> 石巻市国際交流協会(久我恵美子会長)に先日、フランスから被災地激励のメッセージが入った日の丸が3枚届いた。一緒に同国のクッキーやビスケットなど菓子もあり、協会では宮城県と石巻市に国旗各1枚と菓子を寄贈した。
             
 メッセージ国旗は久我会長の友人でルーブル美術館勤務の学芸員、モアンヌ前田恵美子さんが中心となって作成した。東日本大震災の発生直後、何度も久我さんに連絡を入れたが、電気、電話の不通で状況を知ることができなかった。ようやく連絡が取れた4月ごろ、久我さんが被災地に必要なものとして“甘いお菓子”をリクエスト。すぐに発送する手はずとなっていたが、前田さんが2か月の入院を余儀なくされたため、さらにパリ市民らのメッセージが入った国旗も贈り物に添えた。
              
 前田さんは久我さんに「ヨーロッパではこのような状況下、すぐに暴動が起こるが、日本ではそれがなく、世界中から教訓としてたたえられた。被災者の節度ある行動がフランスのメディアでも取り上げられるたびに、日本人として誇りに思った」と話していたという。
             
 3枚のうち国際交流協会に贈られた旗には、「決して忘れません。いつも一緒にいます」という日本語のメッセージや「Ganbate(がんばって)」といった激励、またパリ南郊にあるグレー・シュル・ロワンの市長からも復興を願う言葉が寄せられた。
               
 また久我会長の別の友人で、やはりフランス在住の実業家ソリエール昌子さん(ユネスコパリ本部役員)からは、石巻市の子どもたちを京都へ無料招待したいとの申し出があった。改修した実家の古民家を開放する。東浜小児童と保護者ら16人が8月5日から3泊4日の旅を楽しむことになった。久我会長は「修学旅行のように思い出をたくさん作ってほしい。遠くフランスの地からも私たちを見守ってくれる人たちがいることは、復興への励みになる」と感謝していた。
            
【写真】国際交流協会に届いたメッセージ国旗
<>2011/7/14 4043<>4043.jpg<>石巻赤十字病院、年内に80床の仮設病棟<> 石巻赤十字病院(飯沼一宇院長、402床)は13日、年内に約80床の仮設病棟を敷地内に建設する計画を明らかにした。石巻市立病院(206床)が壊滅的になるなど、震災で機能低下した圏域の医療を補完するため。併せて中期的な地域医療の構想案も発表し、3年後をめどに着手する増築計画案も示した。
            
 仮設病棟は3階建てのプレハブで、本院と連絡路でつなぐように一般駐車場の西側に建設する計画。建設費は関連施設の整備費も含め総額8億円。10月ごろに着工し、来年初めからの供用開始を目指す。
             
 新たに医師30人、看護師plの確保が必要となり、同院では、仮設施設で診療を再開した石巻市立病院に人的支援を求めたい考え。13日に記者会見した飯沼院長は「市立病院の再建について口をはさむ立場でないが、市や市議会の理解が得られればありがたい」と話した。
              
 震災で市立病院のほか1次救急を担う夜間急患センターが壊滅的となるなど、圏域の多くの医療機関が被災。仮設病棟の建設により、圏域の救急医療体制はとりあえずカバーできるという。
             
 一方、増築計画案では、100床程度の増床を構想し、地域の中核病院として救急・重症医療体制の強化を図る。震災の教訓を生かす災害医療関連施設や、使用不能になった石巻赤十字看護専門学校=吉野町=の移設再建も盛り込んだ。
               
 同院は当初、平成24年度に増築着工を予定していたが、震災の発生を受けて計画を修正。気仙沼地域も含めた県北東部の地域医療を復興させるためのグランドデザイン(全体像)を描き、県などに提言している。
               
【写真】記者会見した飯沼院長<>2011/7/14 4042<>4042.jpg<>38年前の初演をCD化…市へ100枚寄贈<> 合併前の石巻市市制40周年を記念し昭和48年に上演された「カンタータ 大いなる故郷石巻」を収録したCDがこのほど完成した。石巻市文化協会(西條允敏会長)などの協力で1千枚制作。今後、1枚2千円で販売し、収益金は東日本大震災の復興義援金として同市などに寄付される。7日に西條会長が北村悦朗副市長を訪ねて、100枚を寄贈するとともに、CDをPRした。


 「大いなる故郷石巻」はともに石巻市出身の石島恒夫氏(昭和5―63年)が作詞し、小杉太一郎氏(昭和2―51年)が作曲した作品。市制40周年を記念し、同年11月4日に石巻市民会館で初めて上演された。


 その模様を収録したサブマスターテープが先ごろ小杉氏宅から見つかった。故郷への思いを復興への力に変えようと、関係者の間でCD化を計画。38年前のテープのアナログ音源をデジタル変換して音質を高めた。


 7日に市役所を訪ねた西條会長は「石巻を歌い上げた作品をぜひ多くの人に聞いてほしい。指揮の小林研一郎氏をはじめとしてトップレベルの人たちが上演に関わった」と語った。北村副市長は「音楽は石巻の財産です。たくさん売れるといいですね」と期待した。


 寄贈されたCDは今後、市内の公共施設などに配布される予定。一般には、伊福部(いふくべ)昭氏の公式ホームページから購入することができる。




【写真】 完成したCDを寄贈する西條会長(左)

<>2011/7/13 4041<>4041.jpg<>石巻が3回戦進出<> 第93回全国高校野球選手権大会宮城大会の2回戦が12日、県内の各球場で行われた。石巻勢では、石巻が利府町中央公園野球場で仙台高専名取と対戦し、3―0で破り3回戦にコマを進めた。


 石巻は三回、土井が相手の失策で出塁すると内野安打や犠打などで好機を広げ、再び相手のエラーで1点を先制。五回には高橋の適時打で1点を追加、続く六回は今野の三塁打で1点を加えて仙台高専名取を引き離した。先発の三浦は9回を投げて2安打に抑え、三塁を踏ませなかった。


 石巻は17日午後0時30分から仙台市民球場で仙台一との3回戦に臨む。なお、石巻勢は15日午後0時30分から石巻商が仙台商と対戦。石巻工と石巻西は17日午後0時30分から、東北福祉大球場でベスト16の座を争う。


 ▽2回戦
【利府野球場】
仙台高専名取
 000 000 000=0
 001 011 00×=3
石巻
 【石】三浦祐―日野【仙】高橋―笹木▽三塁打=今野(石)




【写真】 9回を完封した石巻の三浦


<>2011/7/13 4040<>4040.jpg<>「松島基地近くで ニホンカモシカ」…女性隊員が撮影<> ○…航空自衛隊松島基地=東松島市矢本=西側の水田で8日午前、天然記念物のニホンカモシカが現れ、隊員が写真に収めた。津波の被害を受けた同基地では、「隊員を励ましにきたのカモ」「復興するシカない」と話題で持ち切りだ。


 ○…撮影したのは、同基地施設隊小隊長の菅原由里香3等空尉(25)。同日午前10時ごろ、外柵の復旧状況を確認するため、ドライバーと基地西側の外柵沿いを車両で移動中、柵の外の農道を走る動物を見た。


 ○…「初めは子馬だと思いました」と菅原3尉。カメラのシャッターを切った後、車を降りて追いかけたが、「自分のカモシカのような足でも追い着けなかった」と苦笑い。カモシカは林の中へ消えていったという。


○…菅原3尉は東京都立川市出身で、2月に赴任したばかり。「こちらに来ていいことがなかったのですが、震災以来一番テンションが上がりました」と話していた。


 ○…同市農林水産課によると、市内での目撃例は初めて。隣の石巻市内ではたびたび目撃されており、何かしら震災の影響があるのかも。




<>2011/7/13 4039<>4039.jpg<>「水産都市復興へ加速」…石巻魚市場 4か月ぶりの水揚げ<> 東日本大震災で壊滅的な被害を受け、業務を停止していた石巻魚市場は12日、漁港西側の副港で水揚げを再開した。場内に魚がずらりと並ぶのも、競り人の濁(だみ)声≠ェ響き渡るのも4か月ぶりだ。これまで復旧作業にあたっていた水産関係者約300人も訪れ、新たな水産都市石巻の形成を目指す決意を新たにしていた。


 この日は石巻市小渕浜の第15愛宕丸が午前6時前に入港し、金華山周辺で釣り上げたスルメイカ124ケースを、仮設上屋が設置された西側副港に水揚げ。このほか定置網のスズキやギンザケ、刺し網のアイナメやカレイなどが市場内に並んだ。


 再開セレモニーでは市場の須能邦雄社長が「石巻にやっと水揚げの光が当たった。何年かかるか分からないが、かつてのにぎわい以上を目指していく」と力強い口調であいさつ。さらに石巻市水産復興会議の伊妻壮悦会長がガンバローコールで気勢を上げた。


 その後の競りでは、値段を付ける競り人に対し、買受人は「何ぼでもいいぞ」と異例の声を上げるなど赤字覚悟の気概を見せた。結果、スルメイカが例年同時期の2倍の1ケース(15匹入り)4500円で取り引きされるなど高値が続出。ご祝儀相場に沸いた。


 買受人の一人は「水揚げで力が湧いてきたようだ。自力でも復興してみせる」と話していた。


 同魚市場ではほとんどの設備が仮設の状態で万全な体制ではないが、受け入れ準備が整った魚種から漁船誘致を進める方針。安定的な水揚げを続け、水産加工団地の早期復旧につなげたい考えだ。




 【写真】 競り人の声が久しぶりに響き渡った。スルメイカが高値で取引されるなどご祝儀相場に沸いた

<>2011/7/12 4038<>4038.jpg<>川開き祭り行事決まる…パレードや祭り広場も<>  2011年石巻川開き祭り(同実行委員会主催)のイベント内容がこのほど固まった。7月31日の前夜祭は東日本大震災の犠牲者に対する鎮魂の思いを込めた供養祭、8月1日は子どもたちが主役となり、まちに笑顔あふれる復興を目指したイベント、花火大会を行う。


 前夜祭は31日午後4時30分からの川村孫兵衛翁墓前供養祭で開幕。釜の普誓寺が被災し、墓が流されたため同寺の会館で執り行う。翁をまつった重吉神社は津波で消失したため例年実施している同神社祭は中止。午後6時T分から孫兵衛翁報恩供養祭、川施餓鬼供養祭と併せて東日本大震災被災者供養祭を中瀬公園で行う。犠牲となった市民一人ひとりの名前を読み上げて慰霊するとともに、遺族や友人ら一般市民の焼香所も設ける。同時刻に北上川での流燈も開始。犠牲者名を記帳した1万個の灯ろうを流す。


 本祭りの8月1日は例年通り午前中に川開き祭典、漁港祭、川村孫兵衛翁報恩祭をそれぞれゆかりの地で開催。水上行事がないため市民イベントは陸上パレードのみとなる。
 会場はアイトピア通り、立町通りの一帯。湊中吹奏楽部演奏(午後1時30分)で始まり、金華山龍(蛇)踊り奉納(同2時)、アクアカーニバル(同2時50分)、市民・ボランティア復興神輿(同4時15分)、ものうはねこ踊り(同4時30分)などを繰り広げる。また立町の駅側入り口から約100メートル区間にお祭り広場を設け、ステージイベントや石巻焼きそばをはじめB級グルメブースなどが並ぶ。


 祭りの最後を飾る花火大会は、午後7時30分から中瀬公園で1時間行う。慰霊花火で開幕し、特大スターマインなどを連発。特別企画では、中越地震から復興した長岡市がそのシンボルとなった花火、フェニックスのミニ版を石巻川開き祭りに寄贈。このほか諏訪、大曲、土浦、赤川といった花火の名所からの協賛花火など多彩に打ち上げ、市民が元気なまちへと発進する。


 陸上パレードの会場となる立町通り、アイトピア通りには、被災し、危険個所もまだ残るが、実行委では「ボランティアらによる警備強化を図り、安全性の確保に努める」と話している。


■流燈の記帳受付


 石巻川開祭実行委は前夜祭で震災犠牲者名を記帳した灯ろうを北上川に流す。記帳は13日から石巻市役所、石巻商工会議所、石巻仏教会加盟の17寺院で受け付ける。


 灯ろうは高さ約30センチ。台座に乗り、中にはロウソクがともされる。記帳対象は、石巻市、東松島市、女川町の震災犠牲者で俗名、戒名のどちらでも可。受付場所は市役所本庁舎、総合支所、支所、商議所、石巻仏教会所属寺院。受付期間は商議所のみ29日まで、他は22日まで。問合せは実行委祭典部(商議所内カ22―0145)。石巻仏教会事務局は法山寺(法山寺カ22―4261)。加盟寺院外の檀家の場合は、市役所、商議所で受け付けを。




 【写真】 「鎮魂」「復興」へ思いを込めたポスター<>2011/7/12 4037<>4037.jpg<>石巻勢3校が3回戦進出<> 第93回全国高校野球選手権宮城大会の2回戦が11日、県内各球場で行われた。石巻勢は4校が登場し、石巻工業は加美農業に10―0で6回コールド勝ち、石巻西は5―1で宮城広瀬を破り、石巻商業は2―0で名取北にそれぞれ勝利した。震災でグラウンドが使えず石巻北高で練習していた宮城水産は、3―5で仙台三に敗れた。


 このうち石巻工は南郷球場の第2試合で加美農業と対戦。初回に四球で主将の黒川が出塁すると阿部、津田の3、4番コンビの連打などで3点を先制。その後も着実に得点を重ね、守っては加賀投手を中心に相手に得点を許さなかった。


 なお、石巻勢は12日午後に利府球場で石巻が仙台高専名取と戦う。15日午後0時30分からは石巻商が仙台東と仙台商の勝者と対戦。石巻工と石巻西は18日午後0時30分から、東北福祉大球場でベスト16の座を争う。


 ▽2回戦
 【柴田球場】
石巻北
 012 010 00×=4
 000 100 000=1
仙台向山
 【石】大槻―豊田【仙】遠藤眞・佐藤佑―遠藤明

石巻商
 000 002 00×=2
 000 000 000=0
名取北
 【石】鈴木涼―武田【名】加藤・堀切―鈴木達▽三塁打=木村(石)


【仙台市民球場】
仙台三
 001 020 011=5
 002 001 000=3
宮城水産
 【仙】千葉裕―高橋佑【宮】亀山・末永恭―木村航▽三塁打=森谷(仙)▽二塁打=齋藤涌(仙)

石巻西
 000 001 400=5
 000 001 000=1
宮城広瀬
 【石】阿部徳―佐々木健【宮】庄司力―佐藤幸▽三塁打=武山(石)▽二塁打=山根(石)


 【南郷球場】
石巻工業
 303 211× =10
 000 000  = 0
加美農業
     (6回コールド)
 【石】加賀―津田【加】佐々木真・猪股―天野▽三塁打=三浦(石)▽二塁打=鹿野(加)




 【写真】 本塁に飛び込む石巻工の渡邊涼選手(南郷球場)<>2011/7/12 4036<>4036.jpg<>石巻地方梅雨明け…期間過去2番目の短さ<> 仙台管区気象台は11日、石巻地方を含む東北南部が梅雨明けしたとみられる、と発表した。東北南部の梅雨明けは平年より14日、昨年より7日早い。梅雨入りは先月21日で、期間は20日間となり昭和42年に次いで過去2番目の短さとなった。また、7月11日ごろの梅雨明けは昭和53年、平成13年、昭和30年に次いで過去4番目に早い記録となった。


 梅雨明けとなった石巻地方は11日、太平洋高気圧に覆われた影響で朝から青空が広がった。気温もぐんぐん上昇し、正午には石巻市で30度、女川町で27・3度をそれぞれ観測。石巻市内ではハンカチで汗をふいたり、日傘を差しながら歩く人の姿が目立った。


 石巻市山下の穀町幼稚園(米倉孝明園長)の園庭では、全園児たちがプールで水遊びをしていた。子どもたちはまぶしい日差しが降り注ぐ中「冷たくて気持ちいい」と大声ではしゃぎながら、水遊びを楽しんでいた。


 石巻市では梅雨明け前日の10日には7月の観測史上として最も高い35・6度(午後1時14分)を観測し、今季初の猛暑日となった。石巻地区消防本部によると、同市などで4人が熱中症とみられる症状で救急搬送された。屋外で作業をしていた人がほとんどだったという。


 気象台は「気温が高い状態は今後も続くため、熱中症対策を万全にしてほしい」と話している。




 【写真】 涼しさ求めて水遊びをする子どもたち(穀町幼稚園で)

<>2011/7/11 4035<>4035.jpg<>石巻がコールド発進…石巻好文館は敗退<> 第93回全国高校野球選手権宮城大会の1回戦が10日、県内の各球場で行われた。柴田球場では石巻が気仙沼西との被災地同士の戦いを9―1の7回コールドで制し、集まった大勢の保護者らをおおいに沸かせた。なお仙台市民球場では、津波でグラウンドや野球道具に被害を受けた石巻好文館が初戦突破を目指したが、古川黎明に0―3で敗れた。


 石巻は初回、一、三塁から石川の走者一掃の二塁打で先制。続く二回にも石川が左翼への2点本塁打を放つなど4点を奪取した。その後は雷雨により試合が2時間ほど中断されるアクシデントもあったが、主戦左腕の三浦祐が緩急を織り交ぜた投球で要所を締めた。


 石巻の日野裕貴主将は「序盤に点数を取れたのが良かった。これからも石巻地方の住民の皆さんに勇気を与えるプレーを見せたい」と話していた。


 一方、石巻好文館は7安打を放ち、数多くの好機をつくったものの、あと一本が出ず得点を挙げることができなかった。


 【10日】
 ▽1回戦
(仙台市民球場第1試合)
古川黎明
 000 101 100=3
 000 000 000=0
石巻好文館
 【古】濁沼―鹿野【石】千葉秀―吉田潤▽二塁打=鹿野(古)日野(石)
 (柴田球場第2試合)
石巻
  340 020 0=9
  000 100 0=1
気仙沼西
 【石】三浦祐―日野【気】三野宮、熊谷翼―小山拓▽本塁打=石川▽二塁打=石川、三浦祐、今野(石)金野(気)




 【写真】 二回、本塁打を放った石巻の石川をチームメートが迎えた

<>2011/7/11 4034<>4034.jpg<>秋篠宮ご夫妻 石巻ご訪問<> 秋篠宮ご夫妻は8日、東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻市を訪問した。震災後に皇族が市内入りするのは初めて。日和山公園では亀山紘市長から被災状況の説明を受け、ご夫妻は静かに合掌した。その後は避難所となっている市立鹿妻小学校(清元吉行校長)を訪問。1年生の出迎えを受けたご夫妻は、腰をかがめながら「お名前は」と声を掛けられた。また避難者には「おけがはありませんでしたか」と気遣われた。


 鹿妻小には同日午後1時25分に訪れ、1年生56人が「こんにちは」と元気にあいさつ。ご夫妻は、にこやかに児童一人ひとりに声を掛けられた。震災直後に同校内で「こどもひろば」を開き、児童支援に努めているNGOセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの活動にも関心を示され、説明に耳を傾けられた。


 校庭では出迎えた避難者に温かく接し、紀子さまは幼児の体をさすりながら「もう少し涼しくなるといいですね」、保護者には「随分と大変でしたね」とねぎらった。


 同市渡波の佐藤朝子さん(58)は「体を労わる優しいお言葉に元気が出ました」と話していた。同ジャパンと一緒に活動を行う鹿妻地区放課後児童クラブの指導員5人は、ちぎり絵で作ったご夫妻の似顔絵を披露。秋篠宮さまは「よくできていますね。時間がないのに作って下さいましてありがとうございます」と述べられた。


 指導員の後藤喜子さん(31)は「ちぎり絵に感謝の言葉をいただき、とてもうれしく思います。被災で気持ちが落ち込む中、希望をいただきました」と話していた。ご夫妻は指導員から被災状況の説明を受けられ、紀子さまは鹿妻小で1メートルを超す浸水があったことに驚いた表情を浮かべられていた。


 秋篠宮さまは日本動物園水族館協会の総裁を担っており、ご夫妻は石巻市に次いで松島町のマリンピア松島水族館を訪問。その後は東北大学総合学術博物館=仙台市=で、被災した文化財の修復作業などについて説明を受けられた。震災後に皇族が石巻市を訪れたのは初めて。天皇、皇后両陛下は4月27日に南三陸町と仙台市を訪問され、その際、航空自衛隊松島基地=東松島市=で村井嘉浩知事、阿部秀保市長らと昼食をともにされた。




 【写真】 元気な子どもたちに笑顔を見せるご夫妻(宮城県提供)
<>2011/7/9 4033<>4033.jpg<>「水揚げ再開へ弾み」…石巻魚市場に冷凍コンテナ<> 東日本大震災で被害を受けた三陸の主要漁港を支援している「希望の烽(のろし)基金」(代表・岡本行夫元内閣官房参与)は7日、石巻市魚市場の関係企業に貯氷用の冷凍コンテナを寄贈した。同日午後には魚町西港岸壁でセレモニーを開き、来石した岡本代表に市場関係者が感謝の意を示した。


 同魚市場は今月12日の再開を目指して準備を進めている。定置網やイカ釣りなどによる生鮮出荷となるが、鮮度保持のためには氷が必要不可欠だった。震災後に岡本代表が来石した際、魚市場の須能邦雄社長らが冷凍コンテナの寄贈を要望したところ快諾。実現した。


 冷凍コンテナは日本郵船が貨物船上などで使用していたもの。長さは約12メートルで氷点下25度まで冷やすことが可能。氷は25―30トンを保管することができる。石巻に贈られたのは9基で、このうち合同会社ミツワと市漁業協同組合に各3台、市加工業協同組合に2台、渡波加工業協同組合に1台が配置された。


 セレモニーには須能社長をはじめとする魚市場幹部、関係企業の代表者らが顔をそろえた。


 浅野亨石巻商工会議所会頭と市水産復興会議の伊妻壮悦会長は「他地域には負けられないと頑張っている中で寄贈はありがたい」など感謝の言葉を述べた。これに対し、岡本代表は「話よりもスピードが大事だと思った。漁港機能が一部でも回復すれば、住民の皆さんも水産の復興を感じてもらえる」とあいさつした。


 同魚市場に氷を供給する予定のミツワと市漁協では遅くとも9月末までには製氷機能を回復させたい考え。2社合計で160トンほどの氷を作る。その後は石巻市超低温冷蔵庫などの冷凍庫の復旧にあわせ、巻き網などの冷凍魚の水揚げも始めていく。




 【写真】 寄贈セレモニーであいさつする岡本代表
<>2011/7/9 4032<>4032.jpg<>「子らの笑顔あふれる街に」…ワンコイン協力者にグッズ<> 子どもを中心とした市民主体のまちづくりを進める石巻復興支援ネットワーク(兼子佳恵代表)は、地域再生への願いを込めたオリジナルのクリアファイルとステッカーを作成した。活動を支援する市民のほか全国の人たちにワンコイン募金(500円)を呼び掛け、協力者にプレゼントしている。


 同ネットワークは、子どもたちのまちづくり活動への参加促進をはじめ、子育て支援などに取り組んでいる。東日本大震災で被災し、活動できずにいる子育て支援団体が多いことから資金捻出のための募金運動を始めた。集まった募金は子どもをサポートする団体に贈る。


 クリアファイルとステッカーには、ネットワークのテーマである「笑顔でつながろう〜未来に向かって」のメッセージとハートを組み合わせた天使のイラストなどを印刷。イラストはメンバーが描いた。兼子代表は「今、地域に必要なのは、子どもたちの笑顔。たくさんの笑顔であふれる環境を作るため活動をしていきたい」と話していた。




 【写真】 ハートの天使のイラストが入ったクリアファイル
<>2011/7/8 4031<>4031.jpg<>「アヤメ 色鮮やか」…零羊崎神社 10日まで無料開放<> 石巻市牧山の零羊崎神社(櫻谷鎮雄宮司)の「花菖蒲苑」では白や青、紫色など色とりどりのアヤメが咲き、来場者の目を楽しませている。10日まで無料開放されている。


 約5千平方メートルの苑内にはオキノカモメやムツノクニ、サルオドリなど約230種類、約3千株のアヤメがかれんな花を付けている。来場した人たちはゆっくりと中を散策したり、カメラを向けるなどして楽しんでいた。


 同神社によると、今年は春先の天候が良かったことから、花は順調に成長し例年よりも大きな花を咲かせているという。櫻谷守雄名誉宮司(85)は「震災で大変な時期だが、花を見ることで気晴らしとなればうれしい」と話していた。


 観覧は午前8時―午後5時。




 【写真】 色とりどりのアヤメが咲く、石巻市牧山の「花菖蒲苑」

<>2011/7/8 4030<>4030.jpg<>「きょう小暑・七夕」…短冊にさまざまな願い事<> 7日は二十四節気の一つ小暑―。夏の暑さが本番を迎える時期とされる。天の川を挟んで年に1度だけ会う織姫と彦星の伝説に由来した「七夕(たなばた)」の日でもあり、学校や幼稚園、避難所などではさまざまな願い事を書いた短冊を下げたササ飾りが風に揺れていた。


 東松島市立矢本中央幼稚園(津田眞一園長、園児131人)では同日、「たなばた会」が開かれた。津田園長が七夕にちなんだ童話の紙芝居を披露した後、園児らはササ飾りの下で元気に歌い、織姫と彦星になりきって走る遊びを楽しんだ。


 短冊には「足がはやくなりますように」「サッカー選手になれますように」といった子どもらしい願い事がずらり。中には「ふねでおしごとができますように」「じえいたいいんになりますように」「パパみたいにつよいおとこになりたい」もあった。


 7日の石巻地方は梅雨前線が北上した影響で、曇りがち。正午までの最高気温は25・5度と、きのうまでの暑さはいくぶん和らいだ。




 【写真】 矢本中央幼稚園では、ササ飾りのもとで子どもたちが元気に走り回った

<>2011/7/7 4029<>4029.jpg<>「皆の元気をツアーに」…石川遼選手ら女川町で炊き出し<> 石川遼選手をはじめ、(社)ジャパンゴルフツアー選手会(宮本勝昌選手会会長)に所属するプロゴルファーらが6日、女川町総合体育館で炊き出しなどを行った。


 同選手会は社会貢献活動の一環で、ゴルフを通じて被災地に元気を届けようと津波で甚大な被害を受けた女川町を訪れた。